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8月25日(旧暦7月15日)
今日はウクルピン、盆の送りの日である。目が覚めて、顔を洗いに離れの洗面所に向かう途中、空を見上げると、青空が広がっている。朝から頻繁に仏壇への御参りが来る。島内の親戚同士で訪問し合うようだ。 朝食後、宿の前の道路端に腰掛けくつろぐ。剣太君、伸治君がどこからか拾ってきたボールで遊んでいる。なんだか、田舎の親戚の家に、いとこ達と遊びに来ているような気分だ。
船の時間が近づき、各民宿の車がやってきて、今日島を去る人達を運んでくる。
ひとり残り、テラスで手紙を書く。沖縄に来るようになってから、手紙を書いたり、もらったりすることが増えた。このテラスで手紙を書くのはもはや年賀状と同じ位の恒例行事だが、なかなか連絡をとる機会のない友達や、今まで旅先で知り合った人達と音信を通じるにはよい機会である。何通か書いて、ポストに投函しにいった後、またまたニシ浜へ向かう。 浜へと下る道から見える海はまた鮮やかさを増している。道端に生い茂るギンネムの緑は太陽の日を浴びて濃厚だ。左へカーブを曲がり、浜の入り口に到着。右脇の茂みの木の枝に、誰かが珊瑚の骨や烏賊の甲でつくったモビールがゆれる。 リーフエッジまでシュノーケリング。おとといよりも遠くまで行ってみる。魚がさらに増えたような気がする。名も知らぬ、色とりどりの魚たち。近づくと逃げるが、波に身を任せたゆたうと、すぐに、何もなかったかのように餌の摂取にいそしむ。 浜に戻ろうとするころにはかなり潮が干いていて、途中は干上がっている。 波打ち際近くの水は太陽に熱せられて温泉のように温かい。 おにぎりを食べて、昼寝をする。
おとといと同じく、陽が廻るにつれて日陰がなくなっていくので、あずまやに避難する。
潮が再び、満ち始める。浅くなったリーフの上を静かに波が打ち寄せはじめる。
結局この日も一日中ニシハマで過ごしてしまった。他の場所にも行きたいのはやまやまだが、この日差しに晒されて移動することを考えると、そこで思考は停止してしまう。 早めの風呂を浴びた後は、そろそろ着替えがなくなってきたので洗濯をする。全手動洗濯機なので、テラスでみなとしゃべりながらまめにすすぎや脱水の切り替えに行く。風呂もひとつしかないので、風呂待ちの人もテラスで待機していることになり、結果、人が集まって会話が生まれる。この宿の魅力はこんなとこからも生まれているのが、面白い。 お供え物の余りの、短く切ったさとうきびの枝をいただく。硬い皮をむいて、齧り付き、汁を吸う。あっさりとした、甘い味がする。 港からおじさんの車が戻ってきて、男性が一人、降りてきた。愛媛から来た男性。朝から予約の電話はずっと断られっぱなしだったのだが、なぜか飛び入りにOKが出たらしい。
夕食時、ついにアリさん来訪。北集落に家があるがニシハマで生活している、ちょっと変った人だが、面倒見がよく、キャンパーや野宿者がよく世話になっている。ビールと八重泉持参。ニシハマの「ウェルカムテント」からは2ヶ月前に引き上げたとのことだ。
親戚の仏壇廻りに出かけていた功一先生夫妻が帰ってくる。 前の道に出る。路肩に座り空を見上げる。月が明るいが、なんとか星も見える。酔いに任せてふらふらと、集落の外れまで歩く。街灯の明かりの届かない場所でも、月明かりが路上に影を落す。
0時を過ぎ日にちがかわった頃、仏間に家族が集まり、正座して盆の送りの行事が始まった。
送りの行事は日にちが変ってから始められ、かつ一番鶏が鳴き出す前に終わらせなければならないという。そうしないと、先祖があの世に帰れなくなってしまうそうだ。
頭にかぶる注連縄のようなものも用意されている。沖縄や東南アジアでは頭上に荷をのせて移動する風習があるが、その時に荷物が安定するように被る輪があったということで、それを模した小さな輪ということだ。これは供物とともに捧げられているが、先祖があの世に供物を運び帰る時にでも使うということだろうか。 神酒を飲み終わると、紙銭(ウチカビ)が用意される。ウチカビは、黄色いちりめん状の紙に丸い刻印が打ってあるもので、琉球王朝時代の硬貨を模している。これはいわば、あの世のお金である。先祖があの世でお金に苦労しないよう、このウチカビを持たせるのである。
燃やし尽くすと、お供え物のかたづけが始まる。木の実や穀物を使って丁寧に作られた供え物があっという間に解体されていく。生ものは大きなざるにほうりこまれる。缶詰や菓子は隅に片付けられる。てきぱきと、あっという間に仏前が片付いてしまう。
一息ついて、供えてあった功一先生のつくったマンゴーをごちそうになる。とっても甘くておいしい。その後はまちこおばさんが撮影した昨日のビデオを見る。お面をつけていたのでわからなかったが、みなけっこうのっている。バッテリー切れということで、少しずつしか撮られていないのだが、かえってテンポ良く祭をふりかえることができ、楽しい。 私達が寝床についた後も、一家の人達は遅くまで後片付けなどをしていたようだ。
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