edogawa's diary 02-03 #23. 『雑文の雑は雑巾の雑』
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2003.03.20.Thu 13: 45 p.m.
BGM : SUPER BEST OF CASIOPEA

 戦争が始まった、らしい。

 その報道を知る前に、友人から、「世界的悲劇を回避するための署名」を求めるメールを受け取っていた。それは、こんな文面である。


 アメリカの連邦議会はつい先日、イラク攻撃の判断を大統領に委任する決議を可決しました。このメールは急を要する依頼であることをご理解下さい。国連の「平和についての請願書」は対立ではなく平和を主張しています。イスラーム世界が敵なのでありません。戦争は答えにはなりえません。今日、世界情勢はともすれば第三次世界大戦に突入しかねない危ういバランスの上にたっています。国連は現在、この世界的悲劇を回避する為の署名を集めています。もしあなたがこの悲劇的可能性に対して反対であるならば、このメールを「転送」ではなく新規のメールに「コピー」して、署名リストの最後にご自分の名前を署名し、知っている限りの人に送って下さい。もし、あなたが500名以上の署名の集まったものを受け取った場合、次の2つのアドレスにそのコピーをお送り下さい。

usa@un.int
president@whitehouse.gov


 この本文の下にはフランス人やスウェーデン人やエクアドル人や日本人などの署名が293人分並んでいた。最初に思ったのは、このシステムだと大半の署名が重複したメールが大量に国連やホワイトハウスに届いてしまい、人数のカウントが難儀なのではないかということだったが、まあ、その気になれば一人で500人分の署名を捏造して送ることもできるわけで、その真偽を確かめる術がない以上、たぶん数そのものは大した問題ではないのだろう。

 しかし、500名以上の署名が集まったものを受け取った人が主旨に賛同して自分も署名すればいいが、もしその人が署名に反対だったらどうすればいいのだ。自分は署名せずに2つのアドレスにコピーして送るのか。先のメールには、「もし、この請願書にあなたが同意されない場合でも、できればこの請願書を他の方にも転送してください」との文言があるけれど、主旨に賛同しない人の手をそんなふうに煩わせていいものなんだろうか。

 少なくとも私は、一般論として、自分が賛同しない請願書を知り合いに送るなんてことはしたくないと思うが、しかし、名簿の最後に署名している友人が送った相手が全員それをどこにも送らなかったら、友人の署名は国連にもホワイトハウスにも届かないじゃないか。どうなんだ、そのへんのことは。署名して他人に送った時点で、戦争反対の意思表明はできたからそれでいいという話なのか。つまり、なぜ、こういうチェーンメールのようなスタイルではなく、各自が戦争反対メールをホワイトハウスに送るというやり方ではいけないのかが、よくわからないんですね私には。だって、このルールだと、この500人に満たない署名簿を、自分は署名しないし知り合いにも送りたくないけど無駄にしちゃ署名した人に悪いからホワイトハウスには送ってあげよう、という善意に満ちた選択ができないじゃないか。

 まあ、それはいい。私はどうするか、だ。忙しいんだから、ツベコベ考えずに署名して、指示どおり「知っている限りの人」に送ればいいのかもしれないけれど、どうもこういうものを前にすると考え込んでしまうわけで、そもそも私は基本的に「署名運動」というものに関わらないことにしており、それはまず、一般論として、集めている人や団体の素性が信用できず、無論みんながみんな信用できないわけじゃないし、何をもって「信用できる」とするのかも定かではないが、とにかく「何をどういう立場で考えているのかわからない人たち」に対する本能的な警戒心のようなものが私にはあって、送信者である友人のことはもちろん信頼しているものの、その文面は見知らぬ誰かが書いたものでしかなく、そのギャップがどうにも居心地悪いんだよなぁ、というようなことを考えつつ、で、どうなんだ現状はと思ってヤフーに行ってみたら、とっくにイラクへの空爆が始まっていたのだった。

