edogawa's diary 02-03 #24. 『そして猿もいなくなった』
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2003.04.11.Fri. 17: 10 a.m.
BGM : ゆうせんの懐メロ

 きのうは早朝に脱稿したのち、新学期スタートで幼稚園に行くセガレと入れ違うように帰宅するなり、昼までベッドで気絶。覚醒してから床屋へ。「3ヶ月ぐらい切ってないから、思い切ってやってくれ」と言ったら、顧客データを見た店員に「……前のご来店、10月っすよ」と言われてびっくりした。半年も切ってなかったんかい。あー、さっぱりした。体がごわごわに凝っていたもんで、マッサージを受けながら、つい、

「……んぐはぁっ」

 などと、はしたない声をもらしてしまいました。あぁん、そこよそこよそこなのよ。床屋から帰宅して再び夕方まで気絶。7時に渋谷でP社Hさんと落ち合い、居酒屋で12時まで歓談。この過労状態でビール飲んでも倒れない私って、あんがい若いんだなと思った。帰宅後、今日の昼までベッドで気絶。だが気絶してばかりもいられない。今日はハーバード・ビジネス・レビューの〆切なのだ。1週間で200枚書いた直後にまだこんなものを書かせるなんて、渡る世間は鬼ばかりである。節分に豆まいとくんだった。しょうがないので、「書きたくねー、書きたくねー」と怨嗟の言葉を吐きつつ、2ページの商品情報をやっつける。発狂しそうだった。なんで世の中にはこんなに書く物があるんだ。で、ようやく書き終えた後に、やれやれと思いながらイングランド出張帰りのY氏に電話したら、ラツィオの爆敗を教えられて悶絶。よよよよよよよよよ、よんいちだとお!? わしゃ、もう帰る。また来週お会いしましょう。ごきげんよう、さようなら。




2003.04.02.Wed. 0: 10 a.m.
BGM : 矢野真紀『あいいろ』

 お察しのとおり、きのうのトップページは、四月馬鹿のつまらぬ冗談だ。南の島なんか行ってない。逃亡もしていない。していいならするけど。許可を得てするようなことでもないか。許可もらったら、逃亡じゃなくて休暇だそれは。

 昨日から今日にかけて、いろいろな原稿を書いた。いろいろすぎて、思い出すと目眩がする。

●エス・テー・デュポンのライター紹介(12字×50行)
●イタリアワインのタイアップ記事(16字×94行)
●ラルフローレンのキャンペーン情報(16字×36行)
●ダンヒルのビジネスラゲージ紹介(16字×36行)
●マティーニグラスのデザインコンテスト情報(16字×36行)
●イッセイ ミヤケ バイ ナオキ タキザワの春夏コレ(16字×36行)
●ホワイトハウスコックス社のこと(16字×36行)
●ミネラルウォーターのタイアップ記事(16字×45行)
●翼20周年記念本コメント(400字)
●『わしズム』対談記事(50枚・テープ起こし4時間分を含む)
●この日誌

 どうだ参ったか。えっ、参らないの? 参れよ。私は参りました。もう降参だ。『わしズム』はまだ作業中だから投降しちゃダメなんだが。恐ろしいのは、これらの原稿を目をしょぼつかせながら書いているあいだ、単行本が1行も進んでいないことである。まだ200枚も残っているのに。〆切は7日なのに。掛け値なしなのに。

 それにしても、何でしょうか。「イッセイ ミヤケ バイ ナオキ タキザワ」というのは。言うに事欠いて、とはこのことだ。誰なんだよおまえら。っていうか、「おまえ」なのか「おまえら」なのかがよくわからないのだった。それで、誰が何を作ってるんだよ。はっきりしろよ。だいたい、こんなことを始めたらキリがないことに、果たして当事者たちは気づいているのか。イッセイ ミヤケ バイ ナオキ タキザワ バイ タロー ヤマダ バイ ジュゼッペ パンカロなんてことになったら、どうしてくれるんだ。もはや収拾がつかないじゃないか。ゴール前は大混乱じゃないか。

