マレーシアで活動するアーティスト・コレクティブ Five Arts Center の作品です。 現代アートの文脈でも名を見ることがある程度で、予備知識はほとんどありませんでしたが、 YPAMディレクションの1公演で、かつ、レクチャーパフォーマンスと謳われているということで、観てみました。 2019年のYPAMでのワーク・イン・プログレスでの上演は観ていません。
太平洋戦争後からマレーシア独立の間に起きた内戦的状況 マラヤ危機で武装闘争を繰り広げたマラヤ共産党の生き残り (タイ南部へ亡命) と、 マラヤ危機やに関する教科書記述やその変更が主な題材です。 この作品の語り手の一人は、マレー共産党の生き残りの人々へのインタビュー映像を撮りドキュメンタリー映画を製作中も仕上げられないでいるという Fahmi Reza。 映画の方をどのように仕上げる意図なのかは不明ですが、レクチャーパフォーマンス作品としては、 彼がどうしてマラヤ共産党の生き残りの人々に関心を持つようになったのか、といった、個人的な話を含めて作品化されていました。 教科書問題についても、議論が炎上したという彼の経験も題材となっていました。 こういう語り手の私的な視点が入ってくるところに、 単なる歴史叙述ではないパフォーマンス作品らしさを感じました。 また、マラヤ危機を教科書記述に対する反応についてトラウマという言葉を使っていて、 「被害者意識ナショナリズム」の事を連想したりもしました。
ウクレレ様の楽器を弾きつつ歌う Faiq Syazwan Kuhiri のメランコリックなメロディの歌も強く主張する感ではなく、 題材も興味深く観られましたが、ドキュメンタリ制作や教科書記述という、それ自体がメタな位置もののせいか、 当事者の抱えるアンビバレントというより、私的とはいえ少々メタな位置になってしまっているのが、物足りなく感じました。
ドキュメンタリーパフォーマンスと銘打たれた作品を観たのは、 Dr. Charnvit Kasetsiri / Teerawat Mulvilai and Nontawat Numbenchapol: An Imperial Sake Cup and I 『恩賜の盃と私』 [鑑賞メモ] に続いて。 どちらもドキュメンタリ演劇と呼んでも差し支えないように感じられましたが、 東南アジアでそのように呼ぶ文脈が何かあるのでしょうか。 少々気にはなりましたが、パフォーマンスだけ観ても何か伺われるようなものは感じられませんでした。