edogawa's diary 03-04 #14.
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2003.12.12.Fri. 11 : 15 a.m.
BGM : JEFF BECK "BLOW BY BLOW"

 風邪ひいた。鼻がぐしゅぐしゅしている。頭もボーっとしているが、これは風邪をひく前からそうだったような気がしなくもない。午後からまた銀座で口述取材があるのだが、休んだほうがいいだろうか。いや決してサボりたくて言っているわけではないのであって、ほら、著者にうつしちゃイカンでしょ。来年80歳になる財界の大物に風邪をひかせて、それがこじれておかしなことになったりしたら、国家的な損失だ。どうも風邪をひくと書くことが誇大妄想気味になっていけません。そんな大物、この国にひとりもいないっつうの。

 いま聴いている「ギター殺人者の凱旋」も、きのうのKISSと同様、浜田山のツタヤで借りた。寒空の下を浜田山まで散歩したのが風邪をひいた原因かもしれないが、その代償としてこれを聴けたのだから、損より得のほうが圧倒的に大きいと思うことにしよう。風邪はいつか治るが、音楽は永久に不滅です。

 ギタリストの表情といえば俗にいう「痛そうな顔」が定番だが、ジェフ・ベックはこのアルバムで常に微笑んでいるように私には感じられる。それは曲によってニコニコだったりニタニタだったりニヤニヤだったりウホウホだったりムフムフだったりと様々なんだけれど、いずれにしても、いやはや何とも僕はもう楽しくて楽しくてしょうがないっす、ギターが好きで好きでしょうがないっす、だから思わず笑みがこぼれてしまうっす、というような幸福感がそこここに滲み出ているのである。なのに邦題は「殺人者」だ。殺人者が凱旋するものかどうかというギロン以前のモンダイじゃないか。何がどう「殺人者」なのか当時のプロデューサーに説明してもらいたいものである。快楽殺人だとでも言うのか。もし私がプロデューサーなら、邦題は「ギターを抱いた果報者」だ。言語感覚を疑われて仕事が来なくなるので、こういうことは公の場で書かないほうがいいかもしれない。

 サンタさんに発注するにはややフライング気味のタイミングだが、レッド・ツェッペリンのComplete Studio Recordingsがさらに20%オフになっていたので、昨日カートに戻して注文。10枚組で11.253円は安い。まだ発送完了メールは来ないが、週末には届くだろう。楽しみ楽しみ。慌ててあれもこれも聴くのではなく、デビューアルバムから順番にじっくり1ヶ月ぐらいかけて歴史を辿るつもりである。

 サンタクロースといえば、数日前、セガレに「今年は何をお願いするの?」と訊いたら「父さんと母さんにはナイショ」と言われて冷や汗をかいた。もしかして、すでに「サンタ=父親疑惑」を抱き、その真偽をたしかめようとしているのだろうか。結局、「ナイショにするのはいいけど、紙にでも書いておかないとサンタさんにも伝わらないよ」と諭して書かせたので事なきを得たが。字が書けるようになっていてヨカッタ。しかし考えてみると、なんで親が冷や汗かきながら「サンタ実在説」を貫かなければいけないのかよくわからない。ウソはウソを呼ぶというが、要するに今までついたウソがバレるのがイヤだから必死になっているだけではないのか。いつかバレることは明らかなのに、どうして最初にあんなウソをついてしまったんだろう。セガレが真相を知ったとき、いったい何と弁明すればよいのだ。そこまで考えていなかった。




2003.12.11.Thu. 13 : 45 p.m.
BGM : KISS "地獄からの使者" & "LOVE GUN"

 5月に刊行された久坂部羊『廃用身』(幻冬舎)を、いまごろ読んだ。担当したシギーにおねだりして手に入れ、すぐ読もうと思っていたのだが、忙しくて忘れていたのである。ごめんねシギー。前半は画期的な老人医療を編み出した医師の手記、後半はその担当編集者による編集部註という、ふたつの作中作から成る小説である。ご丁寧にその本の奥付までついているので、フィクションだということが判らなかった読者も少なくないらしい。これぐらいの仕掛けは判れよと思わないでもないが、まあ、読み手というのはいつだって早とちりをするものなんだろうし、それぐらいリアルな内容だったということだろう。

 廃用身(はいようしん)とは、脳梗塞などによる麻痺で回復の見込みがない手足のこと。ある登場人物が口にする「足と手が、足手まといというわけですな」という猛烈にブラックな台詞が示しているとおり、それが老人のQOLを低下させると同時に介護を困難なものにしているので、切断してしまえば本人も周囲もハッピーになる、という物凄いお話である。「体重が軽くなって移動が楽」といった身も蓋もない合理主義は、ふつうに考えると寒気がしたりするわけだが、医師の手記を読んでいるとあんがい平然と受け入れられるから不思議だ。ところが、その医師の素顔が明らかにされる後半の編集部註を読むと、猟奇的なおぞましさが込み上げてくる。作品の本筋からは離れた感想かもしれないが、「テキストを読む」ことの難しさを考えさせる一冊だった。現代版「藪の中」か?

