edogawa's diary 02-03 #21. 『虚無と割り箸』
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2003.02.21.Fri. 14 : 45 p.m.
BGM : 向井滋春 MORNING FLIGHT "LIVE 97"

 本日三度目の更新。本日二度目の日誌をアップした一時間半後に、S社インターS社長から直々のお電話。「7月まで手一杯なら8月執筆でいい」と新規のご発注である。まだ正式決定ではないようだが、何を書くのかよく把握しないまま、社長が口にした予定初版部数に吸い寄せられるようにふらふらと引き受ける。おいおい大丈夫なのか。大丈夫かって、そんなモンやってみなきゃわからーん。なんか仕事の引き受け方がヤケクソ気味だ。それにしても一体どうなってんだ、この発注ラッシュは。




2003.02.21.Fri. 13 : 10 p.m.
BGM : 向井滋春 MORNING FLIGHT "LIVE 97"

 本日二度目の更新。さっき下の日誌をアップした直後にGT舎ゴンザレスから電話があって、前に「8月以降でよければ」と言っていた仕事を6月にやることになった。なんだかえらいことになってきました。仕事があるのはありがたいのだが、「忙しいとたくさん食べてしまう」ということが今回わかったので、夏までの減量計画に暗雲だ。そんなことより、7月末までに6冊も書けるのか私。いったい、いつ夏休むつもりなんだ私。それ以前に、いつ確定申告をやるつもりなんだ私。




2003.02.21.Fri. 11 : 30 a.m.
BGM : 向井滋春 MORNING FLIGHT "LIVE 97"

 ゆうべ10時頃、ポチのS森さんより原稿依頼の電話。ちなみにポチというのは犬ではなく会社の名前だ。フリーになりたての頃、私はポチで『コミックグルメ・ウルトラ』という漫画雑誌の編集を半年だけしたことがある。ポチでウルトラ。何のことやらよくわからない。その雑誌の中でいちばんメジャーな描き手は、蛭子能収さんだった。なんでそんなことを覚えているのか不思議だが、蛭子さんの連載第1回のタイトルは『消えたロッコツ』だった。いいタイトルだ。

 なぜ半年でやめたかというと雑誌が半年で潰れたからなのだが、そんなことはともかく、ゆうべの電話は、半蔵門にあるB社が出している色っぽい月刊誌に深川名義で単発コラムを書けという話である。2ページのスポーツコラム枠があり、その中の半ページをくれるらしい。何を書けばいいのか訊いたら、「サッカーのこと」だそうだ。いつまでに書けばいいのか訊いたら、「うーん、2日ぐらいでピャピャっと書いて」とのことである。とてもわかりやすい原稿依頼だった。S森さんの指示はいつだってわかりやすい。必要なことしか言わないから、どこからどこまでが自分の裁量に委ねられているのかが一発で把握できる。この場合、キモは「ピャピャっと」だ。この擬態語があるだけで、何を依頼されているのかが隅から隅まで明らかになるのだった。ちょっと長嶋の打撃指導みたいですが。

 ともあれ、週末にレイアウトして週明けに入稿という段取りのようだから、土日は休むつもりの私としては、今日中にピャピャっとサッカーのことを14字×52行書かなければいけない。さて、何を書こう。そろそろサッカーズのネタも考えないといかんと思い始めた時期であるだけに、匙加減がむずかしいところだ。匙加減も何も、いまのところ頭のなか真っ白なんですけどね。うー。

 5月に予定していたKD社のゴースト仕事が7月に順延されたと思ったら、古巣SD社のT田編集長から電話が来て、前に「6月以降でよければ」と言っていた仕事を5月にやることになった。本音をいえば、他の仕事を蹴飛ばしても引き受けたかった話なので、うれしい。なんでそんなに引き受けたかったかというと、サッカーの本だからである。著者の名前を思いっきりここに書いてしまいたい衝動に駆られるが、そうもいかないのがこの仕事の切ないところだ。業務内容を公表できないのでは、世間に「後ろめたい仕事」と思われても仕方がない。いわゆる一つの日陰者。人生の裏街道。映画のスタントマンなんかも、「あれ、ほんとは俺なんだぜ」って言いたいのを堪えてるんだろうなぁ。……あ、何か勘違いしてる人がいるかもしれないが、たとえば左に掲げた本などについて、私は「私がゴーストした」とは書いていない。ただ「買ってくれ」と言っているだけなので念のため。ともあれ、5月の座席は埋まりました。リライト・スケジュールは左記のとおりですので、ご予約をお待ちしております。

