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Review: Валентин Васянович (Режисер): Атлантида [Valentyn Vasyanovych (dir.): Atlantis] 『アトランティス』 (映画); Валентин Васянович (Режисер): Відблиск [Valentyn Vasyanovych (dir.): Reflection] 『リフレクション』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2022/07/04
Атлантида [Atlantis]
『アトランティス』
2019 / Garmata Film Production (UA), Limelite (UA) / colour / 109 min.
Режисер [Director]: Валентин Васянович [Valentyn Vasyanovych].
Відблиск [Reflection]
『リフレクション』
2021 / Arsenal Films (UA), et al / colour / 127 min.
Режисер [Director]: Валентин Васянович [Valentyn Vasyanovych].

ウクライナの映画監督 Валентин Васянович [Valentyn Vasyanovych] による、 2014年に始まったドンバス戦争で生じた状況に着想した映画 2本 [日本配給公式サイト] です。 初めて観る監督で背景や作風は知りませんでしたが、今観ておいた方が良い題材ということで、まとめて観ました。

Атлантида [Atlantis] は ドンバス戦争が終結してから1年後 (2025年と想定) という近未来のドンバス地方が舞台。 戦争で全てを失った Сергій [Sergii] が、 戦争犠牲者の発掘・回収を行うボランティア団体 (Black Tulip という実在する団体) の女性と知り合い、次第に親密になり、 戦争で荒廃した地に向き合って生きていくことを受け入れる、という淡いストーリーがあります。 しかし、そんな2人の描写を通して、むしろ戦争がもたらした荒廃した不条理な世界を淡々と描くようでした。 戦争による破壊で大規模に汚染され大量の地雷が残り無人地帯となった雨に煙る灰色の大地で 淡々と戦争犠牲者を発掘して検死して埋葬するというポストアポカリプスのイメージと、 ソ連的なものと戦って得たものが西側資本による製鉄所合理化というディストピアのイメージ (2022年ロシアによるウクライナ侵略で激戦地として有名になった Маріуполь [Mariupol] の Азовсталь [Azovstal] 製鉄所で撮影され、 Дзига Вертов [Dziga Vertov] の映画 Ентузіязм: Симфонія Донбасу [Энтузиазм: Симфония Донбасса / Enthusiasm: The Symphony of Donbas] (1931) が引用される) が交錯します。

しかし、特に印象に残ったのは、 多くが左右対称構図で正面からの固定カメラでロングショットするという絵画的とも感じる画面で、 音楽も使わず、それぞれの場面の長さも同じくらいで、ドラマチックな起伏のある展開をあえて避けた、抑制の効いた、しかし美しい映像演出。 そんな映像は、登場人物の内面に踏み込こまず、その不条理を淡々と描くようでした。

Відблиск [Reflection] も、 音楽を使わず、左右対称構図の固定カメラロングショットという抑制の効いた映像演出は相変わらず。 舞台をドンバス戦争が始まったばかりの2014年に移し、 外科医がドンバスの戦場で道に迷い人民共和国軍の捕虜になっての非人道的な体験を描き、 その後の捕虜交換でキーウに戻っての捕虜時の体験に決着を付け、 日常を、そして離婚して別居していた娘、そして元妻を取り戻して行くという淡いストーリーがあります。 ポストアポカリプス的だったりディストピア的だったりするイメージは後退し、 近未来のフィクショナルな不条理ではなく、 むしろ、主人公の壮絶な捕虜体験と戦場から戻ってからのPTSDや 愛する継父を失った娘の喪失感に向かい合った作品に感じられました。

しかし、Сергій Лозниця [Sergei Loznitsa] の映画 Донбас [Donbass] 『ドンバス』 (2018) を観た時もそうでしたが [鑑賞メモ]、 ロシアによるウクライナ侵攻は2022年に急に始まったのではなく、むしろ、2014年のドンバス戦争からの継続だったのだと、改めて認識させられました。