edogawa's diary 02-03 #26. 『蛇行する喉仏』
| #25 | TOP | BACKNUMBER | FUKAGAWA | B.I.P. | MAIL | #27 |


2003.05.01.Thu. 15: 45 p.m.
BGM : SOLID BRASS 『DANCIN' to SOLID BRASS』

 きのうは、新宿小田急百貨店3階の喫茶店で、プレミアシップマガジンに異動した旧担当者Y氏およびサッカーズの新担当者S君と歓談。前にも書いたが、S君は2年ほど前から本誌を読んでくれており、何度かメールをやりとりする間柄だったのが、私の知らないうちにサッカーズを編集している会社に就職しており、挙げ句の果てに私の担当になったのだった。で、きのうが初対面。ウェブ→メール→電話→対面という順番で人と出会うのは、なんだか不思議な感覚である。私がセガレの話をすると、以前からセガレネタが好きだと言ってくれていたS君は、「うわあ、日誌をナマで聞いてるみたいだ」と倒錯的な感想を漏らしていた。いや、数万部発行されている雑誌に物を書いている以上、生身の私よりも先に私の文章に触れている人が大勢いるわけで、もはやそれが倒錯的とは言えない状況になっているのか。そのへんのことが、まだうまく飲み込めていない。

 きのうの日誌を読んだY氏が、仮面ライダーで有名な藤岡弘の芸名が十数年前から藤岡弘、になっていることを教えてくれた。カギカッコをつけないと何を書いているのか意味がわからない。「藤岡弘」ではなく「藤岡弘、」なんだそうだ。たしかに本人の公式サイトを見ても、そうなっている。本人にはいろいろ思い入れや意味があるんだろうけど、わりと迷惑な名前だ。出演者名を羅列した公演のパンフレットやポスターを作るとき、ゲラの修正をめぐってどんな騒ぎが繰り広げられるかを想像しただけでウンザリしますね。「出演=田中太郎、高橋花子、藤岡弘、、石狩川鮭太郎」などと書いてあれば、誰だって誤植だと思うじゃないか。「トル」「ママ」「トル」「ママ」の応酬だ。仁義なき赤字合戦だ。ゲラは真っ赤っかだ。校正者にしてみれば、正しく仕事をしたのにミスをしたと思われかねないのだから難儀な話である。名前というのはパブリックな実用に供するものでもあるのだから、あんまり自己満足に走るのは感心しない。しょっちゅう改名して読者を混乱させている私に言われたくはないだろうけど。

 ゆうべは、『ローラ・パーマー最期の7日間』をビデオ鑑賞。とっくの昔に話題になっていたのだろうが、私は知らなかったので「何をいまさら」を承知で言うが、なんだよあのドナは。なんであんなに貧相な女がドナやってんだよ。あんなのドナじゃないじゃないか。台無しじゃないか。どうしてドナ役だけ本編と違う女優がやってたの? ヌードシーンがあるから? それにしたって、もっとドナっぽいドナはいなかったのか。それでいいのかデビッド・リンチ。それはともかくとして、よくわからない映画だった。まず、赤い服を着た女が登場する序盤のシーンからしてよくわからない。あれは誰なのか。そして、デビッド・ボウイは何のためにちょっとだけ出てきたのか。必要なのかそれは。よくわからない映画は苦手だ。

 小熊英二『<民主>と<愛国>』を読了。あまりに分厚く、前に書いてあったことをどんどん忘れながら読んでいる自分が悲しかった。昔からそうじゃないかと疑っていたのだが、やはり私には知識を体系的に蓄積する能力がないのかもしれない。なので、とても私にはまともな書評など書けないけれど、知らなかったことがたくさん書いてあって、ひどく刺激的であると同時に、いろいろ反省させられもする一冊だった。

