edogawa's diary 03-04 #11.
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2003.11.7.Fri. 12 : 40 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN BOXED SET(DISC FOUR)"

 朝の9時半から大音量で「WEARING AND TEARING」など聴いてウットリしていると、自分が健康なのか不健康なのかよくわからなくなってくるなぁと感じる今日この頃である。青春真っ盛りだ。それにしてもジョン・ボーナムみたいにバスドラで唄える人って、そうはいないんじゃないだろうか。たぶん彼のバスドラが、このバンドの歌心の源泉であるに違いない。と、ゼップリニスタ歴3日目にして思い切ったご意見を述べてみました。ともあれ、惜しい人を亡くしたものである。死んでから23年も経ってるようなので何を今更ですが。風呂で溺死(これは私の勘違い。本当は嘔吐物による窒息死)って、ものすごくロックだ。

 さて、サッカー中心のサイトであるにも関わらず、ちょっと「レッド・ツェッペリンが好きだ」と書いただけで膨大な書き込みがゲストブックに寄せられるというあたりがこのバンドの偉大さを物語っていたりするわけだが、それらの書き込み(267〜269)を拝見する前、極端に英語力の低い私は、そのバンド名を「連行される飛行船」のようなイメージで理解していたのだった。「lead(led)」に「連行する(される)」って意味はないみたいだけど。「繋留される」というより、地面の上をズリズリと「引きずられていく」ような感じ。その不本意かつ不自由な状況に抗いつつも一方で受容しているというか、抵抗と隷従のあいだを綱引きのように行き来する複雑で微妙で危ういバランスを、彼らのサウンドから感じたのかもしれない。そういう一筋縄ではいかない人間のあり方を「鉛(lead)のような重苦しさ」などと形容することが許されるのであれば、命名の由来や経緯や本来の語義がどうであれ、「LED ZEPPELIN」という名称は少なくとも私にはたいへん腑に落ちるのであります。もしかしたらロックって、すべて「LED」な音楽なんじゃないだろうか、とさえ思えてくる。LOCKED AND ROLL。

 ハポエル君より、9月に超特急で書いた単行本が校了したとの連絡をいただく。遅れた上に、私の原稿が至らなかったこともあっていろいろ大変な思いをさせてしまったようだが、とりあえずホッとした。しかし、その前の8月に準急程度の速度で書いた単行本(版元はハポエルくんの所とは別)のほうは著者サイドの「ああしたい、こうしたい」が炸裂しているらしく、刊行が遅れるようだ。上がった原稿を見てからでないと自分がその本で何をしたいのかわからない人は少なくないので、まあ、よくあることである。書く前に「自分が読者に何を伝えたいのか」がわかっていない人が本を出してヨイのだろうかと思わないでもないが、そういう著者がいるから私も仕事があるわけであって、べつに文句はない。

 でも、「自分の前著に似ている」って言われてもなぁ。なにしろメインの資料はその前著だったわけで、口述時にも前著に書いてあるようなことしか言わないんだから、似るのは当たり前なのである。ゴーストライターは打ち出の小槌ではない。いくらアレンジしたって、主旋律は変わらないのである。アレンジしすぎると、こんどは他人の本と似ちゃうし。なので、てっきり似るのを著者も承知でやってるんだと思ってました。しかし考えてみると、「前著に似る」を当たり前だと思って仕事を引き受けている私のほうにこそ問題があるのかもしれないよなぁ。これまで「前著に似た本」は山ほど書いてきたわけで、それでも大半の著者はそのまま出しているから、私のほうが麻痺してしまっているのだ、きっと。とはいえ、「焼き直しワークはお断り」なんて言ってたら仕事は半減だ。LEDな商売である。

