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Review: Miranda July (dir.): The Future (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2013/02/25
The Future
2011 / Germany/USA / 91 min / color / 1:1.85
Written and directed by Miranda July.
Starring: Hamish Linklater (Jason), Miranda July (Sophie), David Warshofshy (Marshall), etc.

1990年代半ば Kill Rock Stars レーベルからアルバム2枚をリリースするなど Portland を拠点に Riot Grrrl 界隈で活動し、 現在は映画、小説や現代美術のジャンルで活動する Miranda July。 The Future は長編2作目にあたる。 現代美術や小説の作品には接したことがあったが、映画作品を観たのはこれが初めて。 形式的な面白さをもっと期待したところもあったが作りはかなり普通。 あまり救いのない大人の寓話という皮肉な雰囲気は、 現代美術の作品 [レビュー] と共通するものがあったけれども。

主人公は、在宅で技術サポートのコールセンターの仕事をする Jason と ダンサーを夢見つつもダンス学校で子供教室の先生をしている Sophie という 狭いアパートに同棲している30歳半ばの男女カップル。 この二人が長かった青春期のモラトリアムを終えようとする —— たいして才能があるわけではないという自分とその人生を受けいれようとする —— その様を、 ちょっとすっとぼけた感をはさみつつ、辛辣というより生暖かい皮肉を込めて描いたもの。 猫を飼い出したら5年は自由にならないからと 動物愛護施設から傷ついた猫を貰い受けるまでの1ヶ月の間に 今の仕事を止めてやりたい事をやろうとして起きた出来事として、それを描いている。

しかし、彼らは成り行き任せでたいしたことはできない。 コールセンターの仕事を辞めた Jason が就いた仕事といえば、 環境団体の仕事といえば聞こえがいいが、実質は飛込みのセールスマンだ (というか、環境団体の活動を具体的に描かないことにより、飛込みセールスマンのように描いている)。 Sophie も30日間ダンス作品を作り続けるという計画が全く実行できず、 結局 Jason を捨てて、偶然知った妻子のいる (しかし妻はなんらかの理由で不在の) 裕福な看板デザイナー Marshall の愛人のような生活を始める (女性の将来の選択は男性の選択かよ、と苦笑した)。 しかし、そんな状態をすんなり受け入れるわけでもなく、続かない。

1ヶ月後に猫を受け取りに来なければ猫は処分する、ということになっていたのだが、 この猫が彼らのささやかな希望の将来のメタファーのようになっていた。 そして、無為な1ヶ月の結果、彼らはそんなささやかな希望の将来すら取りこぼしてしまう。 Jason は Sophie との別れが受け入れられす時間を止めてしまう (失意で呆然自失な日々となった、もしくは、現実逃避したといった所か) のだが、 再び時間を動かした時には、ギリギリ間に合わないタイミングだったというのも、皮肉だ。 Sophie も Marshall の家を出るが、猫の受け取りには間に合わず、Jason のアパートへ戻る。 そして、気まずい夜が始まる所で、映画は終る。 2人がよりを戻したのか、翌朝 Sophie が出て行くのか、その結論は浮かせたまま。

自分が男性であるせいか、Jason の描かれ方が気になった。 彼はおそらく工科系の大学卒くらいの学歴なのに 在宅の技術サポートのコールセンターという低賃金の仕事に甘んじている。 それも、Jason の優柔不断さ才覚の無さのせいというより、現在のアメリカの社会状況を見るよう。 「最近の新卒の四人に一人は、失業しているかパートタイムの仕事しかない。 また常勤職につけた新卒も、かなり賃金が下がった。 おそらくその多くは、大学教育を活用しない低賃金労働で我慢しなければならなかったからだろう。 (中略) この状況は若者にはひどく苛立たしいものだ。 自分の人生を踏み出すはずが、待機状態を余儀なくされてしまうのだから。 多くの若者が自分の将来を案ずるのも無理はない。」 という ポール・クルーグマン 『さっさと不況を終らせろ』 (Paul Krugman, End This Depression Now!, 2012) の一節を、映画を観ながら思い出してしまった。 経済状況のことなど映画では全く描かれてはいなかったけれども、 待機状態を余儀なくされている若者の「将来」についての映画を観るようでもあった。

といっても、正直に言えば、自分が30代半ばだったら身につまされながら観たように思うのだが、 今の自分にとっては少々距離感があって、醒めて観ていたような所があったのも確か。 十年後くらいに観たら、2010年前後の社会状況と恋愛へ落す影など、 その時代の雰囲気を感じて興味深く観られるかもしれない、と思ったりもした。