1960年代前半、赤瀬川 原平、中西 夏之とのハイレッド・センター [レビュー] で知られる 高松 次郎 の 1960年代最初期から1990年代の晩期の作品までを辿る回顧展。 展示は大きく三部構成。 第一部はハイレッド・センターやそれに並行して制作された最初期1960-1963年の作品、 第二部はシリーズ『影』などの代表的な作品群からなる1963-1970年代の作品、 そして、第三部は絵画へ回帰した1970年代以降の作品。
ハイレッド・センターやシリーズ『影』の印象が強かった 高松 次郎 だが、 こうしてまとめて観みると、第二部の後半にあたる 1970年代前半の『単体』シリーズや『複合体』シリーズが、ミニマルアートとコンセプチャルアートを繋ぐようで良かった。 例えば、椅子や脚立とブロックを組み合わせた『複合体』シリーズでは、 その本来の機能的な意味を剥奪する手続きとして、足の下にブロックを置いて傾けるという手続きを加えている。 コンセプトから見ても最低限な手続きで、かつ、物そのものを見せるという点でもミニマル・アート的という所が、スマートで良かった。 素材に穴をうがち削られたものを穴に戻した『単体』シリーズの方が、素材感という点ではミニマル・アート的だが。 現代美術史ではミニマル・アートからコンセプチャル・アートへと言われるが、まさにその二者を繋ぐような作品という意味でも、興味深く観ることができた。
第二部前半の『影』シリーズも、『遠近法』シリーズと合わせて観ることにより、 消失点や光源に関する問題意識をより捉えやすく観ることができた。 しかし、光源や視点を移動してのイメージがCGで容易に作成することができる現在、 このような作品が興味深かったのは、まだCGが一般的な時代ではなかった頃だからだろうか、とも思ってしまった。
第一部の展示が始まる前に、導入として、自分の影を作って遊べる『影ラボ』というコーナーが作られ、 そこだけ写真撮影可能にもなっていた。 こういうアトラクションのコーナーがあるというのも、最近の美術展の工夫らしい所だろうか。
期待以上に楽しめたので、年末まで千葉市美術館でやっていた 『赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで』 を、会期最終日を勘違いして見逃してしまったのが、痛恨です。
戦後に活動した写真家 奈良原 一高 が1958年に発表した『王国』の1978年版写真集での構成にほぼ基づく写真展。 北海道の修道院と和歌山の女性刑務所という2つの隔絶した世界を捉えた白黒写真。 ナラティブにもなりうる題材で、1970年代以降であればアレ・ブレ・ボケで撮られそうだが、 それ以前の端正な画面もあって、題材から距離を置いた静謐な詩情を感じるシリーズになっていた。