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    波照間島あれこれ

    99年旧盆・波照間滞在記〜8月22日
    8月22日(旧暦7月12日)

    ようやく船が出るとのことで1便に乗るため小雨が降る中、康恵さんと離島桟橋へ向かう。木綿子さん、関さんは散歩にでたまま帰ってこない。大橋さんが見送りに来てくれる。安栄の切符を買うが、定員となり、ニューはてるまに廻されることとなった。

    船が出港する間際に木綿子さん達が駆けつける。驟雨に襲われ雨宿りをしていたようだ。
    木綿子さんが指を指し、叫んでいる。
    「幸先がいいねえ!」
    指すほうを見ると、南の空に雨上がりの虹がかかっていた。

    欠航明けなのに、海は穏やかで、多少遅れたもののほとんど揺れずに波照間へ到着する。港は出迎えの人々で賑わっている。旧盆用の物資も多いようだ。見かけたことのある顔や民宿の車が並ぶ。送迎の車でたましろ荘へ。空港に寄り道してから、島の中心部を抜けたましろのある冨嘉集落へ。公民館の広場では舞台の設営が始まっている。名石の集会所ではムシャーマの衣装が広げられ、点検されている。ふだんは静かな島内が、旧盆に向けて活気づいている。

    荷物を置き、なにはともあれニシハマへ向かう。いつもの角を曲がり、「モンパの木」の前を過ぎると海が広がる。浜に着くと、台風の影響で海には波がたち、海草が打ち上げられている。人はほとんどいない。シュノーケルマスクをつけ海中に入るが、濁ってしまっていて視界がきかない。
    仕方なく、すぐに上がる。
    あずまやから海を眺めているうちに、目の前の波打ち際にいるのが3年前に波照間で会った浜田さんだということに気がつく。たましろに泊まっているという話は石垣で羽生さんに聞いていたが、久々の再会ということもあり、お互い気がつかなかったようだ。
    初めて沖縄に来たのがまだ道路が右側通行だった頃という、沖縄歴の長い方だが、今回はじめて奥さんと一緒に波照間に。奥さんにシュノーケルを教えているところだった。昨晩のたましろ荘は5人しかいなかったという。

    たましろに戻り、昼のサービス弁当を食べる。みそ汁つき。
    何をするということもなく過しているうちに夕方3便が到着する時間となった。知り合いが何人か来るはずなので、出迎えに行く。奈良の田中さん、その連れの藤井さん、横須賀の西村剣太君、つれの真治君、平塚の宮下直子さんが到着。
    田中さん、直子さんは、3月のたましろで一緒だった。剣太君はたましろ仲間の西村志乃さんの弟である。

    たましろ前に戻ると、浜田さんと話しているマサミツさんに会う。星空荘に泊まっているそうだ。3年前に浜田さん、鈴木創(ハジメ)さんと4人で会って以来。ハジメさんとは3年前の与那国で出会って以来のつきあいで、今回は私と入れ替わりに8月末から波照間に来ることになっている。マサミツさんはそのハジメさんの親友である。

    日が暮れてくると雨がまたぱらついてくる。夕食はいつもは庭のテーブルで食べるのだが、室内となった。いつものてんこ盛りの食事に、泡波。はじめての剣太君が驚愕している。
    康恵さんが遅れて帰ってくる。前集落の知り合いのところに行っていた。ムシャーマのミチザネー(仮装行列)に出ることになってしまったという。
    今日は「シラスピン」といい、あさってのムシャーマの最後の練習日。各組ごとに予行演習を行う。食後は皆でそれを見学に行く。島全体が3組に分かれるのだが、たましろのある冨嘉集落は、名石集落と共に西組となる。名石集落の集会所とその前庭で練習がはじめられていた。

    前庭では少年達が太鼓の稽古。鼓を担ぐ者、撥でそれを叩く者、パーランクを叩く者、伴奏の笛、各4人で合計16人。壮年の指導者が最後の仕込みをしている。
    そのそばでは、はりぼての鎌を持った子供達が大騒ぎしてかけずりまわっている。制するおじいたちの声も届かない。
    おばあ達は広場のまわりの木の下に座り、おしゃべりをしながら眺めている。
    パナヌファのご夫婦が三線で六調を奏でる。年配の女性3人がそれにあわせて舞いの練習。三角形の回転移動は蝶の様だ。

    西組の練習風景集会所は前面を開け広げ、中で衣装あわせなどをしているのが見える。縁側には人々が座って雑談。そしてつなぎのおっちゃんが泡盛持参で管を巻いている。
    西組の今年のミルク(布袋の面をつけ、黄色い着物を着た来訪神)役は驚いたことに「みのる荘」のおやじだ。ミルクのゆったりした動作の練習をしている。
    やがてばらばらの状況に収拾がつけられ、行列の練習にみんな広場から出て行く。

    しばらくして集落内を一周した行列が戻ってくると、裸電球の照らす薄暗い中、棒術の練習が始まる。10人が、2人一組で棒や薙刀、鎌を振り回し闘う演技をする。まずは1組ごとに、そして最後には一斉に。若い男達が乱舞する様は勇ましいが、まだ動作に躊躇のようなものがみられる。郵便局のお兄さん(「ルパン」)が手順を間違い、舌を出したのが集会所の明かりでシルエットになってばれてしまう。笑いがもれる。

    庭の演技の練習が終わると、集会所の中で舞踊の練習が始まる。年配の女性の、完成された踊りから、中学生の女の子の初々しい踊りまで。生演奏で三線、笛、太鼓の伴奏がつく。三線の伴奏は後冨底周二さん。マイクを通さない音が心地よい。練習を終えた男達は庭の片隅にござを敷き、酒盛りをはじめた。

    田中さん、直子さんと前組の練習も見に行くことにし、前集落の集会所とその前の広場に向かう。前組は、前集落単体でひとつの組なので、こじんまりしている。ちょうど棒術の練習が終わり、舞台の練習が始まるところだった。

    一休みしている康恵さんを見つける。馬をやることになり、衣装あわせをしたとのことだ。崎枝節にあわせて踊る若駒である。

    ついでに東組の練習も偵察しにいくことにする。南集落と北集落が、東組となる。遠くから聞こえてくる銅鑼や三線の音をたよりに、北集落の集会所を目指す。

    東組の練習風景ここの集会所は赤瓦の古い建物だ。道を挟んで芝生の広場があり、そこの隅では男達がすでにござを広げ、酒盛りをはじめている。
    集会所の中では舞踊の稽古が続く。しばらくして何人かの男達が宴席から呼び戻され、コンギ(狂言)の練習がはじまった。沖縄方言で演じられるコミカルな芝居で、舞台の出し物では唯一、男性が演じる演目である。何を喋っているのかさっぱりわからないが、道路の縁石に列になって座り、熱心に眺めているおばあ達からはときおり笑いが漏れる。
    もう夜も11時近く、練習は続く。リハーサルからすでに祭りの高揚感が伝わってくる。

    時間も遅いので、宿に戻ることにする。名石の集会所に戻ると、まだ練習は続いていた。他の人達はもう戻ったようだ。
    雲が薄くなり、月明かりがもれてくるようになった。道にはうっすらと月影ができている。だいぶ涼しくなった夜道を戻り、12時前に眠りについた。



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