火曜は、手術後の経過を診てもらうため病院へ。 しかし、非常に混雑していて、診察が予約時間から4時間も押すことに。 そんな待ち時間の間に、この本を読んでしまいました。
1984年創刊の季刊の地域雑誌 『谷中・根津・千駄木』 の 第1号から第80号までの記事から編纂されたアンソロジーの単行本。 『谷根千』こと『谷中・根津・千駄木』 といえば最も成功した地域雑誌/ミニコミ誌で、 ここでわざわざ紹介する程でもないとは思うのだけれど、 読んでいていろいろ懐かしかったりしたので、そんな話を徒然に。
このエリアで生まれ育ったわけではありませんが、 中学高校そして大学と学校がこの本が扱うエリアにあったこともあり、 当時 (1980-1991) はよくこの界隈をよく歩いていました。 最近は、年に数回しか行かなくなってしまいましたが……。 そんなわけで、当時の紙面のデティールが妙に懐かしかったり。 今は無き道灌山の中華料理店 昌華飯店 の広告が何カ所かに出て来たり。 この中華料理店は中学高校時代に本当によく使ってましたよ……(遠い目)。
中学高校時代 (1980-1985)、谷中界隈の散策、 特に、学校帰りに道灌山から諏訪道を上野公園まで歩く、なんてことをよくやってましたが、 当時の谷中の印象はむしろちょっと寂れた町というものでした。 朝倉彫塑館も当時は手入れにくたびれた私立美術館という印象。 高校の頃には原美術館や東京都庭園美術館へ行くようになっていたので、 この美術館もそんなふうになれば入るのに、なんて、思っていたものでした。 この本を読んで、 「二十数年前、私たちが引っ越して来た頃の谷中界隈は、活気がなかった。」 と 桐谷 逸夫 がこの本に寄せた文の冒頭に書いているのを見て、やっぱりそうだったよなあ、と。
なんて、書き出したら長くなったので、ここで一旦切ります。続きはまた明日以降。
谷根千工房 (編著) 『ベスト・オブ・谷根千 —— 町のアーカイヴス』 読書メモの続き。
僕が『谷根千』という雑誌を知ったのは、大学に進学 (1986年) してから。 ちょうど、1986年に『東京人』という雑誌が創刊され、 その雑誌に影響を受けて街歩きをよくするようになった頃。 『東京人』の記事かそこに載っていた広告か何かで、知ったように思います。 そもそも、『東京人』という雑誌に興味を持ったのは、 高校時代に読んだ 赤瀬川 原平 『超芸術 トマソン』 (白夜書房, 1985) から。 その流れを組む路上観察学会が1986年に設立され、 その関係者の記事が多く載っていたのが、 『東京人』を読み出したきっかけでした。 『超芸術トマソン』というと無用の建築物構造物が有名ですが、 麻布谷町の再開発といった話題も扱っていましたし。 1984年創刊の『谷根千』、1985年の『超芸術トマソン』、1986年創刊の『東京人』というのは、 自分の中で強く関係付けられて記憶されています。 バブル景気最初期、都心部で始まった地上げ乱開発に対するカウンターというか。
しかし、『谷根千』を買うようになったのは、『東京人』を読み出してすぐではなく、 1988年に根津に通うようになってから。 根津の喫茶店や中華料理店に昼食や夕食に行くことはよくあったので、 そんなときに店先で新しい『谷根千』を見かけると買っていました。 で、時々、『谷根千』片手に、それをネタに散歩する、という。 『谷根千』はこじゃれたカフェやデザイン雑貨の店などを紹介するような雑誌ではありませんし、 当時あのエリアにそんな店があったという記憶もありません。 そんなものを目当てにした散歩ではありませんでした。 『谷根千』で取り上げられているへび道の駄菓子屋に寄って、 そこで買ったアイスキャンデーに「うーん、やっぱりいまいちだったかも」なんて思いつつ、 特に目的もなく小一時間ふらふらする、みたいなことをしていました。 友達と連れ立って遊びに行くような所ではなく、いつも一人でふらりと。 そして、1992年に大学院を出て就職したのをきっかけに、 この界隈から足が遠退き、『谷根千』も買わなくなりました。
谷中・根津・千駄木界隈が今のようなこじゃれた町に変わりだしたのは、 就職して根津に通わなくなった1992年以降。 1990年代後半、SCAI The Bathhouse など目当てに、たまにこの界隈へ行く度に、 こじゃれた店やスペースができているのに気付く、という感じでした。 今から思えば、谷中芸工展が始まり柏湯が SCAI The Bathhouse に変わった1993年が、 一つの転換点だったのかな、と。 巻末の地域雑誌『谷中・根津・千駄木』年表に載っている出来事の中で、 SCAI The House、谷中芸工展や 1998年に始まった art-Link 上野谷中 に関わる件といえば、 2004年の谷中芸工展にD坂シネマ初参加ということだけ。 そんな所に、『谷根千』と1990年代後半以降のアートな町づくりの間にある 世代というか出自の違いを感じるところもあったりするのでした。
『谷根千』は、今年夏、94号で休刊。休刊号くらい、久々に買ってもいいかなと思っていたり。 それにしても、自分が買っていたのは20号前後なので、 今から見ると比較的初期の頃の読者となるんだなあ、と。 というか、当時、まさかそんなに長く続くとは思っていませんでしたよ。
他にもいろいろ話は無いわけではないですが、あまり昔話を引きずるのもよくないかな、と。 というわけで、このくらいにしておきます。