 始まってしまった戦争はできるだけ早く終わらせることを考えるしかないように思われ、さて私はいま何をすべきかと考えてみると、何はともあれ2週間で300枚の原稿を書かなければいけないというこの現実はもうどうしようもないのであって、それが戦争と何の関係があるのかはわからないが、結局のところ私は私の仕事を通じてしかセカイに関われないのではないかという思いが私にはいつもあるのだった。そういえば、確定申告もしないといけない。労働と納税は国民の義務である。




 

2003.03.19.Wed 13: 45 p.m.
BGM :
WOLF FM

 誰が買うんだろうと思ったが、ちゃんと買っている人はいるもので、2200円の『ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)はヤマちゃんの会社で毎月購読されているのだった。本人が教えてくれた。げ。私が何を書いているかもバレてしまったじゃないか。そうだよ。そのページだよ。ふつうは大学出たての新入り編集者が書かされるようなその2ページを、おれが書いてんだよ。べつに楽しかないよ。アンスラサイトグレーのボディで宇宙空間の闇をイメージとか、新開発のサーモジェニック・フォーミュラ(高エネルギー化・熱発生処方)配合のジェルとか、意味わかんないでそのまま引き写してるよ。文句あんのかよ。

 おまけに、ヤマちゃんは『週刊ダイヤモンド』も毎週読んでいるらしい。そうなんだー。読むんだー。もしかして、みんな読んでいるの? 私だけが読んでいなかったの? 読んだほうがいいの? 読んだほうがいいのかもしれない。これから書くのもビジネスマン向けの本だからね。ビジネスマンが送っている日常というのが、フリーライターにはまったくわからないので、こういうのはいつも困るのだ。でもなぁ。その『週刊ダイヤモンド』だってフリーライターが書いていたりする(実際、私も書いている)わけだからなぁ。実態を反映してるかどうか、わかったもんじゃないよなぁ。結局、メディアがこしらえたビジネスマンのイメージが、読者によって再生産されているだけなのかもしれん。そうやって、世界はどんどんステレオタイプ化していくのだった。

 ゆうべは、ラツィオ×エンポリ(セリエ第25節)をビデオ観戦。エンポリって、今季初めて見たような気がする。どうも、何がというわけじゃないのだが、様子のおかしいチームだ。いろいろな意味で、サッカーっぽくないっていうかね。まず、監督の容貌がサッカーっぽくない。あれは、どっちかっていうと、プロレスとかサーカスとかそっち方面ではないでしょうか。ムチ握りしめてそうな感じだ。選手たちも、なんか挙動がおかしいよ。やたらハンドが多いし。バレーボールのほうが上手なんじゃないかと思った。

 まあ、エンポリのことなんかどうだっていいのであって、4-1の快勝である。だああ。結果を知っていたので、オッドのバカげた自滅点にも別に腹は立たなかった。クラウディオ、コラーディ、シメオネ、カストロマン(!)で楽々逆転だ。アルゼンチン人全員ゴールである。しかし、ずいぶん減っちゃったもんだよな、アルゼンチン人。昔は半分ぐらいアルゼンチン人だったのに、この試合なんかスタメンはクラウディオだけだ。ソリンもいなくなっちゃったしね。いなくてもいいんだけど。

 それにしてもシメオネである。顔と名前で押し込んだとしか思えないゴールだった。なんの気合いも念力もこもっていない横パスみたいなシュートだったのに、それまで好セーブを連発していたGKは遠慮がちに左手を差し出しただけ。ボールはゆるゆるとゴールに転がり込んでいった。なんだよ、おれのシュートはビシビシ止めるくせに親分は顔パスかよ、と、フィオーレは愚痴っていることだろう。ゴールマウスに顔パスが利く男、その名はシメオネ。偉大だ。偉大としかいいようがない。

 引き続き、アラベス×バルセロナ(リーガ第26節)を見る。さすがに徹夜明けのため途中でダウンしてしまったのだが、最後まで見た愚妻によれば、スコアレスドローだったらしい。いかんなぁ、バルサ。過去3試合で63失点もしていた相手から1ゴールも奪えないとは。63点も取られてないか。よく知らないけど、アラベスってズタボロだったんでしょ? そんなことはともかく、これは数ヶ月前から気になっているのだが、フランク・デブールの眉毛は以前にも増して目との距離が縮まっていないか。このままだと、やがて眉毛が睫毛と同化してしまうんじゃないかと心配だ。いや、それならまだいい。下降を続ける眉毛が、目を追い越してしまったらどうしてくれるんだ。目の下に眉毛があったら、眉毛なのかヒゲなのかわかりにくいじゃないか。そして、そのときロナルトの眉毛はどうなっているのか。やはり目の下なのか。双子の運命やいかに。




