edogawa's diary on 2002-2003 season #19.
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2003.01.29.Wed. 10 : 30 a.m.
BGM : J.S.Bach "Cantatas Nos.140 & 147"

 ゆうべ仕事をしていたら、9時半頃にゴンザレスから電話があった。なにやらゴーストの仕事を頼みたいというような用件だったのだが、話を終えて電話を切ると、11時近くになってた。このクソ忙しいときに、なに長電話してんだよ。原稿5枚分の時間を損失した。どうも彼とは半年に一度ぐらい、この規模の長電話をしているような気がする。

 何を話していたのかよくわからないが、ある装幀家が酒を飲むと人格豹変してお触りパブみたいなところにばかり行きたがるので大変だ、というような話がいちばん記憶に残っており、どういう脈絡でそんな話になったかというと、そもそも私たちは人間の「転落」について語り合っていたのだった。転落にも上には上があり下には下があるというようなテーマだったと思う。要するに「転落の相対性」みたいなことですね。わかったようなわからんような話だが、長電話なんてものはたいがい、わかったようなわからんような話をしているものである。私は、私の人生だって、たとえば高校時代に机を並べた人間の価値観に照らせば「転落」と見なされているかもしれない、というようなことを言った。ゴンザレスは、そういえば自分も昔べつの出版社に勤めていた頃、東芝で原発の部品か何か作っている高校時代の友人に「おまえの仕事がどんなにクダラナイかわかってるのか」と大真面目で言われた、というようなことを言った。なんでそんな話がお触りパブに行き着くのかわからないし、どこからそんな話になったのかもわからない。……そうだ。「世の中には信じられないようなバカが大勢いる」という話をしていたんだった。たぶん「バカの相対性」がいつしか「転落の相対性」に横滑りしたんだろう。まあ、そういうことだ。よくある話といえばよくある話である。

 そんなことより、『半落ち』だ。八塚さんがコラムで推奨していたこともあって、私は一昨日から読み始めたばかりなのだが、そう私が言っているのに、ゴンザレスは「つまんなかったよ〜」と言ったのだった。おいおい。まあ、文芸編集者でもある彼の評価基準はかなり独特なのであって、彼が「つまらない」と評したものが私にはおもしろかったケースがいくらでもあるのでどうでもいいのであるし、むしろ、彼にそう言われると余計に「読みたい」というモチベーションが上がるから不思議だ。あと、このあいだ取材で会ったとき、彼が「痩せた?」と言わなかったことに不満を表明したことがあったが、彼は彼で、私が急に痩せたのでビックリしたのだが、もしかしたら病気かもしれないから話題にしなかった、というようなことを言っていた。病気を心配されるほど痩せてもなお「太っている」というこの現実には戦慄を覚えずにいられない。

 以前メールをいただいたラツィオ好きでクリスマス嫌いなケーキ屋さんから、寒中見舞いメールをいただく。ありがとうございました。<クリスマス、正月が終わって気が抜けております。はぁ〜・・・なんて息付く暇も無くバレンタインデーだったりします。新作も作らなくては>とのこと。なるほど、どの業界にもそれぞれの事情ってものがあるんですね。ケーキ屋さんの視点で世界を見たことはなかったので、なんか新鮮である。東芝で原発の部品か何か作ってる人の視点で世界を見たこともないけど。そして、ゴーストライターの視点で世界を見ているのはゴーストライターしかいないということに、今更のように思い至ったのだった。世界は人の数だけある、のか?

 きのう、仕事上の必要から、ある専門用語についてもっと詳しく知りたいと思い、Googleで検索した。1件しかヒットしなかったので、そこに行ってみた。なんか専門的で難しい文章だなぁと思いながら読んだのだが、よく見ると、それはいま私がリライトしている本の著者が書いたものだった。結局、その著者の口述以上のことはわからなかった。何をやっているのか、よくわからない。長電話もそうだが、インターネットもときどき時間の無駄になる。




2003.01.28.Tue. 10 : 40 a.m.
BGM : J.S.Bach "4 Orchestral Suites" Musica Antiqua Koln

 私には立命館大学に知り合いなど(たぶん)いないが、きのう、立命館大学らしきアドレスから、"goldfish"というタイトルのメールが届いた。添付ファイルが1個ついている。見るからにヤバそうなので速攻で捨てた。こーゆーのが怖いんでしょ? それにしても、"goldfish"だ。捨ててみると、何だったのか気になる。ファイルを開くと金魚が現れて、デスクトップに糞を垂れ流してめちゃくちゃにしてしまうのかも。イヤだけど、ちょっと見てみたい。

