1927は、アニメーター/イラストレーターの Paul Barritt と劇作家/パフォーマーの Suzanne Andrade によって2005年に設立された、 アニメーション上映と音楽生演奏とマイムをベースとする演技を組み合わせた作品を制作するカンパニーです。 カンパニーに関する予備知識はあまり無かったのですが、 去年見たフランスの Stereoptik [鑑賞メモ] も楽しめましたし、 映像とライブ・パフォーマンスを組み合せた表現ということに興味を惹かれて、観ることにしました。
貧民街の人情物とディストピアものを合わせたような救いのあまり無い物語で、現在の格差社会や管理社会に対する風刺も込められていました。 しかし、1920s-30sのサイレント映画や初期トーキーにはそういう主題のものが少なからずあることもあり、むしろそれに近いものを感じました。 ディストピアと革命は Fritz Lang の Metropolis (1927) を連想させずにはいられませんし、 アパートメントの管理人が街を逃げ出すためになけなしの貯金をはたいて無償で知り合いの子供を救うというエピソードからは、 小津 安二郎 の初期映画によくあるエピソード、 近所の子供が病気になった時に年季奉公で金を工面したり (『出来ごころ』, 1933) や なけなしの貯金を渡したり (『一人息子』, 1936) などを連想しました。 (こういう小津映画のエピソードは当時のアメリカ映画に元ネタがあると言われていますが、残念ながら元ネタまではわかりません。)
投影されるアニメーションは、いわゆる商業映画で一般的な様式ではなく、 戦間期モダニズム (特にロシア構成主義) やスチームパンクの影響を強く感じる 彩度の低いイラストレーションを動かす、いわゆる「アート・アニメーション」です。 そのアニメーションとぴったり合せるように、3人のパフォーマーが1人数役で、 歌いはするもののストレートなセリフは用いずにマイムと字幕で物語ります。 マイムや字幕での物語りに、生演奏の伴奏ピアノも、サイレント映画に近しいものでした。 そして、そんなスタイルと物語の内容がぴったりマッチしていました。
こういう作風を見ると、確かにカンパニー名の1927というのは年号で、 その時代にインスパイアされたということ、 もしかしたら、まさに Metropolis の年ということを意味しているのかもしれません。 そして、そんな当時の戦間期モダニズムや当時のサイレント映画の雰囲気をうまく生かした作風が自分の好みのツボにはまりました。 そして、第二次大戦後に格差が狭まる前、戦間期の不穏な格差社会に対するものと同様の風刺が そのまま通用する世界に戻りつつあるのだろうか、なんてことも考えさせられた作品でした。
1927は Komische Oper Berlin と組んで、2012年には The Magic Flute を、 2017年には Petrushka と L'Enfant e t les sortilèges のダブルビルと、 オペラの演出も手がけています。 ぜひ彼らが手がけたプロダクションのオペラを観たいものです。