2000年4月頃に書いた「ライブ的な文化の複製商品化」と 「文化のコンビニ化」に関する発言です。 読者との議論の中での発言ですが、 発言者の許諾の問題もありますので自分のもののみ載せています。 議論の大筋を曲げるような抜粋にはなっていないと思います。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。
「レンタル・ヴィデオで映画を見られるようになったのって何年頃」って、 レンタル・ヴィデオであまり映画を観ない僕にとっては、 個人的な体験からはピンとこないのですが。 以前、蔦屋の創業の逸話を ウェブで読んだ覚えがあったので、ちょっと検索してみたら、 それは見つからなかったのですが、代わりに、 「2次データによるTSUTAYAおよびAVレンタル業界の研究」 というのをみつけてしまいました。 これによると、1983年に一号店をオープンしていて、 1985年には既にマスコミで話題になっているようです。 ちなみに、日本映像ソフト協会が 『個人向けレンタルシステム』を運用しはじめたのも1983年です。 1983年は日本におけるレンタル・ビデオの普及の一つの節目 ではないかと思います。
1983年にビデオレンタルのビジネス・システムが確立されていた、 というのは、僕にとっても意外でした。 いつ頃、家にビデオが置かれるようになったのかよく覚えてないのですが、 1980年代に家にあったのはβ方式のものだったこともあり、 ほとんど使われていませんでした。
これって、時期的にレコードレンタルの隆盛と重なるような、と思って、検索したら、
卒業研究 「情報化社会と音楽」
というのを見つけました。
これによると、1980年にレコードレンタルの店ができていますが、
ビジネス・システムが確立した (業界団体ができて著作権処理システムができた) のは
1985年ですから、むしろ、ビデオレンタルより遅れていることがわかります。
ま、裁判のせいで、逆に遅れたように思われますが。
(そういう点では、蔦屋 一号店開店と
『個人向けレンタルシステム』運用開始が、
1983年と同時なのは、偶然ではないでしょう。)
蔦屋のコンセプトといい、
ビデオレンタルとレコードレンタルはほぼ同時期の1980年代前半に成立した、
と考えるのが妥当のように思います。
その上で思い返してみると、
1980年代半ばにたまに行っていたレコードレンタル店の一角には、
既に、ビデオのレンタルのコーナーもあったような気がします。
実際の普及の時期の問題になると、単にビジネス・システムの成立だけでなく、
家庭用ビデオデッキの普及の時期やレンタルビデオの店舗数や売上も
見る必要もあると思いますが、
中村 朗
『検証日本ビデオソフト史』 (映像新聞社, 1996) のウェブが、
家庭用ビデオデッキ (β / VHS) の登場 (1977年) の所で終わっていて、
肝心のところまで行っていないのが惜しいところです。
『AVレンタルのTSUTAYAの現状と今後の展望』 での「AV」というのは Audio & Video のことですが。 しかし、ビデオの貸出件数において「アダルト」の占める割合の高さは意外でした。 たまに覗く近所のショップのフロア面積からすると、 せいぜい1〜2割、という印象もあったので。 ま、「2次データによるTSUTAYAおよびAVレンタル業界の研究」 で言っているのは、 小規模のそれもレンタルビデオ専業店で「アダルト」の比率が45%と高い、ということで、 圧倒的な強さを持つ 大規模なAV書籍セルレンタル複合店ではアダルトの比率が低いわけで、 全体では45%も高くはないとは思います。
「ビデオレンタルは映画にとってパラダイムの転換だった」についてですが、
「家庭でのビデオによる鑑賞が映画におけるパラダイム転換だった」
というのはあるとは思いますが、ビデオレンタルに関しては保留したい点も多いです。
家庭用ビデオデッキの登場が1977年ということもあって、
家庭用ビデオデッキの普及とビデオレンタルの普及がシンクロしてるのは
確かだと思います。
そのため、ビデオレンタルが家庭用ビデオデッキの普及を促した、
と言われがちなのも、確かだと思います。
しかし、ビデオレンタルと同時期に成立したレコードレンタルにおいては、
レコードプレーヤーやカセットデッキは
レンタルレコード以前に家庭に普及していたものなのです。
もし家庭用ビデオデッキの登場・普及がもっと前だったら、
