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読書メモ

渡辺 裕 『宝塚歌劇の変容と日本近代』 と 渡辺 裕 『日本文化モダン・ラプソディ』 に関する発言です。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Jul 10 0:24:37 2003

去年くらいから、中東欧トルコ (Turkey)のある種の音楽シーンについて、 「実験的・前衛的な指向」と「folk / roots 的な指向」の併置・混交 という傾向が見られる、って言ってきているわけですが。 安易というかイイカゲンな所もある言い方かなぁと、自分でも思いつつあったたのも、確かだったり。 そんなわけで、こういうことを考えるときに、どういうことを注意しなくちゃいけないのか、どういう視点が取り得るのか、とか そういう興味もあって手に取った本なのですが、とっても面白かったので、簡単な読書メモ。

渡辺 裕 『宝塚歌劇の変容と日本近代』 (新書館, ISBN4-403-12009-1, 1999) と 渡辺 裕 『日本文化モダン・ラプソディ』 (春秋社, ISBN4-393-93161-0, 2002) は、これらの本で描かれている「歌舞伎改良」「邦楽改良」や「芸妓改良」が、 現在の旧共産圏に見られる folk/roots の要素を持つ音楽に見られる動きに重なって見えるところが大きくて、とても興味深く感じられました。 これらの本では、大きな枠組みとして、東京 (中央) ― 大阪 (周縁) の力関係というものをもってきてきるわけですが。 このような動きが顕著に見られるのが欧州の周縁部だというのも、重なって見えるところが大きいというか。 示唆を受けるところが他にもたくさんありました。 『日本文化モダン・ラプソディ』の中で、この本で取り上げられている問題は、 「文化触変 (acculturation) というきわめて一般的な問題の一事例」(p.15) であると述べられているわけですが、 こういう一般化を指向する観点から書かれているところも、 他の事例 (中東欧やトルコの音楽シーンに見られる傾向) を考える助けになったような気がします。 といっても、充分に消化しきれてなくて、すぐには中東欧への音楽の考察へ適用できそうもないですが。 話の進め方のナイーヴな部分を減らす手がかりにはなりそうです。

もちろん、この2冊の本は他にも沢山面白かったところがありました。 特に、「宝塚」「邦楽」「オペラ」「歌舞伎」とかに対して自分が漠然と持っていた先入観や偏見が、 沢山の資料に基づく説得力を持ってガンガン覆されていくあたりに、読んでいてある種の快感を感じすらしました。く〜。 もちろん、資料というか事例が沢山紹介されているので、ディティールも楽しめます。 杵屋佐吉考案の低音(セロ)三味線の写真 (『日本文化モダン・ラプソディ』p.106) にはグッときましたよ。 実物、もしくは復元を見てみたい〜。三味線コンチェルトの音源、聴いてみたい〜。 河合ダンス (モダン芸者の舞踊団) の小冊子や写真 (『日本文化モダン・ラプソディ』p.102) も、 1920s Avant-Garde 趣味な人にも訴えるものがあるように思います。 楳茂都陸平の舞台の写真 (『日本文化モダン・ラプソディ』p.228) も、カッコいい〜。く〜。 際物趣味として愛でる、というのではなく、けっこう素でカッコイイと感じてしまったり。 気が付けば、今年に入って観に行ったライヴってこんなのばかり (レヴュー 1, 2, 3) だもんなぁ。 この手の資料を集めた展覧会 (関連音源を聴く関連イベント付き) とかあったら、通ってしまいそうな勢いです。 日本画の成立とかも同じような経緯があったように思うので、そういう所とかとも関連付けてもいいし。 どっか企画してくれませんかねー。

[1207] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Apr 3 3:49:51 2005

『私たちの装身具: 1850-1950 日本のジュエリー 100年』 @ 東京都庭園美術館 を観て来ました (フォトログ)。 綺麗な女性用宝飾品を見て楽しむ女性向け展覧会かとスルーしかけていたのですが、 村田 良二 さんのブログ 『闇雲』「日本のジュエリー100年展 @ 東京都庭園美術館」 (2005/03/21) を読んで、行かねば、と。 実際、「装身具と日本近代」というような副題を付けた方が、 男性客にもっとアピールしたんのではないでしょうか。 懐中時計のような男性用の装身具もそれなりに展示されてたわけですし。

明治の文明開化期の櫛や簪でも、 ガス灯や電燈、蝙蝠傘、トランプなどのモダンなモチーフをうまく消化していました。 自分の好みは、1920年代のアールデコな幾何糢様の櫛笄。 このようなものを見ていると、今や「伝統的」な装身具な櫛や簪が、 その当時は時代時代の流行をどんどん採り入れていた生きた存在だったんだなぁ、と、 感慨深かったです。 こういうものは、戦前の歌舞伎改良や新民謡とかとパラレルのように思います。 あと、展示の中に懐中時計が多かったのも、 時間の近代化と結び付いていてとても興味深かったです。 あと、装身具だけに、皇室がらみの品もあって、 「天皇自らが「洋服を著してその範を垂示」する」というのも垣間見えたり。 戦前モダンの諸相がいろいろ垣間見えて、面白かったです。

