シアター・イメージフォーラムで、 1960年代フランスでコメディ映画を作っていた Pierre Étaix の特集上映 『ピエール・エテックス レトロスペクティヴ』 Pierre Étaix Retrospective を観てきました。 Jacques Tati [関連する鑑賞メモ] やフランスの現代サーカスの文脈で名前を見たことはありましたが、 再上映が困難だったとのことで、今回の特集上映でやっと映画を観ることができました。 ちなみに、今回上映されたのは長編4作短編3作、修復済みの2010年デジタル・リマスター版でした。
Étaix は Jacques Tati の映画 Mon Oncle (1958) の助監督で、 Vacances de Monsieur Hulot (1954) と Mon Oncle の Jean-Claude Carrière による1958年のノベライズでイラストレーションを手掛けています。 その後、1960年代に入って Carrière を脚本家して組んで映画を作り始めます。 そんな背景からも伺われるよう、Tati との共通点を多く感じる、 セリフへの依存度のあまりない身体表現、視覚表現によるコメディ (フィジカル・コメディ) 映画を撮っています。 爆笑というより小ネタを重ねてニヤリ、クスクスとさせるような笑いで、感傷というか一抹の寂しさも交えるようなユーモアの質も似ていますが、 カンターカルチャー以前のミッドセンチュリー・モダンな意匠に彩られた画面も共通します。 Tati のような視覚的類似性を用いた笑いはほとんど使わない一方、 Buster Keaton を思わせるスラップスティックなアクションもある、といった違いも感じられました。 個性的というほど主張の強い笑いでは無いですが、良質な笑いを堪能できました。
以下、個別の作品について、観た順ではなく、発表年順に。
デビュー作の短編は、主人公が恋人からの別れの手紙へ返事を書こうとすることに始まる、 ある意味よくあるクラウン芸的な、失敗が連鎖 – カスケード障害を思わせる – していく笑いです。 ペン先が上手く軸に刺さらないとか、便箋にインクをこぼしてしまうという失敗に始まり、 次第に混乱が広がり、最後はロッキンチェアから窓の外に落ちてしまいます。
続く短編2作目は、結婚誕生日にプレゼントや花束を買って帰ろうとする男が、 渋滞に阻まれてなかなか帰ることができないドタバタを、コメディ化したものです。 帰宅を阻むアクシデントもありますが、それに加えて男が傷口を広げるような対応をすることで、混乱がカスケードしていきます。 一室内に始終する Rapture と違い、 街中で繰り広げられることで仕掛けもアクションも大きくなり、 渋滞という自身の失敗以外の要因もあって不条理感も増しています。
短編2作後の長編第1作です。 自室に篭って天文学に没頭して女性に関心のなかった主人公の男性が、両親に早く結婚するように言われての相手探しをする様を、 スラップスティックに描いたコメディです。 失敗の連鎖や不条理なハプニングだけでなく、周囲に合わせずに突飛で極端な行動をしてしまうことにより生じる笑いが多く使われていました。 不条理さという意味では、街中で雑踏に巻き込まれるようなものだけでなく、 相手探しの最中に泥酔してしまうような女性に捕まって振り回される人間関係的な不条理さもあります。 TVで一目惚れした女性歌手 Stella を追ってミュージック・ホールの楽屋に押しかける場面では、 そこで上演中のサーカスが登場します。 散々ドタバタを繰り広げた後に身近でささやかなロマンスで締めるところもチャーミングでした。
長編2作目は、Étaix のサーカスへのオマージュを強く感じる作品でした。 時は1925年に始まります。 大邸宅に住む富豪であるけれども満たされない大富豪が1929年の大恐慌で破産し、 それを期に、曲馬師の元恋人と子 (Yoyo) と旅回りのサーカスを始めます。 やがて Yoyo もクラウンとなり、第二次大戦中は慰問中に捕虜になるものの、 戦後復員してサーカスの世界に戻り、興行師として大成功をします。 その金で大邸宅を取り戻したものの、両親は大邸宅に戻ることを拒み、 Yoyo も曲芸の象に乗って大邸宅を出ていきます。 そんなサーカス一家の2代記を、 1920年代の描写ではサイレント映画のパロディもありサイレントからトーキーへの映画の変化も反映させつつ、 戦間期から戦後1960年代の世相の移り変わりも交えて描きます。 ドタバタな小ネタの笑いもありますが、 全体としてセリフは最低限に映像とマイムで描いていくところに、 二代記のような叙事詩的なだけでない詩情が感じられました。 今回観た7作品の中で最も好みでした。
