edogawa's diary on 2002-2003 season #16.
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WHAT AN UNFORGETTABLE YEAR
2002 FINAL

 本日をもって、今年の日誌はおしまいである。私は2002年が好きだった。西暦の中ではいちばん好きかもしれない。そういうものが好き嫌いの対象になるのかどうかよく判らないが、好きだった。だから、あと数日で終わってしまうのが残念でならない。できることなら、来月は2002年13月にしてもらいたいぐらいである。こんなに忘れ難い1年は、過去を振り返ってもそうはない。「スリリングな1年」という意味では、絶後かどうかは判らないけれど、少なくとも空前ではあった。はらはら、どきどき、わくわくし続けた1年だった。

 自分の日誌をひもといてみると、『キャプテン翼勝利学』の執筆を開始したのは今年の1月7日である。この日から、私は「深川峻太郎」を一つの職業にしたわけだ。ライター稼業を12年やってきて、文章を書くことにスリルを感じたのはこれが初めてだった。自分への期待とマーケットへの恐怖が綯い交ぜになって、一時は頭がおかしくなりそうだった。今から思えば、何をそんなに怖がっていたのか判らない。初めての経験で、自意識過剰になっていたのだと思う。執筆中も、本の刊行後も、自分がいったい何者で何者でないのか、そんなことばかり考えていた。自分にとって重大なことが他人にとっては重大ではないと頭の片隅では承知しながら、自分の重大事で他人を振り回すのを止められなかった。申し訳ない勘弁してくれと思いつつ、肥大する自意識を抑えることができなかった。そういうことも含めての、はらはら、どきどきだった。家族や友人や仕事関係者に、迷惑をかけたり不愉快な思いをさせたりしたことも多々あったと思う。なので、ここで謝っておきます。すまん。許せ。

 で、私がそんなスリルを味わえたのは、もちろんワールドカップのお陰なのだった。自国でワールドカップが開催されるからこその企画だったからだ。ワールドカップがなかったら、深川峻太郎なんて奴は存在していないのである。大会閉幕後、いろいろな人がいろいろな形でワールドカップの意味や価値について語っているが、私にとってワールドカップはそういうものだった。それだけではないが、それを抜きに私のKorea/Japanは語れない。その意味で、私のKorea/Japanは大会の開幕前、自著が書店の棚に並んだ時点で終わっていたとさえ言えるだろう。私のKorea/Japan。あなたのKorea/Japan。誰かのKorea/Japan。ワールドカップは人の数だけある。ブームに背を向けて1試合も観なかった人にも、ワールドカップはあった。間違いなく、それはそこにあった。

 ワールドカップが終わると、ネスタがラツィオからいなくなった。哀しかった。でも、新しいラツィオは私を(試合でも経営面でも)はらはら、どきどき、わくわくさせてくれるチームになっていた。嬉しかった。仕事のほうでは、秋に出す予定だった第2作の企画がドタキャンになった。哀しかった。でも、「またチャンスは来るさ」と励ましてくれた友人の言葉どおり、サッカー雑誌から私をはらはら、どきどき、わくわくさせてくれる話が舞い込んできた。嬉しかった。

 6年前、私は自分のウェブサイトをBIG INNING PROJECTと名付けた。半ば冗談、半ば本気で、ここを本拠にライターとしての新しい方向性を見つけ出せないものかと漠然たる夢想を抱いていたわけだが、そのネーミングからして、当時はサッカーのことなんかまったく念頭になかったことがよくわかる。野球じゃん、BIG INNINGって。だが、98年フランスワールドカップを境に、ここはすっかりサッカーサイトになってしまった。やはりワールドカップがきっかけだったのである。もっとも、4年前にこの日誌を書き始めたときは、サッカーが仕事になるなんて夢にも思っていなかった。ただひたすら、書かずにはいられないという衝動だけがあった。世間的には取るに足らないかもしれないが私にとってはビックリするほどBIGなINNINGになった1年を振り返ると、いかにこのサイトが自分にとって大切なものかということを改めて感じずにはいられない。だから、この日誌は来年も続く。続けることが大事だ。読むほうも大変だとは思うが、どうか読み続けてほしい。読み続けることで、私を支えてほしい。頼む。

 ともあれ、この1年のご厚情に深く深く深〜く感謝。
 2003年が、皆様にとって幸福で忘れ難きものになりますように。
 




2002.12.27.Fri.
14:40 p.m.