映画/ビデオの関係もライヴ音楽/レコードと同じような道を辿っていたように、
僕は思います。
ちなみに、映画館を多く利用している人ほどレンタルビデオ店に行く頻度も高い、
というこのなので、ビデオが映画に取って変わった、
というほど映画とビデオの関係は単純ではないようですね。
ジャンルを細かく見れば、シェアを食い合っているところもあると思いますし、
共存共栄、という分析も楽観的な気がしますが。
ビデオレンタルの成立は、映画のような映像ソフトに限らない、 レコードレンタルのようなものと平行した、 1980年代における「文化のレンタル」、というか、「文化のコンビニ」 (まさに 蔦屋の「カルチュア・コンビニエンス」 ですが。) の流れによるところが大きいように思います。 ちなみに、コンビニエンス・ストアの第一号店の開店は1974年。 AVレンタルというビジネス・システムも、 むしろ、この手の社会システムの「コンビニ化」と平行していると思います。 文化の流通革命、というか。 当時はインターネットのようなインフラストラクチャが無かったので 「コンビニ」的店舗+レンタルという流通形態を取っていましたが、 やろうとしていたことは、 インターネットやCATVを使った音楽や映像作品の配信と同じように思います。 「近所のコンビニ」にすら行かなくて済むようになることが、 どれほどの変化をもたらすかはなんとも予測しがたいですが。
そういえば、「レコードレンタルは音楽にとってパラダイムの転換だった」 と言われることは稀のように思うのですが、実際のところ、どうなのでしょうね。 むしろ、文化のコンビニ化という面から、 ヒットの構造を変えていそうな気もするのですが。 ま、実際のところは、他の要因 (例えばカラオケ) の影響が大きすぎて見えない、 という感もありますが。
なんて、つらつらと書いていて、 このような文化の流通システムのコンビニ化が文化に与えた影響は、 1980年代の文化を総括するときには避けて通れないような気がしてきました…。
川似さんの言う「レンタルのシステムはビデオの消費を 格段と低価格にして普及させたんじゃないか」 という点ですが、もちろん、そういう説が多く言われているのを知った上で、 その説に僕は疑問を呈しているのです。僕の主張をまとめると、
というものです。
ビデオと同時期の1980年代前半にレンタルのシステムが確立したレコードですが、 レコードプレーヤやカセットデッキといったものは、 レンタルのシステムの確立を待たずに、地道に低価格になって普及したわけです。 だから、例えば、1977年ではなく1960年代に家庭用ビデオデッキが商品化していたら、 レンタルのシステム抜きに普及したのではないか、と、僕は想像します。 さらに、レコードやカセットテープが既に家庭に普及していたのにもかかわらず 1980年代前半までレンタルのシステムが確立しなかったのは、 そして、1980年代の前半にレコードとビデオにおいて ほぼ同時にレンタルのシステムが登場したのは、 1980年代前半の文化の消費・流通形態の変化という社会的要件に対応した結果だと、 僕は考えます。 もちろん、その変化にビデオという技術はぴったり合っていた、 ということもあると思います。 むしろ、「レンタルのシステムはビデオの消費を 格段と低価格にして普及させたんじゃないか」という説は、 1977年の家庭用ビデオデッキの商品化とそれ以降の普及の時期と、 1980年代前半の文化の消費形態の変化とレンタル・システムの確立の時期が 「偶然に」 (ま、実際は相互作用で加速した、という面はあると思いますが。) シンクロしたために生じた混乱した議論に過ぎない、と僕は思います。
現在、セルのビデオ/DVDは5,000円を切っているものが多くなっていますし、 セルのレコード/CDの2,000〜3,000円という価格と遜色ないものになっています。 また、セル価格とレンタル料金の比率もほとんど変わりません。 映画館の料金に比べると、音楽のライヴの料金は高いくらいです。 そういう点では、レンタル・システムによる低価格化のインパクトが、 映画/ビデオで強調されて、音楽/レコードで低く見積もられるのは、 僕には不公平に思います。
