国立映画アーカイブの上映企画 『没後40年 映画監督 五所平之助』で、この映画を観てきました。
あらすじ: 宗方子爵の令嬢 朱実はモダンで積極的な気質で、父が相手と薦める外交官 青木との結婚を嫌がり、いなしてばかり。 そんな中、療養中の母を見舞いに霧ヶ峰でハイキング中に、グライダーに乗る飛行士志望の青年 工藤 一平 と知り合い好意を抱く。 朱実の積極さもあって、互いの家を行き来するようになるが、一平の家も元士族の厳格な家で、朱実は一平の母親に仲を認めてもらえない。 そのうち、灯火管制訓練の日に朱美の部屋で一夜を過ごしてしまう。 一方、朱実と姉妹のように育てられた 従姉 歌子 は、性格は 朱実 とは対称的。 画家 野上 とは相愛だが、フランス留学直前の野上に対しても積極的になれずに、何も無いまま婚約もせずに野上を送り出してしまう。 やがて、朱美は自身の妊娠に気付き、そのことを、一平に知らせようとして、逆に、自身の操縦する飛行機が墜落して死んだことを知らされる。 朱実は一人で子を生んで育てる決心をし、墓参りで会った一平の弟 良太に、子を工藤家に入籍させてもらえないか相談する。 朱実に同情しその話に賛成した良太は孫の話を母にもちかけるが拒絶される。 さらに入籍だけでは私生児となってしまうことがわかり、それを避けるため、良太は朱実と形だけの結婚をすることにする。 朱美の父の了解を得、良太の母を押し切り、2人は結婚する。 朱美のための家を用意し、良太は母のいる家と朱美の家とを行き来するうちに、次第に本当の夫婦のようになっていく。 やがて、歌子が朱美の家を訪れ、青木との結婚を薦められていることを告げる。 朱実は反対するが、良太は良じゃないかと言う。その後、歌子は青木の求婚を受け入れる。 やがて朱美に子が生まれ、姑が孫の顔を見に来て、誤解も解け、朱実は工藤家に受け入れられることになった。 それからしばらくして、待ち合わせに使ったカフェで、朱実夫妻は二階から歌子が降りてきて外に出て行ったのをみかけた。 留学で名を上げた野上が二階で帰国展をやっていると気付いて、二人は会場へ野上に会いに行った。 歌子に会ったかと訊くと、やつれた歌子には会いたくなかったと野上は言うのだった。
同じ1936年に撮った『朧夜の女』 [鑑賞メモ] と同じく意図しない妊娠を扱った作品ですが、 『朧夜の女』が悲恋メロドラマだったのに対して、『新道』はあっけらかんとした恋愛映画。 朱美が伝統的な家庭観から踏み出す積極的な女性として描かれていたこともあると思うのですが、 『新道』は上流階級ものです。 貴族 (子爵) の宗方家に比べて元紀州藩家老の家とはいえ貴族ではない工藤家は身分が違うと匂わせる表現はありましたが、 超えがたい階級差と言うほどではありませんし、 『朧夜の女』と同時代の同じ東京とは思えないほど近代的で経済的に余裕のある生活をしています。
この経済的な余裕が、朱美の自由奔放さを許容する余裕、 一平や良太の自由な生き方 (飛行士を目指したり、(セリフでしか語られませんでしたが) 遊び人のような生活をしたり) をする余裕を生んでいるよう。 意図しない妊娠をして未婚の母となった場合、『朧夜の女』のヒロインの女給には泥水稼業に身を沈める覚悟が要る (「大連へ行って荒稼ぎする」と言うセリフもあった) わけですし、 相手の貧乏学生にも彼女を養う余裕はありません。 『新道』では、親を押し切って形だけの結婚をして朱実にあてががれた屋敷すら、女中もいて、『朧夜の女』に出てくるどの家よりも立派でした。 結果、『朧夜の女』では選択は身を切るようなものなのに対し、『新道』では選択は主義信条的なものになるという。 そこが、あっけらかんとした印象を与える一因でしょうか。
そんなこともあり、上流階級の洒落たモダンな生活を垣間見るような興味深さはありましたが、 『朧夜の女』で観られたようなさりげないセリフや仕草を積み重ねる心情描写は少々物足りませんでした。 後篇では演出が単調に感じられましたが、 前篇、朱美の部屋に一平が訪れた場面で灯火管制訓練のサイレンの音でその場面を切ってその夜を暗示したり、 前編ラストの朱美が公衆電話から一平の家に電話するも繋がらない場面での号外の売り子の鐘の音で緊急事態を暗示させたり、 と、 (トーキー初期にも関わらず) 音も効果的に使った演出が印象に残りました。
『新道』は2016年に YouTube で観たことがあったのですが [関連するツイート]、あまり印象に残っていなかったのでした。 国立映画アーカイブの比較的状態の良いフィルムでの上映で見直せて、良かったです。 『没後40年 映画監督 五所平之助』という企画上映の中で観ることで、 『朧夜の女』と比較する形でいろいろ気付かされ、考えさせられました。