edogawa's diary 02-03 #27. 『ナマコのぬいぐるみもきっとある』
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2003.05.09.Fri. 12: 45 p.m.
BGM : 『KYLYN LIVE』

 知り合いのサイトでそういうモノが存在することを知り、はてなというところに江戸川アンテナを立ててみた。「立てる」でいいのかどうかよくわからない。「張る」かな。どっちでもいいが、登録したページの更新状況を教えてくれるという便利なサービスである。これさえチェックしておけば、いちいち自分で巡回して「ちっ、まだかよ」と舌打ちせずに済むわけだ。あちこち見回って更新状況をチェックしているはてなのスタッフは大変だよな。……え、人間が巡回してるわけじゃないんですか。どういうことなのか、よくわからない。知り合いのアンテナには本誌のトップページも登録されており、日誌を更新した数時間後にそこに行ってみると、ちゃんと更新したインデックスが表示されていて、けっこう感動した。私のページを登録しているのはその知り合いだけだというのが、ちょっと寂しかったけどね。しかし、一つでも登録されたアンテナがあると、更新モチベーションが向上する。新着順に表示されるので、サボっていると、どんどん下から追い抜かれてしまうのだ。べつに何か損をするわけではないが、なぜか本能的に「抜かれたくない」と思うのだった。ついでに自分のページも登録したのだが、あまり意味がなかっただろうか。

 ゆうべは、ミラン×インテル(CL準決勝第1戦)をビデオ観戦。まさに、「ロマンチックなリアリズム」を感じさせてくれる一戦だった。サッカーに「別世界の夢」しか求めない人間には、この「悪夢のような現実」の重苦しさが持つ豊穣な味わいはわからないだろう。フィールドのど真ん中を攻め上がるネスタの決意、脚も折れんばかりに左サイドを駆け上がるマルディーニの覚悟、地面を叩いて悔しがるガットゥーゾの絶望、肉体の疲労を意志の力で克服できると信じているかのようなクレスポの祈り。マドリーの試合では見られない全てのものが、そこにはあったのである。饒舌なスコアレスドロー。私には十分にエキサイティングだった。




2003.05.08.Thu. 11: 20 a.m.
BGM : 安全地帯『夢の都』

 なんで私はこんなCDを持っているんだ? 安全地帯って。好きでも嫌いでもない(要は興味がない)のに。聴けば持っている理由がわかるかと思って聴いているのだが、あらゆる意味でピンと来ない。わからん奴だな私。わからんといえば、安全地帯というユニット名も意図がよくわからん。そんなところに逃げ込んでどうする。しかし考えてみると、「なぜ持っているかわからないモノ」というのは沢山あるんであって、たとえば私の本棚にはポール・ラッセルという人が書いた『ゲイ文化の主役たち ソクラテスからシニョリレまで』(米塚真治=訳/青土社)という本がある。もちろん一行も読んでおらず、なぜ3400円も出して買ったのか、全然わからない。だいたいシニョリレって誰だ。っていうか、ソクラテスってゲイだったのか。なんでわかるんだ。

 ゆうべは、レアル・マドリー×ユベントス(CL準決勝第1戦)をビデオ観戦。数日前、あるマドリディスタの作家が自分のウェブ日誌で、マドリーについて「別世界の夢のようなフットボールと、アホらしいほどのもろさが同居しているのは、仕方のないこと」と書き、「いくら勝とうが、セリエAのような退屈極まりないサッカーなんか、誰が見るか」 と吐き捨てていた。私はセリエにもある「アホらしいほどもろい」チームのファンだし、天の邪鬼な性格でもあるので、こういう物言いを見ると断然カルチョに肩入れしたくなる。無論、何を退屈と感じたってかまわない。セリエを見るも見ないも勝手にすればいいだろう。だが「セリエAのような退屈極まりないサッカー」という言い方はずいぶん乱暴だ。それこそ典型的なレッテル貼りである。マドリーにだって退屈な試合はあるし、セリエにだってエキサイティングな試合は山ほどある。たとえばラツィオが3-0からインテルに追いつかれた試合(嗚呼)や、ピッポの決勝ゴールでミランがユーベを下した一戦などを「退屈」と感じる作家がいたとしたら、私はそんな作家の書くことを信用しない。まあ、たしかにセリエには退屈な試合が多いけれど、その退屈さを含めてサッカーだ。そりゃあ、マドリーみたいに配牌が良ければいつだってハネ満狙いの打ち方ができるだろうが、麻雀だってそれだけじゃ面白くない。とくに私はいつも配牌が悪く、常に守備的な戦い方を強いられるので、そう思う。何を言わせるんだよ、おい。