 ゆうべは、ローマ×バレンシア(CL2次3節)をビデオ観戦。なんですか、あのローマの細長いGKは。ヒゲの生えた棒。貧乏なボルグ。無茶苦茶に長体をかけたアルファベットのI。いろんなことを考えさせる容貌である。むかし、映画をテレビで放送するときに、タイトルバックの映像が左右を圧縮されてタテにビロ〜ンと引き延ばされていたことがあったのを思い出した。左上のプリングルスマークも、早くあれぐらい細長くしたいものだ。んで、その細長さが災いしてカリュウの唐突なシュートがニアサイドにコロコロコロリ〜ンとゴールインし、0-1でバレンシア。おっかしなゴールだったよなぁ。撃ったカリュウも含めて、誰もイメージしてなかったことが魔が差したように起きたという感じ。あんな間抜けなゴールでローマが粉砕されたかと思うと、笑いが止まらない。

 バルセロナ×インテル(CL2次3節)は、なんと3-0でバルサ圧勝。もうじき発売されるサッカーズでバルサネタを書いたのだが、ちょっとタイミング外しちゃったかな。あと10日ぐらい早く出てればバッチリだったんだけど。月刊誌で時事ネタを書くのは難しい。そんなことはともかく、よか試合だったでごわすな。クライファートのゴールにはシビれた。左サイドでカンナバーロとの勝負に勝ったサビオラからの折り返しを、電光石火の動きでニアポストに詰めて長い脚でゲット。守っていたガマラにしてみれば、伸びてくるはずのない脚が背後から伸びてきたというオカルト現象だったに違いない。あと、コクーの投げキッスにもシビれました。あんなコトするタイプには見えなかったけどねぇ。アンティッチ新監督、ただ左と右を入れ替えただけのようにしか見えないのだが、停滞した人間集団には人心一新が大事だということがよくわかる一戦だった。

 ミラン×ラツィオ(セリエ第21節)は、2-2のドロー。0-2から追いつかれたのは腹立たしいが、冷静に考えると負けなくてよかった試合だよな。ピッポが前半から出てたら5点ぐらい取られてたような気がする。リバウドの同点ゴールをアシストしたドリブル&ラストパスには驚嘆。あんなこと(=ボールに3回以上触って結果を出すこと)ができる人だとは思っていなかった。どうでもいいけど、シメオネ使えっつうの。




2003.02.20.Thu. 16 : 00 p.m.
BGM : 向井滋春 MORNING FLIGHT "LIVE 97"

 O崎君がLPレコードからCD-Rに焼いていくれた"LIVE 97"(録音=1981年@六本木ピットイン)を聴いているのである。脱稿後の解放感に浸りつつ、きのうから何度も何度も聴いている。あらためて聴くとけっこう荒っぽい演奏なのだが、そのザラザラした手触りがたまらんっすね。プラザ合意以前は、まだ時代そのものがザラザラしていたのかもしれない。「ザラザラ」の語感から「プラザ」を思い出しただけなので、あんまり深く考えないように。ともかく、なんちゅうか、ミスタードーナツもうまいけど家で揚げたドーナツもうまい、っていう感じかな。意味よくわかんないけど。やっぱいいわ、これ。何がいいって、C面2曲目(2枚組なのだ)の"RECADO"が泣ける。何度聴いてもグッとくる。この名曲の味を世界でいちばん深く理解しているのは向井滋春なのではないかとさえ思ったね私は。トロンボーンという楽器に、ここまでの雄弁さを与えられるプレイヤーがほかにいるだろうか。いや、いない。世界のどこを探したって、いるはずがない。

 で、このドラマチックかつセクシーなソロをコピーせずにトロンボーンという楽器に出会った意味があるだろうか!いや、ない!!と急に思い立った私は、仕事場の書庫(という名の物置)で埃をかぶっていた楽器を引っ張り出したのだった。ちょっと吹いてみたら、マウスピースの味がヘンだった。緑青(ろくしょう)かこれは。だとしたら有毒なので気をつけないといけない。マウスピースを洗ってから20秒ぐらい吹いたら、唇が痛くなって使い物にならなくなった。唇の筋肉(および腹筋)を鍛え直すことから始めないといけないので、あの2分35秒におよぶ長いソロを完コピするまでにはものすごく時間がかかりそうだ。しかし、人生の目標の一つとしては悪くない。