2003.03.18.Tue 18: 15 p.m.
BGM :
WOLF FM

 脱稿だス。

 ……と、今回は特別にいなかっぺ大将になってみました。にゃんぱらり。どうでもいいが、全104話のタイトルを見ると、「ズッコケ」がやたらに多いだス。当時は新鮮な響きがあったのかなもしかして〜ん。

 そんなわけで、徹夜明けでへろへろだ。なんか距離感が狂っちまって、予定より20枚も余計に書いちゃったよ。きのう1日で55枚だ。途中で「こりゃ250枚で終わらんぞなもしかして〜ん」と気づいたのだが、どのネタを削るかぐずぐず考えるよりも、見境なく闇雲に書き切ったほうが早いと判断したのだった。まあ、20枚程度のオーバーで済んでよかっただスな。

 しかしホッとするのも束の間、今日も2ページの商品情報を書かなければいけないというのが信じられない。信じたくない。もう2年ぐらいやっている仕事であるにもかかわらず、このあいだ初めて掲載誌を送ってもらって、自分が『ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)という雑誌の原稿を書いていたことを今頃になって知った。何これ、すげえ立派な雑誌じゃん。うわ、2200円もするんでやんの。誰が買うんだ。紙質もツルツルのオールカラーだったんで、なんとなく活版雑誌をイメージしてテキトーに書き殴っていたことを反省してしまいました。活版ならテキトーでいいのかという問題は、この際、不問に付すように。

 これに加えて、これからは『週刊ダイヤモンド』という一度も読んだことのない(というか触ったこともない)雑誌にも毎号1本(500字)の商品情報を書くことになり、それは昨日やっつけたのだが、マッキー編集長から「筆者名のクレジットがあるんだけど、どうする?」という電話をもらって困惑した。こんなリライト原稿に名前なんか載せんでええわ。載せるなら、もっと好き勝手に書かせてくれっちゅう話だ。もっとも、HDD内蔵DVDレコーダーの紹介記事を好き勝手に書けといわれても困りますが。で、「本名ってのも何だしな〜、どうしようかな〜」と迷っていたら、マッキー編集長が「じゃあ、こんなもんには書き手としてのココロザシがないってことで、本名から”志”の1文字を取るってのはどうだ」と提案してくれ、思わず「うまいっ」と唸ったのだった。感心している場合なのかどうか、よくわからない。

 そうかと思うと、突然見知らぬ編集プロダクションから電話が来て「あのう……深川さんですか?」と訊かれるのだから、ますます自分が何者なのかわからなくなるというものだ。だからって「あ、えーと、そうです。深川でもあります」という答え方もどうかと思うが、何やら『キャプテン翼』の20周年記念本にコメントを寄せてくれという話で、なんとも発注される仕事のダイナミックレンジが広くてうろたえるのだった。コメントというので、その場で何か急に喋らされるのかと思ってドギマギし、喋るのは苦手だから断ろうかと思ったのだが、よく話を聞いてみたら150字〜400字で書けばいいということだったのでヨカッタ。書くなら任せろ。しかし短いな。コメントとはそういうものだとはいえ、ヒトケタ違う感じである。仕事史上最短の原稿かも。こりゃ原稿っていうよりキャプションだなキャプション。などとブツブツ言っているうちに、やがてコメント依頼書なるものがファックスで届き、そこには「なぜ深川様か」と題された一文もあって、これはなかなか凄いフレーズだと思った。なぜ深川様か。ある意味、声に出して読みたい日本語である。ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの? そんなことを訊かれても困るし、私はロミオではないが、そういうことじゃないですね。しかし、私も逆の立場でこういうものを書いたことがあるが、必要ないですよ、これは。そりゃあ、いきなり野口英世の限定缶ビールについてコメントを求められれば「なぜだ!」と(いろいろな意味で)叫びたくもなるだろうが、英世じゃなくて翼だからね。まあ、もう翼はいいかなあと思っていたものの、行きがかり上そういうこともあろう。ふむ。20周年か。何を書けばいいんだろう。短いのは難しいなあ。なにしろ私の場合、あの本を書くことになるまでキャプテン翼という漫画をほとん(以下略)。

