edogawa's diary 03-04 #03.
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2003.08.06.Wed. 12: 50 p.m.
BGM : The BEATLES ( white album )

 めったにスタジアムへ足を運ばない私だが、たまに行くと、たいがい雨が降るのである。降雨率は8割を超えているんじゃなかろうか。サッカー雨男。「おまえは茶の間で観てなさい」という神様の思し召しかもしれない。いや、「遊んでないで仕事しろよこのタワケ者」ってことか。

 そんなわけで、関東地方に大雨洪水警報が出される悪夢のような天候の中、家族を連れてFC東京×レアル・マドリー(サントリードリームマッチ)を国立競技場にて観戦。座席はメインスタンド中央やや左、屋根の恩恵を受ける席の中ではいちばん前のほうだったので、きのうの条件下では特等席といってよかろう。ベッカムのFKは、まさに「目の前」の出来事だった。マドリーにもベッカムにも反感を隠さない私だが(だったら観に行くなって話ですが)、あそこであれ見せられちゃうと、なんちゅうか、まあ、とっても嬉しかったです。ベッカムすごーい。チケットを手配してくれた元サッカーズYさんに感謝。

 Yさんとは席も隣で、いっしょに観戦できて楽しかった。Jリーグ音痴の私としては、彼の教えてくれるFC東京情報がたいへんありがたかったのである。セガレの言動を彼に知られたのは、ちょっと恥ずかしかったけど。マドリーを応援していたセガレは、どうもマケレレという名前が気に入らないらしく、「カチレレ(勝ちレレ)とかツヨレレ(強レレ)ならいいのに」とわけのわからないことを口走っていたのだった。「さすが江戸川さんの息子ですね」って言われちゃったじゃないか。まあ、たしかにそれと大してレベルの違わない原稿を編集部に送ったばかりで、Yさんもそれを読んでから来たようなので仕方がない。あ、そういえば言うのを忘れてましたが、今回のコラムが書けたのはYさんが教えてくれたシモネッタのお陰です。何から何までお世話になってすんません。と、さりげなく次号予告をしてみた。

 ジダン欠場は残念だったが、それでもラウール、フィーゴ、ベッカムが先発、ロナウドとロベカルも後半から登場するというゴージャスな布陣。しかし不思議なことに、私が「ああ本物のマドリーがここにいるんだなぁ」と実感してドキドキしたのは、どういうわけかサルガドやエルゲラのプレイを見ているときだった。なんでしょうね、これは。そのへんのクラスのほうが、なんかナマっぽい感じがして、「どーしてキミたち、ここに居るの?」と言いたくなるのである。おそらく、彼らのほうがローカルな存在だからであろう。ワールドクラスの選手はワールドクラスだからどこに居ても別に不思議じゃないが、サルガドやエルゲラはスペインに行かなきゃ見られないはずの選手だってことですね。私、なんか失礼な話をしてますか。

 ともかく、ついサルガドばっかり目で追っちゃったよ。サルガドは、やけに一生懸命やっていた。あと、マケレレもね。マケレレって、たぶん、手抜きのできない不器用で真面目な人なんだと思う。自分を過小評価しがちな人なのかもしれない。ちなみにロナウドは、遠目から見ると若き日のモハメド・アリだった。黒々としてきたヘアスタイルは、愚妻に言わせると「大五郎カットよりもヘン」。髪の毛が増えれば増えるほど似合わないという、希有な人間なのかもしれない。

 試合は、ベッカムのFK、ソラリのごっつぁん(というほど簡単なプレイではなかったが)で前半0-2、後半にはロナウドの個人技が炸裂して0-3。もちろんベッカムとロナウドは凄かったのだが、マドリーというチームの怖さを感じさせたのは2点目だった。あいつらが、あんなふうに5人まとめてエリア内で前向いて押し寄せてきたら、私だったら逃げるね。「降参〜」って言いながら逃げる。おっかない。あれは「攻撃」というより「殴り込み」に近いと思いました。しばしば解説者が口にする「前を向かせちゃダメ」という言葉の意味がよくわかった気がする。

 それにしても、きのうの試合でいちばん気合いが入っていたのはFC東京のサポーターだ。昔、彼らのサンバ隊がいかにお粗末かということをここで書いた記憶があるが、きのうの応援には感心したです。よく声が出ること。彼らなら息を腹でホールドできるかもしれない。この試合が、適度な緊張感と華やかさを最後まで維持して料金に見合うエンターテインメントに仕上がったのは、彼らのお陰だと私は思う。