「家庭でのビデオによる映画鑑賞がもたらすパラダイムの転換」 を僕は否定していません。 例えば、jaja さん が挙げている、「劇場収入のみの回収をあてにしない ビデオレンタルによる収入を見込んだ映画製作」というのは、確かにあると思います。 そして、それは、表現の変化という点では、1960年代以降のポピュラー音楽制作の変化 ― たとえば、ライヴによる再現を前提としないレコーディング指向になっていく 1960年代の The Beatles の音作り ― に似ていると思います。 また、資金回収システムという点でも、ポピュラー音楽における、 コンサートは赤字で、 レコード/CD売上で回収という話に似ていますよね。 全く相同ではなく、細かな差異はありますが、この点では、 もし、1977年に家庭用ビデオデッキが商品化した一方で、 1980年代前半にビデオレンタルのシステムが確立されていなかったとしても、 ビデオレンタルによる収入ではなくセルビデオによる収入を見込んだ映画製作が 行われていたであろう、と、僕は思うのです。 つまり、レンタルシステムはここでは独立した話だと思っています。
「ビデオレンタルによる映画の変化」について考えるときは、 「レンタル」と「ビデオによる映画鑑賞」の問題は切り分けることができるし、 切り分けた方が問題の見通しがはるかに良い、というのが、僕の考えです。 「レンタル」の問題は主に文化の流通システムの変化の問題であり、 1980年代の「文化のコンビニ化」の枠組みで考えた方が良いでしょう。 その一方で、「ビデオによる映画鑑賞」は、むしろ様々な時代に見られる メディアの変化、特に「ライブ的な文化の複製商品化」とでもいった枠組みで 考えた方が良いのではないか、ということです。
インターネットはメディアの変革といえばそうですし、
いろんなことが決定的に変わる「可能性」はあるかもしれませんが、
実際に変わるかどうかというのは別問題ですし、
これのような技術 (メディア) 決定論に対しては
僕はもっと慎重な態度を取っています。
インターネットというのはあまりに曖昧なので、
そのアプリケーションのレベルを見ると、
可能性を喧伝されて一時的な大流行を見たあと消えていった技術は、少なくないです。
例えば、最近の例では、
Pointcast の
「プルからプッシュへのパラダイム変換」なんて、ありましたよね。
(インターネットでの
小売業も終わっているという話もあるし…。
というか、この情報産業の業界の過去には、ニューメディアと言われていた頃から、
そういった「可能性」の屍が累々と…。)
確かに、コンピュータとそのディスプレイで観るのと、ビデオとTV画面で観るのとは、 その画面の質感から操作性から、かなり違うと思います。 しかし、それは、CDの登場の際にもアナログ盤との対比で言われたこと (音質の違い、ランダム/ノンリニアな再生や再生時間、可搬性、など) と同じように思います。 もしくは、カセットテープに対するMDもそうかもしれません。 そういった変化が音楽に全く変化をもたらしていない、とは言いませんし、 細かい変化を挙げていくというのも必要なときもあるでしょう。 しかし、大筋で見てライヴ/レコードの対比ほどに音楽を変えたとは、 僕は思っていません。 決定的な変化どころか、むしろ、レコードに対してCDは、 求められた利便性 (より物理的制約を小さく、より扱いやすく、より安く) の 自然な延長上という面が強い、と思っています。
むしろ、1980年代以降の「文化のコンビニ化」というのは、 このような作品のメディアによる質感やそれに伴う表現の相違と、 「より物理的制約を小さく、より扱いやすく、より安く」という利便性の関係が、 逆転して後者に重点が移動する現象だったように、僕は思うのです。 例えば、CDレンタルにおいては、CDからテープへという異なるメディアへの ダビングに伴う操作性の変化や音質の劣化よりも、 コンビニ的な店舗によるアクセスの容易さや低価格が優先されている、と思います。 フェティシュな面もある作品の媒体そのもの (表現の質感はもちろん、パッケージなどの物質性のあるもの) に対するこわだりが相対的に小さくなったからこそ、レンタルが可能になった という面もあると思います。 もちろん、メディアの差異が気にならなくなるような利便性が、 技術的社会的システム (特に、先行するコンビニエンスストアの流通システム) に よって実現できるようになった、ということもあると思います。 そして、音楽・映画においてその逆転が起きたのが 1980年代前半だったのだと思います。