 ともあれ、ようやく2月の仕事が終わって、私の中では今日から3月だ。短いなあ、3月。あと2週間って、おいおい。今月の仕事は、W先生による「40代のサバイバル術」みたいな話である。わかったようなわからんような話だが、まあ、W先生は4冊目だからね。お手のものだよ。大丈夫大丈夫。左手でも書けるっちゅう奴だ。いつだって、書き始める前は仕事をナメている。




2003.03.15.Sat 14: 55 p.m.
BGM :
HeadPhoneRecord

 きのう夕刻に帰宅したら、セガレがバリ島へ行く準備をしていた。なにやらビニール製のバッグにガラクタをぎっしり詰め込んで、「これ、バリに持ってく」という。だれがバリ行く言うたんや。そんなカネもヒマもありまへんがな。しかしまあ、まさかセガレが父親の日誌を読んだはずもなく、妙に親子の気分がシンクロしていて怖い。奴は奴でストレス溜まってんのかなぁ。そんなわけなので、せめて表紙だけでもスカッとさせようと思い立ち、春夏バージョンに衣替えしてみました。南の島は見えないけれど。

 ゆうべは、ユベントス×ラ・コルーニャ(CL2次5節)をビデオ観戦。トリスタンとマカーイがノルマをこなすかのように1点ずつ決めたデポルだったが、ロスタイムにトゥドールの闇雲な左フックが炸裂してノックダウン。なんかこう、公園のシーソーがサッカーしてるみたいなシュートでしたね。ぎっこん、ばったん。まあ、このシーソーゲームの締めくくりにはふさわしい、というのもベタなオチですが。体調わるいので、きょうは短め。




2003.03.14.Fri. 11: 35 a.m.
BGM :
Radiostorm 80s

 ふう。あと75枚じゃ。死に物狂いになれば2日、歯をくいしばれば3日、通常モードなら1週間から10日、スランプ時は1ヶ月かかる分量である。はあ。どっこいしょ。って荷物を下ろすな荷物を。背負ったまま一気に突っ走れ。

 このあいだ、セガレに「神様が人間を作ったときって、何月だったの?」と訊かれた。とてもむずかしい質問。

 ハリーポッターがえらいことになっているらしい。返品を認めない契約で配本した第4巻が35万セットだか70万セットだか売れ残ってしまい、在庫スペースをふさがれた書店が他の出版社の本を返品し始めているんだとか。うへえ。ところ天かよ。とんだトバッチリだ。頼むよぉ。ただでさえ、段ボール箱を開けられもせず、誰の指紋もつかないまま返品される本が山ほどあるご時世なんだからさぁ。あのシリーズのお陰で書店に足を運ぶ人が増えたという話もあり、そういう意味じゃやっかんでばかりもいられないと思ってはいたが、本屋に行ってもハリーポッターしか置いてないんじゃ、波及効果ゼロじゃんか。それはすでに本屋ですらない。言うまでもなく、「ハリーポッター屋さん」だ。強気に返品不可と出た静山社も静山社だが、書店も調子に乗って注文しすぎだっつうの。ほら、ホトケの顔も三度までっていうぐらいなんだから、4巻目は慎重にやらないと。ねぇ。

 しかし、こうなるとですね、全国のハリーポッター屋さんが本来の本屋さんに戻るまで、つまりハリーポッター第4巻が売り切れるまで、新刊を出しても意味ないんじゃないでしょうか、と私は思うのだった。これから8月までに7冊も書いてもさー、置き場所ないんじゃ、出しても速攻で返品食らうだけじゃん。スペースのない敵陣で慌てて細かいパスつないでも、あっさりボール奪われてカウンター食らうのと同じですね。何が言いたいかというと、あんまり前がかりにならないで、様子を見ながらもっとのんびりビルドアップしませんか、ということが言いたい。スペースが空くまで、みんなで南の島でも行こうじゃないか。出版界全員、ハリポタ休暇だ。そのカネでハリーポッター買ったほうが話が早いという説もあるが。