 あと、きのうの試合でいちばんダメだったのは、無気力シュートを外しまくったラウールではなく、私の前に座っていたお兄ちゃんだ。小型テレビで実況聞きながら観るなっつうの。うるさいからイヤホン使ってくれっつうの。アンテナもこっちの視界に入って邪魔だっつうの。アンテナは引っ込めるように言いましたけど。

 ちょっと話は飛躍するのだが、以前、セガレの学芸会をビデオ撮影しながら観たことが一度だけある。あれをやっていると、「観ているようで観ていない」ような感覚になって、終わった後、その場で起きたことがまったく記憶に残らない。何故そうなるかというと、たぶん、キカイに「記録」を委ねてしまって自分の目で見ようとしないからだと思う。自分の目で見ないというのは、つまり、自分の言葉で記憶できないということだ。しかも、ずっとモニターを見ているから、臨場感をまったく味わえない。だから私は、セガレのイベントでビデオを回すことは二度とするまいと決めている。そういう自分の経験に照らすと、キカイに「説明」を委ねていたあのお兄ちゃんが、きのうの試合を自分のオリジナルな記憶(思い出)にできるかどうかは疑問だ。スタンドであれをやると、茶の間でテレビを観ているときの何倍も強力に、実況者の「言葉」に支配されてしまうに違いない。他人が何をどう見ようと勝手だし、茶の間派の私がこんなことを言うのも何だが、あんな特等席でテレビの実況を聞くなんて、すごくモッタイナイことだと思う。




 

2003.08.05.Tue. 12: 30 p.m.
BGM : THE PLAYERS "UP TO YOU"

 名盤だよね。「バッヂ」にリクエストしたい曲がゴロゴロ。

 本日13時〆切のコラムを11時過ぎに送稿。えらいえらい。うろうろとネットを徘徊した末、サッカーとまるで関係ないニュースを見てネタを思いついたのは深夜1時頃、本文を書き終えたのは午前4時だった。コーヒーの飲み過ぎであんまり眠れなかったが、8時に起きて前夜の原稿を手直し。眠いのである。こうして必死で稼いだ原稿料が今夜2時間で消えるかと思うと、ちょっと虚しいですが。原稿には例によってどこかで見たような話が散見されるが、まあ、しょうがない。ウェブで書いたのはβ版、それを仕事に使ったのは製品版だと、宮沢章夫さんもどこかに書いてたし。

 というわけで、すでにGUEST BOOKでも明らかになっているとおり、私は今夜、FC東京を応援しに国立へ行ってくるのである。クニタチじゃなくて、千駄ヶ谷方面ね。ベッカムのプレイスキック時にどれだけのフラッシュが光るか見物だ。昔、山口百恵と三浦友和の結婚式のときに、報道陣の焚くフラッシュで東京の空が明るくなったという伝説を聞いたことがあるが、そんな感じかもなー。なんか、ビートルズを見に行くような気分だ。




2003.08.04.Mon. 17: 25 p.m.
BGM : Stacie Orrico "stacie orrico"

 いかん。すっかりオンラインでCDを買うのが癖になっている。お金ないのに。クレジットはやめて代引きにしないと歯止めがかからないかも。というわけで、とくに決まったターゲットもないのにHMVに行き、ふらふらと注文してしまった「本日(といっても金曜日の話だが)の売れ筋商品」が、このステイシー・オリコの『ステイシー・オリコ』なのだった。なんで買ったのか、自分でもよくわからない。ま、要はジャケ写のステイシーちゃんがちょっと可愛らしく見えたからなんでしょうが。実物(本人じゃなくてCD)を見たら、さほどでもなかったけども。HMVの「お客様からのレビュー」によれば、「若干16歳」の女性シンガーらしい。若干16歳。二重に間違ってますな。偏狭で意地悪な校正者だったら、「弱冠」に訂正した上で「トル」と赤を入れることだろう。由来やら何やらは忘れたが、「弱冠」は「二十歳」につくのが本当なんでしょ?  と、そういう天に唾するような話はともかく、ステイシー・オリコである。私にはピンと来ませんでした。以上。

