新潟市の公共劇場である りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 を拠点に活動する 日本で唯一と言っていい公共劇場レジデンシャルなダンスカンパニー Noism の15周年公演です。 公演を観たことがあるのは『ラ・バヤデール — 幻の国』だけで [鑑賞メモ] あまりフォローできていなかったので、15年間の歩みを知る良い機会と、足を運びました。
過去の作品の中から黒衣にまつわる10のシーンを抜粋し、最初と最後に 金森 振付による新作を配した、オムニバス作品です。 上野の森バレエホリデイ2018で初演された作品ですが、再演にあたって1シーン (最後から2番目) が追加されています。 可動式の幅1m高さ1m程度のハーフミラーを十数枚並べただけの舞台装置の前でシーンを踊り、 暗転と字幕や回顧的な映像、そして、Arvo Pärt の “Spiegel im Spiegel” を間奏的に使ってシーンを繋いでいきました。
劇的舞踊だからというだけでなく、作品の中でも見せ場とも言えるシーンを抜粋していることもあるかと思いますが、 パドドゥ的なリフトを多用した男女ペアでの踊りのシーンが多く、それが印象に残りました。 日本のコンテンポラリーダンスでは、コンタクトインプロビゼーションのようなものはあれど、 このような表現は少ないだけに、そんなところに Noism のバレエ的なバックグランド持つ振付家・ダンサーを揃えたカンパニーらしさを感じました。 オムニバスということもあって『ラ・バヤデール — 幻の国』にあった演劇的な面は抑えられ、 むしろ、テクニカルな感情表現を駆使してきっちり踊るところを堪能できました。 『マッチ売りの話』 (2017) の場面からの流れもあったとは思いますた、 ラストの『Träume ––それは尊き光のごとく』での 浅海 を見守るような 金森 と 井関 のダンスを見ていて、 Noism を生み育てきた慈父、慈母の話のよう、と思ってしまいました。
休憩を挟んでの新作は、『Mirroring Memories』とは対称的でした。 14人のダンサーによる群舞で、ナラティブな要素はほとんど感じられません。 途中で使われる白米の「滝」と照明のみの演出で、 タイトルにもなっている Arvo Pärt の “Fratres” に合わせ、 12分間、強い意志を感じさせながらも静かに、修行僧のように祈り続けるかのような作品でした。 特に、フードのある衣装を使い、フードを被って「滝」に打たれるかのような場面など、その印象も強烈でした。 現在の Noism の置かれた厳しい状況と、それを打開するための祈念を思わず連想せずには入られませんでした。
市長交代に市の財政事情もあって、Noism の存続が危うくなっていると報道されています [美術手帖の記事]。 この公演の時点では、2019/2020シーズンまで活動延長となったものの、 2020年9月以降については今年8月に市長が活動継続の可否を判断するという状況とのこと。 日本でも1990年代以降、芸術監督を置く公共劇場が増えたものの、レジデンシャルなカンパニーを置いて活動する公共劇場はほとんどありません。 コンテンポラリーダンスのカンパニーは新潟市の Noism が唯一ですし、 演劇に目を向けても、静岡県の SPAC (静岡県舞台芸術センター) くらいしかありません。 新国立劇場バレエ団にしても、レジデンシャルとは言い難いレベルの給料しか出ていないと聞きます。 Noism や SPAC の良いライバルとなるような公共劇場レジデンシャル・カンパニーが国内から出てきて欲しい、 首都圏に少なからずある芸術監督を置く公共劇場が Noism や SPAC に倣ってレジデンシャル・カンパニーを抱えるようになって欲しい、 と思っていただけに、このような動きは残念な限りです。