 しかし、もっと呆れたのは、某一流ブランドのニュースリリースにあった次のような言い草である。

●Target Consumer<対象顧客>
 30代〜 自分のライフスタイルをきちんと持っているお客様。

 見慣れた文字ヅラといえばそれまでなんだが、なぜか今日は無性に腹が立った。なにが「Target Consumer」だよ。ギョーカイ人ぶって仰々しく何を言い出すかと思ったら、そんなことかよ。おまえら本気で商売する気あんのか? 消費者をナメてんのか? こんなに空疎でクダラナイ文言で上司からオーケーもらえんのか? そんなに甘い世界なのか?

 あのな。ライフスタイル持ってない人間なんかいるかよ。どっかに住んでて、家族がいたりいなかったりして、収入が多かったり少なかったりして、規則正しかったり不規則だったりすれば、それがライフスタイルってもんだろうが。ライフスタイルぐらい、ミミズにだってあるわい。別に好きなブランドとか「こだわり」とかいうものとか何にもなくて、ちゃらんぽらんに暮らしてる奴がいたって、それがそいつのライフスタイルなんだよ。きちんと、ちゃらんぽらんに生きてるんだよ。誰がって、私がだよ。たぶん、おまえにはおまえなりに「ライフスタイル」の定義があるんだろうけどさ、それ、間違ってるぞ。おまえが「ライフスタイル」っていう言葉で言いたいのはさ、きっと、「ポリシー」のことだと思うよ。それ以前に、これ、敬意の有り様がメチャクチャじゃないか。気持ち悪いんだよ。ちゃんと「自分のライフスタイルをきちんと持っている客」って書けよ。なんで、こんなクズみたいな1行でさえ世の中に出回ってるのに、私の1行が削られなきゃいけないんだよ。ふざけるなよ。

 キャプテン翼記念本のコメントは、どうしても書くことが思いつかなかった。いろんな人が寄稿するらしく、そう言われてしまうと、みんながどんなことを書くのかが気になってダメだ。「みんな」って何だかよくわかんないけど。やっぱ、ほら、ありきたりの埋め草よりも、目立つ埋め草になりたいじゃないですか。いや、こう言ったほうがいいか。

 埋め草になろうとも、埋もれ草にはなるなかれ。

 うむ。われながら名言じゃ。これが雑文の基本でしょう、やっぱり。しかし埋没しないようなアイデアが浮かばないのでは仕方がない。こういうときは、偶然性に賭けるのがよろしい。私はあの漫画の連載が始まった1981年に、世の中で何が起きたのかを調べようと思った。無関係な二項を強引に結びつけるのは、この業界の常道だ。

 さっそくGoogleに行って、「1981年 年表」とキーワードをタイプした。適当に見回ってみたら、あったあったありましたよ。おあつらえ向きの出来事が。誰もそんなこと覚えてはいないと思うが、1981年は「ヤンバルクイナ発見」の年なのだ。鳥だよ鳥。鳥といえば翼じゃないか。私はおのれの幸運にしばし酔いしれた。で、Googleに戻って「ヤンバルクイナ」だ。ヤンバルクイナのことはすぐに把握できた。インターネットって、本当に便利だ。どうやら、ヤンバルクイナは「飛べない鳥」であるらしい。おお。そうか。そうなのか。私は狂喜した。脳内ガッツポーズだ。だって、ヤンバルクイナは「翼」があるのに「大空」を舞うことができないのだ。飛べないがゆえに、生態系を無視して人間が持ち込んだマングースの餌食となり、絶滅の危機に瀕しているヤンバルクイナ。かたや、翼の登場によって救われた日本サッカー。ここまで絵が描ければ、勝ったも同然である。400字以内で三題噺を書きなさい、っちゅう話だ。調査開始から1時間で書けた。楽勝楽勝。むははは。さすがに誰もヤンバルクイナのことは書いてくるまい。でも、すごくヘンな原稿。いいのかこれで。もう送稿してしまったが、ちょっとしくじったような気もしてきた。