 Macの故障で話が中断していたが、この大著では、終戦直後の40年代後半から70年代初頭までの知識人の言説を検証することで、民主主義、愛国心、近代、民族、国民、市民、といった言葉がいかに読み替えられ、異なる意味を与えられてきたかということが明らかにされている。戦前派、戦中派、戦後派と論壇の世代交代が進むにつれて、戦争体験の差異や有無に起因する誤解や議論のすれ違いが生じていく様子は、ある意味スリリングでさえあった。言葉は生き物だということを再認識。かつて<民主>と<愛国>が思想的に両立する概念として考えられた時代があったという一点を見ても、人の言葉尻をとらえてミギだヒダリだと安易に決めつけてはいけないと思う。相手の使っている言葉にどんなニュアンスが込められているのかを読み込まず、自分の理解できる範囲だけで受け止めるところから、いわゆる「レッテル貼り」が始まるのであろう。とくに、いわゆる55年体制が成立する以前(これを著者は「第一の戦後」と呼ぶ)の時代に日本の知識人たちが何をどう考えていたかという部分は、いま多くの現代人が知っておくべきではないかと思った。私たちは「敗戦」のことを知らなすぎる。

 話は飛躍するが、この本を読みながら、同じことを「サッカー論壇」についてやれないかという妄想が頭の中で広がった。最近はあまり見かけないような気もするが、サッカーをめぐる議論の中では、しばしば<個人>と<組織>の関係性が問題になる。まさに<民主>と<愛国>に対応する感じではあるまいか。たとえばメキシコ五輪あたりの時代から今日に至るまで、この国におけるサッカーの語られ方がどのように変遷してきたかを辿ることによって、日本人とサッカーの関わり方、さらには日本人とスポーツの関わり方などが見えてくるかもしれない。遠大な計画だが、やり甲斐はある。モンダイは、そんな本を6800円も出して買う人がいるかどうかということだ。




 

2003.04.30.Wed. 13: 50 p.m.
BGM : J-WAVE

 げ。知らなかった。チャンピオンズリーグも来季からスカパー!独占、しかも全試合包装になったらしい。おいおい包んでどうするよ。包装じゃなくて放送である。いつの間にそんな話になっていたのか。友人の中では「最後のスカパー!未加入者」だったタボン君もようやく南西にシュートコースのあるマンションに引っ越したらしいので、「セリエがスカパー!に!」のときほど騒ぐ必要もないのだが、WOWOWもたまらんよなぁ。スカパー!って、なんかレアルみたいになってきましたね。しかし、今までは「木曜7時からの録画中継」がポケモンと重なってしまい、そっちをセガレのために録画すると最初の30分を録画できないという悩みがあったのだが、来季からはそれも解消されるだろう。……ところで「全試合」って、予備予選も含まれるのだろうか。含んでくれ。

 スカパー!で思い出したのだが、ATOK15は「すかぱー」を「スカパー!」と感嘆符付きで一発変換するだけでなく、「もーにんぐむすめ」も「モーニング娘。」と句点付きで変換するのだった。もっと驚いたのは、「もーむす」まで「モー娘。」と句点付きになることだ。かなりキモチ悪い。そんな過剰サービスしなくていいから、白痴とか支那とか土人とか小人とか狂人とかをちゃんと変換するようにしてほしい。対談のテープなんか起こしていると、そんな言葉はいくらでも出てくるんである。

 それにしても、モーニング娘。の「。」に対するメディア関係者の律儀さは行き過ぎではあるまいか。もちろん固有名詞の表記は尊重されるべきものであり、私だって「深川俊太郎」と書かれれば良いキモチはしないが、たとえばビートルズがいちいち「ザ・ビートルズ」と定冠詞付きで書かれないことを考えれば、そんなに「。」にこだわる必要はないようにも思うのである。少なくとも、「もーむす」と略したときは必要ないだろう。なにしろ略称なんだから。略称の実用的な存在意義を考えれば、むしろ句点を付けるほうが間違っている。たぶん「。」を省いて書くと、「こいつ、ホントは。が付くことを知らないでやんの」と思われてバカにされるんじゃないかと心配した結果なんだろうと思うが、そんなところにも「ガキ文化への媚びへつらい」を感じるのは私だけではないと思う。いい加減、うっとうしいです。文中に「。」が紛れ込むのは美しくない。何のための句点だと思っているのだ。ところで、「モーニング娘、」というパクリユニットはまだないの?