 16日に横浜国際で開催される「ユニクロ サッカーキッズ!in 横浜」というイベントに、セガレが幼稚園の同級生たちとチームを作って参加することになった。ふだんやっているサッカー教室とは無関係。日本サッカー協会主催(!)の大会である。こんどこそ天然芝だとヨイのですが。そういえば書くのを忘れていたが、味スタで天然芝を使わなかった理由を主催者に電話で問い合わせたところ、「2時間以上の連続使用は芝を傷めるので残念ながら許可されないんですぅ」とのことだった。費用をケチったに違いないというのは私の早合点というか認識不足だったのでお詫びして訂正したい。すまん。もっとも、理由はどうあれ立入禁止の天然芝の周囲でサッカーが行われている風景はやはり醜悪なのであり、「だったら味スタなんか使うな」という私の主張に変わりはないので、主催者にも(もっと紳士的な口調で)そう言っときましたが。

 ゆうべは、ソシエダ×バルセロナ(リーガ第10節)をビデオ観戦。得点経過を覚えきれないほどの乱打戦は、3-3のドロー。スペクタクルなゴールもあり、すげー楽しかった。3-3でこれほど忙しいんだから、モナコ×デポル戦って滅茶苦茶だったんだろうな。結果を知っていても見逃せない。

 あの容貌に慣れてきたせいか、このところ私の中ではロナウジーニョの好感度が高まっている。一生懸命におもしろがりながらサッカーをしている人を見るのは愉快だ。ファウルを受けたときに彼が見せる「やれやれ」という苦笑いには、いつもほのぼのとした気分にさせられる。彼、じつは大空翼並みに前向きな人かも。あと、最近のバルサで気になるのは右サイドのクアレスマというポルトガル人である。ドリブルは速いしフェイントも華麗なのだが、あのシュートの下手さ加減は一体どうしたことなのか。DFを翻弄して抜き去るところまでは一流感たっぷりなのに、シュート態勢に入った途端、全身から「あ〜ん、ボク、撃てませ〜ん」というシロート光線が発散されるのである。おかしな人だ。




 

2003.11.6.Thu. 11 : 35 a.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN BOXED SET(DISC TWO & THREE)"

 私の耳目の届く範囲でその話題に触れた者は幸いにしていなかったものの、どこかに無言電話でもかけてウサ晴らしをしたい気分である。ラツィオ×チェルシー(CL第4節)はゼロヨン。ケロヨンと似ているが、ゼロヨンはケロヨンほど可愛くない。バ ハッハ〜イとも言わない。どうしてセレーニの弾くボールはいちいち相手アタッカーの足元(や胸元)にこぼれるのか。なぜ好きな選手が4人もゴールを決めたゲームを観て、私はこんなに落ち込まなければいけないのか。

 たぶん、ミハイロビッチはムトゥの顔が嫌いなんだと思う。そうでなければ、ハナっからあんなにゴキゲンナナメだったことの説明がつかない。それとも、パルマ時代のムトゥと何か因縁でもあったのだろうか。いずれにしろ、ケロヨンよりも愛くるしいハッセルバインクではなく、歩いているだけで人を挑発するタイプのムトゥを先発させてミハイロの精神を錯乱させたあたり、ラニエリの作戦勝ちだったと言えよう。ミハイロが2枚目のイエローをいただいて消えた後、DFラインの中央にぽつんと一人で立っているコウトの姿を見て、私は気を失いそうだった。溺れる者がつかむ藁以下の頼りなさ。とても非常識な風景だった。

 試合展開は書きたくないので書かない。知りたければ、ゲストブックでYさんが教えてくれたこのページを見てください。トム・キングトンという人の報告を信じるならば、どうやらラツィオの左サイドバックはファバッリに変装したパンカロだったらしい。気づかなかった。誰が呼んできたのじゃ。なるほど、それでクロスがいちいち敵のDFに引っかかっていたわけか。パンカロめ。

 きのうから、タボン社長に貸してもらったレッド・ツェッペリンのボックスセットを聴いている。39歳にして初めてレッド・ツェッペリンに出会うというのもどうかとは思うが、私はクルマの免許を取得したのもサッカーを見始めたのも30代に入ってからなので、まあ、そういう人生だ。自分を育て直すのに、遅すぎるということはない。今からロックを勉強すれば、5年後には音楽専門誌で「お茶の間にブラック・ドッグ」を書いてるかもしれないしね。お茶ブラ。