 自分の書いた400字の原稿について800字も書いてる私って、やっぱりどうかしているんだろうか。




2003.03.29.Sat. 13: 40 p.m.
BGM : 矢野真紀『あいいろ』

 傲慢だと誤解されるのは癪だし、あんまり若い編集者を怖がらせてもいけないので念のため付け加えておくが、私は私の書いたものを一字一句直すなと言っているわけではない。誤字脱字事実誤認などはもちろん、説明不足や表現力不足や決定力不足や独善も指摘してもらわなければ困るし、編集者は入稿屋ではないのだからそれができなきゃ話にならない。ただ、文責を担っている書き手の関知しないところで勝手に直すなと言っているだけである。相談して、了解を得てから印刷してもらいたい。

 無論、編集部に文責のある匿名記事は煮るなり焼くなり好きにすればいいし、実際、例の商品情報やらタイアップ記事やらは編集者が縦横無尽に手を入れているはずで、私はゲラどころか掲載誌もろくに見ていないぐらいだが、それはそういうものだ。いちいち相談されても困る。ゴーストした原稿も同様。正直、出来上がった本を見て赤を入れたくなることも少なくないが、著者がそれでいいのならそれでいい。ライターは叩き台を作るのが仕事だ。脱稿した後で手直しを相談されたって、そのときはもう全然ちがうジャンルの本を書き始めてるわけで、終わった原稿のことなんかさっぱり忘れてるしね。お願いだからそっちで適当にやってください、という話だ。

 だから、せっかく叩き台を仕上げたのにそれを見る前に著者から構成の変更を求められて作り直しになったというゴタ先輩には心からの同情を禁じ得ないが、それはともかくとして、自分の署名原稿の場合は、相談もなく知らないうちに改変されるのは許せない。私の場合はゴースト歴が長いので余計にその思いが強いのかもしれないが、誰だってそうだろう。床屋の椅子で寝ているあいだに髪の毛を頼んでもいない色に染められれば腹が立つのと同じことだ。染めたいなら事前に相談しろよ。なに? 似合うと思ったから、だと? 似合うかどうかはおれが決めるんだよこの野郎。自分のヘアスタイルを自分で決めたい人のことを、ふつう、傲慢とは言わない。

 で、その相談の手段が原稿の場合はゲラのやりとりになるわけで、手を入れたものを見せてくれれば、それを受け容れたり受け容れなかったりする。すばらしい直し方をしてもらって「ありがとう!」と編集者を抱きしめたくなることもあれば、申し訳ないと思いつつ元に戻して送り返すこともあるわけだ。今回は、そのゲラが送られてこないことを不安に思いながら、忙しさにかまけて放置していた私がバカだった。

 しかし、あれだよな。考えてみると、たとえばミロのビーナスを作った人だって、あんな不完全な状態でルーブルに陳列されているのを知ったら、泣くに泣けないよな。そんなことなら発掘されないほうがマシだったって思うかもしれないよ。だが、ミロのビーナスの場合は誰がどう見たって「本当は腕があるはず」とわかるからまだいい。原稿の場合、どこがどう削られようと、それはそれで「全部」だと思われてしまうから厄介だ。ま、削っても「全部」に見えるから削ったんでしょうけど。あー。どこの馬の骨かわからん奴が「あれ、余っちゃうな。んーと、これ、なくてもいいだろ」とか何とか呟きながらオチの1行を削りくさったかと思うと、ますます腹が立ってくる。あのね。コラムってのは彫刻みたいなもんなんだよね。削って残ったのがその原稿なわけ。半ページとなりゃ削った部分のほうが多いくらいでさ、そのラストの1行も、ギリギリまで削りに削って、もう削れませ〜んっていうところまで削った挙げ句に残っているわけなのね。そりゃあ、どうでもいいっちゃどうでもいい内容だけどさ。でも、あんがい魂こもってんだよ。それを、あなた、「なくてもいいだろ」ってこたあないじゃないか。だいたい、「だ。」の2文字だけで1行使ってるところがあるんだからさ、それ、どうにかして詰めれば1行空くじゃないか。なんでそれぐらいのことができないんだよ。