 HDVに溜まりまくっていた『ツイン・ピークス』を、ようやく最終回まで見終わった。本当にLDで全部見たのか疑わしくなるぐらい、記憶にないシーンが多かった。たぶんローラ殺しの犯人がわかって以降の後半は、不抜けた脳死状態で観ていたのだろう。ウィンダム・アール登場以降は話も難解だしね。字幕だとよくわかんないんだよ。でも今回は吹き替え版だったので、けっこう飲み込めた。字幕だと全ての台詞を同じテンションで読んでしまうが、吹き替えの場合はどうでもよさそうな部分を聞き流せるから、かえってストーリーが把握しやすくなる、ということに気づいたのだった。たぶん『奥様は魔女』だって、字幕で見たら、なんでそこで笑い声が入るのかよくわかんないんだと思う。まあ、吹き替えだって、アメリカ人みたいには笑えないところが多いわけだが。

 この時期にこういうドラマを見ると、どうしたってアメリカという国について考えざるを得ない。ツイン・ピークスという町の主は謎めいた深い森であるわけだが、もしかしたらアメリカ人は、森という空間に根源的な恐怖心を抱いているんじゃなかろうか。彼らにとって、手つかずの自然状態におかれた森が「フロンティア」の対極にある存在であり、合理主義と相容れない不可解な場所なのだとしたら、彼らが感じる「恐怖」はわれわれ日本人が自然に対して抱く「畏怖」とは似て非なるものであるに違いない。不可解な日本の森はわれわれにとって「日本」だが、アメリカ人にとってアメリカの森は「アメリカ」ではないのかもしれない。したがって、われわれは不可解な森を不可解なまま受け容れることができるけれど、彼らはそこに「ホワイトロッジ」と「ブラックロッジ」というわかりやすい人工的な二項対立を持ち込んで「解釈」しなければ落ち着かないのである。どこまで行っても白と黒しかないのか、おまえらには。




2003.04.28.Mon. 11: 55 a.m.
BGM : J-WAVE

 睡眠を取りすぎて頭がぼんやりしている。ゆうべはサッカーも見ないで、セガレと一緒に9時半ごろに就寝してしまったのだった。11時間ぐらい寝たことになる。土曜日曜とフルにセガレと遊んでくたびれていたのである。来週は3連休だ。どうやって過ごせばいいのか、考えると頭が痛い。

 土曜日は城ヶ島までドライブ。久しぶりに100キロ以上出して、手に汗を握る。強い横風に、3度ほど車を吹き飛ばされそうになった。自然を侮ってはいけない。無料(えらい)の県営駐車場に車を置いて、海岸の岩場を散策。ああいう場所をうれしそうに飛び歩くセガレの姿を見ると、妙に安心する。「自然と戯れる=健やかな心身の育成」というのもずいぶん安直かつステレオタイプな図式でいやになるが、ふだんテレビやビデオばっかり観てるので、やっぱりちょっと心配になったりするのである。

 その後、遊覧船で油壺まで行こうと思ったのだが、強風で海が荒れているので油壺までは行かないという。船に乗るのを楽しみにしていたセガレはブーブー言っていたが、しょうがない。車で油壺マリンパークへ。水族館の入口付近にサメに触れるコーナーがあり、いきなりセガレの機嫌が直ってヨカッタ。サメと言っても体長40センチぐらいのネコザメとドチザメだが、小さいと言ってもサメはサメである。その背中に触ったオトナたちが、必ず「やっぱりサメ肌だな、うん」と言うのがおかしかった。私も言ったけど。サメはサメ肌だ。というか、サメ肌に触ったのはこれが初めてのような気がする。こんなサメ肌の人間は滅多にいない。比喩には常に嘘がつきまとうのである。

 水族館では、ピラニアの特別展が行われていた。サメとかピラニアとか、物騒な水族館だ。ポスターによれば「大迫力」のピラニアの餌付けが見られるらしく、「俺たちの食事タイムを見に来ないか」というキャッチコピーには笑ったが、すでに最後の餌付けタイムが終わっていて残念だった。どんな餌を与えるんだろう。できることなら、牛一頭が丸ごと骨になるのを見てみたい。

 イルカとアシカのショーでは、三頭のうち一頭だけ言うことを聞かないアシカがいて、進行役のお姉さんをたいへん困らせていた。出てきたときから動きが鈍く、いかにもモチベーションが低そうなので心配していたのだが、とうとう機嫌が直らず途中で選手交替。いちばん左の台に乗っていたのだが、そのポジションが気に入らなかったのかもしれない。ファンハール時代のリバウドかおまえは。盛り上がりを欠いたショーの終演後、土産物屋でウツボのぬいぐるみをセガレに買い与えて帰宅。と、当たり前のように書いてみたものの、なにしろウツボである。以前、八景島でエイのぬいぐるみを買ったことがあるが、これはそれ以上の衝撃だった。作るかね。ウツボのぬいぐるみ。

