東京国立近代美術館フィルムセンターの企画上映 『特集・逝ける映画人を偲んで 2013-2014』の 「山口淑子 (李香蘭) 選集」から2本。
阿片戦争 (1840-1842) 百周年を記念して製作された、当時広東で阿片の取締りにあたった英雄的な 大臣 林 則徐 の伝記映画。 中華聯合製片公司と中華電影 (中華電影公司) は日本占領下の上海の国策映画会社 (1943年に合併して中華聯合電影公司) で、 同じく満州の国策映画会社 満映 (満州映画協会) との共同製作。 反英の意向で製作されたと言われますが、抗日の意味合いで中国人に受容され、ヒットしたと言われる映画です。
そんなこともあって、硬派な伝記映画と思いきや、むしろ史実には無いメロドラマチックな脚色が強く、むしろそこが楽しめた映画でした。 そんな話を盛り上げる主要な女性の登場人物は3人。 林 則徐 が最初に客人として招かれた福建巡撫の家の娘 靜嫻 は、 林 則徐 に縁談を断られると、尼寺に篭って阿片中毒を直す薬「戒煙丸」作りに精を出し、 阿片戦争が始まると民衆軍を率いて戦い、戦死します。 福建巡撫の後に 林 則徐 が客人として招かれた元県令の家の娘 玉屏は、 病に倒れた 林 則徐 を看病し、その後、彼の妻となります。 そして、玉屏 は母の阿片中毒を直すために「戒煙丸」を求めことにより 靜嫻 と出会い、 阿片と戦う 林 則徐 を共に支えることになります。 李 香蘭 演じるのは阿片窟に出入りしていた飴売りの娘 鳳姑 で、 阿片中毒で身を崩しかけていた 林 則徐 のかつての学友 潘 達年 を支えて社会復帰させ、 その妻となる女性を演じています。 鳳姑 も 潘 達年 の阿片中毒を直すために「戒煙丸」を使うことで、靜嫻 と知り合います。 林 則徐 の出世や、潘 達年 の阿片中毒やそれからの社会復帰の描写はあっけらかんとしたもの。 むしろ、3人の女性の成就しない恋、献身、微妙な三角関係と女性間の友情をメロドラマチックに描いていました。
映画の中で最も印象的だったのは、 阿片窟で飴売りする 靜嫻 が阿片窟で飴売りのふりをして『売糖歌』を歌う場面。 最後にはバレて、潘 達年 に助けられて店から逃げ出すことになるのですが。 林 則徐 らの阿片の害毒と国を憂う気持ちの直接的なセリフよりも、 この歌の方が、この映画の持つ社会的文脈の多義性を象徴していたように感じられました。
当時の日本映画 (特に自分がよく観ている戦前の松竹大船映画) と比べると、特に女優の演技は大げさに感じられました。 しかし、セリフが自分の理解できない中国語だったこともあり、まるでサイレント映画を観ているかのようで、大げさな演技でちょうど良いくらいに感じました。
映画中の時代は第一次大戦後の情勢不安定なハルピン。 軍閥の戦闘の中で父と生き別れ母に死なれた日本人の娘が、 白系ロシア人の男性オペラ歌手に育てられるという、半生を描いた映画です。 島津 保次郎 が監督ということで [関連発言]、 日常を通して娘と養父の関係を丁寧に描く所を期待したのですが、 むしろ、ボルシェビキに公演をメチャクチャにされたり、満州事変に巻き込まれたり、と、波乱万丈なドラマでした。
主人公の設定といい、台詞がほとんどロシア語といい、戦前戦中の日本映画には無い感じは興味深いものがありました。 しかし、満映と東宝が共同製作した戦中 (それも敗色が濃くなってきた時期) の国策映画ということで, 織り込まれた五族協和のような満州国のスローガンが、 国や民族を超えたドラマという感を削いでいたのは、もったいなく感じられました。
李香蘭が主役の映画ですが、『萬世流芳』程には、彼女の歌う歌は印象に残りませんでした。 養父が男性オペラ歌手ということで、当時の満州での白系ロシア人による音楽コンサート、歌劇やレビューの公演の様子を伺えるような場面もありましたが、 劇中劇として物語上の深い意味合いがある程でもなく、そこも物足りなく感じました。
『私の鶯』の併映で、中編映画 徳光 壽夫 (dir.) 『五作じいさん』 (南旺映画, 1940) も観ました。 納税の重要性を描く宣伝映画ということですが、それほど宣伝色は感じられず、 困窮しつつも村のためを考える正直者の五作じいさんと、そんな五作一家を助ける村の人々を、さらっと描いた映画でした。