主にコンテンポラリーダンスの文脈で活動するギリシャの演出家 Dimitris Papaioannou の初来日公演です。 彼の名を有名にした Athens 2004 Olympic Games の Opening Ceremony は TV中継でも観ていませんでしたが、その後、話題になっていた演出家でしたので、観る良い機会かと、足を運んでみました。 コンテンポラリーダンスの文脈とは言えど、Papaioannou 自身振付家と自称しておらず、 演じているパフォーマーも俳優とダンサー (ストリートダンスを含む) の混成。 最後の白骨死体から逆算するようにシュールレアリスティックでグロテスクなイメージをパフォーマーの身体を用いて作り出し自由連想的に繋いでいくような、 マイム劇というかフィジカルシアターに近い舞台作品でした。
表面的にはかなり異なった強面する作品と思いましたが、シュールレアリスティックなイメージの連鎖で構成されていく様は、 Philippe Genty との共通点を感じました [鑑賞メモ]。 人形を使って可愛らしくファンタジックにする代わりに、裸体も辞さないパフォーマーの身体を使ってグロテスクに表現しているよう。 Papaioannou はバラバラになる身体を複数のパフォーマーで表現していましたが、Genty は人形でそうしていたな、と。 イリュージョン的に奈落に抜けられるよう作られた黒いベニア板敷きの大きく波打った舞台も、これがふんわり波打つ白い布であれば、まさに Genty。
しかし、そういう構造よりも、グロテスクなディティールの方が重要にも感じられた作品でした。 有名なルネサンス絵画のイメージを用いた場面などは少々あざとくも感じましたが、 麦穂の羽の手投げ矢を大量に降らせて「麦畑」を作り出したり、 その「麦畑」をパフォーマーたちが摘み取る場面をはじめ、意外なイメージの転換の仕方はさすが。 「麦畑」を作る際のベニヤ板の下に舞台から見えるように人を寝かせた状態で手投げ矢を投げる所などナイフ芸も連想させるのですが、 長いスリンキー (コイルバネ状の玩具) のジャグリング、玉乗りや高足、ロープへのぶら下がりなどを使かわれていました。 この作品での Papaioannou の意図からは外れるように思いますが、サーカス芸のスキルと相性の良さそう。 そんなことを思った作品でした。