 さらに、勢い余って同時に注文したのが椎名林檎『無罪モラトリアム』である。何を今さら。友人たちを相手に矢野真紀について語っていると、いつも「亀田誠治つながり」で話が横滑りして「椎名林檎はいい」「おれもそう思う」「うちの娘もよく歌ってる」「林檎だよ」「うんうん、林檎林檎」という展開になり、それが悔しくて今まで聴こうとしなかったのだが、やはりそこまで言われると好奇心には抗えない。なんかよぅ、名前もタイトルもケレンがあって好かんよなぁ、などと偏見をブツブツと口にしつつ、聴いてみたら「なんだよ、すげえいいじゃんか、たまらんなオイオイ」という展開になるような気がしていたのだが…………まるでダメでした。おれ、こういうのダメ。苦手。すまんけど、ノー・サンキュー。辛うじて引っかかったのは『丸の内サディスティック』ぐらいかなぁ。なんだろうなぁ。やっぱ私は保守的な人間なのかなぁ。トンガッたのってダメなんだよなぁ。なんちゅうか、聴いていて「この人のことを知りたい」と思わないのです。べつに矢野真紀と比較する必然性はないのだが、彼女の場合は初めて「アンスー」を有線で耳にした瞬間に「知りたい」と思った。もう一つ、あえて両者を比較して感じたのは、矢野真紀にとって歌はたぶん唯一無二の表現手段だが、もしかしたら椎名林檎の場合はべつに歌じゃなくてもいいんじゃないか、ということである。どっちがいいとか悪いとかいう話ではありませんが。そんなふうに言ってみたくなるような感じ。

 異論・反論・説教・啓蒙等は、どうぞ遠慮なさらないように。




2003.08.03.Sun. 11: 40 a.m.(加筆)
BGM : 向井滋春 "FOUR TROMBONES"

 きのうは午後からニューオータニで取材。途中、著者が腹ごしらえに注文したサンドウィッチを勧められ、「ダイエットで昼めし抜いてるもんで」と言ったら、「え? それ以上やせる必要ないだろ。顔がへこんじゃうぞ」と言われてゴキゲンである。だけど、まだ、脱いだらけっこうなもんなんです。結局、少しいただきましたが。ニューオータニのオニオンリングは旨い。

 横浜人である担当編集者のハポエルテルアビブ君は、取材終了後、横浜国際に向かった模様。すっきり勝って良かったっすね。チャンスでもたついて決めきれなかったカズのお陰という説もあるが。岡ちゃんのメガネ、芝生に落ちたのを踏んづけてトドメをさしたのは、監督の背後から飛びついた久保だったように見えたのだが、気のせいだろうか。いや、久保のラストパスを受けた本人が踏んづけたのかな。

 山野楽器オンラインから、上記のCDが届いた。こういうCDを作って、ふつうに2800円で売るレコード会社(スキップ・レコード)はえらいなぁ。出版でいえば専門書みたいなもんなんだから、6000円ぐらいの定価をつけてもいいような気がしますが。それでも買う奴は買う。買わない人は500円でも買わない。

 で、出来映えはというと、もちろん楽しいし、もちろん上手い。しかし、この「もちろん」には「想像以上でも以下でもない」という意味も含まれているのであって、この手のトロンボーン物を聴くといつもそうなのだが、この楽器のすばらしさと限界を同時に感じてしまうんだよなぁ。「トロンボーンのハーモニーっていいよね」「あの楽器をこんなふうに吹けるなんて凄い」といった具合に、「楽器」ばかり注目されてその「音楽」自体があまり語られないというのは、ちょっと不幸なことだと思う。

 そして演奏する側も、そこに安住してしまっているところがあるような気がしてならない。4トロンボーンは過去にもいくつか聴いたことがあるが、同時に聴き比べても、たぶん私にはどれがどれだか区別がつかないと思う。ダーク・ダックスとボニー・ジャックスとデューク・エイセスがふつうの人にはなかなか区別できないのと同じような感じ、と言ったら怒られるだろうか。まあ、世の中には「ダーク・ダックスは好きだけどボニー・ジャックスは嫌い」という人もいるのでしょうから、ちゃんと聴き比べたことのない人間が印象だけでこんなことを言うのは申し訳ない話ですけれども。

 ともあれ、このメンバーならもっとユニークで刺激的なアルバムが作れるはずだと思うから言うのだが、やや不満の残る一枚だった。「スペイン」も、4本のアカペラによるアランフェスは意欲的な試みだったけど、向井さんにはもっとソロで歌ってほしかったなぁ。あと、全曲がトロンボニスト(メンバーおよびスライド・ハンプトン)による編曲なのだが、それが「壁」を突破できない一因かも。楽器の特性を知り抜いているがゆえに、あまり冒険できないということがあるのではないか。以前、Kay'n君がアレンジした難度の高いビバルディ(春)を森山良子と山本潤子と白鳥英美子が悪戦苦闘しながらアカペラで歌っているのをテレビで見たことがあるのだが、4トロンボーンで新境地を切り開こうと思ったら、ああいう容赦のなさを含んだ外的な負荷が求められるのかもしれない。もっとも、この演奏をライブで聴いたら、めちゃめちゃ興奮して帰ってくるんだろうけどね。




