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Review: Hans Karl Breslauer (dir.): Die Stadt ohne Juden (『ユダヤ人のいない街』) (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2019/12/01

国立映画アーカイブのサイレント映画特集上映 『サイレントシネマ・デイズ2019』のプログラムで音楽伴奏は録音ながらサイレント映画上映を観てきました。

Die Stadt ohne Juden
1924 / Walterskirchen und Bittner (Österreich) / 91 min. / restored DCP / B+W (coloured) / silent
Regie: Hans Karl Breslauer.
Drehbuch: Hans Karl Breslauer, Ida Jenbach nach dem Roman von Hugo Bettauer.
Anny Miletty (Tochter Lotte), Johannes Riemann (Leo Strakosch), Eugen Neufeld (Bundeskanzler Dr. Schwerdtfeger), etc

戦間期、ナチスが政権を以前の1924年に制作された反ユダヤ主義を風刺する内容の映画です。 原作は G. W. Pabst: Die freudlose Gasse (『喜びなき街』, 1925) [鑑賞メモ] と同じ Hugo Bettauer です。 映画の中では国名を「ユートピア」としていますが、ウィーンで撮影されており、当時のオーストリアを状況を風刺したもののようです。 ユダヤ人追放をしたものの、国内での消費の落ち込みや外国のボイコットを受けて経済が破綻し、再びユダヤ人を受け入れる、という大きな物語を、 資産家の娘 Lotte とユダヤ人の恋人・許嫁の Leo、そして、ユダヤ人追放法を撤回させるための Leo の策略をコミカルに交えて描いています。

と言っても、技法は素朴で、画面やモンタージュなどで登場人物の深く描写したり状況の緊迫感を感じさせるようなことはなく、 反ユダヤ主義の風刺という主題の割には物足りなく感じました。 翌年の映画となる Die freudlose Gasse を思い出しつつ、あの映画の表現の洗練を実感しました。 スタイルとしては、Expressionism (表現主義) から Neue Sachlichkeit (新即物主義) 映画への移行期にあたるようで、 ユダヤ人排斥法が撤回されて反ユダヤ主義の議員が錯乱してしまう場面で、多重露光の表現主義の技法が半ば取って付けたように使われていました。

その一方で、ユダヤ人追放の様子の描写は、 1933年以降のナチス政権下でのユダヤ人の追放や強制収容の様子を捉えたドキュメンタリー映画や それを題材としたドラマ映画での描写から大きく外れるものではなく、まるで予言したかのよう。 もちろん監督たちの想像力の賜物ということもあるかと思いますが、 第一次世界大戦中、戦後の難民、住民交換などの様子がイメージの源泉にあったのかしらん、と。

2014年の『シネマの冒険 闇と音楽 2014 from ウィーン フィルムアルヒーフ・無声映画コレクション』の企画に携わった Filmarchiv Austria の常石 史子 氏がこの映画の復元を担当しており、上映前に短い解説がありました。 この映画は1933年に上映された後に失われたと思われていたものの、 1991年に不完全ながらフィルムが Nederlands Filmmuseum で発見され、 2015年にパリの蚤の市で完全版に近いフィルムが発見され、それを元にデジタル復元されています。 内容もあって復元に国の予算が付かず、クラウドファウンドで資金調達したとのことでした。 原作者でもある Hugo Bettauer が1925年ナチスのシンパに暗殺されたということを、今更ながら知りました。 Die freudlose Gasse は Gerhard Gruber のピアノ生伴奏で観ることができたのですが、 今回は Gruber のトリオによる伴奏の録音だったのは残念でした。 (平日晩に 神﨑 えり による生伴奏での上映もあったのですが、都合が付きませんでした。)