現代美術の文脈での活動で知られる やなぎみわ の演劇プロジェクト、 第一部『1924 Berlin-Tokyo』 (京都国立近代美術館, 2011) [レビュー] に続く第二部が、 この『1924 海戦』だ。 1924年の築地小劇場の設立とそのこけら落としの ドイツ表現主義戯曲『海戦』 (Reinhard Goering: Seeschlacht, 1917) の上演を、劇場を設立し『海戦』を演出した 土方 与志 を主人公でドラマ化した作品だ。 脚本・演出助手として ex-Wandering Party の あごうさとし を迎えていたが、 やはり第一部同様、演出はかなりベタな小劇場演劇という感じで、 むしろ、言及される固有名詞等のネタに反応して楽しむような舞台だった。
この作品はメタ演劇の構成で、土方の 築地小劇場 設立や先行するリアリズム演劇に対する闘いを、 劇中劇である『海戦』での水兵の闘いに重ねていた。 しかし、土方が発するリアリズム演劇批判の言葉は 『海戦』上演を土方の人間ドラマとして描くこの作品自体への批判にもなる所があったが、 それを掘り下げるようなことはなく、むしろ無頓着。 その結果として、メタ演劇の図式も、 リアリズムとはどういうことでそれを批判する前衛とはどういうことかといった考察というより、 むしろ、土方の苦闘という人間ドラマを盛り上げるための仕掛けだ。
演出のデティールを見れば、むしろアイデアに溢れていた。 例えば、携帯電話や twitter といった現代の道具立てをあえて20世紀初頭に持ち込むような。 こういうやり方一つだけでも、突き詰めれは表現上の課題がいろいろ生じ、 それを解決するため様々な実験ができるだろう。 しかし、この作品では、当時の雰囲気を現代に置き換えるとこんな感じ、という、 ちょっとユーモアの効いたアナロジーでしかなかった。
戦間期のモダニズムは以前から興味を持って追っているので、 それを取り上げる試みは応援したいし、 この舞台を観ながらキーワード的な所に反応して楽しんだ所は確かにあった。 しかし、その興味がモダニズムを推進した芸術家等の人物像や人間ドラマには無いということもあるのか、 何とも不完全燃焼する作品だった。