3作目の長編映画 Tant qu'on a la santé は、 1966年にスケッチ集の形で公開され、1973年に4本の短編 (Insomnie『不眠症』, Le cinématographe『シネマトグラフ』, Tant qu'on a la santé『健康でさえあれば』, Nous n'irons plus au bois『もう森なんかへ行かない』) からなるオムニバス形式に改訂されたもの。 短編 En pleine forme は、改訂の際に Tant qu'on a la santé から外されたものを 独立した短編映画として、デジタルリマスターした2010年に公開したものです。 今回は短編 En pleine forme と 1973年改訂版 Tant qu'on a la santé を併映する形で上映されました。 この2本は今回上映された作品の中では、最も風刺色濃い作品でした。 風刺色もあってか、Monty Python の雰囲気にもかなり近づいた印象もありました。
Insomnie は1963年に短編として公開されたものが組み込まれたもの。 眠れずに吸血鬼の怪奇小説を読む男性と、怪奇小説内の話を、相互に干渉させながら映像化したもの。 Le cinématographe は、 指定席でもなく出入り自由だった昔の映画館でのありがちなハプニングをネタにした前半と、 主人公が上映されていた広告映画の中に入り込んでしまう後半からなります。 前半は戦間期の、後半は戦後モダンな雰囲気なので、別短編として考えても良いかもしれません。 表題作となる3編目 Tant qu'on a la santé は、 都会の騒音や大気汚染によって生じるマクロな公害ではなくミクロな生活上のトラブルをネタとしたもの。 最後の Nous n'irons plus au bois は対照的に田舎が舞台で、 狩猟に来た男、ピックニックに来た夫婦と、都会人嫌いの農夫が繰り広げる失敗のカスケード的なドタバタコメディ。 切り出された短編 En pleine forme は、 前半がソロ・キャンプする男の失敗のカスケード的なドタバタコメディで、 後半、移動するよう警官に連れて行かれた先は強制収容所 (concentration camp) のようなキャンプ地だったというもの。
最後の通常の映画館向け長編劇映画は、 長編1作目 Le Soupirant とは対照的、 若い頃それなりに女性と交際したのちプチブルジョアの家に婿入りした中年男が主人公で、 経営者の一人として勤める工場に新たにやって来た娘ほどの歳の女性の秘書に対する一方的な恋心の顛末を描きます。 主人公の恋愛、男女関係に関する (ただしエロチックではない) 妄想を現実と交えつつ映像化します。 小ネタとしての失敗のカスケード、ドタバタはありますが、むしろ妄想の映像化したことによるコメディの色が濃くなります (田園の中を走るベッドの場面など秀逸です)。 主人公男性のキャラクター付けは Le Soupirant とは対照的なものの、 一方的な恋心と幻滅の滑稽さという点では類似も感じました。 キャラクタだけでなく描写にも対照的なところがあって、 Le Soupirant では、笑いは主人公の内面ではなく行動の突飛さや滑稽さにあり、 幻滅も楽屋にいた息子を見て Stella を追うことを一気に止めます。 一方、Le Grand Amour では、笑いはむしろ主人公の内面というか妄想の方にあって、 それをそのまま映像化したり主人公の滑稽な行動にすることで、笑いを作ります。 幻滅の場面も、なんとか秘書をレストランでの食事に誘い出したものの世代差もあって会話が合わずに幻滅するという形で、 Le Soupirant より丁寧に描かれていました。 そんな所に Le Soupirant より洗練を感しました。
Étaix はその後、ドキュメンタリーやオムニマックス向け、TV向けの映画と撮ったり、 俳優として映画に出演を続けたものの、サーカスへ活動の重心を移します。 Le Grand Amour で共演した Annie Fratellini (有名なクラウン一家出身) と結婚し、 クラウン・コンビとして活動する一方、 1974年に国立のサーカス学校 École Nationale du Cirque、現 Académie Fratellini) を設立することになります。 このサーカス学校が後のフランスの現代サーカスの興隆につながります