 

2003.08.01.Fri. 12: 30 p.m.
BGM : "Shirayuri(O Lirio)" on Desert Island Records

 午前中、サッカーズ(とプレミアシップ・マガジンとCALCiO2002など)の編集部がある株式会社フロムワンを訪問。べつに連載打ち切りを通告されに行ったわけではなく、Y氏が用意してくれた数枚の紙切れと、それと同じ枚数の1万円札を、物々交換しに行ったのである。何の紙切れかは想像に任せるが、高いのう。コラム一本の原稿料と行ってこいだ。まさにブツブツ交換。なんちゃって。Y氏から最初の原稿依頼を受けてからかれこれ1年になるが、編集部に足を運んだのはこれが初めてである。サッカー雑誌ばっかり作ってるので、なんとなく運動部の部室みたいなワイルドな風景とセクシーなパフュームを勝手に想像しておったのだが、これはひどい偏見というもので、京橋のオフィスは実に清潔で明るい印象であった。私もたまにはああいう環境で働いてみたい。あ、だけど禁煙か。ぜひ編集長にお目にかかって、まだしばらくは連載を打ち切らないよう恫喝しようと懇願しようと思っていたのだが、ご不在で残念でした。

 さて8月である。月もかわったことだし、ダメだったきのうまでの自分に別れを告げて、気分も新たに「40日で800枚書くぞ大作戦」に取り組もうじゃないか諸君。はーい。よし、じゃあ、作戦会議だ。どうすればいいか言ってみろ。はい、隊長。1日20枚書けば作戦を遂行できると思うであります。おお、そうか。なかなかの計算能力だ。書籍ライターは割り算が大切だからね。それだけちゃんと割り算ができるのに、なんで今まで予定どおりに進まなかったのかが問題だが、まあ、この際、済んだことは水に流してやろうじゃないか。今日から1日20枚だ。毎日毎日、20枚だ。雪が降ろうが槍が降ろうが恐怖の大王が降ろうが20枚だ。20枚書くまで、兵舎への帰還は許さん。あいあいさー。ほんじゃ、突撃ーっ。えいえいおー。




2003.07.31.Thu. 10: 30 a.m.
BGM : Lee Morgan "CANDY"

 おはようございます。ゆうべは、ゆっくりお休みになれましたか? 私のほうは、何者かに追いかけられる悪夢にうなされてました。もしかして、逃げるから追われるんでしょうか。ちょっと、頭も体もへろへろな感じになってます。へろへーろ、へろへーろ。きのうの夕刻、連続して3人の編集者に電話を入れました。1本目は「驚かないでほしいのですが遅れてます」という用件、2本目は「遅れてますが堪忍してください」という用件、そして3本目は「申し訳ありませんが明日まで待ってください」という用件でした。

 そう。私はダメな人である。ものすごくダメだ。ひょっとしたら、本物のダメダメ星人かもしれない。♪ダメダメ星からやって来た〜 仕事の遅〜いナマケモノ〜。そんなダメダメ星人かもしれない私は、3本目を切った直後に、元サッカーズ(現プレミアシップマガジン)Y氏からかかってきた電話に出たときにも、あやうく「すみません遅れてますぅ〜」とか何とか口走るところだった。あわやオウンゴールだ。プレミアシップマガジンの仕事なんかしてないっつうの。遊びの話だっつうの。自業自得とはいえ、電話が鳴るたびにビクビクしながら全身をお詫びモードに切り替えている自分が哀れでならない。へろへーろ。

 だが、そうこうしているうちにも新規のゴースト仕事が押し寄せるのだった。これから9月上旬までに800枚ほど書いたあと、10月に1冊、11月にも1冊。その前に、わしズムの仕事もあるはずだ。マンスリーMでは、レギュラーのリライト仕事も発生するらしい。さらに秋口には、またぞろ例の飲食店情報200本ノックがあるやもしれないという噂も。んぐぐ。なんか、キモチ悪くなってきた。でも、一生懸命がんばるから、みなさん見捨てないでください。え? おれんとこのも忘れるなって? わかってますわかってます。そちらさんの〆切は5日の13時ですよね。ええ、ええ、心得ておりますとも。もっとも、いまのところノーアイデアですが。しくしく。