 こうなったら、あれだな。公的資金注入だな。国に買い上げてもらおうよ。ハリーポッター。で、全国の図書館に配ればいいんだよ。おれ、配るの手伝ってもいいよ。そうすると図書館は「ハリーポッター館」になって、ほかの本は置けなくなるからね。読みたかったら本屋さんでちゃんとお金払って買うしかないってわけだ。いい作戦じゃないか。そうそう、ついでにブックオフにタダでくれてやってもいいぞ。ブックオフが「ハリーポッターオフ」になれば、著作権問題も解決だ。そうなって初めて、ハリーポッター・シリーズは、身を挺して出版界を救った名作として歴史に名を残すであろう。ハリーポッターと賢者の捨て石、だ。

 地球防衛家のヒトビトのことが気にかかっている。あれは10日ほど前だったか、朝日新聞夕刊に、あの漫画をめぐる記事が掲載された。反戦デモをネタにした作品に対して、読者から共感の投書が相次いだという話だ。その作品は、こういうものである。

 反戦デモに参加しようと決意した地球防衛家の夫婦だったが、参加したことがないのでどうすればいいかわからない。「電話予約とかは必要ないの?」「お弁当は?」「おやつは200円以下とか?」(※セリフはうろ覚え)などと大騒ぎした挙げ句、とにかく出かけようと外に出たものの、どこに行けばいいのかもわからず、夫が「それが問題だ」と腕組みするところで漫画は終わっている。

 これを読んで、「私も、デモに参加したいのに、どこに行けばいいかわからないんですっ」という投書がたくさん届いたというのだ。それ、読み方が違うんじゃないでしょうか。そんなふうに読んだんじゃ、漫画として少しもおもしろくないと思うんですね、私は。この夫婦の姿というのは、たとえばバブル期に流行りのディスコやらレストランやらに初めて行くに当たって、「バカにされたくない」という一心で、あらかじめ雑誌のマニュアル記事か何かで「作法」を勉強していたヒトビトにそっくりなのであって、世間のムードに流されやすいヒトビトが、マニュアルがないと反戦デモにさえ参加できない(=反戦の意思を表明できない)という姿を、しりあがり寿は笑っている。少なくとも私には、そんなふうにしか読めない。つまり、作者が反戦デモの背景に見ているのは「戦争に反対したい」という意思ではなく、「みんなと同じように行動したい」という横並び意識なのだ。

 そういった問題意識がしりあがり寿にあることは、たとえば同じ作者がメディアとしては朝日新聞とは対極にある『わしズム』で連載を始めた『日系トレンディーくん』を読めば明らかだ。そこでは、ハリーポッターや讃岐うどんなどの流行モノに囲まれていないと心安らかではいられない「トレンディーくん」の姿がオモシロオカシク描かれているんですね。だとすれば、あの『地球防衛家のヒトビト』でも、そういう投書をしてしまうようなヒトビトこそが笑われているのであって、それが作品に対する「共感」だと言われても、しりあがり寿的には困惑してしまうんじゃないかと思ったんです。もしかしたら、そんな読み方をされてしまったことで、作者として敗北感にまみれているかもしれない。

 ところが読者からの反響に大はしゃぎの朝日新聞は、その記事の中で(私に言わせれば)無神経にもしりあがり寿本人に取材し、「信用している友人から誘われでもしないと行かないかも」という、何とも解釈のむずかしいコメントを取っている。ホントはコメントなんかしたくなかったんじゃないかなぁしりあがりさんは、と私は想像するんだよなぁ。連載している以上は邪険にするわけにもいかず、しかしヘンな共感のされ方を歓迎するわけにもいかないので、いわば苦肉の策として出したのが、あのコメントだったような気がしてならないのである。