 ゆうべは、アトレチコ・マドリー×ソシエダ(リーガ第19節)をビデオ観戦。コバチェビッチ、痩せたよねぇ。前に見たときと比べると、30ピクセルぐらいすっきりしたような気がする。痩せたというより、やつれた感じ。どうしたんだろう。「そろそろ負けるはず」の重圧? 「早いところいっぺん負けて楽になりてぇ」と呻いているように見えたのは私だけだろうか。しかし相変わらずソシエダには神様がついているようで、前半、ベスタフェルトがPKを阻止。阻止エダ。思いついたからってすぐに書くなよな。どちらも決定機の多いスリリングな展開だったが、0-0でハーフタイム。アトレチコのほうは、エメルソンの充実ぶりが目を引いた。一度でいいから、エメルソン、ダビッツ、ムサンパの3ボランチを見てみたい。実況者泣かせだ。

 後半の立ち上がり、右サイドからソシエダのクロスがゴール前を横切った瞬間に、アトレチコ守備陣の集中力にぽっかり穴が開く。逆サイドからの折り返しを、後方からカッ飛んできたタイフンが誰にも邪魔されずにゲットしてソシエダ先制。カルピンが不在でもタイフンみたいな控えがいるあたり、さすがに首位を走るチームは違うよな……と私がブツブツ言っていたら、愚妻に「またコラーディのこと思い出してるわけ?」と言われた。あーん、そんなこと忘れてたのにぃ。そうだよな。コラーディのバックアップもいないようじゃ優勝なんて無理だよな。

 しかし2分後、アトレチコもなんだかよくわからないがあっさりルイス・ガルシアが決めて同点。ソシエダの失点って、いつも拍子抜けするような感じだ。だが、どんなに間抜けな失点を食らっても、ソシエダは挫けないのだった。62分、右サイドからのクロスをコバチェビッチが成層圏ヘッド(大袈裟)で叩き込む。1-2でソシエダの勝ち。とうとう前半戦を無敗で折り返しやがった。ここまで来たらミラクルを見せてほしいぞ。

 ところで、例によってブルゴスは何はともあれ目立つ人だった。あの人は、たぶん、とにかく勇気を見せたい人なんだと思う。勇敢な飛び出しも多いが、勇気を無駄遣いしているとしか思えないプレイも多い。デ・ペドロの超ロングシュートを無意味に胸でトラップしたのがその典型だ。その勇気はいったい何の役に立つのか。「ぜったい、ブルゴスとベスタフェルトって仲悪いよね」という愚妻の言葉に、深く頷いた。お互い、相手の顔を見ただけで自分のライフスタイルを否定されたような気分になるに違いない。世の中には、2種類のGKがいるのである。

 引き続き、ビルバオ×レアル・マドリー(リーガ第19節)をビデオ観戦。ロナウドのほうは、また20ピクセルぐらい肥えたのではないか。でも、すげえスピード&切れ味。さらにストライカーに不可欠なツキもあって、ラウールが2度GKに阻まれたボールが足元に転がってきて先制ゴールである。しかしビルバオはがんばった。やはりバスクの意地や誇りみたいなものが後押ししているように見えた。ショートコーナーでマドリー守備陣を混乱に陥れ、ニアに飛び込んだ何者かがクライファートばりのテクニカル・ショットで同点。前節のアトレチコに続いて、紅白模様の兄弟チームがマドリーから奪った勝ち点4はソシエダにとって実に大きい。それにしても、このゲームの主役はビルバオのGKアランスビアだった。せっかくラウールを止めたのにロナウドにしてやられた失点は気の毒だったが、終盤にはお手玉&パンチ空振りのダブルミステイクであわやの場面も。なんで入らなかったのか不思議だが、たぶん、目の前にいたのがイエロだったのがラッキーだったんでしょうね。ピッポだったらぜったいに押し込んでいたと思う。ともあれ、アランスビアはあの一所懸命な感じがいいっす。「お人好しの伊良部」みたいな風貌にも好感が持てた。




2003.01.27.Mon. 10 : 30 a.m.
BGM : J.S.Bach "4 Orchestral Suites" Musica Antiqua Koln