 アクビが出るくらい当たり前のことだけれど、どんな本であれ、そこに書かれていることは著者側から見た物事の一面にすぎない。前にも書いたように、ゴーストライターは著者の言うことをとりあえず素直に受け入れないと仕事にならないわけだが、それでも「はあ?」と首を傾げながら書くことはある。それで、つい過激さを抑えて控え目な表現にしたり、別の見方も世間にはあることをほのめかしたりしてバランスを取ろうとしてしまうことも多い。だから私がゴーストする本は売れないのかもしれないと思ったりもするのだが、ともかく、ひとりの著者が語る中身はそれぐらい偏っていたり極端だったりするということである。

 あと、本を出す人が必ずしも世間のことを熟知しているとは限らないしね。じっさい、口述取材をしていると、世間知らずの私でさえ呆れてしまうほど世間知らずな著者もいるのだった。「昔はみんな電車の中で朝日新聞や日経新聞を読んでたけど……」と言うので、「いまはケータイでしょ?」と続くのかと思ったら、「最近はみんなスポーツ新聞ばかり読んでいる」と憤慨した調子で言われてズッコケたこともあったっけ。そのまま書いていいのか、それ。話が逸れているような気もするが、そんな裏話を「ライター註」として掲載したら、売れない本も売れるのではないかと思いました。売れればいいってもんじゃないが。しかし著者があとがきで編集者の悪口を書くこともある昨今、編集者やライターが「註」や「後記」で著者をコキ下ろすような本があったっていいような気もする。だったらそんな本つくるなっていう話ですけども。

 さらに本筋から離れるが、この小説、「矢倉俊太郎」「朝倉仁志」という登場人物がいたり、ある登場人物が自殺した日付が私の誕生日だったりで、どうも読んでいて居心地が悪い。まさかシギーのいたずらではないだろうが。気になる。

 念願のKISSを聴いているのだった。ゆうべ散歩(ウォーキングともいう)のついでに立ち寄った浜田山のツタヤで借りたのである。前にゲストブックにも書いたが、中学時代、ちょっと不良っぽい男子女子がKISSの話題で楽しそうに歓談しているところに入れなかったことが、ちょっと優等生だったボクのトラウマになっていたのさ。あと、ベイシティローラーズの話題にも入れなかった。でもベイシティローラーズを聴きたいと思わないのは何故だろう。

 で、KISSだ。いいじゃんいいじゃん。意外に球威がないから仕事のBGMにしても邪魔にならないよね、っていう意味も含めてですが。「地獄」を標榜したりケッタイなメイクをしたり血ぃ吐いたりしてるんで、もっとオドロな雰囲気を想像していたのだが、思いのほか素直で爽やかな青年だなキミたちは。プログレ漬けの反動でそう感じるだけかもしれんが。

 日本×韓国(東アジア選手権)は、いきなり家訓を破って結果を知らぬまま10時ぐらいからビデオ観戦。何から何まで不愉快な90分だった。ゲームの重大さを認識せず最初のラフプレイを口頭による注意で済ませられない主審が不愉快。その結果イエロー食らったのに懲りずに下手な倒れ方して主審の顔を見上げる大久保が不愉快。倒れたらPKかシミュレーションの二者択一だと思ってる主審がまた不愉快。買収しろとは言わないがホーム有利な笛を吹かせることのできない協会が不愉快。何がそんなにキモチいいのか知らないが「アンジョンファン!」だけ突如として大声で叫ぶアナウンサーが不愉快。チャンスになろうが何しようが構わず自分の話を続ける解説者が不愉快。いつだって2人に囲まれて前に進めない山田が不愉快。そうなることがわかってるのに山田にボールを預ける奴らが後を絶たないことが不愉快。「安全第一」を知らないアレックスが不愉快。前線でボールを収められない前線の人たちが不愉快。とっとと2発ぐらいブチ込んで観戦を途中でやめさせてくれない韓国が不愉快。不愉快不愉快不愉快。……と、ブツクサ言いながら観ていたら、「父さん、韓国戦のときっていっつも最初から機嫌悪いよね」と愚妻に言われた。そうなのだ。試合の内容以前に、日韓戦を観る私は最初から不愉快スイッチがONになっているのだった。あたたかい家庭を営むうえで、これは大変よろしくない。やはり家訓は大事にしないといけないと思う。




