2006年6月にあった 1920年代〜1930年代初頭 Avant-Garde 短篇映画の上映会の覚え書き、感想です。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。
平日の仕事帰りに映画へ行こう。というわけで、万難を排して行ってきました、 『マヴォ/メルツ クルト・シュヴィッタース/村山知義 ― 日本におけるダダ』 展 関連上映会 @ 東京日仏学院エスパス・イマージュ。 1920年代〜1930年代初頭の Avant-Garde な短篇映画16本、約2時間。 音楽付きで上映されたのは2本で、あとは全て無音で上映されました。 それなりに楽しんで観ましたが、 16本もまとめて観るとさすがに1本ずつの印象が薄くなりがちです。 何も書かないとすぐに忘れそうなので、備忘録的なメモを。 (邦題と制作年は、上映会配布資料に基づいたものです。)
しかし、こんな映画でもそれなりに人気があるのですね。 席が足りなくなって補助椅子や座蒲団を使うほどの人の入りにびっくりしました。 約2時間の長丁場だっただけに、ぎりぎりながら、ちゃんとした椅子に座って観られて良かったです。
昨晩観てきた 『マヴォ/メルツ クルト・シュヴィッタース/村山知義 ― 日本におけるダダ』 展 関連上映会 @ 東京日仏学院エスパス・イマージュ の話のフォローアップ。
上映会全体の感想としては、 『写真はものの見方をどのように変えてきたか』展の 第2部を観た (関連発言) ばかりなせいか、 当時の写真との類似性を意識させられました。 写真を動くようにしたという意味での映画化、と感じるものすらありました。 その理由としては、今回上映された映画の多くは、 いわゆる抽象映画もしくは純粋映画と呼ばれるものだったということがあると思います。 物語が明確ではないか全く無いため時間展開が物理的なものでしかなく、 心理的時間というか物語展開の緩急のような モンタージュ効果が生きた所がほとんど無かったからのように思います。 そのため、心理的時間の展開が単調になりがちで、 写真に近い印象を与えるということもあるように思いました。
あと、今回の上映会は抽象映画、純粋映画と呼ばれるものが主だったわけですが、 同時代には、それだけでなく、物語る力も強い Russian Avant-Garde 映画、 Hollywood や Ufa の大作や、 Chaplin, Keaton, Lloyd らのサイレント・コメディもあって、 さらに、NHKスペシャル『映像の世紀』のような番組で使われたような ニュース映画のような記録映像もあったわけです。 そういうのを横断的に見るような企画ってできないのかなぁ、とも思ってしまいました。 戦後の映像が大量生産されるようになった時代だとそうもいかないと思いますが、 1920〜30年代はまだ横断的な見方もか可能な時代のように思いますし。 そういうことを考えてしまうのも、 『写真はものの見方をどのように変えてきたか』展の影響でしょうか。
企画という点では、「日本におけるダダ」という副題の付いた展覧会の関連企画なのに、 日本で作られた映画が一本も無かったのが残念でした。 それどころか、Mavo や Merz と関係ある映画もほとんど無かったように思いますが、 めったに上映される機会の無い映画ですし、 こういう機会を使っての上映は悪くないと思います。 ところで、当時の日本のサイレント映画は観たことありますが (小津 安二郎 とか)、 いわゆる Avant-Garde な作風のものを観たことがありません。 一度そこらへんどをちゃんとフォローしたいとは思っているのですが、 日本実験映画史というと、 戦後1950年代の 大辻 清司 『キネカリグラフ』 あたりから始まるものが多く、 日本の戦前の実験映画の情報は少ないように思います。 日本の映画のサイレント期の様々な試みについて書かれたお薦めの本があったら 是非教えて下さい。