 しくしくで思い出したが、数日前、ポケモンの映画を母親といっしょに観てきたセガレに、「父さんが見たら、たぶん、泣くと思うよ」と言われた。むむ。なぜ私が泣き虫であることを知っておるのじゃ。子供は侮れない。

 生活向上委員会大管弦楽団(これが正式名称。略称は「生向委」。女性の前で音読するとセクハラになる恐れがあるので注意が必要)のことを調べようと検索していたら、なんと生向委とスペクトラムを同じテキストのなかで語っている(おまけに「月の沙漠」をめぐる話題まで含まれている)ページがあった。田中啓文という作家が書いている、ちりぬる音座録と題されたエッセイの一編だ。田中啓文のことは何も知らなかったが、作家になる以前にはスイングジャーナル誌主催のジャズ評論「私の考えるジャズの未来」で入賞したこともある人らしい。

 で、そのテキストにおいてスペクトラムと生活向上委員会大管弦楽団をつないでいるキーワードは、「無邪気」ではなく、「コスプレ」なのだった。あ、そっかー。そうだったかー。なるほどなるほど。私がAGHARTAから2つのグループを想起した本当の理由がわかりました。AGHARTAもまた、CDのブックレットを飾る写真で、ちょっとどうかと思うようなトロピカルな扮装に身を包んでいるのである。あー。きのうの時点でそこに気づかなかったのが悔しい。ところで、私は生向委のLP『This Is Music Is This ?』を持っていたはずなのだが、あれ、どこにあるんだろう。誰か私から借りてない? 20年ぐらい前に。

 amazonの「遠慮のかたまり」は、めでたく在庫一掃されたようで。




2003.07.30.Wed. 9: 45 a.m.
BGM : AGHARTA "REVENGE OF AGHARTA"

 あー。ほんとうだ。Special Thanksのところに、Kay'n君の名前が。いいなぁ。かっこいいよな、こういうの。私も死ぬまでに一度くらい、CDのSpecial Thanksか映画のスタッフロールに載ってみたい。そうだ。「矢野真紀のCDでSpecial Thanksされる」を「人生の目標リスト」に加えておこう。リストっていっても、まだ「井の頭線の車内エッセイを書く」に続いて二つ目ですが。Special Thanksされるのにいちばん手っ取り早い関わり方って何だろう。スタジオに弁当を届ける、か?

 というわけで、おそらくamazonにまだ在庫が1枚あるにもかかわらず私がこれを聴いているのは、HMVのほうで買い求めたからである。なので、amazonのほうは遠慮せずに誰か買いたまえ。HMVに注文した後で、amazonのほうが146円も安いことを知って頭の中がどんよーりしましたが。はあ。そういうこともあるですか。ネットでの買い物に慣れていないとこういうことになるのだった。どんよーり。

 にぎやかなアルバムだよなぁ。いや愉快愉快。2曲目の「BODHI SAMBA〜君は僕の観音サンバ」は、ヒロミ・ゴーの「お嫁サンバ」とサディスティック・ミカ・バンドの「マダマダ・サンバ」と並ぶ「ニッポン三大サンバ」に数え上げたい。ほんとは「別れのサンバ」も加えたいけど、あれ、実際は「別れのボサノヴァ」だしね。サンバやボサノヴァの定義って、ぜんぜん知らないで言ってますけど。

 こんな言い方をするとまた叱られるかもしれないが、ふと「実力と哲学に裏打ちされたSMAP」なんて言葉を思い浮かべてしまいました。褒めてるつもりなんだが。さらに、私がこれを聴きながら想起したのは、どういうわけかスペクトラムと生活向上委員会なのであった。100人が腕組みしながら「はあ?」と一斉に首をかしげる風景が目に浮かぶようだが、私自身も意味がよくわからないものの、想起しちゃったものは想起しちゃったんだからしょうがない。しかしスペクトラムはともかく、生活向上委員会って。その固有名詞を自分が覚えていただけでも吃驚仰天だ。「変態七拍子」しか記憶にないんだけどね。たりらん、たりらん、たりらりらん。

 で、想起してしまった以上は無理やりにでもリクツをつけたいのが人情というものでありまして、 AGHARTA、スペクトラム、生活向上委員会をくくるキーワードとして「無邪気」というのを無造作に思いついてみた。とはいえ、それは「大人になっても少年の心を失わないのって、とってもステキだと思うの(はーと)」みたいなことじゃないんである。これは小声でひそひそ言うのだが、少年の心を持ち続けてる大人の男なんて、やっぱり、ちょっと、どこかバカなんじゃないかと思いませんか。私は思う。うーっすらとだが、思う。少なくとも、生身の「少年」といっしょに生活していたら、そんなものに瞳をキラキラ輝かせる気分にはならないのだった。