 

2003.12.10.Wed. 14 : 20 p.m.
BGM : YES "The Yes Album(サード・アルバム)"

 明るい話題から始めよう。

 きのうは午後3時から、寒風吹きすさぶ公園で、マンチェスターU×浦和レッズ(高井戸西SC紅白戦)という赤い悪魔対決をライブ観戦。とはいえ、マンUチームのビブスは緑、レッズチームは青でしたが。セガレはマンUチーム。ケリー@FC東京のシャツを着た小次郎くんは浦和チームである。浦和チームには、リバウド@ミランのシャツを着た子もいた。買い与えたお父さんは、たぶん今頃ちょっと落ち込んでいると思う。

 マンU5人×浦和7人(なんで6人ずつにしないかなぁ本当に)という数的不利を強いられたセガレだったが、奴は暑がりなので寒いときほど動きがよい。前半は小次郎くんのシュートをブロックするなど守備で貢献し、チームも失点をわずか2に抑えた。後半の立ち上がりにGKを務めたセガレは、このポジションでも大活躍。一人でしゃかりきになってシュートを撃ちまくる小次郎くんとの一対一を、「前に出ろ!」という父親の指示に従うことによって3本、4本と止めていた。よしよし。子供のシュートなんか、一歩前に出るだけで簡単に防げるのである。それでも1失点はしたけどね。なにしろ数的不利なんだからそれぐらいはしょうがない。

 後半途中でフィールドに戻ったセガレは、いつになく積極的に前線へ。やがて、数的不利を補うために先生が小次郎くんから奪ったボールが、左のタッチライン際に張りついていた(ボーっと立っていた)セガレに渡る。
 ゴール前に広大なスペース。
 ドリブルするセガレ。
 折りたたみ式チェアから腰を浮かす私。

 そして。

 ノープレッシャーの状態で右足から慎重に放たれたボールは、ゴール右隅に転がり込んだのであった。うおっしゃあ。どういうわけかゴールマウスに敵GKの姿が見えなかった(たぶんそのへんをほっつき歩いていたのだろう)が、それでも枠をとらえたのはえらい。大久保なら外していたと思う。何であれ、通算2ゴール目をナマで見ることができたのだから、骨まで沁みるような冷気に耐えて観戦した甲斐があるというものだ。得点を決めた直後のセガレは前回同様、ゴールに入ったボールをじっと見つめて茫然と佇んでいた。わかってるんだかわかってないんだか、よくわからない。

 試合のほうは、終盤にマンUチームのGKを務めた子がたいへんな意気地なしで、小次郎くんの強烈なシュートを「うわぁ」とか何とか言いながら避けまくったために、3-6ぐらいで浦和チームの勝ち。そりゃあ、まあ、6歳児にはあり得ないレベルのタイガーショットだけど、避けんなよな。ドッジボールやってんじゃないんだから。私が父親だったら、フィールドに出て行ってどやしつけるところだ。と思っていたら、その子はお母さんに「こんど避けたら晩ごはん抜きよ!」と脅かされていて気の毒だった。それでもまた避けてましたが。

 その後、夜7時から三軒茶屋のレストランで月例新書の会。驚くべきことに、前回欠席した仲俣さんはほぼ定刻どおりに現れた。どうやら、発表者が私でなければ日時を覚えていられるようだ。友人の記憶力がまだ壊れていないことがわかって、私としてもひじょうに嬉しい。ひじょうに嬉しい。ひじょうに嬉しい。また3回も書いてしまった。出席者も前回の75%増(7名)。年末にふさわしい賑やかな会であった。賑やかだった。賑やかだった。先月よりも間違いなく賑やかだった。発表者は、詩人の川口晴美さん。テーマは新書の「かたち」。こういうのを、「世間話」ではなく「テーマ」というんですね。「新書ではないのに新書サイズのモノ(たとえばビデオテープ)」を探してみると新しい世界観が得られるという、たいへん刺激的なお話(理解のしかたが間違っていたらごめんなさい)だった。ちゃんとテーマのある話は、ちゃんと人に物を考えさせるのである。それにしても雑談時に聞いて驚いたのは、主宰者の渡邊さんがコラムを連載している『マクール』という競艇雑誌の担当編集者が、以前からこの日誌を欠かさず読んでくれているということだ。最近この日誌を通じて私と渡邉さんが知り合いであることを知り、びっくりしたらしい。世間は狭いのである。お名前は存じ上げませんが、今日も読んでくれてますか〜?