 帰途、J-WAVEを聴きながら環八をのろのろ走っていたら、クリス智子と小山薫堂の番組で「オトナ電話相談室」というものをやっており、へらへら笑いながら聞いていたのだが、四人目か五人目の相談者がカナザワさんだったのでびっくりした。いきなり知り合いがラジオに出てくると、とても狼狽するものだ。あわや前の車に追突するところだった。カナザワさんはマッキー社長のパートナーで、いつも私に週刊ダイヤモンドやハーバード・ビジネス・レビューなどの原稿を発注してくれる人である。どうやら最近、マンスリーMの編集長に就任したらしく、「どんな特集をやれば売れるか」という相談だ。回答者のガキんちょに「こんな本、知らな〜い」と言われていて気の毒だった。でも、クリス智子に「カナザワくんはどんな悩みがあるのかなぁ?」と訊かれていたのは、ちょっと羨ましい。

 きのうの日曜日は、まず昼過ぎから近所の公園でセガレとサッカー。セガレと顔なじみの男の子が近寄ってきて、私も顔は見たことがあるが名前がわからなかったので、「きみ、ナニ君だっけ?」と質問したら、「忘れたのかよ、ボケ」とたいへん生意気な口を叩きやがる。鼻の穴に指を突っ込んで往復ビンタを食らわしたい衝動を抑えつつ、「名前を訊いてるんだから素直に教えなさい。それから、オトナに向かってボケなんて言葉は口にしないほうがいいぞ」と諭したら、キョトンとした顔をして「……ごめんなさい」と言った。うちのセガレもそうなので人のことは言えないのだが、オトナに対する口の利き方がなっていないガキは少なくない。たぶん、身近に「おっかないオトナ」がいないんだと思う。子育ては親だけでなく社会全体でやるべきものだと思うので、もっと、みんな、よその子を叱る習慣をつけるべきではなかろうか。

 しかし教育すべきは子供だけではないのであって、私とセガレがしばしサッカーに興じてからベンチで休憩していたら、その隙に中学一年生ぐらいの女の子とその父親が、スペースを広〜く使って硬式テニスを始めやがった。公園でテニスはダメだろテニスは。しかも親子そろって、上から下までびしっとテニスウェアに身を包んでいる。こんなところで、なに本気でテニスやってやがんだよ。おまけに女の子は最近テニスを始めたばかりらしく、ボールがあっちゃこっちゃに飛んでいくのだが、父親は逸れたボールを(たとえ飛んでいった先が外の道路であっても)拾いに行かず、ポケットから次のボールを出して打ちやがる。ボールを四個ほど用意していて、それがなくなってから拾いに行くのだ。つまり、テニスコートの作法を公園でも踏襲しているのである。何かがものすごく間違っている。こっちにボールが飛んできても謝りもしない父親の顔を軽蔑を込めた視線で睨みつけてやったが、よそのオトナもちゃんと叱ったほうがよかっただろうか。

 公園から帰宅後、吉祥寺で買い物&選挙の投票。「勉強の本がほしい」と殊勝なことを言うセガレに、公文式の算数ドリルのようなものを買い与える。未就学児童向けのドリルがけっこうたくさん出版されているのを知って、ちょっと驚いた。来春一年生になるセガレはそろそろ学校というものを意識し始めているようで、「一年生になったら百点取りたいんだよ」などと言う。泣かせるねぇ。しかし、帰宅後にやおらドリルの途中を開いて足し算をやり始めたのはいいのだが、見ると答えは合っているものの、4や5が鏡文字になっている。8や9の書き順もめちゃくちゃ。どうも文字を下から書く癖があるようだ。やはり基本が大事なので、ドリルの最初のページを開いて、数字の書き方からやらせた。これから何年もセガレの勉強につきあうのかと思うとゾッとするが、延々と「ポケモンしりとり」につき合わされるよりは勉強のほうがいいかもしれない。

 土曜日の晩は、チェルシー×フルハム(プレミア終盤戦)をライブ観戦。前節はスーパーなゴール&グジョンセンとのコンビネーションを見せて私を喜ばせたハッセルバインクだったが、このゲームではぜんぜんダメ。味方が繰り出す最高のラストパスを、ことごとく台無しにしていた。終盤に追いつかれて1-1のドローに終わったのは、彼のせい。来季、ハッセルバインクはどこでプレイしているのだろうか。

