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Review: 『「日本画」の前衛 1938-1949』 @ 東京国立近代美術館 (美術展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2011/02/13
東京国立近代美術館
2010/1/8-2/23 (月休;1/10開;1/11休), 10:00-17:00.

歴程美術協会 を中心に 戦間期 Avant-Garde (Bauhaus や Surrealism) に影響を受けた 日本画における動きを捉えた展覧会だ。 また、個人蔵の初公開作品も多く、また、展覧会の芳名帳のような関連資料まであり、 よく調査された展覧会だったように思う。 このような動きがあったことをこの展覧会で知り、とても刺激を受けた見応えのある展覧会だった。 展覧会カタログが手元に無いので確認できないが、 『揺らぐ近代 —— 日本画と洋画のはざまに』 (東京国立近代美術館, 2006) [関連発言] は、歴程美術協会のような Avant-Garde の前で終ってしまっていたように思う。 そういう点ではその続編としても楽しめた。

この展覧会の核として取り上げられていたのは、1938年4月に設立された 歴程美術協会。 「歴程」の名前は 瀧口 修造 によるもので、1937年設立の 自由美術家協会 とも密接な関係にあったという。 この歴程美術協会の作品を集めた 「I.「日本画」前衛の登場」と「II. 前衛集団「歴程美術協会」の軌跡」が最も見応えあった。 山崎 隆、船田 玉樹 といった日本画家が参加していたのだが、 中で最も印象に残ったのは 山岡 良文。 Kandinsky の “Spannung” に影響を受けた 「シュパンヌンク」 (1938) のような作品など少々微笑ましかったが、 伝統的な扇面ちらしの意匠ながら構成主義的なものを感じさせ二曲一双屏風 「矢叫び」 (1940) が良かった。

しかし、既に1937年には日中戦争が始っており、 歴程美術協会設立の1938年4月というのは、国家総動員法が公布された月。 1941年には太平洋戦争が始まり、歴程美術協会展は1942年の第八回展で最後となる。 日本画家も兵士として召集されたり従軍画家として派遣されるようになる。 そんな戦争の影響を示したのが「IV. 戦禍の記憶」。 1940年に召集されたものの負傷復員した 山崎 隆 が描いた一連の 「戦地の印象」 (1940)、「高原」 (1941)、「続戦地の印象 (其四)」 (1942)、「続戦地の印象 (其五)」 (1942) は、戦線の平原と思われる風景を抽象表現主義の絵画のような色面で描いており、 その大画面から迫ってくる荒涼とした雰囲気も強烈。 比較的明るい色彩の作品が多かった歴程美術協会設立の頃の作品から、 5年足らずでこのような所に至ってしまったのか、と。 この屏風から、未完を運命付けられた美術運動だったと悟らされたようにも感じた。

「III. 「洋画」との交錯、「日本画と洋画」のはざまに」は、 歴程美術協会周辺の作品を集めたもの。 山岡 良文、船田 玉樹 らの歴程以外での作品や、関係深かった自由美術家協会の洋画、 その他この同時代の作品。 タイトルからして、まさに『揺らぐ近代』展の第六章「揺らぐ近代画家たち —— 日本画と洋画のはざまに」の延長といえる内容だった。 最後の「V. 戦後の再生、「パンリアル」結成への道」は、 歴程美術協会関係者が設立したパンリアル美術協会の紹介。 それまでの展示のインパクトもあって、ここは少々蛇足にも感じられてしまった。