edogawa's diary on 2002-2003 season #20.
| #19 | home | backnumber | fukagawa | mail | #21 |

■このページは

Internet Explorer 5.2 for Mac
Netscape 7.01
Netscape Communicator 4.7
iCab 2.8.2

などで表示確認をしています。極端に表示がおかしいようでしたら、ご連絡ください。極端に文章がおかしい場合も、ブラウザーとは関係ないですが、ご連絡ください。極端に筆者の頭がおかしいと感じた場合は、アクセスを中止したまえ。




2003.02.05.Wed. 10 : 20 a.m.
BGM : Chick Corea "TAP STEP"

 某K社から、リライトした某書の重版通知。やった。3刷だ。わっしょい、わっしょい。3刷っていう言葉を久しぶりに聞いた。もしかしたら2年ぐらい聞いていなかったかもしれない。3刷までいくと、「売れてる」って気がするよな。なにしろ初刷が減ってっから、2刷でようやく昔の初刷部数ぐらいだもんな。はぁ。せつない。しかし今回は2刷5000部、3刷8000部と近年にない勢いを感じる。……あ、おまえ、いま、失笑したろ。それで「売れてる」かよって思っただろ。あのね、これでもけっこう立派な数字なんですよ、この世界では。ハリー・ポッターとかそーゆーのは、ちがう種類の商品なんです。本は「マス」メディアじゃないんです。3刷までいったって、テレビの視聴率に換算したら……えっと……計算し始めたら気が遠くなってきたのでやめた。

 ゆうべ10時頃に帰宅したら、食卓に愚妻の書いたメモが置いてあった。「R太郎と一緒に寝てます。ラツィオ観るなら起こしてください」。こんな家庭があるでしょうか。ラツィオ戦を観ないなら夫に用はないから寝かせとけ、ということである。そんなわけで愚妻を起こし、月曜深夜に録画放送されたキエーボ×ラツィオ(セリエ第19節)をやっとのことでビデオ観戦。CL出場権争いの直接対決を月曜深夜って、それは私への嫌がらせなのか。どうなんだスカパー!。なんでATOK15って、私が単語登録したわけでもないのに、「すかぱー」と打っただけで「スカパー!」って変換するんだろう。「わらっていいとも」と打っても「笑っていいとも!」にはならないのに。不思議だ。もっと不思議なのは、ラツィオに新加入選手がいたことである。出て行く心配はしていたが、入ってくるとは思ってなかった。どうして給料払えないチームに移籍してくるんだ? しかもいきなりスタメンだ。名前は、えーと、なんだっけ。ラゼティッチ? ちがう? 誰だおまえ。どっから来た。ちょっと免許証見せてみろ。そうか。キエーボから来たのか。ご苦労ご苦労。誰でもいいから、とにかくがんばれ。

 ラゼティッチはわりとがんばっていた。新参者だからかもしれないが、なかなか誠実なプレイぶりだ。バルカン方面の人にしては真面目な感じである。前半7分頃には、クラウディオか誰かとのワンツーで惜しいシュートも放っていた。その後もラツィオは前節の体たらくを忘れさせる雰囲気で攻めていたのだが、なかなか入らん。「これはイタダキでしょう」と余裕ぶっこいて見ていたクラウディオのループシュートも、クロスバー。跳ね返りもフィオーレの前に落ちてこず、ツイていない。っていうか、フィオーレたくさん着すぎ。なに着ぶくれてんだ。それがサッカーやるカッコか。などとブツブツ言っているあいだに、キエーボのダイブを主審がペナルティ取りやがったんだから頭に来るじゃありませんか。あんなPKがあるか。いや、ない。1-0で前半終了。

 悶えに悶えた後半45分間だった。エイトマンもかくやと思わせるマンガチックなスピードでキエーボ最終ラインからボールをかっさらったクラウディオも、GKとの1対1を決められない。それ決めるのはキミが世界一うまいはずなのにぃ。途中出場の下ザーギもポストからの跳ね返りに反応できなかった。それ決めるのがインザーギ家の伝統芸なのにぃ。兄ちゃんならぜったい決めてた。命に換えても決めてたと思う。まだまだだね。

 だが、しかし。残り10分で真打ち登場である。おれだおれだシメオネだぁ。てめえはすっこんでろリベラーニ。よっ、待ってました親分。べらんめぇ。意味はわからないが頼もしいのである。頼もしいシメオネがある。シメオネの頼もしさというものはない。小林秀雄ならそう言うだろう。しかし、あれはもう、頼もしさがユニフォーム着て走ってる感じとしか言いようがないのだった。