 帰宅後、日本×韓国(世界ユースR16)を後半からビデオ観戦。痛快な2ゴールであった。でも、やっぱりこういうのはナマで見ないとなぁ。今夜の試合はどうしようかなぁ。ところで、坂田との確執が噂される大熊監督の顔を見て「なるほど」と納得したのは私だけではあるまい。私もかつて本誌で指摘したことがあるとおり、大熊監督はアホの坂田にとてもよく似ているからである。おそらく坂田は小学生時代、クラスメートに「アホ!アホ!」とからかわれていたに違いない。小学生時代と言っても、たかだか8〜10年前の話だから、まだそのトラウマは深いだろう。そのイヤな記憶が監督の顔を見るたびに蘇ってくるのだから、仲良くなんかできるはずがないのである。

 嗚呼。そろそろ本題に入らなければいけない。

 スパルタ・プラハ×ラツィオ(CL第6節)は、今朝、出勤前にビデオで観てきた。ええ、ええ、観てきましたとも。じつに感動的なゲームだった。両者ノースコアで迎えた後半ロスタイム。ペナルティエリアやや手前からのフリーキック。正確なキックがゴール前へ。ジャンプするFW。飛び出すGK。ネットを揺らすボール。直後にタイムアップを告げる笛。ビデオを止めて録画済みの裏カードを試合終了時点まで早送りする私。ベジクタシュ0-2チェルシー。ギリギリの決トナ進出。あらためて再生したプラハのフィールドに渦巻く歓喜歓喜また歓喜。こんな幕切れは滅多に見られるものではない。ここで感動しないような人間は、サッカーファンとは呼べない。もし揺れたネットがプラハ側のゴールだったら、いまごろ私は日誌など書かずに街へ飛び出して祝杯を上げていたことだろう。くっそー。せっかくチェルシーが頑張ってくれたのになぁ。

 しかし、まあ、記憶に残る良い試合ではあった。スタンコビッチのジャンピングボレーにも、ポストを叩いたアルベルティーニのロングシュートにも、その瞬間だけ身長が5センチ伸びたように見えたペルッツィのスーパーセーブにも、マンチーニが最後の爆牌として切ったゴッタルディの技術不足にも、茶の間で盛大にのたうち回らせてもらった。のたうち回れる試合はすばらしい。のたうち回ってこそのサッカー観戦だ。さらばチャンピオンズリーグ。そして、さらばUEFAカップ。……あ、いや、私にはまだチェルシーが残ってるんだった。




2003.12.09.Tue. 11 : 00 a.m.
BGM : ATOLL "L'ARAIGNEE-MAL"

 今朝の朝日新聞に「ピンク・フロイド・バレエ」の全面広告が載っていた。ふーん。そういうものがあるんですね世の中には。どうなんだそれは。プログレを「踊り」に使うのが正しいことなのかどうかということを、アトールの「夢魔」を聴きながらふと考える。プログレ人は、自分の音楽で踊られるのが嬉しいのだろうか。「今回のアルバムはダンサブルですよね」は褒め言葉になるのか。でも、バレエは「ダンス」じゃないか。「春の祭典」とか、あんまりダンサブルじゃないもんな。そういえば「春の祭典」って、小さい音から始まるあたりがプログレ的だ。ところでアトールの「夢魔」は決して悪くないが、朝から聴く種類の音楽ではない。と、4曲目の途中まで聴いて思った。朝に似合うプログレって少ないけど。

 ゆうべは、バルセロナ×レアル・マドリー(リーガ第15節)をビデオ観戦。試合前のセレモニーで歌っていた女性シンガーが誰なのか知らないが、ヨーロッパ(大陸)のサッカー場で演奏しているポップス系ミュージシャンを見ると、ミュージシャンにも格好良くない人がいるんだなぁといつも思う。どことなく野暮。しかしもっと野暮ったいのはバルサのスタメンなのであった。コクー、モッタ、チャビ、ジェラール、ルイス・ガルシアの中盤って、どうも地味だ。とくに左サイドのルイス・ガルシアって、あまりにも使えなくて苛々する。