 ゆうべは、ラツィオ×レッジーナ(セリエ第18節)をライブで観戦しなかったことにしたい気分である。スタメンにコウトの姿を発見したときから、イヤな予感はあったけど。後半の立ち上がり、スタムのパスミスを拾ったボナッツォーリをコウトが止められず、レッジーナが先制。そのまま0-1。うっそー。信じらんなーい。レッジーナがボローニャとラツィオをウノゼロで連破するなんて、現代のテクノロジーではまだ不可能だと言われていたのにぃ。サッカーは不可能を可能にするスポーツなのである。何をやってたんでしょうか、あの人たちは。眠てえゲームだったよなぁ。ゴール・パフォーマンスの相談ばっかしてっから、こういうことになるんじゃないのか。それにしても、コラーディ不在があんなに痛かったとは。そんなにみんながコラーディに依存していたとは知らなかったよ。でも、そんなことより、選手に9月分までの給料を払ってからおかしくなってしまったような気がする。学生サークル特有の「やみくもな熱気」がなくなった。半端な収入を手にしたことで、「スクデットより給料が大事」という至極ごもっともなことに気づいてしまったような感じか。人間の動機付けは一筋縄ではいかない。

 動機付けといえば、きのう、吉祥寺のジーンズメイトで1900円のズボンを買った。いい歳してジーンズメイトで1900円のズボンを買っている場合なのかという問題はともかくとして、それが何の動機付けになるかというと、もちろん減量である。このところ体重がむしろ増え気味なのは、すっかりウエストのゆるくなったズボンのせいで油断が生じ、「痩せた」という事実にばかり目が向いて「太っている」という現実を忘れがちだったためだということに気づいたので、ウエストややキツめのズボンを買ったのだった。ナイスな作戦だ。いま履いているが、身も心も引き締まる感じ。そんなことより、仕事のモチベーションを上げなさいよ。うっす。




2003.01.25.Sat. 14 : 40 a.m.
BGM : Norah Jones "come away with me"

 ようやく昨日、リライトしている書籍の第1章(40枚)を仕上げて担当H君に送稿。今月中に全部で400枚ぐらい書く予定だったのに、やっと1割だ。ひどい。ひどすぎる。横浜出身のH君が、久保とカフーのFマリノス入りで「磐田に続く完全優勝という至福の妄想」にうつつをぬかしてくれていたからよかったようなものの、そうでなかったら今ごろ半殺しにされていたかもしれない。私が今こうして生きているのも久保とカフーのお陰だ。それにしてもカフーは楽しみだなカフーは。何が楽しみって、テレビでインタビューを聞くのが楽しみだ。願わくば、ニッポン随一のハイノート・ヒッターである中山と掛け合い漫才でもやって、どっちの声がより甲高いか比べてみてほしい。そんなことより原稿だ。まだ女優対談も書いてないんだった。担当ゴンザレスが何かにうつつをぬかしていることを期待したい。

 月刊『サッカーズ』3月号をぱらぱらめくっていたら、映画『ゴジラ×メカゴジラ』に倉敷さんが3秒もご出演なさっていたことがわかって驚いた。愚妻はセガレと一緒に観たはずなのに。そんなこと言ってなかったよなぁ。まさかゴジラの中に入ってらしたわけではあるまい。その場合、3秒じゃ済まないし。私も観に行けばよかった。どんなシーンだったんでしょうね。ひょっとして、ゴジラ×メカゴジラ戦の実況? いやぁ、いまの火炎放射は決めておきたかったですよねぇ、幸谷さん。そうですねぇ、まあ、メカゴジラは機械ですから。……ご無礼いたしました。




2003.01.24.Fri. 09:50 a.m.
BGM :
http://www.beatlesarama.com

 昨日のシャーロック遊びがあんまり面白かったので、こんどは同じ例文を英語からイタリア語に翻訳し、さらにイタリア語からフランス語、フランス語からドイツ語、ドイツ語から英語に翻訳した上で再び日本語に戻してみたら、ますます凄まじいことになってしまった。入口(日本語→英語)と出口(英語→日本語)は昨日と同じなのに、こんなに違うとは。もはやこれは現代詩ではなく、超最先端の哲学的観念論だ。やはりドイツ語を挟んだのがポイントだったのかもしれない。


 それは雪である。小さいべきべきによって権利から漸進的彼が実質の外面にtransformarsi を保ち始めた自転車との仮の教育で挑んでいればそうであれば、外側を受け取るために完全におそらくある。それが自転車によって概念で意識するように、それなるために作用すれば、吹雪が彼であるところに、正常な雪が付いている表面の方のライニングは不合理だった。相対性より少数でそれは有名、意味するこれをである。それはそのような問題、脛骨私達でない。