 そして88分か89分頃。寒がりフィオーレのクロスがゴール前へ。いたいたぁ。シメオネ様だぁ。どフリーだぁ。ちょっぴり土下座っぽいダイビングヘッドで同点だぁ。いや〜ん、もうどうにでもして〜んって感じである。どうにもしたくないとは思いますが。これから私のファックスネームは「シメオネ大好きっ子さん」に決まりだな。どこに何を書いてファックスするのか知らないが。いい試合だった。もはや4位死守が目標だけに、キエーボから勝ち点2を奪ったこのドローは勝ち点3に等しい。だぁ。




2003.02.04.Tue. 11 : 30 a.m.
BGM : "Chet Baker Sings"

 あはは、ねえねえ、ちょっと見てよ。どこって、あんた、決まってるだろ、ここだよ、ここ。いやぁ、おいおいよせよ照れるじゃないか。そうかそうか。面白いか。爆笑したか。えらいなぁ、キミは。4回目の〆切直前に私の自己愛を満たしてくれたのは、ほんとうに、えらい。近頃、「インターネットのせいでバカが意見を言うようになった」という説があちこちで散見されるようになり、私も「ああ、おれもバカの一人だったらヤだな」と思いつつ、その一方、自著に対して「トンデモ本」とか「国辱モノ」とかいう類の戯言をさかしらに吐き捨てている奴を見つけては「バカ発見!バカ発見!」と一人で空襲警報を発令しながら「インターネットめ」と頭をかきむしったりしているわけだが、さっきの人とか、あと、こういう人とかに出会うと、インターネットも捨てたもんじゃないよなぁと思うのだった。勝手な人ね。

 それにしても「バカが意見を言うようになった問題」は厄介なのであるが、まあ、自分への悪口でないかぎり、覗き見的な興味を満たしてくれるという意味も含めてバカの意見はそれなりに面白かったりするわけで、だからこの日誌にだって1日100人もやって来るというのが私の認識である。悪かったなバカで。しかし、大事なのはバカか否かではなく、書いたものでカネが取れるか否かだ。インターネットのない時代だってバカが意見を言っている本はいっぱいあったはずだし、テレビでもいろんなバカがいろんな意見を言っている。バカはバカなりにカネの取り方を知っているということだろう。カネを取ることがえらいわけではないかもしれないが、そのための努力は尊い。と、信じたい。

 

 2年前にリライトした本が韓国語に翻訳されて、きのう、届いた。著者である某飲料メーカー会長へのインタビューはわずか1時間、そんなもんは単なる挨拶みたいなものにすぎないのでテープ速記原稿はほとんど使い物にならず、しょうがないのでA4サイズ3枚分の講演録を極限まで膨らまして書いたものだ。「リライト」の範疇を明らかに逸脱している。その原稿が大した修正もなく本になっただけでもイカガナモノカという話なのだが、さらに外国語に翻訳までされてしまうと、ちょっと逃げ出したい気持ちにもなります。しかし、当たり前っちゃ当たり前だが、わっかんねーなー、韓国語。英語やスペイン語やロシア語だってわからんけど、いくらかはわかる単語もあるし、それらしく音読できないこともないが、ハングルになると1文字たりとも読めない。ほんの数カ所、日本の固有名詞が漢字で表記されているけれど、それ以外に読めるところといえばノンブルだけだ。219ページまでありました。こんなに読めない印刷物は初めて見た。誰かに翻訳してほしいが、しかしそれはすでに私の手元に2年前からあるわけで、どうもそのへんのことがうまく飲み込めない。だいたい、この本、ビジネス書として書いたつもりだったのだが、どうして韓国語版では「子供の笑顔」の写真ばかり挿入されているんだろう。換骨奪胎されて別の本になってたりしないのか。あんなに膨らました本を換骨奪胎してどうする。でも、もしかしたら物凄く面白い本になっているかもしれない。

 ゆうべは、ビルバオ×ソシエダ(リーガ第20節)をビデオ観戦。とうとう負けた。エチェベリアの2ゴール1アシストで3-0だ。20戦目で初黒星となれば「これをきっかけにガタガタ」が心配されるわけだが、だけどこの場合、あんがいダメージ少ないんじゃないかな。「ダービーに惨敗した」ことの悔しさが「リーグ戦初黒星」のショックを忘れさせてくれるような気がするのである。どうせいつか負けるなら、ここがベストだったのではないでしょうか。わかんないけど。悪いゲームじゃなかったし。踏む、小突く、ぶつ等の「せこい暴力」満載で、かなり楽しめた。でもコバチェビッチだけはさすがにせこくない。密着マークのアイトール・オシオに4連続チョップをお見舞いだ。これでも喰らえ、これでも喰らえ。まさに大暴れである。しかし、それでも怯まないどころか、むしろ相手を挑発し続けたアイトール・オシオは実に立派な人だと思った。コバチェビッチにチョップ4発食らっても挑発できる人なんて、そうはいない。でも、ああいう奴、小学校のクラスにもいたよな。いくら嫌がられても、相手の前に回り込んで「べろべろばぁ」とか言ってヘンな顔見せたがる奴。しつこいっつうの。それは面白くないっつうの。ニラメッコを始めると、こっちが根負けして笑うまでめげずにヘンな顔を作り続けるうちのセガレにも、やはりディフェンダーの適性があるのかもしれない。うーむ。