 きのうは大はしゃぎでブロードバンドを走り回り、ヤフーのニュースなんかもガンガン読んでいたのでそういう事件が起きたことは知っていたのだが、スポーツ紙の1面トップになるほどの騒ぎになっていたとは知らなかった。京都の信金立てこもり事件である。犯行予告ビデオがテレビで放送されたというから、世間の会社やご家庭はその話題で持ちきりだったに違いない。すっかり乗り遅れた。地上波のニュースを見ない生活をしていると、こういうことになる。

 しかしその騒動(さほどの騒動ではなかったのかもしれないが)は何が作っているかというと、ニュースに主観的な軽重をつけて報じるメディアがこしらえている面が大きいのではないか。扱い方に軽重の差があまりない(つまり「1面」とか「大見出し」とか「興奮した現場レポーター」とかがない)ヤフーのニュースで見ているかぎり、この事件は「よくある取るに足らない事件」としか感じられなかった。私の感度が鈍いだけかもしれないけど。

 いずれにしろ、インターネットやCS放送や大容量HDビデオの普及は、共同幻想としてのメディア体験(と、そこから生まれるテレビ世論)を確実に薄めていくと私は思っている。あなたが当たり前に見ているものを私が当たり前に見ているとは限らない。昨夜のテレビの話題が、お天気の話題のように挨拶として使えるとは限らない。そういう世の中になるはずだ。それが、久米や筑紫やワイドショーやバラエティ番組や巨人戦に代表される地上波ワールドから遠く離れて暮らす私の実感である。

 いま読んでいる(まだ読み終えてはいない)『模倣犯』にも、メディアに登場することで自己愛を満たす人間が登場するが、この手のいわゆる劇場型犯罪はだんだん成立しづらくなるのではないだろうか。犯人が全世界を相手にしているつもりで生放送中のテレビ番組に電話をかけていても、実のところ、それを聞いている人間は「サッカーマニア」や「アニメおたく」や「宝塚マニア」と同じ規模の「事件マニア」だけだというようなことになったら、社会的なインパクトもへったくれもないからである。2ちゃんねるに行けば、その事件について誰かが熱心に語り合っているだろう。しかし、それと同じ数の人間が、同じ時間に、たとえば中谷彰宏の文体をめぐって論争を繰り広げたりしているわけだ。そら犯人だって虚しいっつうの。

 これはつまり、テレビやラジオや全国紙がなかった時代と同じ状況である。マスメディアが未熟だった時代、人々は身近な共同体の内部で濃密な情報空間を築いていたことだろう。それがマスメディアの肥大によって崩壊し、いわゆる「大衆」というものが誕生したわけだが、さらに発達したメディアがその「大衆」を改めて分散させようとしているのは皮肉と言えるかもしれない。これからは、空間的な制約を受けない「テーマ別の共同体」がそこここに立ち現れる。どの共同体に加わるかは、自分で決めなきゃいけない。だから私たちは自立しないとイカンのである。

 で、ゆうべ私は京都の信金のことなんかそっちのけで、バレンシア×ラ・コルーニャ(リーガ第15節)をビデオで堪能していた。0-1でアウエーのデポルが貴重な勝ち点3をゲット。唯一のゴールは、プロップだかパロップだかテロップだかフリップだかという名前のバレンシアのセカンドGKが犯したミスから生まれたものだった。距離の出ないゴールキックほど危ないものはない。デポルの何者かがヘッドで右サイドのスペースに出したボールを、マカーイがドリブル。ミスを挽回しようとしたプロップだかパロップだかギャロップだかスキップだかが中途半端な飛び出しで失態の上塗りをして、股間を抜かれてしまったのだった。カニサレスの離脱後、何試合も無失点で切り抜けて評価が高まっていただけに気の毒だ。いや、だからこそのミスだったのかもしれない。クルマの運転も、慣れた頃が危ないっていうしね。一方デポルのGKファンミは、アイマールのPKを止めて勝利に貢献。両GKが明暗を分けたゲームだった。




2002.12.26.Thu.
14:45 p.m.