 で、レッド・ツェッペリンが私にとってどうかというと、たいへん心地よいのだった。好きだ。私はレッド・ツェッペリンが好きだぞ。どうして今まで誰も私にレッド・ツェッペリンのすばらしさを教えてくれなかったのだ。以前、レッド・ツェッペリンの好きな人はディープ・パープルのファンと間違われるとすごく怒るという話を聞いたことがあり、ロック音痴の私は「ナニが違うの?」と思っていたのであるが、今となってはそのキモチがよくわかる。私はディープ・パープルもベスト盤を聴いたことがある程度だけれども、人間の深みが違うよ深みが。レッド・ツェッペリンがマーラーなら、ディープ・パープルなんてショスタコビッチぐらいのモンだろ。名前を挙げた音楽家すべてのファンから怒られそうな比較ですが。ともあれ私はレッド・ツェッペリンというバンドに、過剰さを戒める品の良いインテリジェンスと豊かな歌心を感じるのだった。そういう音楽は、いくら聴いても飽きることがない。




2003.11.5.Wed. 11 : 30 a.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN BOXED SET(DISC ONE)"

 本日、私の耳目の届く範囲でラツィオ×チェルシー戦の話題に触れると、1週間ほど無言電話に悩まされることになるので覚悟しとけ。

 きのうはサッカーズの原稿をやっつけたあと、久しぶりにセガレのサッカー教室を見学。「練習場の公園まで自転車で行く」というサッカーと関係のないモチベーションがあったせいか、セガレはいつになく積極的だった。練習では、嫌いな鬼ごっこもなかったので何より。以前は練習中にとてもつまらない冗談を飛ばしたりフザケたり踊ったりしておちゃらけていたのだが、やけに真面目な態度でやっていたのでえらいなぁと思った。練習中にできなかったことがあり、昔は「できないことはやらない」タイプだったのだが、今回は休憩時間に何度もトライ。向上心の萌芽を見た。自転車をクリアしたことで、物事は練習すればできるようになる(こともある)と学んだのかもしれない。

 紅白戦(マンチェスターU×韓国)はほぼ均衡した戦力で行われたものの、韓国チームに私が「高井戸西の小次郎」と呼んでいる強力なストライカーがおり、セガレのマンUチームは1-4で敗北。ちなみにチーム名を決めるときマンU案を主張したのはセガレである。どうも私と趣味が合わなくて困るが、親に媚びない独立心の表れということにしておこう。韓国を選ぶよりはマシじゃ。

 ハットトリックを決めた小次郎くんは、ハーフタイムに「ちゃんとパスもしなきゃダメじゃない!」とお母さんに叱られていた。一人でやってたからね。上手ければ上手いで、親としては心配になることもあるんだろう。親はいつだって無い物ねだりだ。セガレはGK時にファインセーブ一本、フィールドでは枠を大きく外れるロングシュート一本(私は「ナイスクリア!」と叫んだのだが本人はシュートのつもりだったらしい)。鬼ごっこが嫌いだというわりには、ドリブルする相手選手をずいぶん一生懸命に追いかけていた。先日デルボツ家でやらせてもらったサッカーゲームで、チェイシングの大切さを学んだのかもしれない。

 ひとり、なぜか途中で練習から脱落し、紅白戦が始まってもずーっとお母さんにしがみついて泣きじゃくっていた子がいたのだが、セガレは試合前やハーフタイムにその子のところへ駆け寄って、「ねえ、一緒にやろうよ」と声をかけていた。おお。おまえ、そういうことが言える奴だったのかぁ。たまに外部世界と接するセガレを見ると、知らぬ間に社会性を身につけていて驚かされることがある。ハットトリックも見たいけど、こういうシーンも親を喜ばせるのだった。

 帰り際、4歳ぐらいの見知らぬ子にいきなり「何歳?」と訊かれたので「39歳」と答えたのだが、もしかしたら彼は私の年齢を知りたかったわけではないのかもしれない。私も早く人並みの社会性を身につけなければ。

