edogawa's diary 02-03 #22. 『冷蔵庫と握手する50の方法』
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2003.02.27.Thu. 11 : 00 a.m.
BGM : 向井滋春 MORNING FLIGHT "LIVE 97"

 ゆうべは、サッカーを見ながら某洋酒のタイアップ原稿800字を執筆。「赴任先のロンドンから帰国した男が、西麻布のバーで友人の男女(各1名)と久しぶりに再会したというシチュエーションで、ひとまわり成長した大人の酒というイメージを」という注文である。うー。背中がムズ痒い。ポピュラーソングの作詞って、もしかしたらこんな感じで依頼されるのかも。西麻布なんぞには縁がなく、ロンドンといえばアーセナルやチェルシーのことしか知らない人間に頼む原稿じゃないです。

 それにしても、いまだに、こういうタイアップ記事というものの意味がよくわからない。必要なのか、そのテキストは。誰か読むのか。タイトルと西麻布のバーで撮影したモデル3人の写真とキャプションがあれば十分ではないのか。などとブツブツ言っていたら、グラフィックデザイナーでもある愚妻に、「そうだけど、デザイン的にそういうのが欲しくなるのよ」というようなことを言われた。なるほど。デザインの一部としてのテキストか。つまり、観葉植物やBGMのような文章を求められているわけだな。そう認識した私は、書棚からおもむろに『海辺のカフカ』を取り出し、無作為に開いたページを読んだ。いや、べつに、村上春樹が観葉植物やBGMのようなものだというわけではないのだが、なんか自分が持ち合わせていない「ムード」に浸らないと書けないような気がしたのである。で、その結果、「僕」の一人称によるテキストがわりとスラスラ書けた。小説にもいろんな使い道があるものである。出来上がったテキストは村上春樹に似ても似つかぬ代物だが、読んだのが高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』だったら、原稿のテイストはまるで違ったものになったことだろう。結局、私は、誰かにならないと文章が書けないのかもしれない。

 そんな原稿を書きながら、ユベントス×マンチェスターU(CL2次4節)をビデオ観戦。<彼と彼女を待つあいだ、「時間」のことを考えていた。>という書き出しの1行をしたため、そのムズ痒さに身悶えしていたら、ベンチにいたはずのギグスがなぜかフィールドの上で先制ゴールを決めていた。ダメじゃないか12人でサッカーしちゃ、と思ったらそうではなく、フォルランが開始早々に故障して交替したらしい。何なんだよ。だったら最初からギグス使えよ。ファンニステルローイも使えよ。出し惜しみすんなよ。ファーガソンの選手起用って、ほんと、ケレンがあって好かんね、私は。松竹新喜劇あたりの演出家がお似合いだ。見たことないけど。松竹新喜劇。そんなこんなで、0-3である。何やってんだユベントス。ピッポがいればなぁと思ったのは私だけだろうか。ハイライトでトマソンのゴールをアシストしたプレイを見たが、なんか、最近、ピッポったらサッカーが上手くなっているような気がする。彼、あんなトラップできたっけねぇ。そのぶん、鬼畜のごとき決定力に影が差しているような気もするが。

 引き続き、ドルトムント×レアル・マドリー(CL2次4節)を見た。前節の再現のようなコレルのゴールでドルトムント先制。でも、この相手に1点で勝とうというのはムシがよすぎるのだった。歯を食いしばって守る姿は人の胸を打つものがあったが、ロスタイム、前線でアモローゾがボールを奪われ、マドリーのカウンター。バラけた守備網を巧みに破られ、ポルティージョのゴールで1-1のドローである。終了間際に投入された両ストライカーが明暗を分けた格好になった。しかし、そんなことより、この試合でいちばん気になったのはベンチのカンビアッソだ。あの、危険防止のために指輪やピアスの上に巻くテープを何と呼ぶのか知らないが、あれを、カンビアッソは、食っていた。食ってたよねぇ。私には食っているように見えた。食えるのか、あれは。食えたとしても、食いたいか。何度もビデオでリプレイしてみた結果、どうやら「テープにくっついたガムをはがして食った」という愚妻の説が有力なようだが、しかし、そうだとしても、そのベトベトはガムのベトベトかテープのベトベトかわからないじゃないか。というか、どうしてガムがテープにくっつくんだ?