 それで急に思い出したのが、このあいだピザの宅配を頼んだときのことだ。代金は2000円台(一の位は5)だったので私が1000円札を3枚出したところ、配達の兄ちゃんは、自分の小銭入れの中を見ようともせず、露骨に面倒臭そうな顔をしながら「5円ないっすか?」と言う。探せばあったかもしれないが、その言い方があまりに横柄だったので、私は「ない」と即答した。仮にあったとしても、おまえのような奴に渡す5円玉はない、という意味を込めていたことは言うまでもない。タクシーなら話は別だが、ピザの代金は最初からわかっているわけで、誰が考えたって客が3000円で釣りを求める可能性はきわめて高いのだから、あらかじめ5円玉含みの釣り銭を用意しておくのが当たり前である。右手で3000円を受け取りながら間髪を入れずに左手に握りしめた釣り銭を返すのがプロの配達人というものだ。いろいろ事情があって5円玉がないこともあるだろうが、だったらもっと済まなそうに言えっちゅう話である。それはいいのだが、結局その配達人は、ちょっと小銭入れを探っただけで諦め、5円余計に釣りを置いて帰っていった。まあ、5円で面倒な作業から解放されるならそれでいい、という気持ちはわからんでもない。しかし今回の原稿カットを見るにつけ、もしかしたら「えーい、めんどくせぇ」と乱暴に仕事を片づける人間が増えているのではないかと思いたくもなるのだった。その5円玉、その1行のために労力を惜しまない人間が、私は好きだ。

 ゆうべは日本×ウルグアイ(練習試合)をテレビ観戦。2-2のドロー。やっちゃったよなぁ、ヨシカツ。練習試合なのに君が代で涙目になってたから心配していたのだが、案の定だ。まだ呼んではいけなかった。本人も、まだ呼ばれてはいけないという思いが心のどこかにあったからこその失態だったのではないか。しかしまあ、ある意味、存在感は示したよな。また「屈辱バネ」を増やしてしまったけれど、バネを増やしたヨシカツがそこにいるということを多くの日本人が思い出しただけでも意味がある。ただ、フォルランだけは止めてほしかった。赤いユニフォームを着たフォルランにゴールされるほど私を苛立たせることはない。もし、イングランドに出張して彼にインタビューするマスコミ関係者がいるのなら、私に土産はいらない。足の一つも踏んできてもらいたい。




2003.03.28.Fri 13: 20 p.m.
BGM : 矢野真紀『あいいろ』

 Sさんに「ピャピャッと書いて」と頼まれて書いたコラムの掲載誌が届いた。『PENTHOUSE SPECIAL』(4/15号)という『ペントハウス・ジャパン』の増刊だ。うわあ、エッチな雑誌だなぁ。ペントハウスっていうから、ガイジン女が表紙を飾るゴージャスな雑誌を想像していたのだが、すでにそういうモノではなくなっていたんですね。知らなかった。毎月『サッカーズ』を買ってくれている親にも、さすがにこれは言えない。なにしろ表紙にデカデカと「素人コスプレモデル 挿入しながら撮影しました!!」だもんなぁ。ナニをしてるんですか、この人たちは。

 しかし、どんな媒体だろうと、書かせてもらうのはうれしい。「自分は芸者だからどこのお座敷にだって出かけていく。ただし自分の踊り方でしか踊れない」というのは田原総一朗の名言だ。私も作文芸人を目指しているので、お呼びがかかればどこのお座敷にだって顔を出す。だからコスプレモデルだろうがお宝下着だろうがビショ濡れで乳首&乳輪だろうが何だっていいのだが、そこで自分の芸を十全に披露できなかったとしたら、これは問題だ。で、今回はその問題があった。ゲラのチェックが一切なかったのでいささか不安だったのだが、その不安が的中。なんと、最後の1センテンスがそっくり削られているじゃあないか。やられた。ひょっとして次のページに続いてるのかと思ってめくったら、「ペンスペ的下半身クソ知識 エロビアの泉」って全然ちがうコーナーでやんの。あー、びっくりした。そうかよ。「ペンスペ」って略すのかよ。それはわかったけど、私のオチはどこに消えたんだよ。勘弁してくれよ。

