PC処世術>>雑感>>

PC処世術 - 雑感:「日立パソコン全廃」問題で考える IT元禄


 新年を賑わせたニュースに、「日立がパソコンを全廃」というものがあった。「日本でも有数の規模を誇る同社の社内にあるパソコンを全廃し、全て本社のサーバーにだけ情報を記録できるようにしたネットワーク端末を配備する」、というのがニュースの趣旨だ。報道に依れば、この端末は 2005年から配備を開始し、早ければ 2008年には30万台にも及ぶ同社内のパソコンの全廃と端末の配備を完了するとのことだ。
 コンセプトも凄いが、それを自社内で実施するという姿勢もまた凄い。「先ず隗より始めよ」に倣ったというところだろうか。
 新年気分の中に出てきたこの一面トップニュースに、筆者も少なからず衝撃を受けた。もっとも、この会社も休みであろう正月三が日のニュースであるからこの記事の全てが公式発表というわけではなく,新聞社のスクープなのだろうが、内容が非常に具体的なところを見ると確度は高そうに思われる。(ちなみにニュースリリースには「ネットワーク端末を導入する」とは書かれているが、「パソコンを全廃」とは書かれていない)

 ネット上を見ると、既に様々な意見が噴出しているようだ。「パソコン全廃」というショッキングな方針について, パソコンの過去を眺めながら将来について考えている当サイトとしても、現状のパソコンが置かれている状況を復習しながら考えを述べてみたいと思う。

 結論から言うと,「パソコンを全廃してネットワーク端末に切り替える」という方針自体は間違っていないが、その実施時期については疑問を挟む余地がある、と筆者は思う。

 まず、日立がパソコンを全廃することの大義名分はセキュリティである。昨今は個人や企業の情報漏洩が解決すべき課題として俎上に乗せられており、これを防止するには社員や窃盗犯によって情報を会社の外部に持ち出せないようにするしかないということらしい。また、コンピュータ・ウィルスやセキュリティホールに対するアップデートを管理しながらスムースに行うことができる、というメリットなどが強調されている。
 多数の攻撃者への対処法としては、兵法に曰く「之を易に避け、之を隘に迎えよ(呉子)」とも聞く。これは、守る側と攻撃側とでは,攻撃側の方が攻め方の自由度が高く有利なので、それを防ぐには攻撃路が狭い地形を選ぶことが有効だという意味だ。城の構造に見られるお堀や城門などもこれに沿ったものだろう。この観点から考えると、今回日立が採った戦略自体は基本的に正しいように思う。(例外的に万里の長城という,城壁で囲って国全体を全方位で守ろうとした例もあるわけだが、これを作った国は一代で破綻している。)

 次に世の中の IT環境の変遷に鑑みると、こちらにも書いたように、ネットワーク速度の進歩はストレージの進歩より速いという事実がある。“ネットワーク端末”というと、かつてあったダム端末やX端末の世界を想像してしまいがちだが、その時代とはネットワーク,ストレージ,処理能力の均衡は様変わりしており、ネットワークの能力は他の I/F と比較して非常に高速になってきている。このことが、コンピュータの在り方を変えるということは十分に考えられることだ。
 また、確かにオフィスユースでは現在のパソコンの能力は過剰とも言え、これ以上の能力が必要ないかのようにも見える。特に、定型業務などにおいては,パソコンの持つ汎用性は無駄というより邪魔である場合も少なくあるまい。
 これらのことから、今回のニュースにある「パソコンからネットワーク端末へ」という方針自体は大間違いでないように思うのである。

 しかし、である。上記の考察には“時期”という概念が抜けている。ネットワークの速度が如何に向上し、HDDの速度に迫るようになったとはいえ、それは帯域を一人占めできた場合の話しだ。残念なことに、30万人もの人数で共有して利用できるような速度になるには、2008年を見据えてもなお時期が早すぎる。更に、そのネットワークの先に繋がっているサーバーのストレージの読み書き速度は依然として遅いままだ。したがって十分なパフォーマンスが得られなければ、守るべき情報を生産できなくなるという可能性もある。
 勿論、これらの課題を同社は把握しているだろうし、解決するための新技術もきっと投入されるのだろう。そして、現在のパソコンと同レベルの能力を紡ぎ出すようなソフトウェア・ハードウェア双方の洗練された工夫があり,既存のパソコンデータとの互換まで考慮されていれば、きっと市場にも受け入れられることだろう。それは驚きでもあるし、賞賛されるべきものだ。逆に、それを実現するために万里の長城のようなソフト・ハードが必要なようなら,市場には NO を突きつけられるだろうし、同社の社員も大変な苦難を強いられることになるだろう。

 加えて,仮に、そのシステムで2005年現在のパソコンと同レベルの作業が可能になったとしよう。だが、このシステムの配備が完了する頃には現在の32bitパソコンは命数が尽きつつある頃ではないか、というのが筆者の見解だ。
 確かに、現状の 32bit パソコンは終焉フェーズという太平の時代を迎えており、行うべき作業も追加すべき機能ももはや限られているように見えなくもない。だが、それは 15年という限られた32bit時代の末期だからこそ出現したIT元禄の所為、であるように筆者には見えてしまうのである。
 そして来るべき 64bit 時代への変革期は 2008年頃に始まり2011年頃までに起こると筆者は見ている。筆者には、この時代に果たしてどのような機能が常識化していくのか、皆目検討がつかない。同社は「64bit時代など来ないし、今後新しい機能は必要とされず,新しい業務も発生しない太平の世は続く」と読んでいるのかもしれないが、残念なことに筆者の手元にはそれを示すデータは無い。
 それだけに、マイコンやパソコンとも付き合いが長くIT業界の一重鎮たる同社からの今回のニュースに対して驚きを禁じ得なかったわけだ。確かに情報セキュリティに対するニーズが高まっている昨今,それを先取りすることは重要に違いない。だが、こちらで書いたように時期が悪いと時期尚早の幻となってしまうかもしれない。そしてその“時期”を決めるのは一企業ではなく,ハードとソフトの進歩がもたらす時流なのである。かの Windows ですらハードの進歩に対して影響をもたらさなかったことは、当サイトの各所で考察した通りだ。
 2010年頃にパソコンの能力や機能が一変するという筆者の観測が正しければ、同社は「システムの継続更新を行うか,パソコンに逆戻りするか」という決断を迫られることになるかもしれない。力を注ぐ時期の位相がπほどズレてはいないかというのが筆者の見解だ。64bit時代は30年と長く、その過程で出現するであろう真のIT元禄は32bit時代よりもはるかに長いのである。
 勿論、これ自体は一企業内において進行することなのであって、直接的には我々パソコン小市民には関係が無い。しかしながら、太平の32bit-IT元禄を謳歌している現在、64bit時代を占う試金石として非常に興味深い事案であると思う。案外、セキュリティということそれ自体が、64bitパワーの使い道の一つになってしまうのかもしれない。新春早々、色々と考えさせられたニュースであった。(8. Jan, 2005)

雑感へ

PC処世術トップページへ