 きのうは朝6時半に帰宅し、4時間ほど深淵きわまりない睡眠を貪った後、"LIVE 97"を聴きながら次の仕事の口述原稿にざっと目を通してから、半蔵門のP社で打ち合わせ。おもしろい。口述のテープ速記原稿を読んでこんなにおもしろいと思ったのは初めてかも。プロの口述。今回の著者は、ライターを使うことが信じられないような名文家なのだが、さすがに名文家は口述さえ「読ませる」のだった。というか、こういうのを本当の「口述」っていうんだろうなぁ。これに比べたら、ふだん私がやっているのは「雑談」を原稿にまとめているだけにすぎないんじゃないかとさえ思う。

 ゴーストライターを使って本を出すという行為が、世間でどのように受け止められているかは知らない。たぶん、そんなことが当たり前に行われている現実自体を知らない人のほうが多いんだろうと思う。出版業界以外の知り合いに仕事の話をすると、「えっ、あの人も自分で書いてないの?」と驚かれることがしばしばだ。私から見れば、自分で書いてる人のほうが驚きなんですけどね。みんな自分で書いてたら、年間6万点も本が出るわけないじゃんか。したがって、経営者とか芸能人とかスポーツ選手とかはもちろん、今回のように文筆を生業としている人が口述で本を作ることだって決して珍しくないんである。そういえば昔、芥川賞作家のエッセイを「書かない?」と言われて、さすがにビビったことがあったっけ。口述を始める前に企画そのものが頓挫してしまったので、本人に会うこともなかったが。実現してたら、著者が手を入れた原稿を見ることで、作家が何を考えて文章を書いているかわかっておもしろかったかもしれない。

 ともあれ、「えっ、あの人も?」という世間の驚きの背後には、「他人の悪事を垣間見てしまったときの動揺」みたいなものが透けて見えるわけで、実際、本を自分で書かないことをとても悪いことだと思っている人はきっと多いのであるが、じゃあ他人の本を書いている私がそれをどう考えているかというと、あんまりいいことだとは思ってなかったです。わが仕事を否定することになるんで困っちゃうんだけれども。文章を「書く」という行為は「考える」とほぼ同義だったりするわけで、書いているうちに思いつくことがたくさんあるのが当然である。だから、脱稿するまでは書いている本人にもどんな内容になるかわからないのが本というものだと私は思う。もちろん口述をしているうちに思いつくこともあるんだろうが、喋ることで思いつくことと書くことで思いつくことはもしかしたら質的に違うのではないかとも思われ、そもそも口述作業は聞き手との対話だから「他人からの質問」というものが介在するのだが、これはもしかしたら「書く」の本質かもしれない「孤独さ」とは無縁のものであって、「自問自答のカタマリ」でない文章など読むに値するのだろうかと思ったりもするのだった。

 しかしまあ、それは本というものの捉え方が狭すぎるのであって、べつに本が「書く」による産物である必要はないのであろう。教科書やマニュアル本が「自問自答のカタマリ」だったら、ちょっと迷惑だし。だんだん、何を言いたかったのかわからなくなってきた。えーと、そうそう、「プロの口述」だ。大半の著者は、それぞれの分野のプロフェッショナルだが本作りのプロではなく、したがって口述もアマチュアレベルなのだが、今回の仕事はちょっと違いそうで、その口述にはプロの物書きとしてのプライドのようなものが感じられ、世間で悪いことのように思われている「ライターを使って本を出す」とは種類が異なるかもしれないということが言いたかったのだが、どうも話をそこへ持っていく道筋を見失ってしまったようなので、もうやめた。もっと上手に書けるようになりたい。




2003.02.19.Wed. 05 : 55 a.m.
BGM : 矢野真紀いろいろ

 脱稿なのら!