レンタルにおいては、実際のところは、その名前に反して、 CDのディスクやVHSのカセットテープといった物理的な物を貸しているのではなく、 その中に収録されている「作品」媒体を介してを売っており、 貸出に用いられているCDのディスクやVHSのカセットテープといった媒体には、 その当時最も利便性の高い媒体である、ということ以上の意味は無いと思います。 1980年代から今に至る「文化のコンビニ化」が、 「コンビニ」的なPOSを活用したフランチャイズのチェーン店を使って CDやビデオテープという媒体を貸す、という形態を取ったのは、 その当時はその形態が、実現可能なものの中では 利便性を最大にする効率的な流通形態だったから、だと僕は思うのです。 そして、インターネットによるAVコンテンツ配信というのは、むしろ、 その「メディアへの拘りを捨てて利便性を取る」という 「文化のコンビニ化」における利便性追求の自然な帰結のように思うのです。
インターネットによるAVコンテンツ配信、といっても、 データ形式、コーデック、通信路の品質、プロトコル、クライアント・ソフト などによって、画質音質や可能な操作、利便性などは様々です。 極端な話をすれば、例えば、1980年代のインターネットのように au 形式ファイルをメールやFTPでやりとりするのと、 現在のインターネットのように Napster を使うのとでは、 全く異なるメディアを使っていると言って良いくらい、音質も操作性も違います。 そして、現状では、この手の技術はどんどん進展・変化しているのです。 アナログ盤やCDのようなメディアについても、 今後のこの手のメディアの大容量化、小型軽量化、多機能化が どんどん進んでいくと思います。 そして、大容量のDVD、小型軽量のメモリステックのようなメディアの登場においても、 もはや、アナログ盤からCDへの転換において語られたような 「メディアへの拘り」は、どんどん薄れていっているように思うのです。 (1980年代のアナログ盤からCDへの転換も「コンビニ化」の一端と思いますし、 だからこそ、長い歴史を持つアナログ盤からCDへ一挙に転換できたのだと思います。) むしろ、利便性を求めてメディアの変化が短サイクル化、常態化している、 というのが、この「コンビニ化」した文化・表現の特徴ではないか、 と僕は感じでいます。 常態化といっても長い目で見たら一時的なもので、 今後、サチるときもあるように思いますが。
もちろん、移り変わっていくメディア毎に、差異もあると思いますし、 そのメディアに対する拘りを持った表現やその受容者も生まれてくると思います。 しかし、決定的な変化、という観点では、 「メディアへの拘りを捨てて利便性を取る」という「文化のコンビニ化」 の枠に収まるようなものだと思います。 むしろ、そこでは、メディアの革新による文化の変容、という切り口は筋が悪く、 利便性を求めてメディアの変化が常態化した下での文化の不変量、固有値は何か、 という切り口の方が、見えてくるところが大きいように、僕は感じつつあります。
って、ここはかなり強引な展開で大風呂敷を広げてしまったところもあるので、 批判的なコメントをしてもらえると嬉しいです。
AVレンタル市場/業界という言葉は、 日経とかでも よく使われている、一般的な言葉だとは思うのですが、 そういえば、AVが具体的に何の略か見たことはないですね。 ちなみに、Audio & Visual はむしろ形容詞形ですよね。 特に「ビジュアル・レンタル」というと、ビデオを貸すのとは違うもの (貸すということがビジュアルな感じ) を想像してしまいます…。 ま、オーディオ・レンタルと言うと、ソフトではなくハードを貸す、 というイメージがあるのも事実ですが…。
さて、ビデオの話です。
確かに、「レンタル (社会のコンビニ化)」と「ビデオによる映画鑑賞の変化」を
「独立」と言ったのは、僕も話を強調しすぎたと思います。
もちろん、絡み合っている部分も多くありますし、
問題を切り分けた上で改めてその関係を考え直すべきだと、僕も思います。
「社会のコンビニ化」と「ビデオによる映画鑑賞の変化」の切り分けに、
「内容」と「形式」の二分論が透けて見える、という指摘ですが、
僕が「文化の不変量、固有値」と言ったとき、それは従来言われるような
「内容」のことのみを指していたつもりはありません。
例えば、ビデオテープとDVDにおける映像作品の関係で見ると、自明なものだけでも、