 むろん、Sさんがこんなことをするはずはない。Sさんは書き手の手配をしているだけで、入稿実務は子請けだか孫請けだかヒマゴ請けだか正体のよくわからない編プロの人間がやっている。それがわかっているから不安だったのだ。私は最初に指定された字数どおりに原稿を書いたのだが、どうやら写真スペースが予定よりも大きくなり、文章が収まり切らなくなったらしい。だけどさぁ、こんなもん、写真のトリミングをちょっと工夫すりゃあ、どうにだってなるじゃんか。編集経験たった3年の私だって、それぐらいできるぞ。仮に写真がいじれないんだとしても、原稿を減らしてくれって言われれば、10分で直してやるよ、こんなもの。それを、よりによって最後のセンテンスを削りやがるとは。「入らないから、ここまででいいや」って、そんな乱暴な話があるか。弁当箱にメシ詰め込んでんじゃないんだっつうの。ちゃんと編集をしなさい編集を。勝手に手直ししてゲラも見せずに載せたら、それはそれで怒りますが。

 そんなわけなので、このコラム(ピッポの「オフサイド芸術」を堪能すべし)の最後には本来、「既成概念にチャレンジしないフットボーラーなど、鑑賞には値しない。」という一文があることを、ここで申し添えておく。まあ、雑誌が雑誌だから買って読む人は少ないと思いますが。ペンスペめ。




2003.03.27.Thu 12: 30 p.m.
BGM : 矢野真紀『あいいろ』

 というわけで、きのうリリースされた矢野真紀の5曲入りミニアルバムを聴いている。どうなんだこれは。もちろん、文句はない。文句はないが、こういうことでいいのか矢野真紀、という気もする。自身の作詞・作曲による後ろの3曲は問題ない。問題はプロデューサー寺岡呼人の作曲による最初の2曲だ。あまりに70年代すぎないか。アコースティックギターのアルペジオで始まる1曲目『ボクの空』は、まるで、かぐや姫かNSPあたりがバックを務めているかのようだ。NSP。ニュー・サディスティック・ピンク。ユニット名だけプログレ・テイストな抒情派フォークグループ。いや、あのね、昔、そういうのがあったんです。……と思ったのだが、オフィシャルサイトを見たら復活してコンサートをやっているらしいとわかり、ちょっとビックリだ。オフィシャルサイトがあること自体が驚きですが。まあ、そんなことはどうでもよろしい。矢野真紀の話だ。何だろう、この歌は。これによく似た曲を知っているはずなのだが思い出せない。というか、沢山ありすぎて一つに絞れないのかも。よくわからないが、C、F、G、Am、Emという私の知っているコードだけで伴奏できそうだ。『戦争を知らない子供たち』なのかそれは。たぶん本当は違うんだろうが、そんな感じ。さらに、2曲目の『子守歌』が始まったときは、『わかれうた』(中島みゆき)の替え歌なのかと思った。まずいんじゃないのか、このプロデューサー。ファンとしては、亀田プロデューサーの復活を求めたい。

 取材を受けることになっている『本とコンピュータ』のNさんが、同誌の2002冬号を送ってくれた。4つの「子雑誌」が合体したスタイルの雑誌で、私が取材を受けるのはその中の「DATA HONCO」という子雑誌であるらしい。見ると、この号には出版界に関わる基礎データのようなものがいろいろ載っている。年間の新刊点数はおよそ6万点だと私は認識していたのだが、間違っていた。2001年の時点で7万点を超えているではないか。1日200点だぜ、おい。そら書店だって捌ききれんわな。結果、総流通数12億8790万冊のうち、販売部数は7億4874万冊。5億4000万冊ぐらい売れ残っている。店頭在庫がどれくらいあるのかわからんが、どうやら返本率は4割程度らしいから、ざっと5億冊前後は返本されているわけですね。5億冊かー。こうなると、もう、何が何だか意味がわからない。とにかく、大変なことになっている。

