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Review: Nadine Labaki (dir.): Capharnaüm 『存在のない子供たち』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2019/09/30
Capharnaüm
『存在のない子供たち』
2018 / Lebanon/France/USA / colour - 2.35:1 / 125 min.
Réalisation: Nadine Labaki; Scénario: Nadine Labaki; Musique: Khaled Mouzanar; Production : Michel Merkt et Khaled Mouzanar.
Zain al-Rafeea (Zain, le garçon des rues), Yordanos Shifera (Rahil, la clandestine éthiopienne, mère de Yonas), etc.

レバノンのスラムを舞台とし、そこで生きる子供たちが直面する問題 (ドメスティックな暴力、人身売買など) を、主人公であるスラムの少年 Zain の視点から描いた映画です。 その背景にある、パレスチナ紛争、レバノン内戦、シリア内戦など長年の戦争による難民問題、 アフリカらの不法移民就労者の問題も、もちろんスコープに入っています。 原題は「混沌」という意味ですが、 『存在のない子供たち』という邦題は身分証を持たないため人道支援、社会保障の類からこぼれ落ちて不利な状況に追いやられている状況からして結構的を射た邦題とは思いますが、 存在がない (=身分証がない) というのはスラム住まいだったり不法移民就労者だったりする親もそうだったりします。

ドラマ映画ですが、出演している俳優はプロフェショナルではなく演じる役柄に近いバックグラウンドを持つ人をオーディションで選んでいて、 主人公を演じた Zain al-Rafeea はシリア難民の子、 幼子を抱えて不法就労するエチオピア人女性 Rahil を演じた女性 Yordanos Shifera は やはりエチオピア出身で映画撮影中に強制送還されそうになった、というエピソードもあります。 物語はフィクションですが、出演者が実際に体験してきたことに近いエピソードがベースとなってるため、 子供を含むアマチュアの俳優とはいえ演技は自然です。 スラムや拘置所などの中でロケを行い手持ちカメラを駆使して撮影されていて、現場に立ち会っているかのようなリアリズム的演出がされた、ドキュドラマ的な映画でした。 問題への理解が深まった、身近に感じられるようになったと言うのも憚れる作品でしたが、 手持ちの手ブレ激しい画面が多く半ばで手ブレ酔いしてしまったにもかかわらず引き込まれ、 希望が無いながらささやかな救いのあるエンディングに涙してしまいました。

この映画の監督はレバノンの Nadine Labaki。以前に観たことのある Et maintenant, on va où ? 『私たちはどこに行くの?』 (2011) [鑑賞メモ] では内戦の一因たる宗教対立を扱いながら、リアリズム的ではなくあくまで風刺の効いたコメディに仕立てていました。 少しはコメディリリーフがあるかと予想して望んだのだけど、かなり直球にシリアスに作られた映画でした。 もはやコメディにする余地が無いくらい状況が悪化しているということなのでしょうか。