[1211] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Apr 4 22:27:16 2005

『私たちの装身具: 1850-1950 日本のジュエリー 100年』 @ 東京都庭園美術館 ですが、和装の装身具が展示の半分を占めていました。 櫛 (くし)、笄 (こうがい) や簪 (かんざし) だけでなく帯留とかもありました。 そんな和装装身具の展示を観に来たのか、和装の女性客が1割ほどいましたよ。 さすがに、和装の男性客はみかけませんでしたが。

大正・昭和戦前期の頃のモダンな柄の帯や着物、 テレビ番組で紹介されているのを見たことあります。 モダンな和装装身具に合わせてそういう着物も一緒に展示されていると もっと面白かったかもしれないです。 お洒落だからこそ、新奇なもの異国風なものを 積極的に取り入れるということもあるかもしれませんね。 しかし、ガス灯の簪やトランプの帯留、Art Deco な櫛笄にしても、 キッチュというより、これぞモダンという感じでとても洒落ています。 このようなモダンの可能性が潰えてしまったことが残念でなりません。

展覧会のタイトルについてですが、 jewellery という単語には確かに広く装身具という意味がありますが、 カタカナで「ジュエリー」とすると洋装の宝飾品かと思いますよね。 和装装身具はもちろん、男性用装身具の印籠や懐中時計も展示されていましたし、 やはり、「装身具の日本モダン」のようなタイトルの方が実を表していたように思います。 ま、フライヤや展覧会の扉ページのように、 宝石をふんだんに使った豪華なティアラの写真に「ジュエリー」という文字を大きく配した方が、 集客力があるんでしょうけど……。

前の発言では軽く流してしまいましたが、 レスポンスが付いたこともありますし、少し補足。 今回の展示を観て印象に残ったことの一つとして、 和装装身具も明治維新から昭和戦前期までの間に発達したということがあります。 それも、モダンな意匠という面だけでなく、写真蒔絵 (『闇雲』で紹介されてる これ) のような技術の面でも進展があったという。 例えば、展覧会詳細のページにも こう書かれています。

欧米のスタイルだけでなく、帯留など日本独特の装身具も同じ時期に発達しました。特に刀装金具の高度な技術は装身具にも応用され、明治には輸出産業として期待されました。この技術で作られた帯留から懐中時計まで様々な装身具は。昭和の戦前期に至るまで長く人々に親しまれました。

渡辺 裕 『日本文化 ― モダン・ラプソディ』 (春秋社, ISBN4-393-93161-0, 2002) に書かれている話と重なる所が多かったですし、 「天皇自らが「洋服を著してその範を垂示」」したことに関する展示は 先日の以下のような話とも関連しますし。

[1117] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Tue Feb 1 23:41:43 2005

さて、?Dのコメント欄はいろいろ書きづらいので、 ロック少年リハビリ日記・別館 2005-01-31 の「ここんとこ読んだ新書」の所に対するレスポンスのような、軽い読書メモを。 僕もたいして鉄分はないのですが、 原 武史 『鉄道ひとつばなし』 (講談社現代新書 1680, ISBN4-06-149680-8, 2003)、 を最近手に取って、興味深く読みました。 『「民都」大阪対「帝都」東京 ― 思想としての関西私鉄』 (講談社選書メチエ 133, ISBN4-06-258133-7, 1998) の著者による鉄道本だけあって、軽めのエッセーの中にも 「鉄道を通してみた日本の近代化」のような筋が通っているのが良かったです。 特に第一章の「天皇と鉄道」では、 戦前のある時期まで 天皇家は近代的な立憲君主として国民に近代化の範を垂れるモダンな存在だったことを 改めて思い出しましたよ。 肉食の普及に果たした天皇の役割や あんぱんの誕生に際して果たした皇室御用達の役割 (岡田 哲 『とんかつの誕生 ― 明治洋食事始め』, 講談社選書メチエ179, ISBN4-06-258179-5, 2000) というのとも共通する話ですね。 この前のオフ会で話したら意外がられた 靖国神社がもともと東京の中でもモダンな空間だった (坪内 祐三 『靖国』 1999; 新潮文庫, ISBN4-10-122631-8, 2001) だっていうのとも繋がってくるかしらん?