 マッキー社長から「お願いきいて」というタイトルのメール。4/1までに商品情報5本とタイアップ2本を書いてくれという。やるべき仕事の多さに気が滅入り、昨日までちょっとブルーになって余計に仕事が捗らない状態に陥っていたのだが、あえて引き受ける。逆療法という奴ですね。無謀なことをすると、かえってファイトが湧いてくるものだ。漲るパワー。もう、グズグズ考えたり悩んだりしているヒマはない。書いて書いて書きまくれぇ。




2003.03.26.Wed 13: 45 p.m.
BGM :
WOLF FM

 昨夜から、WOWOWで『ツイン・ピークス』の放送がスタートした。懐かしい。あれは何年前だろう。ヤマちゃんの会社の社長さんから全話を収めたLDセットを借りた私は、たしか3日ぐらいで一気にぜんぶ見たのだった。目が溶けるかと思った。そこまで耽溺していながら映画の『ローラ・パーマー最期の7日間』を見ていないあたりが、私の中途半端なところだ。しかしヒマだったんだなぁ、あの頃は。2時頃にのそのそベッドから這い出して、平日の昼間っからだらだらと一人で『ツイン・ピークス』を深夜まで見ていた3日間。あー。あれこそがフリーランスの醍醐味だったのにぃ。だらだらした〜い。とはいえ、ゆうべも家で仕事しながら序章を見たわけですけどね。いま見ると、あのドラマは「似てる人」の宝庫だ。序章だけでも、エチェベリア、ル・ソー、キリ・ゴンサレス、ポジェ、サモラーノ、ロバノフスキー監督などに似た人が出演していた。中途半端に豪華だ。さて、どれが誰でしょう。




2003.03.25.Tue 17: 10 p.m.
BGM : SUPER BEST OF CASIOPEA

 眠いぞ。寝ても寝ても眠い。幼稚園が春休みのため朝寝ができる状況なのだが、ひたすら眠いのである。朝寝を〜しても昼間に〜、眠くなるのはどういうわ〜けだ〜。陽水ならそんなふうに歌うだろう。今日の雨は傘があるから問題ないが、眠いのは問題だ。書かなくちゃ。生活のために書かなくちゃ。眠くたって書かなくちゃ。カネがない。時間もないです。〆切は7日だ。掛け値なしだ。なのに、まだ20枚しか書けていない。あと280枚ということだ。うわあ。他人事とはいえビックリしますね。なに言ってんだよ。他人事じゃないよ。 おまえのことだよ。ええっ。だからいちいち驚くなってば。おまけに30日には『わしズム』の対談を取材して速攻で50枚ぐらいにまとめなきゃいけないわ、『週刊ダイヤモンド』の商品情報も週刊だから毎週書かなきゃいけないわ、じきに『サッカーズ』の〆切も来るわ、そういえば翼関係のコメントもあるんだったと今になって思い出したわで、涙が出そうだ。ほんとうに、この2週間でそんなに書けるんだろうか。考えれば考えるほど、アクビが出る。ふわあ。あ、涙だ涙だ。泣きながら働く私。それは、いいことだろ? 全然よくない。

 それでもサッカーは見ているわけで、ゆうべはソシエダ×ビジャレアル(リーガ第27節)をビデオ観戦だ。この中継を通じて、倉敷さんが京極堂シリーズの愛読者であることを汲み取った視聴者がどれだけいるか心配ですが、そんなことはともかく、えらいドンデン返しでした。コバチェビッチの2発で、90分までは2-0。終わってみれば2-2。途中で出てきていきなりPK騒動に参画したと思ったら、ロスタイムにはヘッドでアシストと短時間で暴れ回ったパレルモが、榎木津のように見えた。わははははは。ちなみに僕は元アルゼンチン代表だ! いまの世界に、コバチェビッチをヒーローの座から蹴落とすだけの闇雲なパワーを持ったフォワードがいるとすれば、それはパレルモ以外に考えられない、ということだったのかもしれない。それにしてもロスタイムに2-1とされてからのソシエダは、1点差になったことに対する認識が不足していた。そこはクロスじゃなくてキープでしょう、カルピンさん。長く続いた楽勝ムードを引き締めるのは難しい。春先の眠気を振り払うのと同じくらい、難しい。