 で、その後の連載を見ると、彼はまだ困惑を引きずっているように見える。後日談として描かれた作品では、反戦デモには参加したものの、恥ずかしくてシュプレヒコールの声を上げられなかった夫婦が、デモの帰りにカラオケに立ち寄ってうっぷんを発散していた。さらに昨日の夕刊でも、反戦より、もっと日常的な不満について声を上げるべきじゃないかと気づいたヒトビトの姿が描かれている。いずれも、いかに反戦デモというものに切実さがなく、欺瞞に満ちた行動であるかという問題意識によって描かれたものとしか私には読めない。そこに、「どうかわかってください」という、しりあがり寿の内なる叫びを聞くのは私だけだろうか。

 ゆうべは、インテル×ニューカッスル(CL2次5節)をビデオ観戦。くんずぼぐれつの2-2。シアラーの男っぷりばかりが目立つゲームだった。いちばん印象的だったのは、2つのゴールではなく、後半ロスタイムの守備だ。インテルがゴール前で得たFK。何がきっかけだったのか知らないが両軍がいきり立ち、ほぼ全員が口々に罵り合ったり小突き合ったりしながらボール周辺でうろうろと紛糾していたとき、ただ一人、口を真一文字に結んでボールを睨みつけ、両手で股間を押さえたまま微動だにせずに「壁」であり続けたのがシアラーだった。5分間ぐらい壁やってたんじゃないだろうか。すごい集中力。両手で股間を押さえた姿があんなに格好良く見えたのは初めてだ。




2003.03.13.Thu. 17: 15 p.m.
BGM :
Super 70s

 ……で、昨日の続きなんだが、結論からいうと、Yさんの用件は連載打ち切り通告ではなく、人事異動で担当者が替わるので挨拶がてら会いたい、ということなのだった。昼間に電話を切った後、夜になってそういうメールが来た。なあんだ。ぜんぜん、電話で言えない用件じゃないじゃないか。もう。意地悪な人ね。どうやら、フリーランスの危機察知能力を承知の上で私の心を弄ぼうとしたのだが、電話口で私のテンションが想像以上に落ちたのを感じてヤバいと思い、早めに真相を告げるメールを出したようだ。私は気持ちが声に出るタイプなのかもしれない。隠し事ができないタイプ、ともいえる。

 ともあれ、彼が異動してしまうのはたいへん残念である。なにしろ恩人だからね。著書を出したとき、「これを読んで深川に仕事を発注してくれる編集者が一人でもいれば勝ったも同然」と思っていたのだが、そのたった一人がYさんだった。サッカーのスコアみたいなもんで、0と1では大違いだ。私にとっては、マイアミにおける伊東のゴールのような恩人なのである。意味わかんないですか。私もよくわからない。

 まあ、そんなわけでYさんがサッカーズを離れるのは寂しいのだが、新担当者がSさんだというのは誠に不幸中の幸いであった。彼はずいぶん以前からこの日誌を読んでくれていて、何度かメールのやりとりをしていた間柄だったのだが、数ヶ月前、私の知らないあいだにサッカーズを作っている会社に入っていたのだ。それだけでも驚くべき因縁だったのだが、まさか、日誌読者が自分の担当編集者になるとはねえ。この日誌を読んでくれているということは、(まだ会ったこともないのに)私のことをよく知っているということなので、もろもろ説明不要なことが多くて気が楽である。よろしくお願いしますね。連載を打ち切る際は、電話でいいからすぐ言ってください。うー。