2003.02.03.Mon. 15 : 25 p.m.
BGM : "THE BEST OF EAGLES"

 3章を送稿。ようやく累計が100枚を超えた。昔からそうなのだが、単行本のリライトは100枚を超えたところから楽になる。これをあと2回やれば300枚、あと3回やれば400枚、と思えるからだ。その最初の100枚にどれだけ時間かけてるつもりだっちゅう話だが、苦労して登った山道も振り返れば大したことがないと思えるのと同じで、書いてしまえば良き思い出である。思い出つくってどうする。

 それにしても今回の第3章では、久しぶりに大胆なプレイをしてしまったなぁ。だからって、べつにムチとかローソクとか使ったわけではなく、ゴーストライターの大胆プレイといえば、それは言うまでもなく「豪快な比喩」である。なにしろ相同遺伝子組み換えを果物屋に喩えて説明したのだから、それこそ複雑系を挟殺プレイで説明するような荒技だ。なぜそんなことをしたかというと、相同遺伝子組み換えのことが理解できなかったからだった。自分が理解できないものを読者が理解できるように書こうと思ったら、どこかでイチかバチかの勝負に出るしかない。自分が漠然と「要するに、こんなことかなぁ」と思ったイメージを、「こうに決まってる」と思い込んで叩きつけるのだ。間違っていたら著者が直してくれるわけだから、ゴーストライターは気楽な稼業ときたもんだ。逆にその比喩が的を射ていたら、超ファインプレイである。ファインプレイは、リスクを負わなければ生まれないというのが世の定説だ。つまり「豪快な比喩」は、フットボーラーにおけるオーバーヘッドシュートみたいなものだってことですね。本来、ゴーストライターの「腕」は、いかにスムースにボールをゴールまで運ぶかで問われるものだと思っているが、たまには派手なスタンドプレイもやってみたくなるのが人情というものなのである。でも、空振っちゃったかなぁ。

 さて、ちょいと浮気して、マッキー編集長に頼まれた商品情報6本書かないとな。なんか、この仕事、なし崩し的にレギュラーになってる気がするんですけど。最初は年末進行の緊急避難だと思っていたのだが、たしか今回で3ヶ月連続のご発注だ。それはそれでありがたいのだが、企業の広報担当者にはもうちょっとマトモなニュースリリース作ってほしいよなぁとも思う。ブルガリとかさぁ、お高くとまってるわりには文章めちゃくちゃだぞ、おい。本社から来た文章を翻訳ソフトにかけてるだけなんじゃないのかこれは。相同組み換えより理解できないかも。




2003.02.02.Sun. 12 : 25 p.m.
BGM : FLYING KIDS "続いてゆくのかな"

 スペースシャトルがえらいことになっているときにこんな記事を取り上げるのもどうかと思うが、サンプラザ中野が20キロの減量に成功してダイエット本を出すそうだ。20キロかー。しかしそれが羨ましいかというと、20キロ痩せたサンプラザ中野の姿はなぜか「なれの果て」としか言いようのない様相を呈していたりするので、ちょっといかがなものでしょうかそれは、とも思うのだった。サンプラザ中野がそれにハマったかどうかは別にして、ダイエットにはある種の落とし穴があるに違いない。減量フェチにならないよう気をつけないとね。

 自宅の近所に犬を飼っている家がある。前を通るたびに吠えられるので、いつもは別のルートで行き来しているのだが、きのう帰宅時にうっかりそこを通ってしまい、例によって吠えられた。うっかり通ってしまったぐらいだから気持ちの準備ができておらず、いきなりキャンキャン吠えられて心臓が止まるかと思った。逆上して吠え返してやろうかと思ったぐらいだ。ファウルを受けてつい報復してしまう選手の心理がよくわかる。しかし、ふと見ると、その家の住人とおぼしき中年女性が玄関から出てくるところだったので、吠え返すのはやめた。その中年女性は、「こら、ダメじゃないの、そんなに吠えちゃ」と飼い犬を叱っている。吠えられて心臓が止まりそうになった私には挨拶なしだ。私はしばしそこに立ち止まって、被害者に詫びるチャンスを相手に与えたが、その中年女性はひとしきり犬に説教をすると、私のほうを見ようともせずに玄関を出て駅のほうへ出かけていった。