 と、急にまことちゃんになってみました。徹夜中の午前5時に朦朧とした意識でまことちゃんになってみると、なんだか生きるのが楽になるような気がするから不思議なのら。ぐわしぐわし。そういえば、しばらく吉祥寺界隈で楳図センセーとすれ違ってないな。元気だろうか。っていうほど関心はないですが。

 それにしても、もう19日だ。〆切は1月末だった。19日も遅れていいわけがない。ほんとうに迷惑をかけてしまった。深く反省。しかし引き続き3人の編集者に迷惑をかけることが明白なのであって、まったくもって逃げ出したい気分である。5月の仕事が著者の都合で7月送りになったからまだ救われたが。ともあれ、いまのこのトップギア状態を維持したまま次の仕事に取りかかるべし。でもなぁ。今日まで最先端医療のこと書いてて、明日から「芸術的生活のススメ」みたいなこと書けって言われてもなぁ。トップギア維持どころか、道路の質が違いすぎてクルマ乗り換えたいぐらいだ。

 きのうの午後2時16分、原稿に「インフォームドコンセント」と書いた瞬間に、風邪をひいた。何の前触れもなく、いきなりのクシャミ10連発。人はいきなり風邪をひくもので、昔、吉祥寺の伊勢丹から外に出た瞬間に「あ、いま風邪ひいた」とわかったことがあったが、今回のように時刻を特定できたのは初めてだ。悪化して医者に行ったら、「よく覚えてまちゅね〜」ってほめてもらえるかもしれない。

 クローン羊のドリーが死んでしまった。ちょうど原稿で「細胞の可塑性が信じられるのは、体細胞のDNAメチレーションをクリアして誕生したドリーがいるからなのだ!」という希望に満ちた話を書いた直後だったので、なんだかショック。この商売をしていると、まったく自分と関係なかった事象が急に身近な問題になることがあるんである。もっとも、それも今日までだったりするんですが。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

 ところで先週のバレンタインデイは、夕刻に郵便受けを開けた瞬間、心の底からびっくりしました。多数の女性読者から届いたチョコが1個も入っていなかったからです。どうやらみんな盗まれてしまったようなので、申し訳ないのですが、来年からは郵便ではなく宅配便にしてください。

 あ、そうそう、べつにこのページには虚無のことも割り箸のことも書いてません。わけもなくページにタイトルをつけたくなったからつけてみただけだ。タイトルなのかそれは。そうだタイトルだ。ただしテーマではない。タイトルのためのタイトル。でも、何か触発された人がいたら、「虚無と割り箸」というタイトルで作文を書いてくれてもいい。べつに私のところに送りつける必要はないけれど。書きたければ書きたまえ。私も書きたいから書いている。




2003.02.09.Sun. 16 : 45 p.m.
BGM : Keith Jarrett "MY SONG"

 あー。カラオケに行ったわけでもないのに、朝からノドが痛いのである。たぶん、ゆうべ、友人たちと酒を飲みながらいつになく大声で喋ったからだと思う。ほんとうに声帯が退化しとるな。何を大声で喚いていたのかは、よく覚えていない。たぶん、要約すると「生きていくのは大変だがあんがい愉快だ!」ということを喚きたかったんだと思われるが、ぜんぜん違ったかもしれない。

 で、なんで友人たちと下北沢の庄やなんかで酒を飲んでいたかというと、それは、絶滅寸前のジャズ・フュージョンを救うべく結成された(?)新バンド、For Badgeholders Onlyのデビューライブの打ち上げの席なのだった。いいライブでした。なんちゅうか、こう、ハートウォーミングな2時間だったよ。アンコールの「カサノヴァ・ファン」でベースのタボン君が歌いだしたときだけ、ちょっと心臓が凍りついたけど。って冗談だよ冗談。タボン君もヤマちゃんもヨシちゃん先輩もやまーらさんもふとちゃんも、ほんと、お疲れさまでした。ハッピーなひとときをどうもありがとう。メンバーは全員、私が大学時代に所属していたサークルの人々で、正直、「同窓会バンド」という先入観を持っていたのだが、そんな次元のものでは全然なかった。そこには、ちゃんと新しい個性と野心を持った「バンド」が屹立していたと思う。懐かしい曲は多かったけれど、決してアナクロニズムには陥っていなかった。だから、たぶん、あのサークルのOBOG以外のお客さんたちも、存分に「今そこにある音楽」を堪能できたんじゃないかな。心から、「また聴きたい」と思いました。ぜひ続けてください。

