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ポール・クルーグマン「世界を拒絶すること」

原文: Paul Krugman, "Rejecting the World"
Originally published in The New York Times, 4.18.03
訳: 嶋田 丈裕 <tfj@kt.rim.or.jp>
2003/04/18: 初版を公開

概要:保守派は国際協力が含まれるあらゆる政策に反対しているのだろうか?

ブッシュ政権は、今週、主要な大気汚染源であるディーゼル車排気ガスの抑制という正しいことをやった。 しかし、大概の場合、ジョージ・ブッシュ (George Bush) は2000年の選挙戦での環境に関する公約を破ってきている。 最も悪名高いのは、二酸化炭素排出を規制するという公約を破ったというものだ。 その代わりに、完全に自由意志任せの ―― そして、そう思われるだろうが、そのために意味が無い ―― 地球温暖化ガスを制限する計画を提出した。

しかし、これですら、ブッシュの政権党からすれば出来過ぎたものであったことが判明する。 先週、共和党議員によって通過したエネルギー法案は、温室効果ガス排出を制限するいかなる計画も ―― 自由意志まかせのものすら ―― 含まれていなかった。なぜだろうか?

私が思うところ、その答えは、世界に係わるあらゆることが嫌いだからに違いない。

表面的に見ても、ブッシュの地球温暖化に関する計画は、企業の善意任せのでっちあげだった。 エネルギー省 (The Department of Energy) は、二酸化炭素排出を削減した企業に信用を与えようとしていたかもしれない。 しかし、そうしたとしても、法的な制限が無かったため、その信用は善行の象徴的な表彰にしかならなかっただろう。

もしそうしようとしてなかったとしたら、彼らは何をしようとしていたというのだ。 右翼のシンクタンクはそんなブッシュの構想すら否決するよう議会を説得する断固としたキャンペーンを張り、成功した。 排出削減の経過を追跡したら、将来の政権が実際の地球温暖化対策の政策を導入することが容易になってしまうだろう、と、そういったシンクタンクは論じた。 信用を積み上げた企業は、その信用に価値を与えるような施策を望むようになるかもしれない、と。 もっと露骨に言えば、地球温暖化は問題であるという考えを合法化することには全て反対した。

しかし、彼らの視点からして、どうして、地球温暖化を問題視することはそんなに悪いことなんだろうか?

右派は、科学的証拠を注意深く検討して、科学界での圧倒的な合意事項は間違っていると結論付けたのだろうか。 そんな考えは問題なく却下してよい。 保守派は、排出制限の経済効果を注意深く検討して、あまりに費用が高くつき過ぎると結論付けたのだろうか。 そんな考えも却下してよい。

それでは、単に旧態依然たる政治のせいなのだろうか? 地球温暖化対策の政策への反対は、政府による規制を一般的に嫌う傾向を反映したものだという面がある。 議会多数派の長であるトム・ドゥレイ (Tom DeLey) は、殺虫剤利用の制限に怒って政界に入ってきた元害虫駆除業者だということを忘れてはならない。

しかし、温室効果ガスを制限するためのいかなる政策にも ―― ほとんど中身の無いブッシュの計画にすら ―― 右派が反対するその獰猛さは、一般的な反環境保護の域を越えている。 地球温暖化が他と違う点は、局地的な公害と違い、それを扱うには世界中の政府による断固とした行動が必要になるということである、と私は考える。 そして、右派にはそれが我慢ならないのだ。

こんなことで驚いちゃいけない。 かつては、アメリカの保守派は孤立主義者だった。 今日、孤立主義が実行可能な立場であると考える人はいない。 しかし、同じ衝動 ―― 自分が他より道徳的に優れているという主張、他の異なった視点を考慮することを嫌う姿勢 ―― が、アメリカの新たな単独行動主義の精神の背後にある。 明らかに我々は世界を無視することはできない。 だが、多くのアメリカの人々は、我々のやっていることに口出しする権利を他の国々も持つべきだという考えを、拒絶している。

しかし、単独行動主義者たちが、他の国々との ―― 従属的な相手としてではなく、対等な相手としての ―― 協調を明らかに必要とする問題に直面したとき、何が起きるのだろうか? 温室効果は根本的に世界規模の問題だ ―― そう、地球温暖化という問題があるということを我々は否定するだろう。 国家を持たないテロリストとの戦いは世界規模の協調的な努力を必要とする ―― そう、実際悪い体制だったとはいえテロリストの攻撃とは関係ない体制に対して通常戦争を仕掛けることによって、我々はテロリズムと戦おうとするだろう。

最終的には、もちろん ―― 遅かれというより早々に ―― 現実を否定しとうとするこの試みは失敗するだろう。 我々がイラクでの見せ物に見とれている間に、いままで積み上げてきたアメリカの外交政策の成果の多くが崩壊してしまった。 無策と傲慢によって、1990年代にラテンアメリカで築き上げた親善関係を無駄にしてしまった。 半世紀もの間、アメリカは自由貿易の推進を世界戦略の主要な部分として見なしてきた。 しかし、今や、貿易交渉は無頓着から崩壊してしまった。

イラクにおいてすら、戦争に勝つことは簡単にできるほんの一部でしかなかったことに我々は気付きはじめている。 そして、アメリカ当局 ―― 先に『古いヨーロッパ』と言うような尊大な態度を取っていた ―― は、慌てて、国際平和維持軍の必要について語り始めた。 そんな平和維持軍には、今もアフガニスタンにいるものと同様に、フランスやドイツの兵士も参加させなければならないだろう。

真実は、我々はひとりではやっていけない、ということなのだ。 しかし、そういう真実が身に染みるまでに、後始末しなくてはならないことが沢山あるかもしれない。


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嶋田 丈裕 / Takehiro Shimada (a.k.a. "TFJ" or "Trout Fishing in Japan") <tfj@kt.rim.or.jp>