 ともあれ、この試合も、双方の1点目は実に対照的。モリエンテスとの華麗なワンツーから決めたロナウドのゴールは、さすがにキレイに点取りやがるなこの野郎、と感歎せざるを得なかった。一方、トレゼゲのゴールは、デル・ピエーロのシュートがDFに当たって、たまたま足元に転がってきた偶然性の一発。どちらが美しいかといえば当然ロナウドだが、どちらがサッカー的かと問われれば、私はトレゼゲのゴールだと答える。こういうゴールが私たちに現実の恐ろしさを思い知らせるのであり、だからこそサッカーはエキサイティングなのだ。「別世界の夢」だけ見ていたいなら、ディズニーランドにでも行けばいい。第2戦は、是非ともユーベにウノゼロで勝ってもらいたいと思う。しかもそれがデルピのPK一発なら、何も言うことはない。リアリズムへのロマン、という倒錯したキモチになっている。




 

2003.05.07.Wed. 13: 40 p.m.
BGM : J-WAVE

 ちと古い本だが、高木徹『戦争広告代理店』(講談社)を読んだ。ボスニア紛争の舞台裏で起きていたPR戦争を描いたドキュメンタリーで、いかに情報戦で出遅れたセルビアが悪者に仕立て上げられたか、というオハナシである。著者は、同じテーマの番組を製作したNHKのディレクター。おもしろく読めた。が、いかにもテレビ的な「わかりやすさ」に警戒心を抱かないでもない。「そんなにウマくいくか?」というのが正直な感想。このドキュメンタリー自体がPR会社の戦略にハマっているんじゃないかという印象を拭えないのである。出来事の全体像をコンパクトに図式化したテレビのフリップを見ているような感じ。しかし現実には、コンパクトに図式化できないスキマがたくさんあるはずで、それをもっと読みたかった。とはいえ、PR会社の手口がリアルに描かれており、世間のメディアリテラシー向上に貢献する一冊ではある。それによって、何らかの「演出」が避けられないメディア情報に対する健全な猜疑心が育まれ、それがNHKの報道番組にも向けられるようになるであろうことまで、著者が自覚しているかどうかは知らないが。報道が真実にバイアスをかける様子を赤裸々に描きながら、その報道に携わる自分に対する内省が希薄なところが、いささか気にかかる。

 以下、連休中の日誌。


5月3日(土)後半

 図書館からロイヤルホスト経由で帰宅した後、夕方までひたすらポケモンごっこ。経験のない人には理解できないと思うが、幼稚園児とのポケモンごっこは、1時間もやっていると発狂しそうになる。少なくとも私はそうだ。親に精神的な苦痛を生じせしめたカドで、ポケモンの発明者を告訴したいと本気で思った。ポケモンごっこに限らないのだが、どうして子供って、同じことを何度もくり返したがるのだろう。ちょっと気が乗って面白いことをやってみせると、際限なくそれをリクエストするのである。やがてこっちが飽き飽きして「もう勘弁してくれ」と語気を荒げ、「怒らなくたっていいじゃないか〜」とセガレがベソをかく、というのが毎度のパターンだ。たしかに、怒らなくたっていいと思う。でも、怒る以外にその悪夢のようなリピート作業を終わらせる手段がないことも事実なのだった。