 あのな。犬を叱ったぐらいで免罪されたと思ったら大間違いのこんこんちきなんだぞ、こら。そりゃあ、犬は吠えるだろうさ。犬なんだから。犬が吠えなかったら、「吠」って字の立場だってなくなるっちゅうもんだ。だから、けしからんのは犬じゃなくて、そんな犬を飼ってるあんたなんだよ。たとえば、そうだなぁ、あんたの家の庭に栗の木があるとするわな。その栗の木が隣の家まで枝をのばして実だの葉だのを落として迷惑かけたら、あんた、栗の木に向かって「ダメじゃないの、そんなにのびちゃ」って言うか? 大きな栗の木の下にはあなたと私だ。私に詫びるのが筋ってもんだろ。「ごめんなさい」のひとことがなぜ言えぬ。……というレトリックを私が思いつき、「犬を叱る前にこっちに謝らんか。なぜならそれは……」と抗議しようとしたとき、犬の飼い主はすでに角を曲がって人見街道に姿を消していた。これも仕事柄なのか、どうも一つのことを言うのに行数を使いすぎていけない。

 私にもまだ分別のないセガレがいるので、自分の保護下にある生き物が他人に迷惑をかけたときの心境はよくわかっている。そりゃあ、叱りつけたくなるだろう。だから犬を叱るなとは言わないし、「叱ったって意味わからんだろ、犬なんだから」などと嫌味を言うつもりもない。でも、まずおまえが謝れよ。私だって、たとえば往来でセガレがふざけた歩き方をして他人にぶつかったときなど、まずは相手に詫びることにしている。詫びずにはいられない。吉祥寺サンロードの雑踏で、あちこちにペコペコ頭を下げながら5歳児の手を引いている男がいたら、それが私だと思ってもらってもいいぐらいだ。

 すまなそうにすればいいってもんじゃないけれど、なんか近頃、「すまなそうにしている人」がめっきり少なくなっていないでしょうか。エレベーターに駆け込み乗車して他人を待たせる奴も、全然すまなそうな態度を見せない。狭い歩道で通行人を脇にどかせて自転車で通り過ぎる奴も、全然すまなそうに見えない。ウチの駐車場の前に違法駐車して出口をふさいでいた山形ナンバーの軽トラックも、ちっともすまなそうな顔をしていなかった。「すまなそうにするだけで許される些細な迷惑」ってもんが世の中にはたくさんあると思うのだがどうだろうか。……あ、〆切破りがそのレベルの迷惑だとは思ってませんので念のため。いやはや、もう2月ですよね。あはは。す、すみません。




2003.02.01.Sat. 12 : 45 p.m.
BGM :
http://www.smoothjazz.com

 いやはや、世間は広いようで狭いのである。ニッポン狭いぞラリパッパ。タンナタラリヤ、ラリパッパ。いや、あの、そういう唄があるんです。むかし長谷川きよしが唄っていた。そんなことはともかく。私がこれまでまったく別々に接触してきた2人の読者(かたや面識あり、かたやネット上だけ)が、去年の暮れあたりから同じ会社に在籍していたという驚愕の事実が判明したのだった。本人同士も、昨日までお互いが江戸川のことを知っていることを知らなかったらしい。なーんか妙な気分だよなぁ。いや、まあ、ご両人がいちばんビックリなさったんでしょうけど。こうなると、どこに読者がいるかわかったもんじゃない。あなたの隣にもいるかもしれないので、ご用心を。用心はしなくてもいいか。

 きのうの夕刻、ウルトラマンごっこをしているとき、何かの拍子にセガレが「ちげぇよ」と言った。私が想像していたより、10年ぐらい早かった。前に、自分の子が「ちげぇよ」などと口にしたらぶっ飛ばす、というようなことを書いた記憶があるが、さすがに私も5歳児を言葉遣いのせいでぶっ飛ばすほど星一徹ではないので、穏やかに「その言葉は二度と口にするな」と言った。