その表現が二次元上の色分布による表現であり、物理的な時間進行もほぼ同じであり、
いずれも主にプライベートな空間での鑑賞がなされる、共通点があるように思います。
コンビニ化というのは、そういう部分はむしろ積極的に保存しつつ、
それ以外の部分を「コンビニ化」しているように思うわけです。
(文化、という言葉は、映画、音楽など様々な表現を含めたかった、
という以上の意味は無いです。)
川似さんも「それは物質的な性質に当然関わっていますが、
何が「物質的な性質」として活性化されるかというのは、
同時に社会的なネットワークや思考の形態に連結していると思うんです。
メディアってそういうものじゃないでしょうか。 」
と言っていますが、僕もそう思っているわけです。
その上で、1980年代以降の短サイクルのメディア転換、
メディア転換の常態化を見ると、
「物質的な性質」として活性化されている部分を追いかけるアプローチではなく、
「物質的な性質」として活性化されていない部分を最初に切り出してしまう、
というアプローチの方が良いのではないか、と感じている、ということです。
結論を先取りして言ってしまえば「コンビニ化」以降では、
メディアの変化への無自覚な適応が進むように思いますし。
川似さんが、「映画鑑賞のビデオ化」と「レンタル制度の確立 (コンビニ化)」とが
同時進行したことの重要性を述べていますが、
僕もそれは充分に検討に値することだと思います。
ただ、川似さんの議論は、僕から見るといささか混乱しているように読めるので、
ここで、音楽を対比として問題を整理してみます。
前の発言で述べたように、音楽においては、
前者は1960年代には起きていた「ライブからレコードへの鑑賞の変化」に、
後者は1980年代に起きた「レンタル制度の確立 (及び、LPからCDへの転換)」に
ほぼ相当すると、僕は考えています。
それを、僕は、音楽と映画と合わせて、前の発言では、
前者を「ライブ的な文化の複製商品化」、
後者を「文化のコンビニ化」、という形でまとめたわけです。
この線に沿って、川似さんの発言にコメントします。
また、映画というメディアは、映画館という個人では所有できないような施設を必要とし、そこへ決められた時間に行って映画を観るという体験は、特別な機会性、一回性といった、自宅でビデオを観るのとは違った時間感覚のモーダリティを伴う。そこには特殊なシネフィルのコミュニティが生まれたかもしれない。この特有な文化の衰退は、レンタル・システムなどの経済流通システムによって実現された「コンビニ文化」の台頭とは別問題というより、見事に唯物的に噛み合っているのではないか。
という川似さんの主張ですが、 これは「ライブ的な文化の複製商品化」にぴったり当てはまることです。 「コンビニ化」とある程度関係あるとしても、 そこから、まず切り分けて考えることが妥当なことだと思います。 その上で、もし、見事に「コンビニ文化」と唯物的に噛み合っていると 主張するのであれば、一方の音楽において似たように見られる 「(ライヴにおける) 特別な機会性、一回性といった、 自宅でレコードを聞くのとは違った時間感覚のモーダリティが伴う」といったことが、 「コンビニ文化」のようなものにほとんど全く噛み合わなかった ― 少なくともレコードの登場から「コンビニ文化」の登場まで 何十年も待つ必要があったのか、 この違いについて積極的な理由を示す必要があると、僕は思います。
レンタル音源文化とレンタル・ビデオ文化って、実際に同じような感じなんですか? 複製メディア時代の音楽が形成してきた、さまざまに細分化された聴衆の社会的アイデンティティ(ティーンエイジャー、若者、クラッシク・リスナー、ヒップホップ、ゴシック、ヘッズ、渋谷系、その他あまたのサブカル集団、ぼくみたいに自分はサブカルじゃないと思ってる人(笑)、etc.) と、大衆娯楽およびアートとしての映画の観客のあり方って、かなり違うということはないでしょうか。前者はよりスタイル的で、後者はより物語的とか…。
という川似さんの挙げる聴衆の複製メディア時代の社会的アイデンティティは、
コンビニ化したレンタル音源文化の中で生じたのではなく、
音楽における「ライブ的な文化の複製商品化」と「文化のコンビニ化」の
タイムラグの間に発生したものだと思います。
実際、このような集団は、1980年以前から形成されてきたと思いますし、
CD化が進行した後でも、聴衆の社会的アイデンティティが強固な集団ほど、