2003.02.26.Wed. 11 : 10 a.m.
BGM : 矢野真紀 "そばのかす"

 うー。体調わるい。喉はガサガサ、鼻はぐしゅぐしゅ。なにしろ3月末までに2冊書かなければならないので、今回はキックオフ直後からロスタイムのつもりで戦わなければならないのだが、なかなかテンションが上がらない。と、グズグズしていたら、マッキー事務所からタイアップ記事の資料がファックスで届いた。あー。そういや先週、そんな仕事があるって言われてたっけね。すっかり忘れとったわい。わいわい。おまけに例の商品情報5〜6本も頼まれた。「なんか、これ、レギュラーになってません?」とマッキー編集長に訊いたら、「前は俺が自分で書いてたんだけど、年末に1回頼んでからヤミツキになっちゃって」とのこと。そりゃあ人に書かせたほうが楽ですわな、外注費のこと考えなければ。というか、これを社長自ら毎月書いていたと聞くと、編プロは大変だなぁとあらためて思わざるを得ません。それにしても。そんなこんなをコツコツ書いているうちにサッカーズの〆切もやって来るわけで、こうしていつも書籍の仕事が後手後手になっていくのだった。いかん。

 テープ起こし原稿における著者と私の会話。

R先生 江戸川君、この角度から見ると、桑野信義に似てるね。
江戸川 えっ、ほんとですか?
R先生 ちょっと俯いてるところを上から見ると。
江戸川 初めて言われた。ちょっとショック。
 そういえば先日、セガレが「これ、とうさんに似てるね」と言うので何かと思ったら、週刊サッカーマガジンの表4、アシックスの広告に出ているベーロンだった。伊藤博文、さる高貴な弟さん、プリングルスマーク、向井滋春、桑野信義、ベーロンと、ヒゲが生えてりゃ誰でも私に似てんのかっちゅう話だが、さっき久しぶりに自分の著者近影を見てみたら、どれにも似てないと思いました。いまの私自身にさえ、あんまり似ていない。

 関係あるような無いような話だが、きのう、私の文体アイドルのひとりであるところの宮沢章夫先生の顔写真を、ネット上で初めて見てしまった。後悔した。いや、べつに、ヘンな顔だったわけではない。むしろ、魅力的なお顔である。単に、私が勝手にイメージしていた顔とは違ったというだけだ。じゃあ、どんな顔をイメージしていたかというと、これが自分でもよくわからない。たぶん、文章(あるいは文体)そのものを一つの人格として把握していたんだと思う。私にとっての宮沢章夫はその文章の中だけで完成しており、顔とか体とかそういう実体は必要なかった、という感じでしょうか。行間に揺るぎない人格が詰め込まれたような文章を、私も書けるようになりたい。

 ゆうべは、カイザースラウテルン×ハンブルガーSV(ブンデスリーガ)をビデオ観戦。うわあ。クローゼの相棒ってロクベンツだったのかよ。知らなかった。上半身でしかサッカーしない奴を2トップに並べてどうすんだ、空中戦以外で点取る気あんのか……と思っていたら、2人とも足で決めて2-0。あらあら。サッカーは何が起きるかわからない。クローゼのダイレクトボレーはすばらしかったが、あんた、あのボールは土下座ヘッドの高さでしょう。あれを頭で決めてこそのクローゼじゃないか。

 この日誌には記していなかったと思うが、高原がゴールを決めたバイエルン戦も含めて、ハンブルガーの試合はけっこう見ている。ハンブルガーを見ていると、中田がいた頃のペルージャを思い出すのはどうしてだろうか。マハダビキアとかバルバレスとかカルドーソとかホラーバッハとかミーチャンハーチャンとか、キャラクターが立っている奴が多いからか。ミーチャンハーチャンじゃないよ。ピーケンハーゲンだよ。しかしホラーバッハってこたあないよなぁ。ホラーバッハ。「テレビの実況を聞いていて復唱したくなる名前ランキング」のベスト3に入るよね。ちなみに1位はバカヨコ、2位はルアルアですが。バカヨコ。まだマルセイユにいるんだろうか。