 金曜日の晩は、ラツィオ×ポルト(UEFA杯準決勝第2戦)をビデオ観戦。なんで、好きで見ているサッカーでこんなにストレスを感じなきゃいけないんだろう。3点差を挽回しなければいけなかったのだが、後半、ピオホのPK失敗で全員が絶望。あっさりギブアップ。あえて「ユナイテッドを見習え!」と言いたい気分である。マドリーに常に先行を許しながら最後まで試合を捨てなかったユナイテッドは本当に立派だった。それに引き替え、ラツィオったら。ポルトの出足のよさに、完全にリズムを狂わされていた。なす術なく、スコアレスドロー。でも、まあ、いいや。コッパもUEFAもベスト4まで行ったわけで、このままセリエのほうもベスト4を死守してもらいたい。




2003.04.25.Fri. 12: 45 p.m.
BGM : J-WAVE

 入院していたMacが無事に帰ってきた。ディスプレイのアナログアッセンブリーを交換するだけの簡単な手術だったようだ。ラウールが復帰まで1ヶ月ぐらいかかることを考えれば、盲腸よりも簡単な手術だったと言えるだろう。で、アナログアッセンブリーって何だ。それはもう壊れないのか。壊れるなら次も保証期間中にしてくれ。

 帰ってきたMacを立ち上げてみたら、ATOKではなくことえりが選択されていたのが厭だった。久しぶりに会った旧友に、「これ面白いから読んでみなよ」と『太陽の法』を渡されたような気分。わかりにくい比喩ですみません。これは、「ことえり使えよ」というメッセージなのか? 冗談はよし子さん、である。修理後のテストはことえりで行うのだろうか。アップルの人はやはりことえりが好きなのか。なぜだ。ともあれ、各方面にはご迷惑およびご心配をおかけしましたが、すべて復旧しましたので今後ともよろしく。

 KD社から、2週間前に脱稿した本のゲラが届いた。ゴーストした原稿のゲラが届くのはきわめて異例、というか初めてじゃないかしら。「ご参考までに」とのことで、べつに赤入れ義務があるわけではないらしい。だったら必要ないんだけどなぁ。もしかして、書き殴った文章を読み返して反省しなさい、というメッセージなのか? たしかに、たまには反省したほうがいいかもしれない。と思って1章の冒頭部分を読んでみたら、なんとなく、その前に書いたRB先生の文体の残滓があるように感じられた。いかん。

 数日前、編集部から届いた月刊『サッカーズ』6月号を見たら、倉敷さんの前に岩本テルさんのコラムがあり、八塚さんの裏側に私のがなかったので、書いた原稿がボツになったのかと思ってちょっと慌てた。カジヒデキさんの裏側にあったので、ホッと胸を撫で下ろす。八塚さんが書評欄に、私の妻にまつわる「推理」を書いてくださっていて恐縮。私が前号のプロフィール欄で愚妻と八塚さんの生年月日が同じだと書いたことへのリアクションである。「推理」へのお返事、ご本人とは面識もないしメールアドレス等も存じ上げないので、編集部経由でお送りしようかと思っている。

 ゆうべは、マンチェスターU×レアル・マドリー(CL準々決勝第2戦)をビデオ観戦。「ランナー溜めて一発」が基本だったオリンピックの野球を思い出させるような大ざっぱな試合で、やけにおもしろかった。全員、金属バットをぶんぶん振り回していたような印象。いっぱいゴールが入っていたが、スコアがうまく思い出せない。えーと、4-3のagg.5-6だっけ? 終了間際、「ユナイテッドがもう1点返したらメチャメチャおもしろくなるのに」と思った記憶があるから、たぶんそうだな。ロナウドには呆れた。今更ながら、モンスターであることを再認識。1点目も3点目も入ると思わなかったからタマゲたです。やっぱ、ラウール不在のほうがサッカー楽しそう。ということは、マドリーにいてはいけないということですね。もしラウールが出ていたら、あんなに開けっぴろげなゲームにはならなかったに違いない。実際、序盤のマドリーはクラシコ明けのせいか鈍重な感じで、眉間に皺を寄せてサッカーをしているように見えた。あのままだったらユナイテッドのバカ勝ちも十分にあり得たと思うのだが、あっさりバルテズのニアサイドを抜いてみせたロナウドの楽天的なゴールで憑き物が落ちたのであろう。その前に、「ここで決めるんだぜぇ」の気合いを込めたジダンの強烈な横パスも凄まじかったけど。ユナイテッドは、スコールズ不在が痛かった。いや、それよりガリー不在でブラウンを使わざるを得なかったことのほうが問題か。