 夜、ミラン×ユベントス(セリエ第8節)をビデオ観戦。ここ数日間、仕事上の必要からパンカロのことばかり考えていたので、スタメンに彼の名がなくて妙にホッとした。パンカロのことを考えるのは、メンタルヘルスにあまり良くないのである。ところが1-0の後半途中から、アンチェロッティは先制ゴールを決めたトマソンに替えてパンカロを投入。あれはひょっとして守備固めのつもりなんでしょうか。なんて大胆な采配なんだ。笑ったのは、センターライン付近でマルディーニがボールを持った瞬間、パンカロが珍しくタテにフリーランニングを開始したシーン。彼が5歩ほど走ったところで、マルディーニはパンカロの後ろのスペースにパスを出していた。慌ててバックするパンカロ。マルディーニにしてみれば、「まさか」という感じだったのであろう。それとも、「オメーはそこに立ってりゃいいんだ」というメッセージパスだったのだろうか。試合は、残り5分のところでディ・ヴァイオのファインゴールが飛び出し、1-1のドロー。一発のスルーでミラン守備陣が一瞬だけ綻んだ刹那の出来事だった。ユーベって往生際が悪い。




2003.11.4.Tue. 13 : 50 p.m.
BGM : ムタンチス "神曲"

 11月1日に立ち上がった「裏わしズム」は、書き手にとって実に恐るべきサイトである。ゴンザレスこと副編シギー以下4人の編集部員による日記がメインコンテンツなのだが、誰の原稿がまだ入っていないとか誰の初校が戻ったとか、そんなことが名指しで書かれている。それだけでも絶大なプレッシャーなのに加えて、「1日遅れるごとに原稿料10%カット」などという残酷な提案までなされているからたまらない。世の編集者たちがこれに習って、みんなでウェブ日記なんか書き始めたらどうしてくれるんだ。

 三連休初日の土曜日は、多摩六都科学館へ。愚妻がどこかで評判を聞きつけてきたので初めて行ってみたのだが、小平市、 東村山市、 清瀬市、 東久留米市、 西東京市による共同運営と聞いて誰もが思い浮かべるしょぼしょぼな先入観を覆す良い施設だった。昔は西東京市が田無と保谷に分かれていたから「六都」なわけですね。どれも「都」じゃないだろうとは思うが、各業界団体によるおざなりな展示が目立つ北の丸の科学技術館より、はるかに気が利いている。世界最大級というプラネタリウムはなかなか感動的。3Dメガネをかけて観る全天周映画は、疲れ気味の視神経にとってちょっと酷な感じでしたが。月面での無重力感を体感できる「ムーンウォーカー」というアトラクションが面白そうだったのだが、体重制限があって私だけやれなかった。減量のモチベーションが高まったが、帰りに焼き肉なんか食ってちゃいかん。

 連休二日目の日曜日は、日誌のSOSサインに応えてくれたタボン君が遊んでくれると言うので、半年前に新築マンションに引っ越したデルボツ家へ。噂には聞いていたが、たいへんな傲慢いや豪マンションである。学生時代、夏になるとクーラーのある私の家に(呼んでないのに)来てはベースを練習したり譜面を書いたり人のレコードラックを勝手に漁ったりしていた彼が、20年たってあんなに立派な住処を手に入れたというのは、実に感慨深い。それにしても驚いたのはトイレだ。人が前に立つと自動的にフタが上がり、離れると自動的に水が流れるのである。未来の家みたいだ。ひょっとしたら……と思って、フタが上がった後もじっと便器の前に立っていたのだが、さすがにズボンのジッパーは自動的に下げてくれなかった。しゃぶしゃぶをさんざんご馳走になった挙げ句、20枚以上もCDを貸してもらう。どうもお世話になりました。

