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Review: Thomas Ruff @ 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー (美術展/写真展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2016/09/10
Thomas Ruff
『トーマス・ルフ展』
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
2016/08/30-2016/11/13 (月休,月祝開,翌火休), 10:00-17:00 (金10:00-20:00).

1980年代に活動を始めたドイツの写真作家 Thomas Ruff の個展。 Kunstakademie Düsseldorf で Bernd & Hella Becher に師事した Becher Schule の作家で、 Andreas Gursky [レビュー] のように かっちり構図を決めた抽象絵画のような作風を出発点としているが、 最近は既存の写真を加工した作品が中心となっている。 Becher Schule の写真の作風は好きで、Thomas Ruff の作品もグループ展やギャラリーの個展で観てきているが、 美術館での大規模な個展で観るのは初めて。 天体写真を加工した作品は好みであるもののコンセプト的にピンとくることが無かったのも確か。 しかし、初期から最近の作品まで通してみると、腑に落ちることしきり。 Becher Schule のような作風の写真家は、グループ展や画廊で数点だけ観るより、美術館での個展クラスの規模でまとめて観た方が、面白いと実感した展覧会だった。

展示は年代順というわけではないが、 初期1980年代の Porträts 『ポートレート』、 Häuser 『家』、 Interieurs 『インテリア』のシリーズは、 まだ加工は目立たず、構図をかっちり決めたいかにも Becher Schule らしい写真だ。 Becher Schule に収まりきれないと感じるのは、 新聞写真からキャプション等を除いて切り出した Zeitungsfoto 『ニュースペーパー・フォト』 (1991) や 暗視カメラで普通の街中を撮影した Nächte 『夜』 (1992)。 Becher Schule というより、1980年代にニューヨークで流行した Simulationism の流れを汲むような写真だ。 この2つのシリーズはこの展覧会で初めて観たのだが、 後の既存のイメージを加工するシリーズの原点はこうだったのかと。 イメージの加工についても、コンピュータによる加工から入ったのではなく、 その前に、光学的にポートレイト写真を合成するモンタージュ写真合成機を使った anders Porträts 『アザー・ポートレート』 (1994/1995) があったことに気付かされた。

2000年代以降の写真は Simulationism 的なセンスと Becher Schule 的なセンスが収束していくよう。 インターネットで流れていたヌード写真をそれと判る程度までにぼやかした nudes 『ヌード』や、 やはり、インターネットで流れていた jepg 形式の写真 (多くはニュース写真) を ブロックノイズがくっきり浮かび上がるほどに圧縮率を上げて劣化させた jpeg など、 イメージの持つイデオロギー性を強調して浮かび上がらせる Simulationism とは逆の方向性で、 イデオロギー性が消えて抽象的なイメージとなるぎりぎりの線を探るかのよう。 Subsrate 『基層』となると、完全に抽象化されるまで加工してしまうのだが。

2000年代の作品は、縦は3m近い、横も2m近い大判のものが多く、加工された抽象的なイメージもあって、写真的な手法で作成した抽象表現主義の絵画のよう。 惑星探査機の撮影した天体写真を加工した ma.r.s.cassini は colorfield painting のようだし、 コンピュータでサイクロイド曲線を描かせた zycles や フォトグラム的なイメージをシミュレートして作成した Photogram 『フォトグラム』は action painting を思わせる。 そんな所に Ruff の抽象的なイメージの好みを観るようだった。

最も最近の作品となると、抽象表現主義的なイメージから、既存のイメージを生かす作風に回帰しているよう。 セピア色になったビンテージ写真を反転して青っぽいネガ写真とした negatives は 仕上がりのイメージも Nächte に近いものを感じたし、 ニュース写真と掲載指示が書かれた裏書きを重ねて大判プリントにした press++ の 既存のイメージに文字を重ね合わせてスタイリッシュにその社会的文脈を浮かび上がらせるところなど、良質な Simulationism の作品と言いたくなるほどだ。 Ruff の Becher Schule 的の面だけ見ていたら意外な展開に感じたかもしれないが、 1990年代初頭の Zeitungsfoto のような作品を踏まえれば、 むしろそこへの回帰にも感じられた。

確かに、Ruff の Becher Schule 的なセンスが好きで、この展覧会でもそこを最も楽しんだ。 しかし、そこに収まりきらない、むしろ Simulationism に近いセンスも持ち合わせていて、 そこも面白いということに気付くことができた展覧会だった。

この企画展に関連して、コレクション展示においても、 negatives でも素材として使われた Karl Blossfeldt の写真や Becher Schule の源流ともいえる戦間期の Neue Sachlichkeit (新即物主義) の写真、 Bernt & Hella Becher はじめ Becher Schule の写真家の写真が展示されていた。 観たことのある作品も多かったが、好きな作風ということもあって、Ruff 展を合わせて、ますます興味深く観ることができた。