 一昨日の晩には、バルセロナ×ユベントス(CL準々決勝第2戦)も観た。ネドベドとメンディエータが同じピッチでプレイしているのを見ると、改めて「なんてことしちまったんだラツィオは」と絶望せざるを得ない。あんな人を手放して、こんな奴を獲ったなんて。まあ、その「こんな奴」も手放したわけですが。……え? まだ保有権は持ってるの? いったい何のために? 試合は延長にもつれこみ、サラジェタとかいう人の決勝ゴールでユーベの勝ち上がり。久しぶりに10人ユーベのクソ意地を見せてもらった。それはそれで欧州サッカーに欠かせないアイテムなので、今後も続けてもらいたい。

 UEFAカップのラツィオ×ポルト戦はまだ観ていないので、私の前でその話題に触れることを明日まで禁じます。




 

2003.04.22.Tue. 12: 10 p.m.
BGM : J.Mclean & D.Gordon『THE MEETING』

 1週間も原稿を書いていない。こういうときに何か企画でも考えればいいのだろうが、与えられた仕事がないと動けない体。請負ライター根性が身についているのか、それとも生来の怠け者だからなのか。後者であるがゆえに前者になった、が正解。そうこう言っているうちに、4月もあと9日である。せっかく時間に余裕があるのだから、GW前に少し取りかかっておけば後が楽になるとわかってはいるものの、まだテープ起こしを読む気にもならない。連休明け、そろそろ本腰を入れようかと思った途端に100本ノックが舞い込んでテンヤワンヤ……というハリウッド映画並みのお約束な展開にならなきゃいいけど、なりそうな気がする。でも、こういうときじゃないと本もゆっくり読めないしね。『<民主>と<愛国>』は8章まで読み進んだ。注と索引を含めて966ページ、序章と結論を含めて18章立ての大著である。<「戦後」におけるナショナリズムや「公」にかんする言説を検証し、その変遷過程を明らかにする>と序章の冒頭にあるとおり、戦後知識人たちの主張や苦悩や対立をほぼ時系列に沿って整理しようという試み。民主主義、愛国心、近代、国民、といった言葉が

……げげっ。ここまで書いたところで、Macに異常発生。ななななななな、なんじゃこりゃああああ。モ、モ、モニターがっ。ど、ど、どう説明すればいいんだっ。画面が上にズレ(したがって上半分が見えない)、全体が底辺の短い台形に歪んでしまったのである。なんちゅうか、下のほうを紐で縛ったカーテンみたいなカタチ。表示中のウインドウも同様に歪んでいる。ウイルスなの? ねえ、これがコンピュータウイルスって奴なの? そういえば昨日、OSのアップデートをしたのだった。きっとそのせいだっ。うああっ。余計なことしなきゃよかったっ。

 どうにも手の打ちようがないので、アップルサービスセンターに電話。状況を説明すると、女性の担当者が少しも慌てず「ああ、それね」とでも言うように冷静な相槌を打つので、「よくあることなんですか?」と訊いたら、「ええ、eMacにはときどき」と言う。あー、よかった。よくあることなんだ。オカルト現象じゃないんだ。どうやら、OSのインストールやアップデートした際に起こりがちな現象で、対応策があるらしい。安心安心。

