現在のロシアのウクライナ侵攻の先駆け、ドンバス戦争で 親ロシア勢力によって実効支配された地域の不条理をグロテスクに描いた Донбас [Donbass / Донбасс] (2018) も強烈な印象を残した [鑑賞メモ] Лозница が、ロシアのウクライナ侵攻の直前に監督した映画です。 Донбас は劇映画でしたが、 こちらは Лозница の本来の作風とも言われる記録映像に基づくドキュメンタリー映画です。
タイトルにある Бабий Яр [Babi Yar] は、第二次世界大戦の独ソ戦 (大祖国戦争) 初期、 ナチス・ドイツ軍のキーウ占領直後、1941年9月29, 30日に犠牲者数33,771人に上るユダヤ人虐殺があったキエフ郊外の地名です。 この虐殺事件が一つの大きな要素ではあるのですが、ここで何が起きたのかを深掘りするというより、 独ソ戦や戦後の軍事裁判などを記録映像を時系列的に追っていくことにより、 この虐殺事件が起きた文脈 (context) を示していくような映画でした。 キーウだけではなくウクライナ西部の首邑リヴィウの状況も多く割いていましたし、 ユダヤ人の迫害、虐殺に焦点を絞らず、戦闘の進展や捕虜の扱い、傀儡政権の設立やそれを巡る市民の様子などを淡々と追っていました。 戦後の軍事裁判も、もちろんユダヤ人虐殺に関わるものも出てきますが広く戦争犯罪を問われて、公開処刑されます。 そして、最後の場面は、産業廃棄物 (陶器工場から出る陶土の泥) によって Бабий Яр が埋め立てられていく––虐殺の痕跡が抹殺されていく––様でした。
素材は、当時の記録映像、写真や記録音声などですが、説明は控えめな字幕程度、 ナレーションによる状況説明や場面をドラマチックに盛り上げるようなアフレコの音楽は使われていません。 その淡々として静謐な映像編集だけでこれだけの説得力が出せるのかと、感心しました。 この手の記録映像を編集してのドキュメンタリーは国内外のTV局制作の物を観る機会がそれなりにありますが、 海外TV局制作のものは比較的音楽の演出は控え目なものがありますが、 NHKの『映像の世紀』シリーズなど派手な音楽による効果を付けていて実にメロドラマチックだったということに気付かされました。
この Бабий Яр. Контекст [Babi Yar. Context] の日本公開に合わせて、 Донбас [Donbass / Донбасс]『ドンバス』(2018) と 群集三部作と言われる 記録映像に基づくドキュメンタリー映画3作品 Austerlitz『アウステルリッツ』(2016), Процесс [The Trial]『粛清裁判』(2018), Государственные похороны [State Funeral]『国葬』(2018) の計4作品が、国内の主要な動画配信サービスで配信されはじめました。 群集三部作は観ていなかったので、まずは、この作品を観てみました。
1953年のソヴィエト連邦の最高指導者 Иосиф Сталин [Joseph Stalin] の国葬を、その死を伝える様子に始まり、 友好国の要人が来ソする様子、そしてセレモニーと、記録映像を用いて描いたドキュメンタリー映画です。 控えめな字幕程度による説明、ナレーションやアフレコの音楽は無しで映像編集のみで淡々と描く手法は Бабий Яр. Контекст 以前に、こういった作品で既に確立されていたのだと確認。 確かに、1950年代の共産圏の街並み、特に鮮やかな色の無さなど、興味深く印象に残るものがありましたが、 独ソ戦の展開と比べても、当時のソヴィエトや共産圏の政治家やその顔に関する知識が無いので、 かなり置いてきぼりにされた感もありました。 ある程度の前提知識や教養を前提として求められるスタイルなのだと痛感しました。
Бабий Яр. Контекст、Государственные похороны と続けて見ると、 むしろ、グロテスクなブラックユーモア溢れる劇映画 Донбас の作風の方が、 Лозница 監督の作風としてはむしろ例外的なのかもしれません。