 やや険悪な午後を過ごし、ようやくセガレを寝かしつけた後、ラツィオ×ユベントス(セリエ第31節)を10時半頃から追っかけビデオ観戦。ますますお茶の間に険悪な空気が流れることになるとは思っていなかった。試合は完全にラツィオのペースで、がんがん攻めていたのだが、決定機をしくじるたびにイライラが募る。しかし後半、敢然とペナに侵入したカストロマンをテュラムが倒したところで、すべては丸く収まるはずだった。あれだけ鮮やかな攻撃を見せていながらPK一発では物足りないが、まあ、バルサの猛攻をしのぎきったユーベ相手に1-0なら悪くない。フェアな結果、という奴である。なのにフィオーレ。とっても甘〜いコースに、とっても緩〜いボールを蹴りやがった。おまえ、何年サッカーやってんだ? ハエがとまるっつうの。たぶん、うちのセガレでも止められるボールだったと思う。しっかり胸でキャッチしたブッフォンが、へらへら笑っているように見えた。そういえば、UEFAカップでクラウディオがPKをしくじったとき、「フィオーレあたりに蹴らせたほうがいい」などと知った風なことを口走った解説者がいたっけ。どうしてくれんだよ。ほんとに蹴っちまったじゃないか。取り返しがつかないじゃないか。そんなこんなで、欲求不満のスコアレスドロー。おまけに、試合が終わってからウエストハム×チェルシー(プレミア終盤戦)にチャンネルを合わせたら、その5秒後に、チェルシーがディ・カーニオの決勝ゴールを食らっていた。やれやれ。どいつもこいつも、ろくな試合をしない。やさぐれた憲法記念日であった。

5月4日(日)

「もっと遠くへ」という前日の反省を生かし、車で立川の国営昭和記念公園へ。やたら広い公園を歩くことでセガレの体力を消耗させ、早く眠らせようというすばらしい作戦である。この公園におけるセガレのお気に入りは、フワフワドームなる遊戯施設だ。野球ができるぐらいのスペースに、雲をかたどった「立体トランポリン」とでも呼べるようなものが設置されている。そこで何をするかというと、どう考えても、ぴょんぴょん跳ねる以外にないのだった。300人はいようかという老若男女が、白いドームの上でひたすらぴょんぴょん跳ねている光景は、かなり異様だ。大人も子供も、やけに嬉しそう。私も以前にそこでぴょんぴょん跳ねたことがあり、それほど嬉しくはなかったものの、ぴょんぴょん跳ねているとコーフンせざるを得ないのもたしかだ。コーフンしてぴょんぴょん跳ねている300人を眺めていると、人間ってバカだなぁと思う。しかもそれが「昭和」を記念する場所にあるというあたりが、なかなか味わい深い。意味がよくわからんが、「ぴょんぴょん」と「昭和」の組み合わせを前にすると、何か考え込まなきゃいけないのではないかという気にさせられるから不思議だ。5時の閉園までさんざん遊んで帰宅。途中、ロイヤルホストに寄って晩飯。またロイホだ。東京の西のほうには、やけにロイホが多いことに気づいた。

 夜は、レアル・マドリー×マジョルカ(リーガ第32節)をビデオ観戦したのだが、ロナウドのゴールでマドリーが先制した後は何だか面白味に欠けて退屈になってしまったので、前半途中でビデオを止め、未見だった前節のバルセロナ×ソシエダ(リーガ第31節)を観た。翌朝の新聞を見て、「やっぱマドリー戦を観とけばよかった」と思うことになるのだが、このときはそんな試合になるとは思えなかったのである。で、バルサ×ソシエダは2-1。負けたものの、ニハトが80分に決めたFKには執念を感じた。それ以外は、もはや記憶がない。

5月5日(月)

 起床した時点で前日の疲労が残っていたが、ここでメゲてはいけない。「今日は家でのんびりしようか」が通用するようなセガレではないのである。どこかへ、どこか遠くへ行かなければ。で、プール大好きなセガレを満足させるべく、東京サマーランドまで足を運んだのであった。連休最終日だからといって、渋滞を恐れてはいけない。時間を費やせる渋滞は、むしろありがたいぐらいだ。しかし行きも帰りも中央高速はガラガラで、拍子抜け。思いがけず快適なドライブになった。サマーランドも、さすがに5月にプールで遊ぼうと考える人は少ないのか、さほど混んでいない。最近、古い遊園地はどこも荒んだ印象があり、ここもどんなもんかと思っていたのだが、わりと小綺麗にしていて好感が持てた。入園料だけでプールが使えるのはありがたいし、何より禁煙などとうるさいことを言わない大ざっぱなところがいい。あと、プールサイドで売ってるフライドチキンはかなり旨いです。ステージで生演奏されたハワイアンも、なかなか良かった。バンド名を忘れてしまったが、どうやら近々メジャーデビューするグループであるらしく、芸達者な感じ。ウクレレという楽器がカッコよく見えたのは初めてだった。セガレは、「Tikiスライド」なる滑り台がいたく気に入った模様。けっこうなスピードが出るウォータースライダーで、以前のセガレはこの手のアドベンチャー系遊具がわりと苦手だったはずなのだが、ずいぶん積極的に挑戦するようになったものだ。上まで階段を登るだけでも大変だと思うのだが、立て続けに20回ぐらい滑っていた。楽しいことは何度だってくり返すのである。