「で、どうすれば?」
「コマンドキーとオプションキーとPとRを同時に押して起動してみてください。起動音が2回聞こえたら手を離して結構です」
「はあはあ、コマンドとオプションとPとRね。よいしょ。……なんかプルプルって変な音がするぞ」
「あの、お客様、いったん終了してから起動時に」
「は? ああ、再起動じゃなくて起動か。じゃ、終了させるからちょっと待ってね。……ああっ。上のメニューバーが見えないから終了できないじゃないかっ」
「システム環境設定は開けます?」
「え? あ、ああ、それは開けます」
「それでディスプレイの位置を下に動かしてください」
「はい。……ああ、なるほど。できたできた。これで終了できる。……終了しました。これで、コマンドとオプションとPとRを押すんですね?」
「ええ」
「……ウンともスンとも言わないんですけど」
「起動スイッチをお押しになりましたか?」
「え? コマンドとオプションとPとRを押しながら起動スイッチも押すの?」
「そうです」
「えーと、手が3本ないとできません」
「あ、お客様、お一人なんですか?」
「はい。一人なんです。孤独と言ってもいい」
「コマンドとオプションを小指一本で押せません?」
「ああ、なるほど。受話器を置きますから、ちょっと待っててね。えー、小指でコマンドとオプション、薬指でR、親指でP……うっ、て、手が攣りそうだっ。早く起動スイッチを押さねばっ。き、起動音が2回鳴ったら離していいんだな? うああっ」

……Macをお使いの皆様は、試しにコマンドとオプションとPとRを左手で押してみてほしい。たぶん、意味もなく右肩が前に出るはずだ。日常生活にはあり得ない格好である。たしかツイン・ピークスに出てくるコビトの老人がこんなモーションで踊っていたような気がする。しかもeMacは起動スイッチがキーボードではなく本体の右横後方にあるので、それはそれは難儀なのだった。

「立ち上がりました」
「ディスプレイはいかがですか?」
「変わりません。まだ台形のまま」
「では、CD起動をやってみましょう」

 おいおい、最初の戦術はもう失敗に終わったのかよ。やっとコマンドとオプションとPとRと起動スイッチを同時に押す術をマスターしたばかりだというのに。しょうがないのでCD起動にトライしたが、やはりダメ。状況に進展なし。

「ダメです。直りません」
「では、お預かりして修理いたしますので、少々お待ちください」

 ものすごい潔さだ。すべてを見切った対応である。さてはお主、慣れておるな。というわけで、明日、運送業者が引き取りに来ることになった。こうしてウェブの更新もできるので使えないわけじゃないが、こんな画面、キモチ悪くて見ていられない。悪い冗談としか思えない壊れ方である。修理は早くて2日、運が悪ければ1週間ほどかかるらしい。なので、しばらく更新は途絶えます。ゆうべはラツィオ戦を見たのだが、そんなこと書く気にならん。それより、いまは自宅でメールの送受信ができない状態なのだった。困ったなぁ。ま、仕事が暇だったのが不幸中の幸いであった。




2003.04.21.Mon. 14: 10 p.m.
BGM : 『THE BEST OF RETURN TO FOREVER』

 きのうの日曜日は雨だった。雨の休日にセガレをどこに連れて行くかは、かなり重大なモンダイである。小さな子供のいない家庭には理解できないことだと思うが、まず「どこかに行く」という揺るぎない大前提がそこにはあるのだった。私も独身時代は、どうして世の中は休日になるとどこもかしこも「家族連れで賑わう」のかと訝しく思っていたが、子を持ってみるとその事情はよくわかる。どっか行かなきゃ持たないのである。親子3人で朝から晩まで家に居てごらんなさい。たちどころに空気は淀み、対話は煮詰まってゆく。たぶん、それは、「会議」に似てるんじゃないかと思うよ。みんなで輪になって向かい合っていると、人はそれだけで不機嫌になるのだ。そう考えると、「みんなで昼飯を食いに行くサラリーマン集団」がやけにふんぞり返って歩くのもわかるような気がする。昼飯を食いに行くときは、輪じゃなくて一列横隊だからね。みんなで同じ方向を向いて進んでいくとき、人は機嫌がよくなるのである。「おれたちゃメシ食ってやるんだぜこの野郎、がっはっは」と高笑いの一つもしたくなるというものだ。