 するとセガレは、「幼稚園では使ってもいいんでしょ?」と言う。セガレがそのように言うのは、ふだんから「トモダチには使っていいがオトナに対しては使っちゃいけない言葉がある」と親に言われているためであり、「ちげぇよ」もその文脈で理解しようとしたわけだ。しかし、これはそういう問題ではないので、さらに説諭。たとえば「汚い」を「きたねぇ」、「辛い」を「かれぇ」というのは、あまり上品な言葉ではないし、オトナに向かって言うべきではないが、トモダチとの会話で使ってはいけないとは言わない。「違いない」を「ちげぇねぇ」というのも同じ。間違った言葉ではないから、状況によっては使ってよろしい。父さんだって、使うことがある。だが、「違うよ」を「ちげぇよ」というのは間違った言葉だから、相手が誰だろうと使ってはいけない。そんな言葉はないと思え。トモダチは幼稚園で使うかもしれないが、人は人、おまえはおまえだから、おまえは使うな。べつに、トモダチに「それは使っちゃいけない」と言う必要はない。おまえが使わなければそれでよろしい。こんど「ちげぇよ」と言ったときは、もっと怖い顔で怒鳴るからそのつもりでいろ。わかったな。そうか。わかったか。じゃあ、ウルトラマンごっこの続きをしよう。で、父さんはティガだっけ、それともダイナだっけ。違うよ、ガイアだよ。そうそう、それでいいそれでいい。

 とは言うものの、べつに日本語の音便変化に関して体系的な知識があるわけでもなく、たぶん「ee」に変化していいのは「ai」だけなんだろうと思ったりしながらも、実際は単に感覚的にキモチ悪いと思っているだけなので、「間違った言葉」などと断言してしまってよかったのだろうか、その言葉の愚かしさを伝えるのにふさわしいもっと別のレトリックがあったのではないか、とクヨクヨ悩む父親なのだった。言葉なんて時代によって変わるんであって、そもそも「正しい日本語」なんかありはしないと日頃から思っているだけに、なおさらだ。しかし「ちげぇよ」だけはやはり許し難いのであって、それを禁じるには「間違っている」と決めつけるのも一つの方便と割り切ってはいる。でも……。

 私は私の書いた「枚挙に暇がない」を「枚挙に遑がない」、「しょうがない」を「しようがない」に直した校正者ほど頑迷ではないつもりだ。べつに、「正しい日本語」を守りたいわけじゃない。自分の子には、「ちげぇよ」などと言って欲しくないだけである。したがって、それを許す親がいたっていい。やめさせろとは言わない。しかし軽蔑はする。だから私も、自分の子に「ちげぇよ」と言わせて平気でいられるような人間だと思われたくないのだ。要するに私は、セガレの将来ではなく自分の体面を考えているのだろう。ダメな父親だ。でも、ダメじゃない父親が世の中にどれだけいるっていうんだ?

 愚妻がわざわざ電話で教えてくれたので、きのう、福留さんの出ている番組でやっていた「テープ起こし詐欺の手口」を見た。教材を買わせて講習を受けさせた後、最後に試験があるらしい。それをクリアしないと仕事はもらえないのだが、試験では誰にも聞き取れないような録音状態モゴモゴのテープが渡されるので、どうしたって不合格になってしまう仕組みなんだそうだ。なーるほど。感心しちゃいけませんね。そんなもん、録音担当者が不合格っちゅう話だ。「聴取不能」とひとこと書いて提出するのが正解である。

 そういえば先日の女優対談も、私のテープは大丈夫だったが、ゴンザレスの部下が録音したテープは最悪だった。どうもキカイの設定がわかっていないらしく、モゴモゴだったのだ。こればっかりは、ほんと、ちゃんとしようよね。「録音できてませんでしたー!」は、ある意味、カメラマンの「フィルム入ってませんでしたー!」よりも取り返しがつかないミスなんだから。

 さて、詐欺にはもう一つ別の手口もあった。講習を終えた後、「仕事するには業務用のワープロが必要」と言ってそれを買わせるのである。業務用のワープロ? それを聞いた私はなぜか「やたら巨大なワープロ」を想像してしまったのだが、考えてみると、冷蔵庫や炊飯器じゃないんだから、デカくしたって業務用にはならんわなぁ。だいたい、業務用に使えないワープロを想像するほうが難しい。というか、いまどきワープロ専用機っちゅうモン自体が想像しにくいわけだが。

 ともかく、その業務用ワープロなるキカイは90万円もするのだった。どんなワープロだそれは。やはり巨大なのか。1978年に東芝が発表した日本語ワープロ第1号機JW-10みたいな感じなのか。ひょっとしたら、そこにはエンジンやバンパーやカーナビもついてるんじゃないのか。何に使うのかよくわからないが、そうでもしないと、いまどきのワープロは90万円にはならんだろう。まあ、それは事によると「エンジン付きのワープロ」ではなく「ワープロ標準装備の自動車」なのかもしれないが、いずれにしろ、バカも休み休み言えっちゅう話だ。いくら世間知らずだからって、90万円も出してワープロ買うわけが……あるのだった。買っちゃったらしい。なーんかウソっぽい話だが、天下の福留さんの番組で言ってるんだからきっと本当なんだろう。「あなたの腕前なら月15万は確実。すぐ返せますよ」なーんて言われて、ローン組んじゃったんだそうだ。