 どうしても脛(すね)の話をしたいようだ。外国人と通訳を介して話すときは、うっかり「そうですね」と相槌を打たないよう気をつけたほうがいいと思う。話がややこしくなっていけない。しかし、こっちのほうが昨日のやつより説得力があるような気がするから不思議だ。とくに「仮の教育で挑んでいればそうであれば」とたたみ掛けてくるあたりに、並々ならぬ熱意を感じる。ヨーロッパ大陸おそるべし。もっとも私としては、表面のライニングが不合理だったことを昨日の日誌で言いたかったわけじゃないけどね。いや、もしかしたら私の無意識はそう言いたかったのだろうか。自信がなくなってきた。

 ともあれ、稲本、ゾラ、アンリ、ハマン、ベッカム、戸田という順番で「プレミア伝言ゲーム大会」をするとこうなる、ということである。そういう問題じゃないで脛。カヌかババヤロも参加させたいところだが、翻訳メニューにナイジェリア語がないのが残念だ。ナイジェリア語というものが存在するのかどうか知らないが。

 それにしても、どうして「小降り」が「小さいべきべき」になってしまうんだろう。日本ではしんしんと降ったりどかどかと降ったりするが、欧州では雪がべきべきと降るのかもしれない。しかし、それは雪というより雪崩が木々をへし折っているのではないか。いずれにしろ、「べきべき」にはドイツ語が大きな役割を果たしているように思えて仕方がない。そこで、さっきの手順からドイツ語を抜いてやってみたら、こうなった。


 それは雪である。小さいべきでそれが右側得るためにおそらく非常にである間、次第に実質の外側の取得のtransformarsi と開始した自転車との予備の形成に直面したときに、ある。それが自転車によって作用するとき、吹雪がそれ表面の方のコーティングであるところに概念で意識するようにならないそれは正常な雪と愚かだった。相対性がそれ知られていなければ、そのような物を意味する。それは私達へそのような問題、脛骨でない。

 おお。「べき」が半減しているじゃないか。驚くべきことに、ドイツ語は「べき」をベキベキにしてしまうほどの破壊力を秘めていたのだった。やはりカーンにだけは首を絞められたくない。また、ドイツ語フィルターを取り除いただけで、文体もどこかへなへなした芯のないものになっている。いたるところに不屈のゲルマン魂を感じるのは私だけではあるまい。「右側」を「権利」、「次第に」を「漸進的」、「愚か」を「不合理」にして事を荒立てた犯人もドイツ語である。大丈夫なのか高原。

 さて、こうなるともう翻訳ごっこは止まらないのであって、試しに「君の瞳に乾杯」の名訳で知られる『カサブランカ』の"Here's looking at you,kid."というハンフリー・ボガートの台詞を日本語に翻訳させたら、

「ここにの子供見ている」

 などとワケのわからないことを言い出しやがったのだが、これにゲルマン魂フィルターをかけてみたら、

(英語→ドイツ語)"Hier betrachtet Sie, Zicklein."
(ドイツ語→英語)"Here, kid regards you."
(英語→日本語)「ここに、子供は見なす。」
 と、厳しい調子で決めつけられてしまったのだった。イングリッド・バーグマンもびっくりだ。おもしろいなぁ、ドイツ語。

 ついでに、各国語のフィルターをかけた"Here's looking at you,kid."の訳(英語→○○語→英語→日本語)も紹介しておく。いったい私が何をやっているのかわかってもらえているかどうか心配だが。念のため説明しておくと、この翻訳システムでは日本語は英語にしか翻訳できず、日本語に翻訳できるのも英語だけなので、いちいち英語を介さないとならないのである。


■フランス語&中国語
「ここにあなたの子供の一見」

■韓国語
「tah の端」

■ポルトガル語
「ここにそれはそれを、小さい見ている」

■イタリア語
「ここにそれはそれらをのkidskin 見ている」

■スペイン語
「ここにそれは彼のcabrito に見ている」

■ロシア語
「ここに、小さい1見る」

■ギリシャ語
「あなたにここに、子供検査する」

■オランダ語
「ここに検査すること、若く若い彼女ヤギ」

 韓国語はきっと何かの間違いだろうと思うが、こうなると国連とかそういう会議で同時通訳がどんなことになっているのか心配にもなるというものだ。完全に一致したのがフランス語と中国語という二大テクノクラート国家の言語だけだったのが興味深い。だが、やはり何と言っても、唯一「見る」を「見なす」と言い張るドイツ語の意志強固ぶりが際立つのだった。

 オランダ語もさすがだけどね。さすがって、どういうことだかよくわからんが、さすがだと思ったよ私は。なんちゅうか、こう、妙な妄想が膨らむっていうか。なにしろターヘルアナトミアの国だし。今夜は貴女をアナトミア。あぁん、ボギーったらぁ。ところが、そのオランダ語(Hier bekijkend u, jong geitje.)を英語→ドイツ語→英語→日本語と訳してみると、「彼らは、若い若者彼らヤギここに点検する」になるから不思議でたまらない。オランダ語とドイツ語は、お医者さんごっこと徴兵検査ぐらい違うのである。仲良くしろというほうが無理だ。