 またゴンザレスと長電話。打ち合わせの日程を伝えるためにかかってきた電話が、どうして50分も続いてしまうのか、よくわからない。くっちゃべっているうち、何かの拍子に「絶交」というキーワードが立ち現れ、その流れで、彼と某小説家とのあいだで発生したトラブルのことなどを聞いた。作家の逆上ぶりが実に派手な感じで、それはもはや狂気と呼んでも差し支えないものであり、『噂の真相』あたりが耳にしたらヨダレ垂らして飛びつきそうな話だ。こんど受ける取材のテーマにも関わる話だったので、つい聞いたまま喋ってしまいそうで怖い。まあ、取材を受けるからには、インタビュアーへのサービスとして、オフレコ話の一つも土産に持ってかないとね。取材するほうは、オフレコが多いほど得した気分になるっちゅうもんである。もっとも、ゴーストライターという存在そのものがオフレコだという噂もあるけど。Nさんからの取材依頼にも、「立場的に難しい?」とあった。そう言われると、表に出ちゃいかんのかと不安になったりするのだが、なにしろ隠し事ができないタイプであるせいか、このごろ私の中では「なんでこんなにコソコソ仕事しなきゃいかんのだ」という思いがムクムクと頭をもたげており、ゴーストライターとして発言すべきことを発言したいという欲求が高じていたところなので、取材依頼は渡りに船、ぜんぜん難しくなんかないのである。罪を犯してるわけでもないのに、歯ぁ食いしばってやってる仕事を「公然の秘密」扱いされてたまるかってんだ。……とはいえ、守秘義務に反するようなことを喋るわけじゃないので、関係各位はご安心を。




2003.03.12.Wed. 15: 25 p.m.
BGM : Beatles-A-Rama

 ああ。南の島に行きたいなあ。3月だっていうのに、やけに寒いしね。ここはやはり南の島でしょう。どうだ、思い切って、みんなで南の島へ行ってみないか。カネのことなら、私もないから心配するな。みんなで、一斉に、だーっと成田へ行って、南の島行きの飛行機に乗ろうじゃないか。これはもう、みんなじゃなきゃいけない。私だけ日本を離れればそれは「逃避」と呼ばれるだろうが、みんなで行けばそれは「団体旅行」だ。なにしろみんなだから、そこには担当編集者もいるに違いないが、しかし残念なことに、そこには日本語の書けるパソコンがない。しょうがないなあ、まあ、遊ぶしかないでしょう。そういう話になるに決まっている。なんてハッピーなんだろう、南の島って。まあ、みんながどうしてもって言うなら北でもいいけどね、この際。ミサイル撃ったりしない北ならよろしい。

 そんなわけで、急に日誌を書きたくてたまらない心理状態になったので、脱稿を待たずに再開である。どうやら人には日誌欲というものがあるらしい。ないか。ゆうべ、私が休んでいるあいだ代わりに書かないかと愚妻に言ってみたら、ぜんぜん書きたくないみたいだったし。ないですね、日誌欲。でも私にはある。

 本来なら今日あたり脱稿していなきゃいけないはずだったのだが、全然していない。しそうな気配もない。驚くべき事に、まだ半分弱も残っている。私は私の都合で(つまり次が詰まっているので)10日過ぎぐらいまでに仕上げようと覚悟を決めていたのだが、先週、最初の原稿を送った際に、担当編集者が「20日前後までに上げてくれれば、こっちは構わないですよ」などと言ってはいけないことを言ってっくれちゃったために、すっかり気が抜けたのだった。ダメだよそれじゃ、次は3月末〆切なんだから、と懸命に自分を追い立ててみたものの、将来の苦しみより目先の安楽を選んでしまうのが人情というものである。楽あれば苦あり。苦あればまた苦あり。それにしても確定申告だ。どうするんだ。さっき向井滋春さんの日記を見たら、もう申告書を書き終えたとのことで、それが私に何の関係があるのかよくわからないものの、焦る。じゃあ矢野真紀さんはどうかと思ったのだが、「カニ好きー」と意味のよくわからない記述はあるものの確定申告には言及されておらず、しかしそんなことはどうでもいいのであって、26日にまた『あいいろ』というタイトルのミニアルバムが発売されることを知って狂気したのだった。狂気じゃなくて驚喜だ。しかも、何やらライブを収録したシングルが5日にリリースされておったらしい。知らなんだ知らなんだ。

 5月にサッカー関係のゴースト仕事が入る予定だったのだが、微妙なことになってきてしまった。どうやら他社からも引き合いがあって、どっちにしようか本人が決めかねているらしい。おいおい。正式決定じゃなかったんかいな。そもそも私はSD社ではなく、著者のマネージメントをしている人から仕事を依頼されたので、他社から出すことになっても頼まれるかもしれないのだけれど、古巣のSD社には義理もあるし、そういうアヤフヤなことではこの先どんなことが起きるかもわからないので、どうしたもんかなあという話である。まあ、頼まれてから考えればいいんだけどね。とにかく、私には私の都合ってものがあるんであって、先週もK社からの新規依頼を「8月末まで手一杯なもんで」と断ったばかりだったりするのだが、5月が空くならそこに突っ込めた可能性もあるのだから、アヤフヤな段階で私のスケジュールを押さえないでほしい。断った本がベストセラーなんかになったら、どうしてくれんだよ。予約時の手付け金制度導入を真剣に考える今日この頃。