 まあ、私だって「設備投資は善である」という呪文で自分自身に詐欺を働いたようなものだから、大きなことは言えない。でも、買ったのはワープロじゃなくてパソコンだしなぁ。90万円もしないしなぁ。神社紀行の初詣ハンドブック一発で払えるぐらいの値段だしなぁ。それを分割払いにしてるところが情けないんだけど。ともあれ、その奥さんは仕事を始めたのだが月2万ぐらいにしかならず、とっとと仕事はやめてローンだけが残ったらしい。いろいろな意味で可哀想な人である。

 で、そんな番組を見終えた私はいま、「ゴーストライター養成講座詐欺」が可能がどうかを考えているのだった。そろそろ楽して稼ぐことも考えないといけない年代だからね。売りつける教材は、とりあえず、今まで使ったテープ速記原稿をテキトーにピックアップすりゃいいだろう。それを初級、中級、上級と難易度別に分けて順番に与え、リライト原稿を添削指導すればいいのだ。卒業試験は、そのとき私が抱えている仕事のテープ速記原稿にしよう。優秀な答案があったら、そのまま編集者に渡せばよろしい。その生徒、そのまま弟子にしたっていいしな。ゴーストライターのゴーストライターだ。あれ、だけど、それじゃ詐欺になんないじゃん。ちゃんと養成してんじゃん。あ、そうか。やっぱ、詐欺にするには何か売りつけないとな。えーと、ゴーストライターだけの特別仕様があり得そうなモノって何だ。あんまりないよな。あー。「業務用のキーボード」っていうのはアリかもしれない。ゴーストライターはたくさんキー打つからね。「消耗が激しいから、ドイツ製の頑丈なやつを買わないと」とか何とか言えばバカは騙せるだろう。20万円ぐらいでいいかな。「次の仕事が10万部売れたら、そんなの20個ぐらい買えますよ奥さん」っていえば買うよ、きっと。……あれ、どっかで聞いたセリフだな。いっつも、「江戸川、これは10万部売れるぞ!」って言ってる社長がいたような気がするな。それ鵜呑みにしてバリなんか行っちゃったことがなかったとも言えないよな。おっかしいなぁ……。




2003.01.31.Fri. 10 : 10 a.m.
BGM : Frans Bruggen Edition "ENGLISH ENSEMBLE MUSIC"

 ヤマちゃんとタボン君が所属しているバンドが2月8日にライブをやるというので、会場である下北沢ボイスファクトリーのサイトに行ってみた。日程表にバンド名が書いてあると聞いたのだが、2月8日の欄にはこんなふうに書かれている。

For Badgeholders Only Live
 どこからどこまでがバンド名なのか、よくわからない。というか、これはバンド名ではなく、イベントの「ことわり書き」ではないのか。ああ、バッヂつけてかないと、入れてもらえないんだな。でも俺、バッヂなんか持ってたかなぁ。講談社とかは受付で胸につける番号札くれるけど、そういうんじゃないんだろうしなぁ。私がそう思ったとしても、無理はないというものである。しかしヤマちゃんに確認してみたら、ForからOnlyまでがバンド名だとのことだった。For Badgeholders Only。バッヂ保持者だけのために。いい名前だ。その覚悟の決め方が潔いじゃないか。そこにあるのは、「俺たちはバッヂ持ってない奴なんか相手にしないんだぜぇ」という美学である。美学というのは、何かを厳しく排除することでしか成り立たない。その場合、それにどんな意味があるのかはどうでもいいのだった。何はともあれバッヂだ。バッヂが大切なのだ。そりゃあ、そうだよ。バッヂ持ってない奴なんてなぁ。バンド名を見ただけでそう思わせるこの迫力はなんだ。家族3人で、バッヂをつけて聴きに行こう、と思った。きっと、ああバッヂ持っててよかったと思える演奏を聴かせてくれるに違いない。

 きのうは、サッカーズ副編Y氏からメール。原稿の催促ではなく、テープ起こしの話が琴線に触れたらしい。その中に「他の業界の人には訳のわからない事件」とあって、なるほどそうだよなぁと思った。新聞の見出しに「テープ起こし」という単語を見たとき、ふつうの人はどう思うのだろうか。なにしろテープを起こすのだ。そもそも「テープ」が何だかよくわからないが、起こすというからには、何であれそのテープは倒れているか眠っているかしているに違いない。それを、起こすんだよなぁ。だって、起こさないでどうするよ。倒れたり眠ったりしてるテープは、そりゃあ、やっぱり、起こさないとダメだろう。そのとき何か言うとしたら、「よいしょ」か「遅刻するぞ」かどちらかだ。わりと簡単な作業である。俺にだって、できそうだよなぁ。そんなテープ起こしに、どうして「教材」が必要なんだ? ……結局、最終的に抱く感想は私と同じなのだった。