奇麗な装身具にうっとり見惚れるという楽しみ方もありだとは思いますが、 むしろ、こういった本を副読本に楽しんで欲しい展覧会です。 そうすれば、自分のように、 普段「ジュエリー」に縁の無い生活をしている男が一人で行っても、 十分に楽しめるでしょう。 来週末で会期末ですが……。

そういえば、展示に使われている部屋の遮光カーテンが開かれていました。 今までアートやグラフィックデザインの展覧会でしか 東京都庭園美術館に行ったことが無かったのですが、 カーテンはいつも閉じられていただけに、 明るい自然光が部屋に入り、窓越し外が見えるというのが、新鮮でした。 そんな旧朝香宮邸を楽しめたのも収穫でした。

[1805] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sat Dec 23 23:46:59 2006

土曜は自転車散策日和。というわけで、昼過ぎ遅めに家を出て、北の丸公園へ。 東京国立近代美術館『揺らぐ近代 ―― 日本画と洋画のはざまに』 展 (12/24まで) を観てきました。 主に明治〜戦前期に描かれた日本画と洋画というジャンルの境界線上にあるような 作品・作家に焦点を当てた展覧会です。 近代の日本画、洋画というジャンルをそれぞれ自律したものとして描くのではなく、 二者を併せて様々な可能性が多様に試みられた絵画における文化触変 (acculturation) として描くような展覧会で、 とても面白く観ることができました。

第一章「狩野芳崖・高橋由一 ―― 日本画と洋画の始まり」から 第ニ章「明治絵画の深層 ―― 日本画と洋画の混成」にかけてが、 現在の日本画・洋画のイメージからすると際物な絵が多かったように感じました。 もちろん、試行錯誤の結果なのでしょう。 絵画技法だけでなく描かれているものも面白いのですが、特に目を惹いたのは、 彭城 貞徳 『和洋合奏之図』 (c.1906)。 床の間があるような和室で尺八とヴァイオリンの合奏をする様子を描いているのですが、 尺八を吹く男性だけでなくヴァイオリンを弾いている女性も、和装で正座してしているのです。 これって、渡辺 裕 『日本文化モダン・ラプソディ』 (春秋社, ISBN4-393-93161-0, 2002) の「はじめに」に出てくる話じゃないですかー。これが元ネタだったか。

そういう視点を欠いてきたために、われわれは日本の音楽文化の歴史について、何と偏った固定観念を抱いてきたことだろうか。そういう固定観念からしてみると、大正から昭和初期にかけての時代などは、ずいぶん変梃なことがいろいろ行われていた時代のようにみえてしまう。尺八と合奏するために、和服を着た女性が座ってヴァイオリンを弾いていたというような話をきけば、西洋音楽がまだ本格的に定着していなかった未熟な時代のエピソードだと思い、オーケストラ伴奏の三味線コンチェルトが作られたという話をきけば、新しもの好きの邦楽の演奏家が「西洋かぶれ」のあまり「脱線」してしまったと思う……。だが私に言わせれば、そうした見方はいずれも、今われわれ自身が抱いている「日本音楽」や「西洋音楽」の表象を通して過去をみてしまっていることによる「誤解」にほかならない。

彭城 貞徳 『和洋合奏之図』 という絵があった、ということは 本の中で触れられていないように思うのですが……。読み落しているのかなぁ……。

音楽だけでなく、演劇を描いたものとしては、 西洋歌舞伎 (オペラと歌舞伎の中間的な舞台作品) を描いた 河鍋 暁斎 『河竹黙阿弥作『漂流奇譚西洋劇』パリス劇場表掛りの場』 (1879) というのもありました。

このようにネタが被っている所があるからだけではなく、 同じく明治〜戦前の文化変容を扱っているという点で、この展覧会の副読本として、 渡辺 裕 『宝塚歌劇の変容と日本近代』 (新書館, ISBN4-403-12009-1, 1999) と 渡辺 裕 『日本文化モダン・ラプソディ』 (春秋社, ISBN4-393-93161-0, 2002) をお薦めします。2003年にこの2冊を読んだときの読書メモを発掘してアーカイヴに載せておきました。 その時に、「この手の資料を集めた展覧会 (関連音源を聴く関連イベント付き) とかあったら、通ってしまいそうな勢いです。日本画の成立とかも同じような経緯があったように思うので、そういう所とかとも関連付けてもいいし。どっか企画してくれませんかねー」と言ったわけですが、 『揺らぐ近代 ―― 日本画と洋画のはざまに』 展は「日本画の成立とかも同じような経緯があった」ということを示した展覧会でした。 せっかくなら、展覧会関連イベントとして 『日本文化モダン・ラブソディ』的な内容の講演会や関連音楽を聴く会でも やってくれればよかったのに、と思ってしまいました。

展示作品は最初の方が「変梃」で、次第に大人しくなるように感じたのですが、それでも、 第六章「揺らぐ近代画家たち ―― 日本画と洋画のはざまに」で展示されていた 萬 鉄五郎 の作品でのモダニズム前衛と南画の取り合わせがツボにハマりました。く〜。

そんなわけで、とってもお薦めの展覧会です。 今年観た現代物ではない展覧会の中では、これがベストかも。 だがしかし、会期は明日24日まで。 うーむ、もっと早く観に行って紹介すれば良かった。