 ADSLの工事日なのである。まだ(9時40分現在)開通はしていない。スプリッターやらモデムやらをつないで、工事の完了を待っているところ。つまり、電話もインターネットも断たれた状況だということである。なんか、社会にコネクトしていないような心持ち。やみくもに窓を開けて「おーい」とか「ここだここだー」とか井の頭通りに向かって叫びたくなる。不安だ。はよ工事終わらんかなー。そもそも工事といったって、作業服を着たおじさんがここに来るわけではない。向こうで工事をしている。「向こう」がどこなのかは、よく知らない。ほんとうに工事なんかしているんだろうか。前述のとおり、ADSLが使用できなかった場合はデジタルからアナログへの工事費をドブに捨てることになるわけだが、実態が見えないと、余計に腹立たしく感じられるに違いない。客席から厨房の見えない料理屋で「ご注文のステーキを焦がしちゃったので、もう1枚焼きます」と店員に言われて、料金を2枚分払うようなものだ。だいたい私の場合、「デジタルをアナログへ」の意味がよくわかっていないのだから、ますます不信感が募るのである。「ステーキが焦げる」はわかるが、「デジタルをアナログへ」はわからない。具体的にどういうことなんだろう。デジタル回線をアナログ回線にするのって。デジタル時計をアナログ時計に作り替えるのと同じくらい大変なことな

 ……ツベコベ言ってるうちに電話がつながったのである(10時10分現在)。たしかに工事はしたようだ。さっそく接続試験。セットアップガイドを見ると、フレッツ・スクウェアという所に行けと書いてある。なので、行ってみた。行けた。おお。行けた行けた。わーい、わーい。ADSLが使えるということだ。すべては杞憂だった。だからといってNTT東日本を許したわけではないが、とりあえず、めでたしめで

 ……はええ。はええぞこいつ。でも、正直な話、腰抜かすほど速くはない。そういえばNTT東日本の担当者も、中継地点だか何だかから遠いので遅めになりそう、というようなことを言っておった。なので、「速度を確認」というページで速度を確認。結果は、「回線速度(平均)1.20Mbps」と出た。はあ。「下り」の最大伝送速度(12Mbps)の10分の1だ。ISDNの2倍ぐらいってこと? なんだかなぁ。ものすごく中途半端。しょせんIT革命なんてこんなものか。中継地点だか何だかに近い人はどんなスピードなんだろうか。平均2.0Mbps以下のユーザーはちょっと料金を割り引くとか、それぐらいの愛があってもいいと思う。

 しかしまあ、昨日までISDNを「フレッツ」にもしていなかった私としては、回線速度はともかく、「時間への課金」から解放されたのが何よりなのだった。95年の暮れにニィパッパのモデムを2ciにつなげて以来、7年目にしてようやく正しいインターネット生活が始まったような気がする。

 某社某氏より、ゴーストした本の重版通知。1日遅れのクリスマスプレゼントといったところか。わりと思い切った部数だったので、うれしい。プレゼントといえば、S社インターH氏からは、仕事の資料といっしょにカトリーヌあやこ『サッカーおばかさん』(新書館)という本が届いた。「息抜きにどうぞ」とのこと。どうもありがとうございました。息抜きが必要になるほど働いてはいないが、手にとってパラパラとめくる。3年チリ組サモラノ先生が「しぇからしかーッ」と叫んでジャンピングヘッドを放っている絵など見て、だはだはと笑った。なるほど。勉強になる本だ。勉強なのかそれは。




2002.12.25.Wed.
11:25 a.m.

