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Review: George Miller: Furiosa: A Mad Max Saga 『マッドマックス:フュリオサ』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2024/07/28
2024 / Kennedy Miller Mitchell / Warner Bros. Pictures / 148min / DCP / 2D / color.
A Kennedy Miller Mitchell Production / A George Miller Film.

2015年公開の George Miller: Mad Max: Fury Road 『マッドマックス 怒りのデスロード』の前日譚として作られた、 Mad Max シリーズのスピンオフ的な第4作です。 Mad Max: Fury Rod がとても良く [鑑賞メモ] 気なっていたところ、 立川シネマシティの極上爆音上映で Mad Max: Fury Road と続けて観ることができるということで、足を運びました。

Mad Max: Fury Road の実質主役級だった Furiosa が、 少女時代に誘拐されてからサヴァイヴして主役級の悪役 Immortan Joe 下の大隊長となるも “Five Wives” を連れて脱走するまでを描いた映画です。 (脱走から Immortan Joe を倒すまでの話が Mad Max: Fury Road の話です。) 2本の映画の公開の間に約10年が経っているとは感じさせない絵作り音作り世界観キャラクター設定のブレのなさで、 途中休憩ありの1本の4時間半長篇大作映画を観たようでした。 Mad Max: Fury Road では言及されるだけで画面には出てこなかった Green Place や Gastown, Bullet Farm などが登場し、映画の世界観がより具体的に理解できました。

しかし、この2本の物語の枠組みは大きく違います。 Mad Max: Fury Road はエピソードとしては3日間分、 上映時間2時間で真っ直ぐに全力疾走するような圧縮された英雄譚 (英雄 hero が Furiosa で、Max は導師 mentor)。 Furiosa: A Mad Max Saga は約20年に相当する時間経過を扱っており、 Furiosa の成長を描いているというより、ポスト・アポカリプスの過酷で残虐な世界の中で彼女に植え付けられた憎悪と憤激とそれに対する復讐を描く、 説経節『さんせう太夫』 (それに基づく小説/映画『山椒大夫』) を連想させる復讐譚です。 通勤読書で平安時代武士成立期の新書・選書を読んでいることが多いせいか、 Immortan Joe が任期後も任国に留まる元受領・軍事貴族、Dementus が郡司くずれの群盗 (僦馬の党とか) と被って見えてしまいました。

もちろん、Mad Max: Fury Road と共通する残虐なシーン、激しいアクションシーンもあるのですが、 ラスト近くの40日戦争で戦争シーンを描くのを避けたり、ラストの Furiosa が Dementus に復讐を果たす場面で憎悪の連鎖に言及するなど、 アクションスペクタクルや復讐のカタルシスを異化するような場面描写もあり、観終わった後に良い意味での割り切れなさが残るところがありました。 Furiosa: A Mad Max Saga でも観ていて力が入るよう場面がそれなりにありましたが、 Mad Max: Fury Road を観終わったらじっとり汗ばんでいるほどで、体感がかなり違う映画だと実感しました。 それにも関わらず続き物として違和感がないという所も、よくできている証でしょうか。

Mad Max: Fury Road では sway-pole を使ったアクションが好きだったのですが、 Furiosa: A Mad Max Saga では paraglider / hang-glider 使ったアクションでしょうか。 paraglider / hang-glider を使った攻撃の方が高度で順が逆なのではと思いつつも、 それを封じる高さを取るために sway-pole が登場したと考えれば辻褄は合うでしょうか。

ようやく Furiosa: A Mad Max Saga を観たので、 他の人の感想でもと twitter や blog などを軽く検索してみたのですが、 Mad Max: Fury Road の時ほどの熱いor面白いツイートなどが少く、この10年のSNSの変化を思いました。