 連休三日目のきのうは、セガレと二人で井の頭公園までサイクリング。日曜日の午前中、下りの坂道を曲がりきれず電柱に激突したばかり(本人が無傷だったのはほとんど奇跡)だというのに、セガレはめげずに自転車に乗りたがる。乗れるようになったのが、よほど嬉しいらしい。家から井の頭公園までは大半が神田川沿いの遊歩道なのだが、ふつうの車道もないわけではないので、かなり怖かった。でも、ずいぶん上手にコントロールできるようになっている。あいにくの雨模様だったので、公園内の店でチャーハンとうどんを食って帰宅。夕方は、家族三人でオセロゲームの総当たり戦などしながら過ごした。戦績は、愚妻2勝、セガレ1勝1敗、私2敗。私はオセロゲームがものすごく弱い。麻雀より弱いかも。夜中は仕事場でサッカーズの原稿書き。

 ウディネーゼ×ラツィオ(セリエ第8節)は日曜日の昼間、デルボツ家へ行く前にビデオ観戦。前半、オッドのクロスをコラーディが頭で決めて1-0、イアクインタ(だっけ?)のブラビーッシモなボレーシュートで1-1、下のインザーギ家的ごっつぁんゴールで2-1。後半はどちらもノースコアでラツィオの勝ちである。スタムもペルッツィも不在のアウエー戦で3ポイントを得られたのは大きい。ゲン担ぎの意味も含めて、今後も岩本編集長にはラツィオ戦を担当していただきたいものです。




2003.10.31.Fri. 10 : 40 a.m.
BGM : JORGE BEN "AFRICA BRASIL"

 このところ、浜田山のツタヤに行って見たことも聞いたこともないアーティスト(それが私の場合とても多い)のCDをヤマカンで借り、ひとりで「アタリ」とか「ハズレ」とか言うことが多いのだが、このジョルジュ・ベンという人の『アフリカ・ブラジル』もそんな一枚で、これはアタリだった。どちらかというと今の季節より夏に聴きたい感じではあるが。ブラジル人の音楽にもいろいろあるんですね。サンバやボサノヴァを「べらんめぇ調」にするとこうなるのかもしれない、などと思ったりしてみたが、私の音楽評をアテにしてはいけません。ジョルジュ・ベンって、有名なの? セルジオ・メンデスの『マシュ・ケ・ナーダ』の作者だってんだから有名なんだよな、きっと。ライナーノーツによれば、十代後半にフラメンゴのジュニオールに所属していたこともある人であるらしい。音楽を聴くかぎり、エヂムンドみたいな性格のアタッカーだったのではないかと想像するがどうだろうか。

 私は初めて聴いたが『タジ・マハール』というヒット曲があり、ロッド・スチュワートがこれを盗作したのが『アイム・セクシー』で、裁判ではジョルジュが勝ったとのことだが、そりゃ勝訴もするだろうと頷けるほど似てますね、これは。盗作じゃなくて「引用」だったんじゃないかと思うぐらいだ。でも、どっちもヒットして儲かったんなら別にいいんじゃないの?などと言うと小林亜星先生に怒られるのだろうか。

 あ、地震だ。Macが揺れてる。

 ゆうべは、サラゴサ×レアル・マドリー(リーガ第8節)をビデオ観戦。サラゴサ大善戦でスコアレスドローである。後半、ロベカルのシュートがポストに阻まれ、ラウールのシュートがGKやDFの偶然性の高い好守に遭うなどマドリーにツキがなかったものの、怒濤のラッシュでゴールは時間の問題かと思われたのだが、そこでパヴォンが2枚目のイエローを食らったのがサラゴサには幸運だった。それにしても、マドリーのサッカーにとりたてて面白味を感じないのは私だけだろうか。ロナウドもジダンもフィーゴも、表情を見ているとなんだかつまらなそうだ。

 明日25時55分から生中継されるラツィオ戦(対ウディネーゼ)は、サッカーズ(というかカルチョ2002)の岩本編集長が解説をなさるとのこと。ご本人から「つまらないと判断した場合には、すぐさま副音声に切り替えることをオススメします(笑)」とのメールをいただき、冷や汗かいた。みなさん、今回ばかりは主音声で楽しみましょう。J-SPORTS 2なので、会員番号001のアナタも視聴可能です。できれば編集長の「ブラビーッシモ!」が聞きたいなぁ。もちろん、ラツィオの得点時に。