 Y氏によれば、「うちのようなプロヴィンチャ雑誌は、テープ起こしを業者に出すような資金はないのですべて内部処理です」とのこと。ご苦労さまです。柳沢のインタビューも、編集部の誰かがコツコツ夜中に起こしてたわけですね。そりゃあ、やっぱり、夜中だろう。草木も眠る丑三つ時。耳元に、柳沢。グッときちゃうよなぁ。ま、Y氏は自分がインタビューしているところを他人に聞かれたくないらしいから、いいけどね。「妙に愛想がいいキャラの自分が恥ずかしい」とのことだ。わかるなぁ、そのキモチ。私も、このあいだの女優対談は自分の声が入っていなかったからいいが、自分も喋っている口述テープだったら、ぜったいに愚妻には頼まなかったと思う。「ははぁ〜、なるほどぉ〜、おもしろいなぁ〜」なんて太鼓持ちみたいな相槌を打っているところは、やはり聞かれたくないのである。でも、他人に起こしてもらうのはそれはそれで面白いこともあって、以前、著者が難しい漢字を使う専門用語の説明をしたとき、「そんな字、見たことないですよ。テープ起こしの人も書けないんじゃないかなぁ」と発言したら、速記原稿で、

記者1 そんな字、見たことないですよ。テープ起こしの人も書けないんじゃないかなぁ。(※書けます)
 と反論されたことがあって、けっこう笑った。そういえば、昨日も某心理学者の口述取材があって、ちょっとシャレにならないオフレコ話があったので、「このテープ、先生の脅迫に使えますよね」などと軽口を叩いたのだが、大丈夫だろうか。あれもテープ起こし業者に回されるんだよなぁ。怖いよなぁ。スキャンダル系ジャーナリストは、テープ起こし屋さんをネタ元にするといいかもしれない。いや、『噂の真相』あたりはとっくに食い込んでるのかも。

 っていうか、「プロヴィンチャ雑誌」だったのかぁ。

 おととい第2章の原稿を送ったら、きのう担当H君から返事が来た。原稿は一応OKだったようだが、「ファンハ−ル解任。遅過ぎですね。メンディエータ返品するので、マンチーニさん下さい」という追伸のほうが本題だったようだ。H君はバルセロニスタなのだった。私にそんなこと頼まれても困る。メンディエータを返品されるのは、もっと困る。代わりにコウトでも返品したろか。今ならもれなくデラペーニャの保有権もセットで返品だ。どっちもクーリングオフ期間を過ぎてますが。

 ゆうべは、チェルシー×リーズ(プレミア)をビデオ観戦。リーズのへなちょこゴール2発で常にリードを許す苦しい展開だったが、3-2でチェルシーの逆転勝利である。びっくりしたよなぁ、グジョンセン。少なくとも私がこれまで見たバイシクルシュートの中では最高の逸品。額に入れて飾っておきたいぐらいだ。




2003.01.30.Thu. 10 : 50 a.m.
BGM : cosa nostra "world peace"

 他人事だけど他人事とは思えないのが、テープ起こし詐欺である。研修用の教材を売りつけて仕事を斡旋しなかったという話のようだが、よくわからないのが「教材」だ。以前からその手の広告を見るたびに思っていたのだが、それは必要なのか。私も駆け出しの頃はしばしば自分でテープ起こしをしたし、今でもゴンザレスから頼まれた対談はテープ起こしからやっているが、あれはひたすら経験だけがモノをいう作業だというのが私の認識である。やり方を教えろと言われたって、何を教えていいかわからん。「テープを聞いて、そのまま文字にしろ」というしかないではないか。しかしその単純な作業が最初は難しいのであって、慣れていないと1時間のテープを起こすのに10時間かかったりする。このあいだ、あんまり忙しいので女優対談のテープ起こしを愚妻に頼んだのだが、やはり20分を3時間かけていた。私も昔はそうだったが、いまは集中しさえすれば、1時間を3〜4時間で起こす自信がある。ただただ慣れるしかないのである。

 もちろん、そこで使われてる言葉を知らなきゃ話にならないけどね。以前、サッカー関係の本を作ったときに、早口の著者が発音する「ルシェンブルゴ」がどうしても聞き取れずに苦労した跡が速記原稿に見られたことがあったが、その速記者はサッカーのことを知らなかったに違いない。サッカーを知らない人の耳に、「ルシェンブルゴ」が「ルクセンブルク」と聞こえたって、それは仕方がないというものだ。