 ところで、飲んでいる最中に私の「似てる人」が一つ発覚した。O崎君の奥さんが、これを見て「似てる」と言ってくれたらしい。








 ジャパニーズ・フュージョンの一つの到達点としてその歴史に名を刻む向井滋春の名盤『LIVE 97』のジャケ写だ。いやあ、嬉しいなぁ。実は私も昔から密かに似てると思ってたんだよ。うんうん。そんなわけで、O崎君、例の「焼き」の件、よろしくねーん。




2003.02.08.Sat. 12 : 10 p.m.
BGM :
The Spirit of Jazz

 私がなかなか「あと5キロ」の壁を破ろうとしないのでイライラしている人もいるかと思うが、いちばんイライラしているのは私なのであって、おまえがイライラしてもしょうがないだろ。不特定多数に向かって無差別におまえって言うなよ。いいじゃねえかイライラしてんだから。ま、要は、やはり減量と仕事の両立は難しいということですね。昼メシ食わなきゃイライラしちゃって原稿なんか書けねえんだよべらんめえ。食ってもイライラ。食わなくてもイライラ。

 しかしそれでもカウントダウンを始めてからおよそ20日で1キロ減っているわけで、このペースで行けば1年で18キロぐらい減るのである。4年で20キロのサンプラザ中野がダイエット本を出せるなら、私にだって出せそうだ。減量法の説明が3ページぐらいで終わってしまいそうなのがネックだが、なにしろ私ときたら昔から何でも200ページ分まで膨らませるのは得意だから、きっと何とかなるだろう。半分ぐらいサッカーのことが書いてあったって、どうせ誰も読まないからバレやしない。ダイエット本を無駄に太らせてどうするっちゅう話だけれども、まあ、本なんてそんなもんだ。世のダイエット本はすべて原稿のダイエットに失敗していると断言したっていい。

 なので内容はどうにでもなるのだが、企画を通す上での問題は、私にサンプラザ中野ほどの知名度がないことである。私が痩せたところで誰も関心なんか持たん。したがって、この場合、また漫画に頼るってもんだよな。でも、ダイエット漫画なんてあったかなぁ。あ、そうか。減量といえばボクシングじゃないか。そうだそうだ。それに決まり。タイトルは『あしたのジョー減量学』だな。帯はちょっと渋めに、「灰になるまで、痩せてみねえか」だ。いいねー、いいねー。

 んで、それを出すと、こんどはボクシング雑誌で「お茶の間にボディブロー」と題したコラムを書かせてもらえるっていうナイスな筋書きである。うへへへへへ。お茶の間シリーズだ。その次は、やっぱ大相撲雑誌だよな。タイトルは「お茶の間はテッポウ厳禁」でどうか。うんうん、行けそう行けそう。そりゃあ、大相撲といえばテッポウ厳禁だよ。いくら相撲好きだからってテッポウしちゃいかんよなぁ。さらにベーマガ方面の専門誌で「お茶の間にリターンエース」「お茶の間で天井サーブ」「お茶の間から一本背負い」「お茶の間をドライビングモール」等の連載を経たのちに、最終的には天下の『スイング・ジャーナル』で「お茶の間にストレート・ノー・チェイサー」を書くのが人生の目標だな。やはり、キャリアの締めくくりはストレート・ノー・チェイサーでしょう。うんうん、少なくともチュニジアの夜じゃないと思う。「お茶の間にチュニジアの夜」じゃ、どこにいるのかよくわかんないし。

 いや、しかし考えてみるとジョーは講談社だから、集英社系列から出すなら『リングにかけろ減量学』か。そうなると帯の文句も賑やかにしないとな。「話題のスペシャル・ローリング・サンダー体操を取り入れた最先端のギャラクティカ・マグナム・ダイエットで、あなたも半年後にはブーメラン・フックが打てる!」……たしかに賑やかだけど、打てるようになってどうするんですか先輩。以上、本日の妄想はおしまい。