 それはともかく、少年の心なんぞでこんな娯楽巨編が作れるわけはないのであって、むしろこの作品を包んでいるのは、「まっとうなトレーニングを積んできたプロフェッショナルであるがゆえに到達できる完熟の無邪気」だ。それが戦略的に練り上げられ演出されたものかどうかは微妙なところだが、私はそうじゃないと思う。思いたい。メンバー相互の刺激によって、やむにやまれず引き出されてしまった無邪気。それを象徴する曲の一つが、わずか2分半という短い演奏の中に贅沢なほどのアイデアを投入した「花いちもんめ」(「相談しよう、そうしよう」の2小節で聴かせるハーモニーの意外性と美しさと言ったら!)である。これを、こんなに手間暇かけてバカバカしくもかっこいい楽曲に仕立て上げるなんて、まさに、それまで彼らの潜在意識を抑圧していたであろう「邪気」(これはこれで大人とは不可分な荷物なのだが)に対する「REVENGE」としか言いようがない。

 ごく稀に、何の関わりもない第三者として外から眺めていても楽しくて好感の持てる大人の宴会というのがあるが、そんなことを思ったりもした。「宴会」と言うと下品に聞こえるが、「うたげ」と言うとちょっと芸術的になりますね。無邪気な大人による大人のためのうたげ。私はAGHARTAをそんなふうに聴いた。

 きのうの日誌の日付が間違ってたので直しました。どんよーり。




2003.07.29.Tue. 9: 50 a.m.
BGM : 矢野真紀 "幸せな夜 儚い時間"

 まだ可能性がゼロになったわけじゃないのかもしれないが、今朝の日刊スポーツで「中田ラツィオ破談」の大見出しを目にしたとき、私は落胆しつつも一方で安堵のようなものを感じている自分に気づいたのだった。なんかこう、中田のいる(そしてパンカロのいない)ラツィオの試合を1年間観戦し続けるのって、すごく疲れそうな気がするんですね。「めんどくさい感じ」と言ってもいい。よくわからんが、ひどくギクシャクした見方になるような気がしてならないのである。たぶん、私にとって中田とラツィオは娯楽としてのジャンルが違うのであろう。矢野真紀と向井滋春ぐらい違うかも。中田がラツィオ化してくれれば話は別だが、それは矢野真紀がトロンボーンを吹くようになるのと同じぐらいあり得ないような気がするし。……ラツィオ化ってなんだ?

 鼻の頭の皮がむけてきた。べつにこれから脱皮が始まるわけでは(たぶん)なく、御宿での日焼けによるものである。肩や背中には日焼け止めを塗っていたのだが、雲の切れ目からたまに太陽が顔を出す程度だったので、油断して顔だけ塗らなかったのだ。耳なし芳一みたい。それにしても、あの程度の日焼けでむけるとは。ふだん、いかに日光を浴びない生活をしているかがよくわかる。お肌のデリケートさといったら、ほとんどドラキュラ並みだ。耳なし芳一と化したドラキュラって、かなり不気味だが。




2003.07.28.Mon. 17: 40 p.m.
BGM : Shigeharu Mukai & Astrud Gilberto "SO & SO"

 いよいよ「日誌を書いて余った時間で仕事」などとタワケたことを言ってられない状況になっているのである。ほんとうは、2週間前からとっくにそうなんですけどね。今日は朝から、マッキー事務所に頼まれた村上隆のインタビュー記事やら週刊ダイヤモンドやらの原稿を、息を止めて書いていた。ふう。きのう届いた『SO & SO』の清涼感に無上のリラクゼーションを与えてもらう黄昏どきである。そういえば、向井滋春の『FOUR TROMBONES』というアルバムがいつの間にか発売されていたらしい。It's all right with me、Spain、Recado Bossa Nova、Bluesetteなどなど私にとってはヨダレの出そうな曲がテンコ盛りだ。とりわけ『It's all right with me』は、学生時代にモルちゃんと2人でJ&Kバージョンをコピーして演奏した思い出のナンバーである。思えば、あのときバックでドラム、ベース、ピアノを演奏していたのはバッヂのリズムセクションだった。おお。そんな時代もあったねといつか笑える日が来たんじゃのう。ともあれすぐにでも聴きたいのだが、これがamazonでもタワーでもHMVでも見当たらない。向井滋春オフィシャルサイトのBBSによれば、「ディスクユニオンと銀座山野楽器に置いてあるとの事です。あとは注文」であるようだ。それを向井さん本人が書き込んでいるのが、ちょっと哀しいですが。などと思いながらBBSを見ていたら、「向井&ジルベルトの『NOS DOIS』の歌詞が知りたい」という人がいたもので、ちょうどその曲を収めた『SO & SO』を聴いていた私は思わず「CDのブックレットに歌詞載ってまっせ」と書き込みをしてしまったのだった。そんなことをしてる場合ではないのだが。