 そんなわけだから家族も休日には一列横隊でどっか行ったほうが精神衛生に良いのであるが、雨は困る。井の頭公園で走り回らせてセガレのエネルギーを消費させるという、もっとも費用対効果の高い作戦が取れない。しょうがないので、きのうは午後から渋谷の児童会館へ。私は初めて行ったが、妻子は何度か行ったことがあり、セガレもわりと気に入っているのである。当たり前だが、家族連れで大賑わいだった。アスレチック系の遊具でひとしきり汗をかかせた後、ミニシアターのような場所でアニメ映画『アイアン・ジャイアント』を鑑賞。このタイトルは見たことも聞いたこともなかった。どうやら3〜4年前の作品らしいが、こんなの話題になってたっけねぇ。セガレと離れた席で居眠りしながらだったのでよく見ていなかったが、わりとよくできた愛と勇気と感動の物語だった模様。「スマートな鉄人28号」といった風情のシンプルかつクラシックなロボ・デザインにも好感が持てた。スーパー戦隊○○レンジャー系のゴテゴテしたロボットはおそらくマジンガーZあたりが起源になっているのであろうが、あのあたりから子供番組を見なくなった私にはちょっと馴染みにくい。どうでもいいよな、そんなこと。しかしまあ、ゴジラとかウルトラマンとかもそうなのだが、自分の幼少時に親しんだカルチャーに子供が触れてくれると何だか嬉しくなるというノスタルジックな心理というのが親にはあるんであって、きのうも帰宅してから、スカパー!で放送していた『ウルトラQ』なんかを親子で見たりしたのだった。ゆったりしたフォームで車より速く走るケムール人はすごい。

 映画のあと、楽器をいじれる部屋へ。セガレのお気に入りはドラムセットである。スティックを握って大暴れ。じつにパワフルなドラミングであった。幼児のエネルギー発散には最適である。ときどきスティックが飛んでくるから近くにいると危険だが。バスドラを踏みながらタムをどかどか叩いたあと、たまにシンバルをがしゃんと一発鳴らしたりするのは、このあいだFBOのライブでヤマちゃんの演奏を見た影響か。筋は悪くない。ドラムは何歳から習えるのだろうかと半ば本気で考えた。

 閉館後に駅へ向かう途中、とくに用もないのにカンピオーネに立ち寄る。マンUのオフィシャルショップかと見紛うような店内の様子にちょっとウンザリ。おまえらそんなにベッカムのシャツが欲しいか。でも、ロイ・キーンのぬいぐるみ人形はちょっと欲しかった。手ぶらで帰るのも寂しいので、W杯のトレーディングカードをセガレに買い与える。封を開けたら、いきなり柳沢のカードが出てきたので笑った。

 夜、レアル・マドリー×バルセロナ(リーガ第30節)をビデオ観戦。バックパスを受けるGKボナーノを見て、「シュート撃たれるよりも心配」と呟いた愚妻の言葉が印象的だった。極東の主婦にこんなこと言われたくなかったら、もっとキックを練習しなければいけません。モッタという選手を見直したゲーム。あんなに守備能力が高かったとは。あれならセンターバックも務まるんじゃなかろうか。モッタとプジョールのCBって、けっこう魅力的だと思う。ともあれ、モッタが中盤を支えたお陰で、バルサは互角の戦いぶり。あれでボールを奪ってからもっと早く攻められればあと2点ぐらい取れたんじゃないかとも思うけれど、マドリーはマドリーでマケレレが効いていたのだった。大事なポジションだ。いずれも昔は逆のチームにいたロナウドとルイス・エンリケのゴールで1-1のドロー。バルサがリーガを面白くしている。そんなことしてる場合なのかどうかは知らないが。

 土曜日の晩は、ブレシア×インテル(セリエ第29節)をライブ観戦。合わせて3人の退場者が出る乱戦は、ロスタイムに飛び出したクレスポのゴールで0-1。どれを見ようか迷ったのだが、これを見てよかった。ベンチで温存されてたくせに途中で出てくるなり退場を食らったビエリが哀れ。次節のラツィオ戦に出られないのはありがたい。

 金曜日の晩は、アーセナル×マンチェスターU(プレミア)をビデオ観戦。何かしながら見ていたので、あまり印象が残っていない。何をしながら見ていたのかもよく思い出せないぐらいだ。あちこちで評判を目にしたので6800円も払って買った小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)を読みながら見ていたような気もする。まだ200ページぐらいしか読んでいないが、この本はおもしろいです。試合は2-2のドロー。唯一覚えているのは、逆転したアーセナルがすぐに追いつかれてしまったこと。勝負弱いのう。ところで、シーマンはなぜいないのか。しばらくシーマンを見ていない。シーマンの場合は、コンスタントに見ることが大事だ。しばらくブランクを置いて久しぶりに見ると、前と容貌は変わっていないのに、いちいち驚いてしまう。




| #25 | TOP | BACKNUMBER | FUKAGAWA | B.I.P. | MAIL | #27 |
edogawa's diary 02-03 #26.