 きのう、P社の担当H氏から電話があった。最初、「あ、どうも〜」なんて軽く受けてしまったのだが、0.5秒後に、P社からは「2月末アップ」の仕事を発注されていたんだと思い出し、やおら態度豹変して「すすす、すみませ〜ん」と平身低頭である。本来なら、とっくにそっちに取りかかっていないといけないのだ。どうも、あっちゃこっちゃから仕事を受けていると、「誰にどの順番で迷惑をかけているのか」が瞬時に判断できなくていけない。「3月末アップ」のK社や「4月末アップ」のS社からの電話だったら、「あ、どうも〜」でよかったんだけどね。いやはや、P社にはもっと早くこっちから遅れ具合を連絡しとくべきだった。反省。とりあえず、詫びに詫びまくって、「3月第1週まで時間ください」で了承していただいた。そこまでにP社が片づけば、K社の「3月末」は何とかクリアできるに違いない。つまり、P社とK社ともに本来4週間かかる仕事をそれぞれ3週間で片づけることによって、今回のロスを取り戻そうという作戦である。これはもう、作戦というより「大作戦」だな。名付けて、「6週間で2冊書いて帳尻合わすぞ大作戦」だ。だれか戦車と爆撃機を貸してください。うー。本当にそんなことができるのか私。と、先のことで胃を痛めている場合じゃないですね。まずは目前の仕事をはよ片づけなさいっちゅう話だ。うー。うー。




2003.02.07.Fri. 10 : 40 a.m.
BGM : "Kay'n Vocalism"

 あるボーカリストの女性(※矢野真紀ではありません)からメールを拝受。この日誌で褒めているのを読んで嬉しくなったそうだ。そう言ってもらうと、私も嬉しい。私ごときのちょっとした言葉でも、誰かの励みになるのは良いことだ。私もどれだけネットに励まされたかわからない。これはある友人への年賀状にも書いたのだが、どこかで誰かが読んでくれている、どこかで誰かが聴いてくれていると信じて頑張れる世の中は、悪い世の中ではないと思う。

 それにしても、もう百回以上は聴いている声の持ち主から「はじめまして」とメールをもらうのは、なんだか不思議な感覚。全然「はじめて」の感じがしない。「声」っていうのは、その人のパーソナリティを伝えるのに十分な背景情報になるのだなぁと思った。それは、たぶん、「身体性」とか「肉体性」とかそんなようなことだろう。「肉筆」というだけあって、手書きの手紙にはそれが備わっているが、デジタルテキストからはそれが抜け落ちている。私はそう感じる。だから、それを補う背景情報がないと、のっぺらぼうのツルツルした手触りしか感じられないのではないだろうか。まあ、のっぺらぼうでいたい人はそれでいいのかもしれないけれど。私はのっぺらぼうと対話なんかしたくない。

 ところで、「ボーカリスト」と「シンガー」は何が違うんでしょうか。「ジャーナリスト」と「ルポライター」みたいなもので、後者が前者の部分集合なのか? 逆か。ボーカリストがシンガーの部分集合か。シンガーのうち、楽器を持たずに歌だけ歌う人がボーカリスト?




2003.02.06.Thu. 18 : 00 p.m.
BGM : Chick Corea "return to forever"

「私もスールシャール問題に興味があります」という(たぶん名前からして)女性よりメールを拝受。どうもありがとうございました。はじめまして。「マーチン・ピータースのいた頃からトッテナムだと思っていたので」朝日新聞の「トットナム」という表記が許せない、これについて「いかがお考えでありましょうか?」とのことである。どう考えるかって言われても、各自好きなように読めばいいっていうのが私の言いたかったことなので、どうもこうもないんですけどね。あのコラムを読んでくれたのかどうか、頂戴した文面からはわかりませんが。

 まあ、お気持ちはわからんでもないですが、「トッテンハム」って書かれるよりはマシじゃないですか。何かを許せないと思ったときは、「もっと悪い状況」を想像すると寛容な気持ちになれるものです。実を言うと私も今、ローマダービーでトッティにハットトリックを決められた場面を想像しているところだ。なぜならラツィオがコッパ・イタリアの準決勝第1戦で、コモより弱いはずのローマに負けたからである。2-1だってさ。カッサーノとエメルソンだ。あー、よかった。トッティじゃなくて。パンカロのオウンゴールもなかったみたいだし。それが何より嬉しいよなぁ。どうだワトソン君、キミも嬉しいだろう。うんうん、嬉しい嬉しい。そうだろうそうだろう。なんかこう、心の中がすーっと洗われるような気がするよね……って、テメ、コノヤロ、ラツィオが負けて何が嬉しいんだ、これか、この口か、この口がゆったのか。くっそぉ。カッサーノ許すまじ。ところで、これ、どっちのホームゲーム扱いなんだ? 次はウノゼロでいいの? そんなことが可能かどうかは別にして。