 それにしても落ち着かないのは中田のことである。なんか今日明日にも結論が出そうな雲行きだもんで、そわそわしつつ何度もニュースサイトを訪れてしまうのだった。何のことか知らんがチェルシーがどこだかでPK戦を制して優勝(優勝?)しており、それはそれで多分めでたいことなんだろうけど、そーゆーことは今べつに知りたくないのである。その、なんとかいうパルマとラツィオの偉い人同士の話し合いは日本時間の何時に行われるんだ? マンチーニと中田はもう会ったの? いまから契約して、CL予備予選の選手登録には間に合うのか? 私としては、ベンフィカとの2試合だけでもいいから貸してほしいんですけど。うー。




2003.07.27.Sun. 12: 40 p.m.
BGM : 向井滋春 "Haphazard"

 そろそろ海に向かって車を飛ばしたくなりそうな夏空の下、皆様いかがお過ごしでしょうか。しかし、真夏に海水浴なんてのはミーハーな大衆のやることなのであって、私のような職種の人間は常に時代の半歩先を行かねばならない。進取の精神こそ、私があの大学で学んだ唯一のものだ。

 沼澤尚のアルバムに収められた『直線距離』に背中を押されるように、ガラ空きのアクアラインを160キロで飛ばしつつ、御宿のホテルニューハワイに着いたのは木曜日の午後3時頃だった。カーナビの調子が悪くて、少し遠回りをしてしまったのだ。カーナビって、「母さんナビゲーター」の略ですけどね、うちの場合。えへへ。チェックイン後に案内されたのは本館ではなく、マウイ館と名付けられた新館である。もう一度言うが、ニューハワイのマウイ館だ。なんて進取の精神に富んだリゾートなんだろう。書いていてものすごく誇らしい。しかし(しかしってことはないが)マウイ館は侮れないのであって、大きなガラス窓から見るオーシャンビューはなかなかのもの。それは、こんな感じである。

 どうだ、すばらしいだろう。写真は無断借用だが、まあ、宣伝してやるんだからツベコベ言うな。部屋に入るなり、セガレは「神社みたい」とぬかしやがった。ごくフツーの和室がそんなにトクベツなものに見えてしまうのは、いささか問題である。ニッポンの父親として、ちょっと反省した。

 さて勘違いしてもらっては困るが、私たちが見たのは、このようなミーハーで通俗的な海ではない。灰色の空! 灰色の海! どこまでも低い水温! ……渋い。渋すぎる。御宿の海水浴場は完全に世の中の半歩先を行っていた。寒いっつうの。風邪ひくっつうの。しかしまあ、あれです。三日間、雨が降らなかっただけでも私にとってはバカヅキなのである。けっこう気温は高くて、お日様もときどき顔を出していたし。入浴時に「いたたたっ」と呻く程度には日焼けしたんだから、わりと正しい夏休みだったと言えよう。セガレも「かかって来い!」「やっつけてやる!」「おりゃあ!」などと意味不明な台詞を吐きながら波と格闘して楽しそうだった。たまに「タイガーショット!」と叫んで波にキックを食らわせていたのは、父親が「日向小次郎はなぁ……」と教えたせいですが。1時間でも2時間でも飽きずに寄せては返す波と戯れているセガレを見ていると、なかなかの粘り強さだなぁと思う。つきあう親の身にもなってほしいけれど。

 さすが『月の沙漠』のモデルになっただけあって、御宿の砂浜はキメが細かくて美しく、素足に心地よい。どうやら「砂漠」ではなく「沙漠」と書くことを、さっき初めて知りました。海水浴場の近所には、月の沙漠記念館というものもあった。行かなかったけど。正午になると時報代わりに『月の沙漠』のメロディが流されるあたり、わりと人をブルーな気分にさせる海水浴場である。