2003.03.24.Mon 13: 25 p.m.
BGM : SUPER BEST OF CASIOPEA

 ゆうべは、パルマ×ラツィオ(セリエ第26節)をライブ観戦。いやあ、みなさん、トルコ帰りでお疲れのご様子でしたね。徹夜明けでハーバード・ビジネス・レビューの商品情報を書いている自分を見ているようでした。とりあえず行数が合ってりゃ内容なんかどうだっていいだろの世界。原稿の「行数」がサッカーの何に相当するのかよくわからないが、まあ、11人で90分間ゲームをするっていうことかな。途中で帰っちゃった奴はいなかったみたいだし。プロとして最低限の仕事はしたということだ。「最低限の仕事」と「最低の仕事」は同じなんだろうか、違うんだろうか。論理的には同じだな、たぶん。最低だ。ラツィオも私も。

 そんなわけで、鬱陶しいぐらい元気なパルマにキックオフ直後から蹂躙され、うやむやのうちに何者かに押し込まれて1-0。あんまりダメすぎて、腹も立たない。笑っとけ笑っとけ。こういうとき、阪神ファン的な観戦作法を知っている日本人は強い。自虐の快楽。あえてファンにそれを堪能させようとしているかのように、ゆうべのラツィオは面白いようにボールを奪われ、シュートを浴びていた。前半をそのまま1-0で終えたことが信じられない。パルマもパルマだよな。無駄に元気。

 ところが後半開始早々、セットプレイからスタンコビッチのヘディングで1-1。そういうシーンが見られるとは思っていなかったので、すごくビックリした。山倉のホームランよりビックリしたかも。だって、勝ち点3が期待できるような前半じゃなかったのだ。だから、わりと心穏やかに観戦していたのだ。それなのに、ああ、それなのに。期待してしまいましたね、私は。ものすごく運が良ければ勝てるかもしれない、と思ってしまったのだった。本当は、ものすごく運が良ければ勝ち点1がゲットできる程度の出来で、その「ものすごく運の良いこと」がすでに終わっていたにも関わらず。バカだよなぁ。ほんとにサッカーがわかってないよ。勝てるわけないじゃんか。勝てるなんて思うから、オッドの腐れクロスにいちいち腹が立つんだよ。オッドのクロスが腐ってることなんか、最初からわかってることじゃないか。そんなもん、急に上手くなるわけないじゃないか。あんなもんなんだよ。パンカロだってそうだよ。そりゃあ、なんでマンチーニがファバッリに替えてパンカロ投入したのかは理解できないさ。辛うじてファバッリが少し元気だから1失点で済んでたようなもんだからね。でも、パンカロが入ってきた以上はしょうがない。ああいう奴なんだから。あいつが得意のアリバイ作りディフェンス(=頭隠して尻隠さずブロック)でやすやすとクロス入れさせてなければその後の大混乱もなく、したがってロスタイムにアドリアーノの決勝ゴールを食らうこともなかったなんて言ったって、しょうがないじゃないか。勝てるなんて思わなければ、そんなことで頭を掻きむしることもなかったんだよ。へらへら笑って、いい日曜日だったなぁとシミジミ思いながら眠りにつけたんだよ。嗚呼。最低の日曜日は、最低限の日曜日なんだろうか。

 そんなラツィオ戦の前に、ミラン×ユベントス(セリエ第26節)をビデオで観た。2-1でミラン。魂の勝ち点3。久々に、セリエらしい格調の高さを感じさせる一戦を観たような気がする。ピッポの勝ち越しゴールは、今季のベストゴールに選定してもいいぐらいだ。あんなふうにゴールできる奴が他にいるか。ゴール後の発狂ぶりを見れば、それがピッポ自身にとっても最高級のゴールだったことは明らかだ。ピルロからのロングパスを後ろ向きでトラップし、振り向きざまにブッフォンの股抜き。いや、抜いたのは股間ではない。ブッフォンがしっかり閉ざした膝の下を、無理やり抜いたのだ。「抜いた」という表現も適切じゃないな。ブッフォンの膝下にあった空間は、間違いなくボールより小さかった。物理的には抜けるはずのない所を、ボールが抜けていったのである。無理が通れば、道理は引っ込む。いずれ彼は、万有引力の法則さえ無視したゴールを見せてくれるに違いない。