2003.02.25.Tue. 11 : 15 a.m.
BGM : Sonny Clark "Cool Struttin' "

 口述原稿の熟読&整理がゆうべで終了。執筆前の準備作業って、いつもどうしたらいいか悩む。十年以上やってるのに、決まった作法や段取りというものがない。もっと作業の効率化についてちゃんと考えてくればよかった。

 ともあれ、人生には芸術が必要だ、というような原稿をこれから250枚書くんである。じゃあ毎日芸術のことを考えて暮らすのかというと、他人の芸術論を書く場合は自分の芸術観が邪魔になったりするので、実は芸術について考えない日々になるというのがこの仕事の妙なところだ。考えないが、考える。考えるが、考えない。他人の頭が考えることを自分の頭で考える。書き終えた頃には、どれが自分の頭かわからなくなっている。

 なので、知らず知らずのうちに著者の世界観が身に付いてしまっていることも多い。このあいだも、編集者との雑談の折に「本のタイトルって、それで売るっていうより、販売担当者や書店のモチベーション向上のために重要なんじゃないの?」と発言したら、「そうそう。それ、N先生も同じこと言ってました」と言われた。N先生の本を、私は何冊も書いたことがあるんである。本のタイトルについて書いたことはなかったし、N先生がそんなことを言っているのは知らなかったが、そう言われてみればいかにもN先生が言いそうなことなので、なんだかなぁ。受け売りと知ったかぶりの人生である。

 しかしまあ、当たり前だが他人に影響されない純粋オリジナリティなんかあるわけないんであって、それを考え始めると芸術について考えることになってしまうのだが、たとえば文体について、著者の名文家R先生でさえ模倣したアイドルがいたという話には大いに安心させられるのだった。昔この日誌にも「文体は伝染する」というようなことを書いた記憶があるが、そういうことである。で、今回はR先生の独特なナレーションを生かした文体で書くという、ふだんあまり意識しないテーマを課せられているのだが、うまくいくだろうか。とはいえ文体やナレーションは詳細な分析と学習によって身につけられるようなものではたぶんないので、自然に感染していることを信じるしかないけれど。ライターとしてのセンスが問われている。

 ゆうべは、先週のアーセナル×アヤックス(CL2次3節)をビデオ観戦。自宅の居間にあるMacの向きを変えて、テレビを見ながら仕事ができる態勢になったのだが、当然ながらどちらも中途半端になるのは避けられないのであって、試合の詳細はよくわかっていない。でもアーセナルはアーセナルらしかった。相手がどこの国のチームだろうと、アーセナルの「文体」は変わらない。あの「文体」をほかのチームが模倣するのは可能なのだろうか、不可能なのだろうか。どういう練習をするとああいう「いつ誰が見てもアーセナルのように見える文体」が確立できるのかが知りたい。しかし文体がすばらしくても勝てないのがサッカーなのであって、試合は1-1のドロー。ビルトールの先制点は、バカバカしいくらい簡単に決まっていた。ちょうど、セガレがとしまえんの決勝で対戦した「ピンクの3番」のゴールが、あんな感じだったと思う。つまり、未来の小野が未来の一般人を相手にサッカーをするとこうなる、という類のゴールが、チャンピオンズリーグの大舞台でもあり得るということか。話は横滑りするが、次回の「熱闘としまえん」は4月13日だそうだ。最高で金、最低でも金とは言わないけれど、がんばってもらいたい。




2003.02.24.Mon. 11 : 30 a.m.
BGM : Keith Jarrett "MY SONG"

