例年ゴールデンウィーク中に開催されるSPAC静岡県舞台芸術センターのフェスティバル 『ふじのくに⇄せかい演劇祭2020』 と関連企画の 『ふじのくに野外芸術フェスタ2020静岡』 はCOVID-19流行のため中止。 その代わりに、YouTube、Vimeo や「観劇三昧」などの映像配信サービスや、 ウェブ会議サービス Zoom などを駆使した 『くものうえ⇅せかい演劇祭2020』を 本来の会期で開催しています。 トーク企画や上演予定だった演出家による短編の特別映像や映画作品の配信が多いのですが、 5月2日は本来上演予定だった2作品の Festival d'Avignon 上演時の映像の配信だったので、 昼と晩にそれらを観ました。
現在 Festival d'Avignon の芸術監督を務めるフランスの演出家 Olivier Py によるグリム童話に基づく作品の4作目です。 と言っても、自分が観るのは『ふじのくに⇄せかい演劇祭2016』で観た La Jeune Fille, le Diable et le Moulin [鑑賞メモ] に続いてです。
マレーヌ (マーレン) 姫の話はこの作品の予習を通して知った程度。 話はかなり変えられていたようで、 戦争へ行きたくない庭師と戦争で活躍したい皿洗い女というジェンダーを入れ替えたようなカップルを加えたり、 マレーヌ姫が下女としてではなく旅芝居の役者として王子の国に訪れるという設定にして演劇に対するメタな言及を加えたり、 象徴的な (最後に懲らしめられる) 悪役として死の商人的な男を加えたり、と話は膨らまされていました。
童話にしてはアクティヴなお姫様ですし、庭師や皿洗女のやりとりも楽しみましたが、 やはりこの舞台の魅力は、 セリフを交えつつも歌って楽器を演奏して (演出ノートによるとオペレッタ形式) 少々道化芝居っぽく (演出ノートによると人形劇を意識したよう) 演じる形式です。 ほぼ同様の形式での演出ですが、 La Jeune Fille, le Diable et le Moulin の音楽はフランスのフォーク (民族音楽) に着想していたように聞こえましたが、 ピアノ伴奏もあっていわゆるシャンソンというか戦間期頃のポピュラーソングに着想していたよう。 使われていた戦争のイメージも、音楽と同じ時代、軍服の形はもちろん、機関銃や大砲はあるけれども戦車や航空機が活躍する戦場ではない第一次世界大戦を参照していたよう。 そんな時代設定も絶妙に感じられました。
2017年の『ふじのくに⇄せかい演劇祭2017』は都合が合わず (引越のため) 行かれなかったので 今回の再演で観れることを楽しみにしていたのですが、つくづく縁の無い作品です。 映像では観られましたが、水を張ったステージを生で観てみたかった、とか、 教皇庁中庭の壁に影を投影する演出は駿府城公園特設ステージではどうするつもりだったんだろう、とか、考えながら観ていました。
トーカーとムーバーを分けたり、様式的な所作、コロス的なセリフ使いなど、宮城 聰 / SPACらしい演出だとは思いましたが、 野外で広く空間を使うパフォーマンスは、生でないとなかなかその世界に没入し難いものです。 高い位置から俯瞰するような全体像がわかりやすいカメラアングルも多用されていましたがそれでは動きが乏しく、 ムーバーやトーカーに焦点を当ててしまうと全体として何が起きているのもわからないという。 物語の世界に入るというより音楽として聴いている感が強くなってしまいました。 音中心に聴いたせいか、今まで観た中で、セリフの反復など、音がもっとも Meredith Monk にも近く感じました。
And now for something completely different...
期間中、この2つの劇場中継的な配信以外にも、トークや映画、特別映像作品などのストリーミングを観たのですが、 問題意識がすれ違っていることもあるのか特に面白いと感じるものはありませんでした。 また、自分にとって、『ふじのくに⇄せかい演劇祭』に行く、 特に 宮城 聰 / SPAC のステージを有度や駿府城公園特設ステージで観るというのは、 単に作品を鑑賞するというより、 そこまで行くという行程や開演を待つ間や終演後の劇場終焉の雰囲気を感じることを含めて (知り合いに会うことも滅多になく特に社交的なことをしていたわけでは無いのですが)、 お祭りに行くという方が相応しい体験だったのだなあ、と、映像を通して観ていて、つくづく実感しました。