 夜は、レアル・マドリー×マジョルカ(リーガ第32節)の続きを観戦。どうしてそんなことになったのかワケがワカラナイのだが、1-5でマジョルカがマドリーを粉砕。何点目か忘れたが、ペナ内で3人に囲まれたエトオが一瞬のフェイントでロベカルをブッちぎって決めたゴールは驚くべきものだった。どこもかしこも優勝チームが確定しつつある昨今、6月下旬までやってるリーガを混沌とさせてくれたマジョルカはえらい。


 ……と、まあ、そんな連休だった。今後に向けて、サマーランドに使える目処が立ったことは大きな収穫である。常夏の楽園とはいえ、さすがにまだ寒かったが、誰も風邪は引かなかったし。意外に近いし。割引券もくれたし。入口でお姉さんがレイをかけてくれるのも、南の島っぽくていい。たぶん、1ヶ月以内にまた行くことになるんじゃないかと思う。

 ゆうべは、アーセナル×リーズ(プレミア終盤戦)をビデオ観戦。現地に乗り込んだ八塚さんがとても嬉しそうに実況をしていて、なんだかこっちまで楽しくなった。「来たあああああっ」も心なしかふだんより伸びがあるように聞こえるから不思議だ。引き分け以下でユナイテッドに優勝されてしまうアーセナルだったが、やはりビエラ&キャンベル不在は痛いのか、2-3で負け。リーズの決勝点は、ビルトールに替わって投入された見たことも聞いたこともない若者の軽率なパスミスから。采配が裏目に出たわけだが、まあ、優勝を逃した原因はこの試合だけではない。とはいえ、いつの間にユナイテッドに逆転されていたのか、よく知らないんだけどね。シーズン中盤まではアーセナルが楽に優勝するような気がしていたのだが、わからないものである。優勝した昨季のアーセナルにあって今季になかったものといえば、驚くべきことに「稲本の存在」ぐらいしか思いつかない。お守りは大切にしたほうがいいのだった。あと、シーマンは上下黒のユニフォームがいちばん安心して見ていられる。

 引き続き、ソシエダ×セビージャ(リーガ第32節)をビデオ観戦。シャビ・アロンソのヘッドで1-0。デ・ペドロのクロスは、見ていて本当にわくわくする。もっとも、このゲームでわくわくしたのは、そのクロス一本だけだったけど。しかし内容はともかく、マドリーにおつき合いせず勝ち点3を拾ったのは大きい。なんとか最終節までもつれてくれないものか。




2003.05.06.Tue. 18: 30 p.m.
BGM : オリジナルラブ『変身』

 ああ、平日って素敵だなぁ。平日の平は平穏の平だね。そんでもって、GWのGはグロッキーのGだ。おとうさんは疲れたのである。なぜ疲れたかというと、以下のような三日間だったからです。


5月3日(土)

 連休初日。どこへ行くのかと思っていたら、私の知らないうちに、妻子のあいだで「図書館に行く」という話ができあがっていた。図書館? ぜんぜん連休らしくない。だいたい、1日は長いのだ。図書館だけで消化できるはずがないじゃないか。しかしセガレは、すでに絶版で書店では入手できない絵本のシリーズを探したいらしく、意欲満々である。このあいだ古本屋でおじいちゃんにそのシリーズの一冊を買ってもらったために、他のも読みたくなったらしい。しょうがないので、2人で近所の区立図書館へ。愚妻は家で留守番。彼女は前夜、学生時代からの友人たちと下北沢で飲んで二日酔いなのだった。なにもそんなに飲むこたぁないだろうとも思うが、めったに発散の機会がないのでしょうがない。