 連載打ち切りにならなかった月刊『サッカーズ』5月号は、ぼちぼち発売中。ちなみに今回の「似てる人FILE」は、友人のタボン君が教えてくれたネタを拝借しました。ありがとう、タボン君。そんなわけで、毎月困っているのだった。次号はもう隠し球が用意されているが、それも愚妻が見つけたもの。人は、ひとりでは生きてゆけない。  




2003.03.23.Sun
BGM : SUPER BEST OF CASIOPEA

 きのうはG舎会議室で、6月に執筆予定の本の口述作業。傷害致死やら銃砲刀剣類不法所持やらで計17年ほど懲役経験のある人物(65歳)と、4時間ほど和気あいあいと語り合う。面と向かって、「悪いこと、いっぱいしてきました」などとシミジミした口調で言われると、どうリアクションしていいやら判らないのであるが、そこにいるのは「悪いことばかりしてきた、いい人」という以外になく、そういえば過去に取材した著者の中には「いいことばかり言う、悪い人」もいたんじゃなかろうかとも思え、少なくともこの人は、あとがきでライターに謝意を述べておきながら、文庫化にあたってそのライターに連絡もせず当然お金も払わない、しかし自分が選挙に出馬すれば支援を求める葉書を寄越す、なーんていうような不道徳なことはしないだろうな、などと考えたのだった。あんたのことだよ、そこの参議院議員。罪を憎んで人を憎まずというけれど、罪はなくとも憎まれる人はいる。必死で悪いことをする人もいれば、暇つぶしに善いことをする人もいる。悪と悪意、善と善意の隔たり。「悪」と「罪」はどこが同じでどこが違うんだろう。しばし考え込むフリをしてみる。ふと、柄にもなくドストエフスキーなんか読もうかと思う日曜の午後。海の向こうでは戦争が続いている。

 CL2次リーグが終了。ここに書くタイミングを逸していたが、最終節の中では、バレンシア×アーセナル戦が印象的だった。あんなに「文体」を崩されたアーセナルは久しぶりに見たような気がする。なぜかセルフイメージ倍増で元気はつらつのカリュウ一人にしてやられた感じでもありましたが。

アイマール「行け! ジャイアントロボ!」
カリュウ 「う゛ぁっ!」

ヴィセンテ「飛べ! ジャイアントロボ!」
カリュウ 「う゛ぁっ!」

……というリモコン風味の2ゴール。いきなり漫画の文体を持ち込まれたんじゃ、フランス文学が台無しになるのも無理ないわな。オールドトラフォードでアーセナル優勝、というのも痛快なシナリオの一つではあったが、まあ、しょうがない。で、準々決勝の組み合わせを見ると……こりゃあ、アーセナルはいなくても絢爛豪華ですなぁ。準決勝がスペインダービーとミラノダービーになる可能性もあるってこと? いや、ないか。インテルはなさそうだよなぁ。バレンシアに負けるクーペルって、かなり気の毒だけど。バルサもちょっとなぁ。イタリアとスペインの阪神はここまででしょう、やっぱり。なので、準決勝はマドリーもしくはユナイテッド×ユーベ、ミラン×バレンシアということですね。なるほど、わかった。私の予想は絶対に当たらないことで知られているのでファンには申し訳ないのだが、ミランだよミラン。優勝すんのは。なぜって、ピッポがいるから。決勝ゴールを奪って発狂するピッポが見たい。見たいんです私は。ちなみに、いちばん見たくないのは、地元優勝で発狂するファーガソンだ。ぜったいに厭だ。そんなことになったら、カメラがベンチを映す前にテレビ消す。




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