2003.10.30.Thu. 11 : 20 a.m.
BGM : "FOUR of a KIND"(本田雅人・塩谷哲・青木智仁・沼澤尚)

 もう木曜日だ。1週間は早いなぁ。この週末はどうやらまた3連休であるらしい。なのに、何の予定もない。予定のない3連休はまずい。3日間も家で恐竜ごっこなんかやらされたら、たぶん発狂する。何か予定を立てなければ。カネのかからない予定を。

 ゴンザレスがコラムのゲラを送ってくれた。後割り(原稿が先でレイアウトが後)なので、字詰めがまだ決まっていないらしい。私は段落の見た目に(語の本来の意味で)こだわるタチで、たとえば「だ。」だけで一行使ったりするのがとてもイヤなので、段落のカタチを整えるために語句を追加・削除するという本末転倒なこともしばしばする。いわば「改行フェチ」だ。したがって、字詰めが決まっていないとたいへん居心地が悪い。……といったようなことをゴンザレスに言うと、「そういう細かいこと気にしてると大物になれないよ」と言われた。ちぇっ。どうしてこの男はいつも正しいことしか言わないんだろう。そういうことは、もっとえらくなってから言いなさいってことですね。トルシエだったら、「おまえは京極夏彦のつもりか?」と言ったかもしれない。

 そういえば、「原稿を増やしてもいいけど、そうすると文字が小さくなるよん」とも言われた。字詰めどころか、文字のサイズも決まっていないのである。コンピュータでレイアウトするので、文字量に合わせて自動的にサイズが伸縮するらしい。キモチわりぃなぁ。私の原稿はアメーバか。私はレイアウト用紙にエンピツで線を引いていた時代に(しかも活版雑誌の)編集者をやっていたので、そのへんの事情がよく呑み込めていないのだった。などとウダウダ言ってないで、はよゲラを戻さなくちゃ。こういうものは、あまり持ちすぎてはいけない。ノット・リリース・ザ・ゲラ。

 ゆうべは、アヤックス×セルタ(CL第3節)をビデオ観戦。技術レベルの高い軽快な両チームの対戦は、16ビートのウラのウラを突きまくるフュージョンバンドの共演、といったところでしょうか。0-0で迎えた後半の冒頭に、イブラヒモビッチのゴールでアヤックスが先制。エリア手前から3人のDFに勝負を挑み、「ボールは右に、自分は左に」という例の滅多に成功しない図々しい抜き方で敵を置き去りにするやいなや、無理な体勢から器用にゲットである。緊密な組織プレイの中に咲いた個人技の花。見事なゴールじゃ。これが決勝点となって、1-0。全体的に、味方がボールを持った瞬間の動き出しの早さでアヤックスがセルタを上回っていた印象がある。味方が敵と勝負してるとき、立ち止まって見てちゃダメだ。

 引き続き、デポルティボ×バレンシア(リーガ第8節)を観た。このところ各国リーグの順位をほとんど把握できていないのだが、これがリーガの首位攻防戦であるらしい。ナイベト&マウロ・シルバ不在でデポル不利かと思いきや、壊し屋ドゥシェルがおっかなくて腰が引けたのかどうか知らないが、バレンシアはアイマールがあまり仕事をさせてもらえない。前半、CKからデポルが先制。紆余曲折を経たボールがゴールポストの脇に立っていたバレロンに渡って、ドサクサ紛れに左足でゲットだ。カニサレスは621分ぶりだか何だかの失点なんだとか。そんなに安定したGKというイメージはないのだけれど、がんばってたんですね。

 後半もずっと攻めあぐねていたバレンシアだったが、左サイドを深くえぐったアルベルダの正確なクロスを、左足をラケットのように開いたミスタがジャンピングボレーで決めて同点。ミスタって、顔のイメージとは裏腹にプレイが華麗だ。アイマールを見ているとつい忘れそうになるが、サッカーは顔じゃないのである。

