PC処世術>>雑感>>

PC処世術 - 雑感:アクセス数で考える情報の受発信


 当サイト“PC処世術”の最初の雑感はサイトのアクセス数に関するもので、ちょうどカウンタが1万を示したときのものであった。それから約1年と少々が経過し、気が付くと当サイトのカウンタも10万の節目を超えていた。まずは、暖かい声援を下さった方々,当サイトに訪れて下さった読者の皆様に、厚く御礼申し上げたい。
 ここに至るまでの間に、当サイトではサイトのアクセス数に関する考察を行ったり、あるいはYahoo!のサーファーを呼ぶ呪文などについて研究しながら、ネットにおける情報発信の持つ意味についてあれこれ考えてきた。当サイトは筆者の備忘録的意味も大きいのだが、サイト上に自らの考えを書くからには,できれば多くの方に受信して欲しいと願うのが人情だ。そして、ネットに対するどのようなアクションが自らの情報発信とその流通にどう影響するのかを考えるにあたって、サイト運営というのはそれ自体が重要な情報源でもある。
 行きつくところ,情報を受信する相手は人間であり、発信者たる自分もまた人間だということが根底にあるように思うのだが、ここではその中身をもう少し詳しく考えてみることにしたい(興味ない方には申し訳ない)。

 まず、ネット社会に対して“どのくらい広く情報発信しているか”を示す指標の一つとして、サイトへの「一日当たりのアクセス数」があろうかと思う。この値が多ければ、当然多くの人々に高頻度で読まれているわけで,より広く情報発信していると考えられる。非常にドンブリ勘定ではあるのだが、平均的には次式のようなことだと思う。

 1日当たりのアクセス数 N = (読者数 M ÷ 閲覧周期 T) + 偶発アクセスα

 読者数Mが多ければ、当然アクセスも増えるだろうし,読者の方々がそれを短い周期Tで閲覧に来てくれればやはりアクセスも増えるだろうと言うことだ。また、“読者”とは別に,各種検索エンジンから偶発的に訪れる方も毎日おられるわけで、読者の方と偶発アクセスの和が1日当たりのアクセス数というわけである。
 さて、そうすると、「より広くに情報発信しよう」と思ったら,読者数を増やすか,閲覧周期を短くするか、偶発アクセスを増やすか、ということになる。そして、どの値を変えるかによって情報発信の方法(狭義にはサイトの宣伝方法)は全く異なる。(偶発アクセスはトラフィックエクスチェンジの類で簡単に増やせるが、意味が無いのでここでは論じないことにする)

 例えば、読者数Mは何によって決まるのだろうか。もちろん、発信しようとしている情報に対して潜在的に“興味を抱いている方の人数”,すなわち市場規模とでもいうものは重要だろう。したがって、サイトのアクセス数ということだけ考えれば、テーマの選定が重要だということになるかもしれないが、情報発信ということを考えると本末転倒である。
 そして読者数に対しては、市場規模に対して“サイトがどれだけ知られているか”という認知率も重要だろう。知られていなければ訪れて頂くことも無いというものだ。「だから宣伝こそ命なのだ」というのは、ここに根ざした意見なのだろう。だが、筆者の経験によると、殆どの“宣伝”は効果が無い。それは以前に紹介した分析の通りである。
 因みに、当サイトがどのくらい認知されているかということを見積もってみると,閲覧頂いた人数にして通算約3万人(2005.5月現在)ほどだ。カウンタに示される数字と比較すると随分小さいように思うが,大体普通にしているとそんな程度なのだろう。その内訳は大雑把に言って,検索サイト(Googleと Yahoo)経由で訪れた方が約20%、関連するサイトのリンクを辿っていらした方が40%、大型個人ニュースサイトで紹介されたときにいらした方が40%といったところである。
 その中にあって、当サイトには現在およそ 400〜500人/日ほどの読者の方がアクセスし、情報を受信されている。当サイトを認知して頂いた方の数に対して,興味を持ってアクセスして下さるのはせいぜい 1.5%くらいなのだが、その方々が筆者の意見に耳を傾けてくれる主たる情報受信者なのである。

 さて、次に閲覧周期Tはどうだろうか。読者の方がサイトを訪問する頻度は、おそらくサイトの更新頻度と置かれている情報の量で決まるように思う。更新頻度が高ければ当然閲覧周期は短くなるだろうし、あるいは掲示板システムのように多くの参加者が相互に更新し合う仕掛けがあっても閲覧周期を短くする効果があるだろう。
 あるいは、情報の量が十分にあればデータベースのように何度も閲覧することも考えられる。人間の記憶力は有限であるから、ネット上に存在する各種情報をさながら補助記憶のように何度もアクセスすることになるというわけだ。要するに、蓄積された情報はそれ自体が情報の流通に寄与する。勿論、当サイトは筆者自身にとっても考察の備忘録なのであり、自分で読み返してみることもある。当サイトのトップページはやや肥大化しつつあるが、それでも全てのコンテンツにアクセスできるようにしているのは、(自分自身が)読み返す際のアクセシビリティのためでもある。
 前述の読者の方々の中にも、このように蓄積された情報を閲覧しに訪問される方もおられるだろうから、蓄積した情報の量は読者の数自体にも影響しているのだろう。

 上記のようなことを考えて、結局は「“主たる情報受信者”である読者の方々にとって価値ある情報を提供する」ことの重要性を再認識した。さらにそこに加えて、情報発信というのは一時的・刹那的なものだけではなく,コンテンツの「蓄積」によって発信されつづける情報の時間積分値は大きいということを思い知らされた次第である。諺に曰く、継続は力なりということだろうか。当サイトの更新頻度を上げることは難しいが,細々と更新しながら一層の蓄積と,後に残して意味のあるコンテンツの充実を図って行きたいと思う。(29. May, 2005)

雑感へ

PC処世術トップページへ