プロダクションの初演が今年4月、上映も7月21日に始まったばかりの一人芝居の National Theatre Live の、1ヶ月も遅れずの日本上映です。(史上最速とのこと。)
法廷弁護士 Tessa が主人公、物語の語り手で、Tessa 役 (Jodie Comer) の一人舞台として上演されます。 Tessa は労働者階級出身ながら有能な法廷弁護士として活躍し、時には性犯罪者の弁護も行いますが、 親密な関係となった同僚にデートレイプされ、 自分も関わってきたにもかかわらず自覚していなかった性的暴力を扱う裁判制度の問題点に直面するというプロットです。 法廷劇的な面もありますが、複数の異なる立場の登場人物を使って多声的に議論させるのではなく、 性犯罪者を弁護することもあった法廷弁護士という立場と デートレイプの被害者という2面を持つ主人公一人で、内面において両面から議論します。
セリフは会話的なものは少なく、ほとんどが Tessa 視点での状況の語り、そして、主張や心情吐露。 多声的な会話劇とはかなり異なり、 語り芸的というか、美しい舞台美術、照明の演出をつけた語り芝居のよう。 観たばかりということもありますが、社会のあり方、問題の在り処を語る、語り芝居という点で、 The Lehman Trilogy [鑑賞メモ] も連想しました。 外形的な要件での扱いが難しい「魂の殺人」とも言われる性暴力に関する 裁判制度の問題点を描くというテーマに、このような形式が合っていました。
弁護士事務所らしい書類棚が壁面を覆い高級なデスクやソファが置かれたセットが基本なのですが、 時に俳優自身が机を動かし、時に照明で背景だけ暗くしていつの間にか壁を消したり、 デートレイプ後のシャワーの場面では実際に水を使ったり、 語りに合わせた舞台美術の転換も効果的。 もちろん、とめどなく続くセリフを、ユーモア、皮肉、屈辱、悲壮など振幅広い演技で、 一時間半余 Tessa 演じ切った Jodie Comer の見応えありました。 描写も単にシリアス描くだけでなく、変化もあり、飽きさせません。 前半の有能な法廷弁護士として活躍や、その背景を描く場面での、 私立学校 (public school) を出た富裕層出身の大学の同級生や同僚弁護士への描写や、 労働者階級出身らしい失業して酒に溺れた兄の存在など Tessa の対比的な家庭の描写なども、 イギリス的なユーモアというか皮肉さを感じました。 後半の法廷の場面で Tessa への静かな連帯を示すのが、 彼女の母や彼女につきそう女性警察官という所にも、作品の裏テーマに階級の問題を感じました。
2017年から欧米で盛り上がりはじめた#MeTooの時代の作品ともいえるもので、 #MeToo に関連する報道をそれなりに目にする機会がありました。 日本でも、例えば、2019年からNHKが「NHK特集」や「クローズアップ現代」のような報道・ドキュメンタリーの番組で 「性暴力を考える」 というテーマを掲げて継続的に取り上げ続けています。 そういった報道を丁寧に追ってきたというほどではないものの、 今回の舞台作品で扱っていた問題を頭ではそれなりに知っているつもりではいましたが、 やはり、こういう舞台作品して見せらせると心を動かされます。