 あと、「余計な加工をしたがるバカ」はテープ起こしなんかやっちゃダメだ。まあ、読みやすくするために良かれと思ってやってるんだろうけど、起こしたものがそのまま文書になるならともかく、少なくともライターがデータとして使用する場合は、勝手に「編集」して微妙なニュアンスを消されると、かえって迷惑するんですね。著者と聞き手のやりとりをそのまま起こしてくれたほうが、取材時に「ここはこう書こう」と考えたことが思い出されたりして役に立つのである。「うーん……」という著者の唸りがあるかないかで、原稿の質が変わることも少なくない。インタビューにも「行間」」ってもんがあるわけだ。もっとも、だからといって、「ちょっとコーヒーでも飲みます? あったかいのと冷たいのと、どっちがいいですか」なんて編集者の言葉まで起こせとは言わんが。

 ちなみに、ゴンザレスの対談ワークをテープ起こしから原稿までやっているのは、昔、彼が月刊『サンサーラ』という雑誌を作っていた頃に、アルバイト感覚で対談のテープ起こし(原稿は他の人)をやっていた名残である。当時のゴンザレスはいまと違って太っ腹で、フリーになりたての私の暮らし向きを気遣って、テープ起こしにはあるまじき法外なギャラを払ってくれたのだ。そんなわけで、毎月、田原総一朗の連載対談を起こしていた。いろんな人の声を起こしたよなぁ。いま思い出せる範囲でも、石原慎太郎、立花隆、佐高信、佐々淳行、宮台真司、故・江藤淳、故・新井将敬、リチャード・クー、堀紘一、長谷川慶太郎、小田晋、大前研一といった、あまりホームパーティに招待したくないタイプの人々の顔が次々に浮かんでくる。だいたい、「毎月、田原総一朗の声をイヤホンで聞いて文字にする」って、考えてみるとかなり珍しい日常だよな。

 ともあれ、ゴーストライターの仕事というのは、つまるところ、テープ起こし原稿との格闘である。著者と聞き手の対話がずらずらと綴られたその速記原稿を見ながら、「話し言葉」を「書き言葉」に翻訳し、論理の飛躍を補足し、脈絡をつけ、適度なアナロジーなどによる演出を加えながら、「本にできる原稿」に仕立て上げるのがライターの役割だ。これまでに何枚のテープ起こし原稿を読んできたか考えると気が遠くなったりするのだが、そこには取材当時の雰囲気が生き生きと再現されていることも多く、たとえばこんな会話に出会ったりすると、なんだか愉快な気分になったりするのだった。

記者1 近親相姦を嫌がるというのは、人間ぐらいですよね。
記者2 猫たちはやっちゃうしな。親子で。
記者3 そんなことやってます?猫。
著 者 それはやるでしょう。逆に、それを抑える仕組みのほうが不思議ですよ。
記者1 熊はやるって聞いてる。
記者3 見たのか、誰か。
記者1 矢口高雄の漫画に描いてあった。
記者2 ああ、魚好きの?
記者1 マタギの。矢口高雄好きなんですよ。
 いい歳したオトナが4人も集まって、何を熱心に語り合っているのか。しかも集英社の会議室で。しかし、この日は暑かったのである。去年の8月のことだ。暑いからって何を喋ってもいいという道理にはならないが、なんとなく、いまのこの寒い季節だったら話は違ったノリになるような気がする。実験用マウスの掛け合わせに関する話が矢口高雄にまで発展したのは、やはり暑かったからなのだ。……さて、私は記者1〜3のうちどれでしょう。

 ところで、テープ速記の「教材」よりもわからないのが、「エッセイの書き方」だ。今朝の朝日新聞1面にも、「うまい!と言われる文章のコツを伝授 エッセイの書き方」というような広告が載っていた。それによると、この講座は、こんな人を対象にしているらしい。

●書きたいことを、うまくまとめる自信がない。
●何をどう書けばいいのか、ピンとこない。
 まるっきり私のことじゃないか。この講座さえ受けておけば、先日のスランプからもっと早く脱出できたに違いない。東京カルチャーセンターに連絡して案内書をもらおうかどうか、ちょっと迷っている。受講した場合、仕事は斡旋してくれるんだろうか。

 きのうは、セルタ×バルセロナ(リーガ第19節)をビデオ観戦。2-0でセルタ。浮き球を角度のないところからダイレクトボレーでぶち込んだシルビーニョのゴールがすばらしかったが、このゲームの主役はなんたってガスパール会長だよな。……と書いたところで、このネタは別のところで使えそうな気がしてきたので、もうやめておくことにした。まだ、「うまくまとめる自信」はないけれど。




landscape photographs in this page :
http://www.iissa.co.jp/~fma/arata/parts.html

| #19 | home | backnumber | fukagawa | mail | #21 |
edogawa's diary on 2002-2003 season #20.