後の媒体に比べてのアナログのレコードに対する拘りや特権化が強いと思います。
映画/ビデオにおいては、
「ライブ的な文化の複製商品化」と「文化のコンビニ化」が同時進行したため、
このようなアイデンティティ形成が充分に行われていないということがあるように、
僕は考えます。
こういうように考えると、川似さんの挙げている問題提起は、むしろ、
音楽では「ライブ的な文化の複製商品化」と「文化のコンビニ化」は 2段階に分かれて進行したのに、 映画 (映像作品) では同時に進行したのか、
という問題にまとめた上で見直すと、見通しが良いように思います。 さらに、この問題はいろいろ言い換えることができるます。 音楽においては、なぜ、「ライブ的な文化の複製商品化」― つまりレコードの普及と同時に「文化のコンビニ化」まで進行しなかったのか、と。 もしくは、映画においては「文化のコンビニ化」以前にどうして レコードのような複製技術が登場しなかったのか、と。
2回ほどここで言及していることから気付いている方もいると思いますが、今、
東京大学出版会の『情報社会の文化』というシリーズ本を読み進めています。
ちょうど、嶋田 厚、柏木 博、吉見 俊哉 (編) 『デザイン・テクノロジー・市場』
(『情報社会の文化』第3巻, 東京大学出版会, ISBN4-13-055093-4, 1998)
を読んでいるのですが、この中に、
小林 信一「ブラックボックス化の図像学」 (pp.103-132)
という大変面白いエッセー (というか論文) が収録されています。
このエッセーでは、
戦後の家庭電化製品の取扱説明書・マニュアルの記述の変遷を具体例を挙げ、
ユーザがどのように製品と接することが想定されているか分析する一方、
それを、半導体技術の普及、特にマイコンの出荷額、生産額や
主な家電製品の普及のタイミングやIC投入係数 (どれだけICが利用されていたか) と
関連付けて、
半導体技術によっていかに家電製品がブラックボックス化したのか、
それによって科学技術と社会の関係がどのように変化したのか具体的に論じています。
この論文を読んでいて気付かされたのは、
1970年台後半から1980年台前半に半導体 (IC, LSI) の生産額が急成長していること、
その成長とVTR (ビデオデッキ) とCDプレーヤーの普及というのは、
CDプレーヤーに若干の遅れがあるものほぼパラレルに進んでいること、そして、
CDプレーヤーやVTRが他の家電製品に比べて格段にIC投入係数が大きいことです。
つまり、操作もマイコン (マイクロ・コンピュータ) を介するものであり、
画像の信号形式はアナログでも、
VTRは登場時から簡易な動画録画再生専用コンピュータとでもいうべきものだった、
ということです。引用すると:
業務用VTRは以前からあったが、家庭用VTRが発売されたのは一九七六年である。 この段階ですでに小規模ICが50個採用されており、 VTRはその登場の段階からLSI技術とともにあった。 七九年には四ビットマイコンが採用され、それ以降、高機能化を続けている。 (中略) テレビの場合と同様に、VTRの時計の設定、チャネルのプリセット、 番組予約は、装置に対する直接の操作よいうよりはマイコンに対する操作である。 こうして、マイコン操作とリモコン操作が、家庭電気製品の典型となった。
CDプレーヤーは八二年に商品化された。 これも半導体技術なくしては存在しえない。 デジタル録音・再生方式、各種のフィルターはLSIによって実現された。 八〇年代を通じてCDプレーヤーの半導体投入係数 (生産コストに占める半導体の費用) は三〇%以上の水準を保っており、 これは家電製品の中では群を抜いている。
このように論が進むこのエッセーですが、最後の 「科学技術と社会の相互関係の新しいモード」という節に述べられていることは、 「文化のコンビニ化」とも関係することのように思います。引用すると:
一九八〇年代以降は、科学技術の発展の成果が家庭に浸透しつづけたが、 生活者からみれば何の変化も感じられない、 場合によっては科学技術の存在すら感じられない時代だった。 すでに述べたように、この時代の変化の特徴の一つは、 白物といわれる家庭電化製品など従来から存在する機器に マイコンが導入されたことである。 電気洗濯機の全自動化は、マイコンが装備される以前に完成していたのであり、 マイコンの導入によって機能や使い勝手が格段に向上したわけではない。 生活者が自覚しないままに、マイコン制御技術が家庭に浸透していった。 もう一つの変化は、VTR、CDプレーヤーなど、LSI技術に大きく依存する 新製品の登場と普及である。 これらもテレビに対する付加物であったり、 レコード・プレーヤーに代替する製品であるので、 まったく新奇なアイテムではなく、既存製品に付加されたり、 置き換わる形で浸透したものである。 その意味で、科学技術の進展の大きさの割には、 生活者から見た変化はそれほど大きくない。
かくして科学技術と社会の相互関係には新しいモードが出現した。 古いモードでは、人々は生活環境の改善のために家電製品などの技術を 自覚的に家庭生活に導入した。 しかし、新しいモードでは、人々の科学技術環境への無自覚な適応が進行する。
一九八〇年以降進んだ生活の情報化の側面の一つは、 科学技術のブラックボックス化の進展であり、 科学技術と社会の相互関係の新しいモードの出現なのである。 そして、科学技術と社会の相互関係における新旧のモードの併存は、 科学技術と社会の界面においてさまざまな現象を引き起こす。 その点については別の機会に議論したい。
この「人々の科学技術環境への無自覚な適応」ような議論は、 1980年代以降、特に、CDやビデオの普及以降、 技術やメディアの変化に対して音楽や映像作品の変化が小さくなったと 僕が感じていることとも符合していて、納得するところが多いです。
そこで、この小林の議論を受けて、再び、
「ライブ的な文化の複製商品化」と「文化のコンビニ化」の
問題について考え直してみます。
まず、一つ確かなことは、
音楽に対するレコードのような複製技術が映画において
(「コンビニ化」が進行する) 1980年代以前に存在し得なかったのは、
レコードのような半導体が不要な単純な機構による複製が、
映画においては不可能だった、ということが言えると思います。
半導体を用いない単純な機構による記録という意味では、
例えば 8mm フィルムがあったが、
これは、映画の複製品を大量に作り配布できるようなものではありませんでした。
レコードは、ユーザが直接的に物理的に機器を操作するものであり、
ブラックボックス化する前の「古いモード」の技術に属します。
もちろん、(アナログ) レコード文化 (例えばDJ文化) の特徴の多く、
DJプレイにおけるスクラッチや繋ぎといったプレイのような直接的な表現から、
社会的アイデンティティの形成といったものまで、
このレコードの直接操作性に強く結びついていると思います。
それに対して、CDやビデオ、DVDはマイコン制御であり論理的に操作するものであり、
ブラックボックス化以降の「新しいモード」の技術に属するものです。
信号のデジタル化というのもマイコン制御によるブラックボックス化の一面であり、
音楽におけるレコードとCDのメディア体験の断層は
この「古いモード」と「新しいモード」の間にあると思います。
そして、映画においては、レコードのような「古いモード」を飛ばして、
ビデオという「新しいモード」にいきなり入ってしまったと。
そして、基本的にマイコン制御のビデオやDVDという複製媒体しかない映画と
CDの他に簡単に直接的に操作可能なレコードという複製媒体もあった音楽とでは、
観客のあり方に変化が生じた、ということがあると思います。
特に、レコード文化には顕著に見られない
「カウチ・ポテト・モーダリティ」というのは、
映画とビデオの一回性や時間感覚の違いというより、
技術のブラックボックス化とマイコンとリモコンを介した
間接的遠隔的な操作による利用に強く関係していると僕は思います。
レコード・CDレンタルの制度確立 (1985年) に
ビデオレンタルの制度確立 (1983年) が先行するのは、
ブラックボックス化したビデオはコンビニ化に適していたという面もあると思います。
逆に言うと、レコードという複製技術が直接操作するという面を持っていたために、
物理的な媒体性を強く意識させるものであり、コンビニ化があまり顕在化しなかった ―
少なくとも、1980年代の社会全体のブラックボックス化の頃まで
待つ必要があったのではないか、とも思います。
ただ、「ミューザック」や「エレベーター・ミュージック」のような現象は
レコード化や有線による配信によるコンビニ化という面もあると思います。
また、社会的アイデンティティと結びつかない、