 ちなみに「君の瞳に乾杯」を日本語から英語に翻訳すると、「Toast to your pupil」となり、これをさらに日本語に戻してみたら「生徒へのトースト」になった。ボギーを給食係にしてどうする。たしかに「pupil」を辞書で調べたら「生徒」と「瞳」の両方があるようだが、なんか、わざとやってんじゃねえのかって気がしてきたぞ。ところで『二十四の瞳・英語版』のタイトルは、"24 pupils"なんでしょうか、それとも "12 pupils"なんでしょうか。




2003.01.23.Thu. 11:30 a.m.
BGM : 矢野真紀 "幸せな夜 儚い時間"

 雪である。小降りなので大丈夫だろうと自転車で幼稚園に向かったら、だんだん本格的な降り方になってきて参ったです。ふつうの雪でも、自転車で走っていると顔に向かって吹雪いてくるということに気づかなかった私がバカだった。相対性理論を知らないと、こういうことになる。そういう問題じゃないですね。

 MacにSherlockというソフトがついていて、何だかわからないので今まで触りもしなかったのだが、ちょっと触ってみたらネットに接続して翻訳ができる(他にもいろいろできる)ということがわかったので、上の文章を英語に翻訳させてみた。


It is the snow. Being to be the small getting off, that it probably is all right, when it faced to the preschool with the bicycle, gradually it started becoming the real getting off, is. When it is running with the bicycle, I who do not become aware in the notion that where the snowstorm it is facing toward the face was foolish even with the normal snow. Unless relativity is known, it means such. There is no such problem, the shank.

 さらに上の英文を日本語に翻訳させると、こうなる。


 それは雪である。自転車を持つ幼稚園に直面した時、小さい得ることがあることがあるそれによってがおそらく順調であるそれ、次第にそれ実質に得ることになり始めたある。それが自転車によってランしているとき、I は吹雪が表面の方にそれ概念でこと気づかない表面仕上げであるところに正常な雪と愚かだった。相対性が知られていなければ、そのような物を意味する。そのような問題、すねがない。

 伝言ゲームなのかそれは。誤解の連鎖って、ほんとうに恐ろしい。いったい誰がすねの話をしたというのだ。さてはおまえ、大馬鹿野郎だな。でも、これを使うと、アバンギャルドな現代詩が大量生産できそうな気もする。上の文章も、『それ概念』というタイトルの詩だと思って読むと、かなり深いのだった。「それが自転車によってランしているとき、I は吹雪が表面の方にそれ概念でこと気づかない表面仕上げであるところに正常な雪と愚かだった」ほど前衛的なセンテンスを、私はいまだかつて見たことがない。嶋田久作あたりに薄暗い舞台の上で朗読させる(しかもクレッシェンドしながら3回繰り返す)と味わい深そうだ。で、この文章の著作権は誰にあるんだろうか。

 忙しくてサッカーがぜんぜん見られない。だが、忙しいのは自業自得なのでしょうがないのである。ようやくスランプは脱したような気がするものの、カレンダーを見ると絶望的な気持ちになり、辛抱強く待ってくれている人に対して死ぬほど申し訳ないと思うのだが、申し訳ながっているだけでは何も生まれないので、ひたすら書くしかないのだった。編集者にも家族にも迷惑かけっぱなしの毎日だが、今までもこれからも、私の場合は原稿を書くことでしか何も埋め合わせられないのである。書けば必ず埋め合わせられるわけではないけれど、書かなきゃ何も始まらない。だから、鬼のように書く。たぶん、矢野真紀は歌わなきゃ何も始まらない人なんだろうなぁ、などと昨日から彼女のデビューアルバムを繰り返し聴きながら思ったりした。




2003.01.22.Wed. 21:50 p.m.
BGM : 矢野真紀 "幸せな夜 儚い時間"

 おいおいアップしてんじゃん。

 ……と、1日100人に突っ込まれてこそ、減量状況を公開した意味があるというものである。その屈辱と羞恥をバネにするのだ。ちなみに、もう一つ、減量モチベーションを高める材料としてよく知られているのが「着られなくなった洋服が着られるようになる」であるが、これはすでに一部達成している。さっき、仕事場の押入に死蔵されていた10年前のスーツを引っ張り出して着てみたら、ジャストフィットだったのでうれしかった。なにしろ私が過去に購入した洋服の中でもっとも高価なものだけに、とっても得した気分。さらにベルトの穴1つ分ぐらい痩せれば、あと2着ぐらい着られるようになるだろう。問題は、そんなにスーツを着る機会がないということなのだが。押入を漁っていたら、むかし使っていたネクタイも大量に出てきた。それぞれあと1回ずつ使って捨てたとしても、5年は持つと思う。