 イブの寝床にて。
子「あー、ドキドキするぅ。サンタさん来るかなぁ。ぼく、今日はあんまりいい子じゃなかったからなぁ。え? 寝ないと来ないの? じゃあ、目ぇつぶってよっと。ぼく、いつもは目ぇ開けたまま寝てるんだけどな(※本人はなぜかそう信じているらしい)。サンタさん、ちゃんとお願いしたプレゼント持ってきてくれるかなー。あー。ノド乾いちゃった。お水ください」
父「おまえね、少し落ち着きなさいよ」
子「うー。ねえ、ホントに来る?」
父「さあな」
子「来なかったらどうしよう〜」
父「きっと来てくれるよ。去年も来たんだから。でも、ほら、サンタさんも忙しいからさ。たぶん、まだロシアあたりにいるから、日本に来るのはもっと後だな。北海道のほうから回るから、東京にはしばらく来ないと思う」
子「え。一人で地球中に配るの? 日本には日本人のサンタさんがいるんじゃないの?」
父「サンタクロースなんて名前の日本人はいないと思うぞ。たしかノルウェーだかスウェーデンだかあっちのほうからスタートして、一晩で世界中を回るのだ。そのために物凄いスピードで移動してるから、サンタさんは見えないのだ。見えないぐらい速いのだ」
子「……じゃあ、そろそろ日本に来るんじゃない?」
父「まだシベリアあたりだろ。いいから寝なさい」

 そんなわけで、サンタクロースは無事にカミング・トゥ・久我山。プレゼントはセガレの注文どおり、DX天空神である。ハリケンジャーに出てくるロボットだ。すでにゲットしている旋風神&轟雷神と合体して、天空旋風神、天空轟雷神、天雷旋風神の3タイプに変身するのだった。なんのこっちゃかわからんが、これは音が出ないのでありがたい。それにしても、父方の祖父母にはゴジラ関係、母方の祖父母には仮面ライダー関係、サンタにはハリケンジャー関係と、実にバランスの取れたオーダーである。イタリア料理のフルコースみたいだ。デザートはないけど。

 ゆうべは、ようやくラツィオ×ボローニャ(セリエ第15節)をビデオ観戦。さすがにインテル、ユーベとの連戦が堪えているのか、序盤は動きが鈍く、ボローニャに押し込まれる時間が多かった。しかし20分を過ぎたあたりから、可能性を感じるカウンターが出始める。31分(だったと思うのだが)、スタンコビッチとのコンビネーションで中央を突破したフィオーレが、パリュウカと一対一。持ちすぎて外しやがったが、ユーベ戦の2ゴールで全てを許した手前、そうそう目くじら立てるわけにもいかない。そんなこんなで、ボローニャも好調なだけに、前半はスコアレスで終わるかに思われた。

 しかーし。前半ロスタイム、ペルッツィのパントキックをセンターサークルで何者か(コッラーディか?)がヘッドで前線に送る。相手DFのクリアミスを拾ったスタンコビッチが華麗なスルーパス。電光石火の飛び出しで完璧に裏へ抜けたクラウディオが、これを冷静に決めてラツィオが先制したのであった。メリー・クリスマ〜ス。ゴール・パフォーマンスの新企画は、「4人並んでボート漕ぎ」であった。前から順番に、スタンコ、ピオホ、フィオーレ、ジャンニケッダ。先日の「せっせっせ」はイマイチ動きが合っていなかったが、今回はオールを漕ぐ4人の息がばっちりシンクロしていた。むかしJリーグでも流行った「ムカデ」の発展形だと思われるが、なかなかのオリジナリティである。なんだか、とっても、愉しそう。何ヶ月も給料もらっていないというのに。いや、給料をもらっていないからこそ、ああでもしないとモチベーションが保てないのだろう。人間集団をカネ以外の手段で結束させようと思ったら、「学生サークルのノリ」を持ち込むより他にないじゃないか。そう思うと、スタンコ君あたりは幹事長タイプに見えたりするのだった。

 だが後半、何者かにCKから極太のミドルシュートをブチ込まれて1-1のドロー。シメオネにフン切りの悪い消極的なプレイが多かったのが納得いかない。キエーザを30秒しか使わなかったのも納得いかない。なんでホームで勝てないかなぁ。ま、アウエー7戦全勝でホームでも勝ってたら、ホントに優勝しちゃうけどね。優勝かぁ。メンバーが離散さえしなけりゃ、十分に狙えるんだけどなぁ。しばらく、移籍情報から目が離せない。

edogawa's diary on 2002-2003 season #16.
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