1990年代からコンテンポラリーダンスの文脈でダンサー/振付家として活動し、 2002年以降 Avishalom Pollak との協働の下 Inbal Pinto & Avshalom Pollak Dance Company として活動してきた イスラエルの振付家 Inbal Pinto が、そこから離れて手がけた最新作です。 彼女の作品を観るのは2016年に Pollak との協働での Dust を観て以来です [鑑賞メモ]。
舞台には方形の部屋を対角線で切ったような壁があり、窓は無く、下手側は短辺で扉の無い出入り口、上手側は長辺で中央寄りに低いキャビネット、 その上手側に少し離れて壁前に簡素な椅子とテーブル、そして壁からのランプが下がっています。 鈍いピンクの壁紙には木々が赤で描かれています。 そんな部屋の中で、前半は Dust にも出演していた女性ダンサー Mollan Muller がソロで踊ります。 その動きは、少々引き攣ったようなギクシャクしたマイム的なもの。 椅子やテーブルと絡んだり、キャビネットに乗ったり、床に這いつくばったりもしましたが、壁にへばり付くような動き、 特に、壁を背に立って足を開いたり内股向きにしたりして壁沿いにジリジリと上手側から下手側への移動が、 何かに怯えるようでもあり、可愛らしくもあり、印象に残りました。
ひとしきり女性ダンサーのソロの後、 がっしりめの体格の男性ダンサー Itamar Serussi がキャビネットの扉から這い出るように登場。 2人のダンサーがお互いが見えないかのように、しかし、二人の動きは離れながらも連動するかのように、絶妙に交錯するかのよう。 そして、ついにコンタクトした状態で動きます。動きとしてはそれを直接的に感じませんでしたが、 壁は赤くライティングされる所などセクシーな場面であることが暗示されていたよう。 しかし、最後には男性ダンサーはキャビネットの扉へ押し込め返されます。 そして女性ダンサーも部屋の隅へうずくまりそこから吸い込まれていきます。 そして、ビデオ・プロジェクションにより女性が壁紙の柄となったことが示され、舞台が終わりました。
終演後の Pinto のトークによると、最初期のフェミニズム文学として知られる Charlotte Perkins Gilman: The Yellow Wallpaper 『黄色い壁紙』 (1892) に着想を得たとのことでした。 しかし、この小説は未読で、コロナ禍後に観たこともあってか、 むしろ、部屋 (living room) に独り篭る女性の日常のささやかな不安や不条理を、半ば夢の中のように描くような舞台に感じられました。 そして、壁際での動きが多く最後に壁紙の一部となるという展開は、そもそも彼女は部屋の精のようなので存在、つまり、生きている部屋だったのかもしれません。 電磁ノイズ的な音とチェロの少しノスタルジックなメロディもあって、 不気味さを含むシュールさもありながら、可愛らしさも感じる舞台でした。