2003.01.21.Tue. 23:45 p.m.
BGM : Alan Parsons "ON AIR"

 異例な時間帯の更新が続いている。いったん帰宅してセガレとの入浴&晩飯を済ませてから、また仕事場へ。そんな毎日。意外に手間取ってしまった大物代議士の対談原稿40枚を、いま書き終えたところである。送稿してゴンザレスに電話したら、女優対談のほうも25日までに上げろとのこと。あー。放心の23時。

 えーと、うやむやになっている広島弁問題はうやむやにしようと思ったのでうやむやになっている。むにゃむにゃ。まあ、そういうこともあるわいな。要はちょっとした誤解の連鎖みたいなもんだったっちゅうことやろね。説明する能力と体力がないんで、もろもろ水に流してください。ごめんなさい。

 ラツィオはウディネーゼに勝った。ゆうべは眠くて2-1になるまでしか見ていられなかったが、2-1で勝ったみたいだからそれでいいや。それでいいのか。あの1点目のゴール・パフォーマンスはいったい何だ。言葉ではうまく説明できない。片手をチョップの形で眉間に当てて体をくねらせていた、という言い方でいいのだろうか。ぜんぜん意味がわからないが、そーゆーのが今イタリアで流行っているのかもしれない。あえて名付けるなら、「くねくねチョップ」かな。少なくとも、「チョップくねくね」ではないと思う。いずれにしても、深夜に38歳の男が書くような言葉ではないが。でも、もう一度書きたくなるから不思議だ。くねくねチョップ。チョップくねくね。やっぱり、くねくねチョップだろう、この場合。センシーニが老け込んでいた。このあいだ愚妻がテレビで何かの拍子に「最近の不破万作」を目撃したらしく、「老けちゃって、あれじゃセンシーニに見えない」と言っていたが、不破万作が老ければセンシーニも同じだけ老けるのは考えてみれば当然のことだった。

 ま、今宵はこんなところで。ふがー。




2003.01.20.Mon. 21:50 p.m.
BGM :
http://www.smoothjazz.com

 14時から18時まで、フォーシーズンズホテルで対談取材。フォーシーズンズには初めて行ったので、江戸川橋の駅からあんな坂道があるとは知らなかった。きついっす。おまけに録音用のテープと乾電池を忘れてしまい、ゴンザレスに「余計に持ってる?」と甘ったれたことを訊いたのだが、「江戸川さんが持ってくると思ってギリギリしか用意してない」と甘ったれたことをいうので、ホテルの従業員に「近くにカセットテープと電池の買えるところはないか。たとえばコンビニとか」と訊いたら「コンビニは江戸川橋の駅まで行かないとないんです」と厳しいことを言われて、また駅まで往復したのだった。汗かいたわ。まあ、減量には有効だからよしとしよう。3年ぶりぐらいに会ったTさんに、のっけから「痩せた?」と言ってもらったし。大威張りで3ヶ月で10キロ落とした話をしたら、「ああ、病気じゃないんだ」とも言われましたけど。たぶん、病気ではないと思う。対談は、某清純派(?)女優といつもの大物作家。綺麗でした。やっぱ、どうせ会うなら大物代議士より女優だ。

 きのうは、第4回ジュニアクラブカップ(年中さんの部)を生観戦。昨年暮れに延期になっていた、セガレの公式戦デビューである。としまえんの敷地内にあるグラウンドは、とても寒かった。しかしロコモティブ・モスクワやディナモ・キエフのサポーターは、もっと過酷な環境で戦っている。あれしきの寒さに負けてはいけない。参加チームは24。これを8チームずつの3ブロックに分けて、それぞれトーナメントを行う(つまり優勝チームが3つ出る)仕組みである。優勝チームには金メダル、準優勝チームには銀メダルが授与されるというのだから、親子ともどもモチベーションも上がるというものだ。セガレは「ハ」ブロック(イロハの「ハ」ですね)の黒チーム、ゼッケン5番。メンバーは7人だが、そのうち2人は高井戸西SCの選手ではなかった。人数を揃えるために、混成チームになっているのだ。