 『本とコンピュータ』という雑誌を作っているNさんから久しぶりにメール。出版業界の現状にまつわる特集記事の中で、ゴーストライターである私にインタビューしたいんだという。言いたいことは山ほどあるし、取材される側の気分というのはどんなもんかという興味もあるので、私でよければと引き受ける。今月中に、Nさんとは別のライターさんの取材を受けることになるらしい。ちょっとドキドキしますね。すごく慣れているはずの現場なのに、立場が逆になると、それは未知の世界なのだった。喋ったことが他人の手で文章化されるのは、どんな感じなのか。まあ、少なくとも、警察官の調書よりは上手にまとめてくれると思いますが。心配なのは、私の声は聞き取りにくいということだ。口述取材のテープ起こしを見ると、私が喋った部分だけ、やたら「■■■が、■■だから、■■■■■ですよね」と伏せ字になっていることが多い。まるで、放送禁止用語ばかり口走っている頭のおかしい人みたいだ。大きな声でハキハキ喋ることを心がけよう。

 数日前のことだ。コラムの原稿を送った際に、サッカーズYさんが「来週あたり会いたいんですが、お時間いただけませんか」と言ったのである。「何の用?」という気軽な質問を躊躇させる無言の圧力がそこにはあった。私が絶望したのは言うまでもない。だって、電話で話せない用件といえば、この場合、連載の打ち切り通告以外に考えられないじゃあないか。

 様子を見てまた連絡しますと言って電話を切った後、私はそれ以外の可能性を考えてみた。鬱病の治療に有効だといわれている認知療法の真似事だ。鬱病患者というのは、たとえば会社の同僚に「部長が呼んでいるよ」と言われただけで解雇通告だと思い込み、ますます鬱になる傾向があるらしい。これを「自動思考」といって、つまり認知が歪んでいるわけだが、この歪みを正すには、それが本当に解雇通告である可能性は何パーセントなのかといったことを具体的に考えてみるのがいいそうだ。それが100パーセントではないとわかると認知の歪みが是正され、結果、鬱症状も好転するという仕組みである。

 なので、考えてみた。まあ、100パーセントではないだろう。他にも可能性があるはずだ。たとえば、「結婚するので披露宴の司会をお願いしたい」はどうか。ちょっと考えにくい。私と彼はまだ半年程度のつきあいだし、だいたいYさんが独身かどうかも知らないぐらいなのだ。したがって、プライベートな頼み事である可能性はゼロ。「長男が生まれたので名付け親になってください」も含めて却下。

 となると仕事の話しかないわけで、やはり打ち切り通告かという話になるわけだが、まあ、待て。そう結論を急ぐもんじゃない。「あんまり面白いんで、次号から2ページにできませんか」と言われる可能性だって、まったく検討に値しない話ではないだろう。なので検討してみたのだが、これもちょっと考えにくかった。私が1ページを埋めるのに苦心惨憺していることは誰よりも彼が知っているはずだし、たとえそうだとしたって、そんなもの電話で言えっちゅう話だ。

 で、ほかにもいろいろ考えてみた結果、打ち切り通告が100パーセントでないことには確信が持てるようになった。ただし、だからといって気が晴れたわけではない。ほかに考えられる可能性といえば、「原稿料カットさせてください」「今後は隔月ってことで」「廃刊になります」といった、ろくでもない話ばかりだからだ。私は覚悟を決めた。しょうがない。連載は遅かれ早かれいつか終わる。だから、私はいい。しかし、妻に何と言えばいいのか。そしてセガレには。外の空気を吸おうと、窓を開けた。冷たい風が、目に沁みた。(以下次号)

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