例えばドラマとタイアップしたヒット曲のようなものは、
CDレンタル時代の「カウチ・ポテト・モーダリティ」的な聴取と
関係あるように思います。物語的な面も含めて。
まとめに入りますと、1980年代に起きた「文化のコンビニ化」という変化は、 「レンタル・システムの確立」というべき流通の変化と 「ブラックボックス化 (マイコン制御・リモコン制御)」 というべきメディアの変化のニ面があるように思います。 そして、それらは、半導体技術の普及による科学技術と社会の関係という 同じ物の二面だと思います。 CDプレーヤやVTR同様、POS端末やバーコードシステムも マイコン技術によって可能になったものですし。 そして、「文化のコンビニ化」における「メディアの差異より利便性の追求」 というのは、むしろ、小林の言うところの 「新しいモード」、「文化における科学技術環境への無自覚な適応の進行」 とでもいうべきもののように思います。
補足ですが、ここで、小林は「新しいモード」「古いモード」と表現していますが、
このエッセーでも、ブラックボックス化が不可逆的に進行するとも
全面的に進行するとも主張してはいません。
例えば、1980年代以前にも、トランジスタの登場によって、
取扱説明書は一時ブラックボックス化したわけですが、
「しかし、後にトランジスタ用の修理用具が出回るようになると、
修理屋やマニアが修理できるようになり、
修理可能なものには再び回路図や配線図が添付されるようになった。」
と、述べています。この小林の分析も、示唆的だと思います。
もし、今後、映画・ビデオの鑑賞が大きく変わるとしたら、
鍵となるのは「ブラックボックス化」したビデオの
「オープン化」ではないかと思うからです。
実際、埋め込みのマイコン制御のためブラックボックス化していたビデオが、
現在は信号もデジタル化され汎用のパソコンによる操作が可能になったために、
その仕組みの内部を覗くことができるようになり、
ソフト的とはいえユーザが「直接」扱えるようになってきています。
DVDだって、Open DVD のように、
自分で再生システムを作ることもできるわけです。
パソコンで使えるノンリニア編集のソフトウエアも、かなり普及してきています。
そして、この直接操作性が、「カウチ・ポテト」文化的ではなく「レコード」文化的な
鑑賞のあり方を映画・ビデオにもたらすことは充分にあると思います。
(ここは、ちょっと勇み足かしらん。)
さて、上でさんざん言及したエッセーが収録された 嶋田 厚、柏木 博、吉見 俊哉 (編) 『デザイン・テクノロジー・市場』 (『情報社会の文化』第3巻, 東京大学出版会, ISBN4-13-055093-4, 1998) ですが、このシリーズで読んだ3巻 (あと、青木 保、梶原 景昭 (編) 『情報化とアジア・イメージ』 (『情報社会の文化』第1巻, 東京大学出版会, ISBN4-13-055019-8, 1999) と、 内田 隆三 (編) 『イメージのなかの社会』 (『情報社会の文化』第2巻, 東京大学出版会, ISBN4-13-055092-6, 1998)) の中で最も興味深く読むことができました。 最も「カルスタ」っぽい執筆陣ということもあるのかもしれないですが、むしろ、 上に挙げた 小林 信一 「ブラックボックス化の図像学」のような、 具体的な例や資料に富んだ実証的な話が多かったからのように思います。 吉見 俊哉「メイド・イン・ジャパン ― 戦後日本における「電子立国」神話の起源」 なんかも、広告の図版が載っており、とても興味深く読めました。 逆に、このような具体的な資料に欠けるエッセーは読んでいて面白くないし、 説得力に欠けるように思います。 例えば、柏木 博「電子環境における近代デザインの変容」などは、 近代デザインの一般論という感じで退屈に思いました。 単行本では具体例の多い話も書いているだけに、これは残念に思いました。 上野 俊哉「黒いモルフェ ― 情報化とサウンドのポリティクス」も、 「○○が言うように…」のような話ばかりで、直接的な分析をしていません。 ま、「二○世紀は「引用の世紀」だった。」そうなので、 それに見合ったエッセーなのでしょうが。 といっても、このシリーズを3冊読んだ限りでは、後者のようなエッセーの方が多く、 このような概説本では具体的な例や資料を多く扱うことは紙面的に難しいので、 やむを得ないのかな、とも思います。