 ボビー君は、その2人のうちの1人である。集合した黒チームの中に彼の姿を発見した私の脳裏には、たちまち金メダルがちらついた。だってボビー君は、ペレの幼少時もかくやと思わせるような風貌だったのだ。一緒にいたお母さんは日本人だったが、たぶんお父さんが黒人なのだろう。ものすごーくサッカーうまそう。これも偏見といえば偏見ですが、まあ、それが藁をもつかむ思いで「勝利の根拠」を求めている者の人情というものである。勝った、と思った。

 しかしながら、黒チームの試合の前に行われた「ハ」ブロックの第1試合を見て、いきなり前途に暗雲が立ちこめてしまった。ピンクチームが圧倒的な強さを見せている。キーマンは3番だ。この年代で「サイドからクロスを入れる選手」を見たのは初めてだった。それだけではない。すばらしいスピードと巧みなドリブルで攻め上がり、この年代特有の密集にぶつかりそうになると、その脇にあるスペースを見つけてボールを出し、自らそれをゴール前まで運んでいく。さらに、目を見張るほどの決定力。右45度からのミドルシュートを決めたかと思えば、次は左サイドの角度のないところからクロス気味のキックをゴールにねじ込んでみせる。私を含めた多くの親たちの視線が、「ピンクの3番」に釘付けになっていた。誰もが「小野って、こんな子供だったんだろうなぁ」と思ったに違いない。

 だが、案ずることはない。なにしろ黒チームにはペレがいるのだ。小野なんて目じゃないっすよ。私がそう自分に言い聞かせているうちに、黒チームの一回戦がキックオフ。相手のビブスが何色だったかもはや思い出せないが、とりあえず青ってことにしておこう。しばらくセガレのプレイを見ていなかったが、この日はずいぶん積極的に見えた。あまり遠慮せずに、密集へ突っ込んでボールに触る姿が目立つ。前日の夜、「明日、ゴールできたらいいなぁ」と本人が言うので、父親が「ゴールは、ゴールしたいゴールしたいと強く思ってる奴だけができるんだ」と精神論で(逃げの)説諭をしたせいかもしれない。

 セガレを含めて、黒チームはなかなかアグレッシブな戦いぶりを見せていた。エース格のヒカル君も、調子が良さそうだ。私が勝手に「高井戸西のルイス・エンリケ」と呼んでいるシャドー・ストライカーのマサシ君も、抜け目のないプレイを見せていた。しかし、ふと見ると黒チームのゴール前にGKの姿が見えない。おいおいガラ空きだよ、誰なんだ誰なんだ今GKやってんのは。

 ボビーだった。ふらふらと前線に出ていったボビーが、先生に手を引かれてゴールに戻されている。だめじゃないかボビー。どうやらボビーは、まだサッカーの仕組みがよくわかっていないようだ。もう一人の助っ人ダイスケ君も、ボールへの寄せは早いのだが、なぜかボールを持った味方の前に敢然と立ちはだかってしまうことが多い。ときどき先生に「ダイスケ、ゴールはどっちだ?」と訊かれて「あっち」とか答えている。助っ人に期待した私が間違っていた。やはり高井戸西のオリジナルメンバーで何とかするしかないようだ。

 そうこうしているうちに、前がかりになったスキを突かれてカウンターを決められ、青チームが先制。嗚呼。ベルギー戦でウィルモッツに決められた先制ゴールと同じくらいショックだった。あんなにヘコむとは思わなかった。だが黒チームは意外に逞しかったのである。ものすごく興奮していたので誰が決めたのか忘れてしまったのだが、怒濤の波状攻撃で連続ゴール。あっさり逆転だ。1-1の時点だったか2-1としてからだったか覚えていないが、セガレもすばらしいシュートを放っていた。密集からのこぼれ球に真っ先に追いついて、ミドルレンジから右足でジャストミート。ものすごく贔屓目に見れば、ちょっと稲本みたいだった。父さんは、そういうプレイを待っていたぞ。GK正面を突いてしまったが、惜しかったよなぁ。さらに前半終了間際にはGKを務め(試合中もローテーションでGKが変わるのだ)、緩いシュートを右足で大きくクリア。「手で取る」という選択肢もないわけじゃなかったが、いいキックだった。先生にも「ナイスキーパー。かっこよかったぞ」って褒められてたしね。そんなわけで前半は2-1。後半も1点を追加した黒チームが、3-1で準決勝進出である。試合を終えて戻ってくるときに、セガレがあんなに嬉しそうな顔をしているのを初めて見た。試合に勝ったことに加えて、自分でも納得のいくプレイができたという手応えを感じているように見えて、私も嬉しかった。