 それにしても、美大出の女はどうして全員が酒飲みなのか。飲まなきゃやってられないような種類のものなのか美術は。偏見かもしれないが、少なくとも私の知っている美大出の女はみんな酒が好きだ。そして、話がやけにおもしろい。愚妻の友人のひとり(デザイナー・版画家)は、その席で、いつも一緒に飲んだくれている夫の出張中に試しに断酒をしてみたら「3日も飲まずにいられたよ!」ということをうれしそうに語っていたそうだ。その報告だけでも凄いが、それを聞いて「え〜、信じらんなーい!」とリアクションする女(一級建築士)がいることがもっと凄いと思った。こんなにおもしろい話はそう聞けるものじゃない。私も一緒に飲みたかった。

 10年ぶりくらいに区立図書館へ行って驚いたのは、一度に10冊も借りられるということだ。返却は15日後。昔は「1週間で3冊」ぐらいだったと記憶している。こういうことでは、電車の中で図書館の本を読む人が増えるのも無理はない。そんなに貸すなよ〜。しかも文庫本までどっさり置いてある。文庫ぐらい自分で買いなさい。しかし、新刊購入には積極的なくせに、古い本の収集にはあまり熱心でないのか、セガレの探していた本は見つからなかった。手ぶらで帰るのもつまらないので、カブトムシの図鑑やら何やらを5冊借りて図書館はおしまい。案の定、1時間ぐらいしか潰せなかった。そのまま帰ったのでは愚妻に十分な回復時間を与えられないので、ロイヤルホストに寄って昼飯。セガレはお子様ラーメン、私はロイヤルホスト特製チャンポンをずるずる食った。旨かった。


 ……と、ここまで書いたところで、マッキー社長から「とんでもないことを訊くようだけど、いま時間ある?」との電話。むろん、ここでいう「時間」とは「電話で喋る時間」のことではなく、「原稿を書く時間」ということである。何者かに書かせた原稿が使い物にならないので、夕方までにやり直してほしいそうだ。こんな日誌を書いているぐらいだから、時間はある。なので、何の原稿かも聞かずに引き受けた。

 5分後に届いたファックスを見ると、「スイスの時計作りの歴史」みたいな話だった。何者かが書いた「使い物にならない原稿」はたしかに使い物にならないが、なぜ使い物にならないかと訊かれてもうまく答えられないというあたりが、この仕事の難しいところだ。いや、使い物にならない理由は簡単である。「何が書いてあるのかよくわからない」から使い物にならない。しかし、これを書いた人にどんな指示を出せば使い物になるかというと、これは私にはわからないし、たぶんマッキー社長もわからないから私に直せと言うのであろう。しかし問題は、書く上で参考にすべきデータが、その「何が書いてあるのかよくわからない原稿」以外にないことだった。何が書いてあるのかよくわからない原稿を何が書いてあるかわかるように直すのは、容易ではない。なぜなら、何が書いてあるかよくわからないからだ。それを使い物になる原稿に仕立てるのは、「直す」作業ではなく、直観の導きによって「創る」作業である。

 で、創った。何を書いているのか自分でもよくわからなかったが、マッキー社長が「さすが」と言ってくれたので、読む人には何が書いてあるかわかる原稿になったのであろう。こうして私は自らの直観に妙な自信を深めてしまうのだった。

 そんなことはともかく、連休の話である。3日のロイホで話が中断していたが、そろそろ家に帰ってセガレと入浴しなければいけないので、続きを書く時間がない。結論から言うと、3日の午後は親子で煮詰まった時間を過ごし、家庭内で怒ったり泣いたりするシーンが散見されたため、「もっと遠くへ行かなければ」との思いを強くした結果、4日は昭和記念公園、5日は東京サマーランドまで足を伸ばしたのである。それについては明日書くかもしれないし、書かないかもしれない。間違いなく書くと思われるのは、土曜の晩にフィオーレが蹴ったPKのことだ。GWのGは、ガッカリのGでもあったのだった。