「サッカーは顔じゃない」って、すごく日本語的だ。

 さて、これでバレンシアが首位キープかと思われたが、同点から間もなく投入されたディエゴ・トリスタンが自ら得たFKを決めてデポルが2-1の勝利。代打逆転3ランみたいなゴールだ。高井だな高井。話が古すぎるっつうの。それ阪急の選手だっつうの。どういう事情があったのか知らないけれど、カニサレスは一歩も動けていなかった。なんだか諦めが早すぎる感じ。




2003.10.29.Wed. 11 : 45 a.m.
BGM : STEVIE WONDER "SONGS IN THE KEY OF LIFE"

 おどろかされるのは、ゲストブックに書き込みをした瞬間、自分の下にふたつも未見の書き込みがあったときだ。ほんの1分間のうちに3人が送信ボタンを押したかと思うと、なんちゅうか、妙にリアルな生活感みたいなものが伝わってきておかしいですね。僕らはみんな生きている。ひとりじゃないって素敵なことね。

 立場上、私としては深入りしにくい面もなくはない副音声問題(GUEST BOOKの256参照)であるが、まあ、必ずっしも(おっとっと)集中して観たいときばかりではないし、もちろん主音声でも集中して観られるケースは多々あるので一概には言えないっすよね、と、恐ろしく穏便なお茶の濁し方をしておくのが妥当だと思われるのであり、いずれにしろ大事なのは視聴者が「選べる」ということだと思う。あと、お茶の間サッカーライターとしては、サッカーそのものではなく、実況・解説を含めた「サッカー中継」全体を観察対象にしなくちゃいけないという職業意識も働いたりするのだった。

 日本テレビの視聴率買収工作事件(と呼ぶのかどうか知らないが)の何にびっくりしたって、テレビのニュースでも新聞でもトップでデカデカと扱われていたことが、私にとってはインクレディーブレだった。テレビのニュース番組がライバル局の不祥事を大々的に報じたい気持ちは軽薄だとは思うもののわからなくはないが、朝日新聞も一面トップだ。国政選挙の票数が操作されたならともかく、これ、そんなに大騒ぎするほど社会的に重大なモンダイなんだろうか。不正は不正だから、反則者はちゃんと懲らしめなければいけないけれど、報道のされ方を見ていると、どうもテレビ(というか地上波)の影響力ってモンが過大評価されているように思えてならないのだった。それは、私が地上波をほとんど見ないという個人的な事情によるものなんだろうか。いまもまだ世の中はテレビに動かされているの?

 巨人戦の視聴率低迷もTBSのドラマ打ち切りも、単に個々のコンテンツだけの問題だとは私には思えない。人々がテレビそのものに愛想を尽かし始めたことの現れなんじゃないのか。スポンサー企業は、数字でなはく、自分がカネを出している番組をちゃんと見たほうがいい。そして、あんなタレントのギャラやこんな制作者の給料を自分たちが負担していることに虚しさを感じたほうがいい。テレビ局の社員より安い給料で一生懸命にモノ作りをしている(であろう)メーカーの従業員たちは、そういうことに抗議したりしないんだろうか。あんなモンにカネ出す余裕があるなら俺たちの給料上げてくれ、と私だったら言いたい。

 とはいえ数字なんかどうでもいいとは決して言えないのであって、考えてみれば、いずれ某誌で読者の人気投票によるジャッジを受けるというきわめて過酷な少年ジャンプ的状況に身を置く私としても、他人事じゃないよなぁ。もし、ここで「アンケートはがきで私に投票してくれ〜」とお願いしたら、それは不正を働いたことになるんだろうか。微妙だ。

 スティーヴィー・ワンダーの『アナザー・スター』を聴くと、なぜか必ずユーミンの『埠頭を渡る風』を思い出す。『エボニー・アイズ』を聴くと、どういうわけかいつもゴダイゴの『ビューティフル・ネーム』を連想する。でも、どれも名曲。「でも」ってことはないか。




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