 で、あのう、メールなんですけれどもね。このごろ知らない方から頂戴する機会が増えていて、それはとーっても嬉しいんですけど、えーと、これは昔から漠然と感じていたことなんですが、できることなら、もうちょっと、自己紹介みたいなことも書いてもらえるとありがたいんですね。差し支えない範囲で、年齢とか、性別とか、ご職業とか、九州の北のほうに住んでるとか、私の書いた何を読んで興味を持ったのかとか、そんなようなこと。

 そういう背景情報って、BBSなんかでは完全に欠落してるわけで、だから私はあまり立ち寄らないようにしているんですけども、マトモなコミュニケーションを取ろうと思ったら、欠かせないものだと私は思うんですよ。同じ意見でも、18歳の人が言うのと62歳の人が言うのとでは意味合いが違ってきたりするわけですし。敬語とかそういう日本語の特性を考えても、相手の年齢によってコミュニケーションのスタイルは変わったりするわけですし。まあ、「バイアスのかかってない純粋意見」に価値を見出す人もいるんでしょうけど、私は必ず本の「著者プロフィール」から読む人間なので、そういうのが苦手なのである。だって、名前も年齢も性別もわからない人から、いきなり「そうそう、昨日のラツィオって本当に」から始まるメールをもらっても、ちょっと困ってしまうじゃありませんか。

 というか、ふつう、自分のことを知らない人に初めて接触するときって、何かしら自分の背景情報を伝えたいもんだと思うんだけどなぁ。この際だからハッキリ申し上げますけど、私、これまでメールを頂戴した方々のうち半分ぐらいは、どれが誰だか区別がついてません。それは、たとえば、2ちゃんねるの膨大な匿名カキコが5種類ぐらいのパーソナリティに分類できそうな気がするのと同じような感覚です。あなたはこの日誌を通して私の背景情報を(家族構成から体重の変動にいたるまで)知っているだろうが、私はあなたのことを何も知らない。メールを出せばインタラクティブかっていうと、全然そんなことはないのである。要するに、私は掲示板ではなく生身の人間だ、っていうことが言いたいんですが。

 ゆうべは、アトレチコ・マドリー×バルセロナ(リーガ第20節)をビデオ観戦。諸事情あって、コラムの入稿前に「今週のガスパール」をチェックしたかったのだが、一度も映らなくて残念だった。っていうか、来てなかったのか。さすがにもう公衆の面前に姿を現すのが躊躇われたのかもしれない。で、それは正解でした。3-0だ。そら羽中田さんもボヤくっつうの。クリスタンバルに替わって入ったあの何とかいう若いセンターバックの動きを見て、「ああ、彼、スピードがないかもしれない……」と呟いた一言が、なぜかツボにはまって大笑いしてしまいました。ああ、彼、スピードがないかもしれない。こうして改めて書いても、なんであんなにおかしかったのか我ながらよくわからないが、おかしかった。でも、ロチェンバックとホセ・マリの同時退場シーンは心暖まるものがあったよなぁ。ついさっき蹴り入れた相手と、なんであんなに仲良しこよしで歩けるんだろう。かたや上司と大喧嘩、かたや浮気発覚で奥さんと大モメしてるサラリーマンが、赤提灯で傷を舐め合っているような風景だった。ま、お互い、元気出そうや。

 引き続き、ベティス×ラ・コルーニャ(リーガ第20節)をビデオ観戦。ベティスを見るのはものすごく久しぶりだ。いきなり田舎臭い感じになっていたのでびっくりした。怪我人続出とはいえ、ホアキンとデニウソンの両翼は揃っているのに、ホアキンとデニウソンが両翼にいるように見えない。ダメじゃないか。ホアキンとデニウソンが両翼にいるように見えるサッカーをしないと面白くないじゃないか。雑駁さではデポルも負けていなかったが、ちゃんとマカーイとトリスタンがトップにいるようなサッカーをして0-2。マカーイとトリスタンのゴールである。文章がくどい。それにしても、先月からうっかり似てる人ハンティングを仕事にしてしまい、〆切を控えて血眼で探していたら、倉敷さんにあっさり「ドゥシェルとくりーむしちゅーの何某」という逸品を披露されてしまいました。あー。似てるなー。「ドゥシェルはメキシコのブランコと同じくらい首が短い」ことには気づいたのだが、それは気づかなかった。ちょっと悔しいっす。でも、愚妻がこの試合で一つ見つけてくれたので助かった。まさに内助の功。





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