 しかし真面目な話、ホテルニューハワイは費用対効果にすぐれた良い宿だった。バイキング形式の食事も、この手の宿にしては納得できるものだったし。あれで親子3人二泊朝夕食込み6万円強(べつに梅雨料金ではない)は安い。って宣伝したって誰も行かんでしょうが。それにしても、食べ盛りの男の子にはバイキングにかぎる。まさに「もりもり」という音が聞こえてきそうな爆発的食欲。めし食ってる姿を見てるだけで、「こいつは大丈夫かも」と安心できるような気がした。なにが大丈夫なのかよくわかんないけど。ちなみに私も、バッヂのライブ前日の体重に戻ってました。あらあら。だって、海老の天ぷらがすげえ旨かったんだもーん。しかし、いくら旨いからって、3人で2ダースも海老食っちゃいけませんね。大衆的だ。

 また中田のラツィオ入りが噂されている。中田がいてパンカロがいない(しかも胸に「TOYOTA」の文字の入った)ラツィオがラツィオに見えるかどうか、ちょっと自信がなくなってきた今日この頃である。まさかそんなバカなことが……と思いつつも、私にとってラツィオの本質はパンカロだったのではないかという疑いを拭い去れない。だが、CL予備予選の相手がベンフィカだと聞いてしまうと途端に体が打ち震えるのだから、やはり私はラツィオファンなのだろう。なんで、よりによってベンフィカなんだ? ふつう、もっと田舎のほうにある、何度聞いても名前を覚えられないようなクラブとやるんじゃないのか予備予選って。怖いよー怖いよー。中田に助けてほしいよー。




2003.07.23.Wed. 12: 10 p.m.
BGM : 沼澤尚 "the wings of time"

 ゆうべは幼稚園の「お泊まり保育」(年長児85名が園のホールで一泊するという恐るべきビッグイベント)があり、セガレがいないのをいいことに7年ぶりぐらいで愚妻と夜遊び(火遊びではない)しようと、80の書き込みをした後で吉祥寺に出かけたのだが、今朝になってゲストブックを見たらいっぱい書き込みがあってびっくりしました。どもども。

 で、Kay'n君ご推奨の『Revenge of AGHARTA』 はamazonに在庫が1枚しかないので遠慮してまだ注文していないのだが、「The Pale Moon」の入っている上記のアルバムは吉祥寺のタワーで購入。すばらしい。世の中には良い音楽がいっぱいあるんだよね、そしてそれは良い人間がいっぱいいるからなんだよね、ということを再確認させられたような気がした。

 かっこいいなぁ沼澤尚。サッカー界ではたまに「選手の投票によるMVP」というものがあり、誰に選ばれるよりもそれがいちばん嬉しいに違いないと思ったりするのだが、同じような意味で、「ミュージシャンに認められているミュージシャン」ってとってもかっこいいと思う。「みんなが沼澤尚のために集まった」という、その敬意と愛情が全編に横溢したアルバム。その思いが端から端まで貫かれているから、いろんなタイプの曲がごった煮のように詰め込まれているにもかかわらず、ちゃんとトータルな作品として聴く者に一つの世界を提示してくれるんじゃないだろうか。「戦術はロナウド」ならぬ「コンセプトは沼澤尚」っていうか。AGHARTAによる演奏も1曲(YEMAYA〜何かを見つけよう)入っており、名曲『WAになっておどろう』に似たテイストだったので微笑ましかったです。それにしても、私は沼澤尚という表現者が羨ましくてたまらない。

 さてパンカロだ。赤黒のユニフォームを着た彼の姿を想像しただけで、私は目眩がする。この世にそんな風景があっていいのか。熱帯雨林に雪が降ってるみたいじゃないか。パンカロのことをよく知らない人は、フジテレビの夜のニュースで国籍不明の女性の向かって右隣に座っている男性キャスターがミランのユニフォームを着たところを想像してみればよい。ね? ものすごく似合わないでしょう? その似合わなさ加減といったら、冒涜的といってもいいぐらいだ。パンカロの場合、イアン・ソープの水着のほうがまだ似合うと思うよ。何を言っているのか、われながらよくわからない。どうも、私はまだ混乱しているようだ。胸の底に沈殿しているこの寂寥感はいったい何だ。私は何を惜しんでいるのだ。パンカロぉぉぉ。(以下次号)

 明日から二泊三日の夏休みなので、しばし更新が途絶えます。私たちは御宿に何をしに行くんですか。飲み物の自販機の前で思わず「あたたか〜い」を探してしまうほど寒いこの7月に。梅雨め。




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edogawa's diary 03-04 #03.