展覧会のタイトルやフライヤのグラフィックは1900年前後の Secession (分離派、セゼッション)、Wiener Werkstätte (ウィーン工房) 界隈の展覧会を思わせますが、 Secession、Wiener Werkstätte の展示は全体の半分から三分の二程度。 18世紀後半 Maria Theresia 治世下の啓蒙の時代から紐解はじめ、第一次世界大戦直前の表現主義までスコープに収めた、 Eric Hobsbawm の言う「長い19世紀」 (1789-1914) の間にウィーンの美術・デザインがどう変化していったか見るような展覧会でした。
「革命の時代」 (1789-1848) は、その後半に当たる Biedermeier 時代の展示が充実していました。 この時代はロマン主義が流行した時代ですが、革命への態度が対照的なようであり、 ファッションや空想的な面などが共通するようで、興味深く観られました。 続く「資本の時代」 (1848-1875) に相当するのが、 1958年の市壁の取り壊しによるリング通り建設から Weltausstellung 1873 Wien (ウィーン万国博覧会) にかけての「リング通りとウィーン」の展示まで。 この展示を観ていると、同時代の Georges-Eugène Haussmann によるパリ改造 (1853-1870) と比較したくなりました。
「帝国の時代」 (1875-1914) の多くを占めるのは、もちろん、Secession、Wiener Werkstätte 関連の展示。 グラフィックデザインだけでなく食器、家具などのプロダクトデザインやファッションの展示が充実していて、とても楽しめました。 Gustav Klimt との関係で知られる Emilie Flöge が姉 Helena と経営していた Schwestern Flöge [Flöge Sisters] のオートクチュール・ファッション・サロン (デザインは Koloman Moser) の再現模型のコーナーがあり、 やはりウィーン工房デザインで知られた Cabaret Fledermaus の様子を再現した模型があったら、と思ったりもしました。
確かにオーストリア一国史的な美術史・文化史に基づく展示の限界も感じましたが、 「日本・オーストリア外交樹立150周年記念」と言う位置付けの Wien Museum のコレクションに基づく展覧会では仕方ありません。 フランス革命の時代から第一次世界大戦までの「長い19世紀」というスコープ設定も良く、充実した展覧会でした。 それだけに、広告やマーケティングの都合なのでしょうが、クリムト、シーレ、世紀末だけをタイトルに入れるのは、明らかにミスリーディングではないかと思わざるを得ませんでした。
「日本・オーストリア外交樹立150周年記念」ということもあ流のでしょうが、 この展覧会を含め、ウィーンの「世紀末」に関係する3つの展覧会が都内で開催されました。 まとめて観る良い機会かと、他の2つの展覧会も観ているので、それについても合わせて。
Secession が設立された1897年から第一次世界大戦開戦の1914年を主な対象とした Secession、Wiener Werkstätte の界隈の展覧会です。 Adolf Loos の応接家具セットだけでプロダクトデザインやファッションの展示がほとんど無い一方で、 ポスターや装丁のデザインなどだけでなく、木版画を素描が多くあったと言うことが特徴的。 Koloman Moser の妻 Dita のデザインを初めて意識したのですが、 いかにも Jugentstil / Art Nouveau な Koloman より、 Art Deco 先取りしたかのような Dita のトランプやカレンダーの幾何学的なデザインの方がカッコいいということに気づかされたりしました。
自分の観に行ったタイミングでは3つの展覧会の中で、最も混雑していました。 “Judith I” (1901) や “Nuda Veritas” (1898) のような有名な作品や “Beethoven Frieze” (1901-02) の複製を観られたという感慨はあれど、 Klimt 個人に焦点を当て当時のデザインへの目配りの薄い展覧会の構成は自分の興味から外れたと言う感もありました。 しかし、同時代のオペラ Salome を 観た直後ということで、その時代の雰囲気は堪能できました。 男の生首を抱えた妖艶な美女 Judith の絵を観つつ、こういうのが流行った時代だったんだな、と、つくづく。