 などと感慨に浸っている暇もなく、インターバルなしで準決勝がキックオフ。過酷な日程だ。しかしクジ運には恵まれ、相手はピンクではなく赤だった。どう見ても年少さんとしか思えない体格の子が多い。勝てそうだ。実際、黒チームは終始ボールを支配し、前半と後半に1点ずつ決めて2-0。楽勝楽勝……とふんぞり返っていたら、終盤に1点返されて慌てました。サッカーの2-0ほど怖いものはないことを忘れていた。すっかり怖じ気づいた私が、タッチラインの外で自分の腕時計を指さしながら「笛はまだなのか審判!」と叫んだことは言うまでもない。そういう形でしか試合に関われない自分が歯がゆかった。しかし赤チームの猛攻は実を結ばず、2-1で黒チームの逃げ切り。タイムアップの笛が、ロシア戦と同じくらい嬉しかった。

 これで銀メダル以上が確定。「せめて1勝」が悲願だった私としては望外の結果だ。しかし、「決勝はボーナス」とはどうしても思えなかった。たぶん、世界ユース@ナイジェリアのときも、選手たちの親はスペイン戦がボーナスだなんて微塵も思っていなかっただろう。私は完全にムキになっていた。セガレを、というより、ひたむきなパフォーマンスを見せてくれている黒チームの連中を勝たせてやりたい、と思った。

 相手はもちろん3番率いるピンクチームである。試合前、私はセガレの肩に手を置いて3番を指さし、「あいつを自由にさせるな」という意味のことをセガレに理解できる言葉で伝えた。そんなことよりも自分のプレイを楽しむことが大事なので、今は余計なことを言ってしまったとちょっぴり後悔しているが、そのときは言わずにいられなかったのである。だって決勝戦なんだもん。勝ちたかったんだもん。

 でも、歯が立たなかった。セガレは、どうやら先生の指示で、味方の攻撃時も自陣に残って守備を固めていたが(先生も勝ちたかったんだろう)、3番にあっさり抜かれていた。あんなドリブル、俺だって止められねぇや。だいたい、ピンクチームは先生の指示からして他のチームとは次元が違う。コーナーキックを蹴ろうとしている3番に向かって、「ユウタに合わせろ!」と指示が飛ぶようなチームに勝てるはずがない。なにしろこっちは、まだ「パス」という概念さえないのだ。冗談じゃねぇぞコラ。

 結局、3番に3試合で3度目のハットトリックを決められて0-3である。でも、この敗戦で黒チームが披露した全員サッカーの価値が下がるわけでは決してない。最後は、ヒカル君が意地のスライディングタックルで3番からボールを奪うシーンも見られた。マサシ君の勇敢なドリブル突破もあった。セガレも諦めずに3番に食らいつき、相手の自由を奪うことが何度かあった(ような気がする)。立派な準優勝だ。「ハ」ブロックの最強チームはピンクだったが、最良のチームは黒だった。少なくとも私はそう思う。正直、感動した。5歳児のサッカーでこんなに興奮できるとは思わなかった。コモ×レッジーナ戦の百倍おもしろかった。それより何より、銀メダルを首からぶら下げたセガレがとても満足そうな表情を浮かべていたことが嬉しい。スポーツっていいなぁ、と改めて思った。春の大会では、さらに成長した高井戸西SCが見られることだろう。願わくば、あの3番がいないブロックに入りたいけれど。

 大会終了後、としまえんで夕刻まで遊んだ。おびちゃんと一緒に観戦に来たヤマちゃんと、キックターゲットで勝負。3×3=9分割されたゴールにいくつ命中させられるか、という例のアレである。レートは1点500円。12球蹴って、ヤマちゃんは4点。私は7点で1500円儲かった。ヤマちゃんに賭け事で勝ったのは何年ぶりだろうか。二重の喜びに浸れた、良い日曜日であった。

 そんなこといちいち知らされても読者だって困るだろうとは思うのだが、自分を追い込むために、先週末からあえて減量状況を公開している。さらに今日からは、プリングルスマークの幅が100グラムあたり1ピクセルずつ増減するシステムになった。目標体重達成時(つまり現状マイナス60ピクセル)は、こんな感じだ。

未来の江戸川





 ちなみに今回の減量を始める前(つまり現状より10キロ多い状態)はどうだったかというと、これはすごいぞ。

過去の江戸川





 確認のため、もう一度、両者を比較してみましょう。



すっきり




ぼよよ〜ん




すっきり




ぼよよ〜ん





 うー。効くなぁ。ぜったい元に戻りたくないと思うもんな。




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edogawa's diary on 2002-2003 season #19.