2003.05.02.Fri. 13: 45 p.m.
BGM : 小室等『午後のレフュージー』

 「装束」と「着衣」のあいだに何か意味の違いがあるのかどうかは知らないけれど、新聞の写真を見るかぎり、ありゃ「白装束」じゃなくて「白衣」だと思うのだがどうだろうか。少なくとも、写真を見る前に「白装束」という言葉から漠然とイメージしていた有り様とはずいぶん違うものだった。あれを、つい「白装束」という言葉で報道してしまうあたりに、無意識の情報操作みたいなものを感じる。安易なレッテルは予断を生むから気をつけなきゃいけない。「謎の白装束集団」という字面を見ただけで、私たちは何故か横溝正史的世界を想起したり何かして、挙げ句の果てにその集団のメンバーたちが鬼やひょっとこのお面をかぶって焚き火の周りで奇怪な舞いを披露しているに違いない、とまで思い込んだりするのである。私だけですか。そこまで想像したのは。つまり私は「装束」という言葉から、「能狂言」を連想していたということかもしれない。あるいはツイン・ピークスの見過ぎか。これがアメリカなら、どこかに「黒装束集団」が潜んでいるという展開になるわけですね。ともあれ、先入観を排して物を見るのは難しい。

 オランダ×ポルトガル(国際親善試合)を観た。試合前のセレモニーで、ポルトガルの選手たちと一緒に整列しているEURO2004のマスコットを初めて見た。昭和初期の日本の漫画に出てきそうだな、と思った。どういうセンスなんだろうかあれは。好カードには違いないが、双方のCB&キャプテンがフランク・デブールとコウトだというあたりに没落の兆候を感じないでもない。端的に言って、頼りないのである。試合は1-1のドロー。オランダは、すっかり普通のチームになってしまったような気がする。あの、攻撃に傾ける闇雲な情熱はどこへ行ってしまったのか。98年から2000年にかけて彼らが持っていた何とも形容しがたい「異様さ」が感じられないのが寂しい。ファンデル系の若手2人も、上手いのはわかるが小粒感が否めないしなぁ。だいたい、どっちがメイデでどっちがファールトなのか区別がつかん。区別がつかないということは、異様じゃないということだ。98年当時のオランダは、初めて見た私でさえ、90分のうちにレギュラー全員の顔と名前が一致したものだ。3試合も見れば、フランクとロナルトの区別さえつけることができた。1年後の本大会までに、そういう異様さを取り戻せるかどうかがオランダの課題だと私は思う。もっとも、異様じゃないほうが結果が良かったりするかもしれんが。

 いつの試合だかよくわからないのだが、ゆうべはウクライナ×スペイン(EURO2004予選)も観戦。ウキウキした表情で会場をぎっしり埋め尽くしたウクライナ人を見ると、ホームチームに肩入れしたくなるのが人情というものである。国歌も美しかったし。旗持って場内をぐるぐる走り回ってる人たちもケナゲだったし。試合は前半、カシージャスとサルガドのミスにつけ込んだウクライナが先制。そのまま後半を迎え、80分すぎまで1-0だったのだが、そのあたりで観客がウェーブに興じてしまったのがいけなかった。客席の油断はピッチの選手にも伝染する。そこらへん、ウクライナ人もいまいちサッカーがわかっていない。なにしろ相手はスペインなのだ。1点差なんて、まばたきしてる間に雲散霧消してしまうのである。最後まで選手と一緒に戦わなければいけません。82分にラウールのゴールで同点になったと思ったら、4分後にはエチェベリア(だったかな)の勝ち越しゴール。静まりかえるスタンド。ものすごく気の毒な光景だった。1-0の時点で監督がシェフチェンコを引っ込めて守備的な選手を投入したのもまずかったっすね。あれほど加茂さんの失敗をくり返すなって言ったのに。ウクライナの人には言ってないか。しかしスペインもスペインで、せっかく人の胸を打つような逆転劇を演じたにもかかわらず、勝ちきれないのだった。ロスタイムに何者かがミドルレンジから放った鮮烈なダイレクトボレーシュートが突き刺さって2-2のドロー。あの落胆から立ち直って追いついたウクライナはえらい。




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