祝日金曜に開幕した ふじのくに⇄せかい演劇祭 2016。 連休初日の混雑を避けて土曜に日帰りでまずは2演目、観てきました。
素晴らしいアニメーションや人形を使った一人芝居 The Adventures of Alvin Sputnik - Deep Sea Explorer [鑑賞メモ] を2012年に見せてくれた オーストラリアの Tim Watts が、今回は3人による作品で再登場。 認知症の老人が夕暮れ症候群で家を出て徘徊をする様を西部劇に見立てて、幻想的に、かつ、感傷的に描いた作品でした。 家を出て徘徊する際のパートナーは持って出たテント。 西部劇ということで、まるで馬のようなパートナーに、そしてもちろん夜露をしのぐ場所としても。
老人は何故か指名手配犯として追われていて、 虫取り網を持った保安官らしき追う男との決闘シーンがハイライト。 西部劇映画というかマカロニウェスタン映画のカメラワークやモンタージュを、 ペンライトを使った影絵芝居で見事に表現。 影を使ったトリッキーな表現といえば Philippe Decouflé も連想させられたが、 Decouflé のように影の形の面白さの方に重きを置くのではなく、もっと物語的だった。
追っていた男は、実は老人を捕まえようとする保安官ではなく、 認知症で徘徊する老いた父を保護しようとする息子だったのだが、 決闘の場面の直後、そうと老人が気づいたか気づかないかというところで、老人は死んでしまうという。 その死の描写も、静かに帽子や衣服を脱がせ肉体を消失させることで直接的ではなく象徴的に、 しかし、記号的にではなく非常に感傷的に描いたのはさすが。 この場面に、思わず、涙してしまった。
確かに、この作品のキーフィギュアとなっていたテントが、馬という見立てという面が強過ぎて、 前半は少々物足りなく感じた。 映像を投影する円形のスクリーンを様々に見立ててイメージを広げていった The Adventures of Alvin Sputnik - Deep Sea Explorer の方が良かったとは思う。 しかし、それでも、ミニマルな道具立てに様々にアイデアでイメージを作り出し、 セリフを一切使わずにイメージだけで観客をその世界にぐっと引き込んで感情移入させるだけの物語る力のある、 素晴らしい舞台だった。
公演後のトークによると、制作の最初の段階にあったのは、テントを使った動きだったとのこと。 これが馬のようと感じた所から、西部劇の要素が、そして、認知症の老人の夕暮れ症候群というプロットが加わったとのこと。 最初から認知症の老人の問題を表現する、というようなアプローチで無かったことが、 結局、アイデア満載のイメージによる物語る力の強い作品として成功したのだろうか。
彼らのプロダクション The Last Great Hunt のウェブサイトに、 制作中の Tim Watts と Arielle Gray による新作 New Owner (仮題) のページがある。 写真を見ると Arielle Gray をメインにフィーチャーしたとっても可愛らしい作品そうだ。 この作品でも是非来日して欲しい。
夢の遊眠社時代、1990年の野田 秀樹の戯曲を、シンガポールの演出家 Ong Keng Sen が演出した舞台。 日本、シンガポール、インドネシアの三ヶ国の俳優による日本語、英語、インドネシア語の三ヶ国語を交えての上演で、 各国語によるストレートな演技だけでなく、 中村 壱太郎 の歌舞伎女形、茂山 童 の狂言、久世 星佳 の宝塚歌劇の男役、I Kadek Budi Setiawan による Wayang Kulit といったものが舞台上に併置さえていた。 クラブのVJのような半ば抽象的で時にドラッギーな映像が舞台いっぱいい絶えず投影され、 アンビエントなテクノ、エレクトロニカのようなBGMがセリフを聞き取るのを妨げるようなレベルで絶えず流され、 メリハリの感じられない単調な舞台だった。 多文化的な要素も有機的に組み合わされているというより、 そんなVJ的な映像とアンビエントな電子音の上物としてサンプリングさたもののような扱いに感じられた。 1980年代後半に同時代体験した小劇場ブーム時代を思い出させる饒舌だが軽くて言葉遊びの多いセリフもあって、 ポストモダニズムの空疎さを見せつけられたようだった。