 土曜日はユネスコ村&西武園、日曜日は居間の模様替え。しばらく放置していた家庭をかえりみる週末であった。こんどは、いつ、かえりみられることやら。なにしろ8月末までに7冊だ。どうするつもりなんだ夏休みは。それにしても西武園は空いていた。先月行った豊島園といい西武園といい潰れた向ヶ丘遊園といい、遊園地の寂れ方はひどいものである。努力のあとが見えないからしょうがないけど。道案内は不親切だわ食い物はまずいわで、人に遊んでもらおうというキモチがぜんぜん伝わってこない。ディズニー方面に無い「夏のプール」だけで商売しようって魂胆なのか。

 でも、ユネスコ村の恐竜館だけはなかなかのものだった。船に乗って恐竜の栄枯盛衰をたどるアトラクションは、カリブの海賊より数倍おもしろい。2階の特別展示には、「アロサウルスはあなたの何人分?」という体重計があった。半年前だったら絶対に乗らなかったが、いまの私は違う。前に乗ったお父さんが「11人分」だったのに対し、私は「12人分」だった。わはははは。ざまあみろ。おまえがたった11人でアロサウルスになってしまうのに、私はアロサウルスになるのに12人も必要なのだ。私のほうがものすごく軽い。同じフロアには、恐竜のうんちもあった。もちろん化石だが、触ると「きょうりゅうのうんち タッチ証明書」がもらえる。アラレちゃんの「勇気の人差し指」を思い出しながらセガレと2人で触った。でも、ほんとうにあれはうんちなのだろうか。というか、うんちが化石になるということがよくわからない。発掘した人は、どの時点でそれがうんちだとわかったのか。理屈からいって、恐竜のうんちは恐竜の個体より数が多いはずである。掘っても掘ってもうんちばっかりという状況に、人は耐えられるものだろうか。「あーあ、またうんちかよ」とボヤきながら、しかしものすごく丁寧にハケでまわりをきれいにする発掘人。それを人は「プロ」と呼ぶ。プロの日常は、意外に地味である。

 ゆうべは、ラツィオ×アタランタ(セリエ第22節)をWOWOWでライブ観戦。「見る者をサッカー嫌いにさせるにはどうしたらいいか」というテーマに22人で取り組んでいるようなスコアレスドローだった。つまらーん。ピオホが何度も何度も何度も何度も上げては弾き返され上げては弾き返されている左からのクロスを見ているうちに、だんだんキモチ悪くなってきたよ。ほかの方法はないのか、おまえら。なんか知らんが引き分けばっかしだ。UEFAカップも、クラフトワークだかビスマルクワクワクだかというポーランドの田舎チームにアウエーゴール3つもブチ込まれて引き分けたらしいし。ほんとは何だっけ。ビスワクラクフ? 何でもいいや、そんなの。私は機嫌がわるい。

 ラツィオ戦の前に、バルセロナ×ベティス(リーガ第23節)を前半だけ見た。バルサ、強いじゃん。元気はつらつじゃん。サビオラ、コクー、サビオラでバカスカと3-0。コクーはまた投げキッスしていた。すっかりポイントゲッターだ。後半にもサビオラが決めて4-0の大勝だったらしい。いやあ、ソリンが入っただけでそんなに強くなるんだったら、手放さなきゃよかったよなぁ。そういうことじゃないですね。諸事情あって、ルイス・エンリケの復活はあと1週間ぐらい後にしてほしかった。理由を知りたい人は、月刊『サッカーズ』4月号を読め。八塚さんのコラムはすごくおかしいです。そういえば、このあいだ何かの拍子に、八塚さんと愚妻の誕生日が同じだという驚愕の事実が判明したのだった。同じ紙の裏表で連載しているのも、何かの縁かもしれない。一度お目にかかりたいものです。

 驚愕の事実といえば、これまで私が別々に認識していた読者お二人(かたや面識あり、かたやネット上だけ)がお食事をなさったらしい。どういうことなのか、よくわからない。まさか読者100人で私の知らないうちにオフ会とかやってんじゃないだろうなぁ。みんなで何を相談してるんだよぉ。私を仲間はずれにしないでおくれよぉ。オリエント急行には乗らないほうがいいかもしれない。




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