 マドリーの先制点は、ベッカムの超高精度サイドチェンジから。これを左サイドのジダンがピタリと受けてタメをつくり、後方から走り込んだロベルト・カルロスがズドン、だ。前にも書いたような気がしなくもないが、「ジダン」と「ズドン」はわりと似ている。ズネディーヌ・ズド〜ン。アトールならそう発音するかもしれない。いや、しないと思う。後半の2点目はロナウド。たしか体を投げ出したコクーの足に当たって方向が変わったもので、すでにシュートコースに入っていたGKビクトール・バルデスは半狂乱で悔しがっていたが、そんなことより、あんなところでロナウドをフリーにしてはいけませんね。いけませんいけません。

 一矢報いたクライファートのゴールは、98年のブラジル戦を思い出させるような実に彼らしい強烈なヘッドだったが、1-2でマドリーの勝ち。ジェラールがふたつばかり決定機を逃したのが残念だった。伸び悩んでるよなぁ、彼。ルイス・エンリケなら、どっちか一つは魂でねじ込んでいたと思う。魂は大事だ。とくに給料の高い相手とやるときは。

 クラシコを見終わってスカパー!をつけてみたら、日本×韓国(世界ユースR16)がすでに前半25分ぐらいを迎えていた。新聞のテレビ欄を見て深夜2時頃のキックオフだとばかり思っていたのだが、あれは録画中継なんですね。で、そのままライブで観ていたら、日比野克彦みたいな顔した奴にループを決められて0-1。あーあ。だから韓国戦って見たくないんだよな。負けるとめちゃめちゃ悔しいけど、勝ってもそんなに嬉しくないから損だよな。東亜選手権もあるし、1週間に二度も韓国に負けるところ見たくないよな。試合もなんだか眠たい感じだしな。どうせ子供の試合だもんな。こいつら、セガレと15歳も違わないんだもんな。勝ち負けなんてジャンケンみたいなもんだよな。寝ちゃおうかな。よし、寝ちゃおう。ということで後半20分まで観たところで寝てしまったのだが、起きて新聞見たら勝ってんじゃねえかよこの野郎。やるじゃねえか坂田。えらいえらい。ゲンを担ぐ意味も含めて、フル代表の韓国戦もライブで観ないほうがいいかもしれない。韓国戦は「勝ったらビデオで観る」を家訓にしよう。




2003.12.08.Mon. 13 : 30 p.m.
BGM : P.F.M "PER UN AMICO"

 勝った勝った勝ちやがった。ゆうべビデオで観たラツィオ×ユベントス(セリエ第12節)は2-0だ。いやあ、いいシーズンだったよなぁ。と、ここで03-04シーズンを打ち止めにしてしまいたい気分である。

 序盤から、前節のバカプレイ連発がウソのようなちゃんとしたサッカー。きっと、山にでも籠もって重いコンダラを引きながら血と汗と涙の猛練習を積んできたに違いない。「ここで勝たなきゃ明日はない」とでも言わんばかりのギリギリの仕上げだった。故障者続出で、渾身の3トップが前半終了を待たずにコラーディの1トップになり、ミハイロ→コウトという目クソ鼻クソの選手交替が行われ、右サイドにオッドとスタムが縦に並ぶという異様なフォーメーションが現出したのも、すべては練習のし過ぎによるものであろう。時節柄、自爆テロになぞらえるのは不謹慎なので差し控えておくが、ここまで犠牲者を出さないとユーベに勝てないのかと思うと、何だか切ないものがある。まさに肉を切らせて骨を断つような勝ち点3であった。おれはいまもうれつにかんどうしている。

 こういう試合の後に、「こんなに怪我しちゃってプラハ戦どうすんだ」などと先のことを考えてはいけない。人間、ときには目先の快楽に浸ることも大事だ。おそらくマンチーニは、目先の快楽、目先の闘志、目先の集中力、目先の勝利こそがチームにとって最大の薬だと判断したのだろうと思う。意識を過去(後悔)や未来(不安)に飛ばすとセルフイメージが縮小してパフォーマンスが低下することを、あの名将はよく知っていたのである。だから後先のことを考えず「今」に集中するために、あえて猛練習を課し(たかどうかは知らないが)、コラーディ・クラウディオ・ムッツィの3トップ&スタムの右サイドという「爆牌」を打ったのだ。「爆牌」の意味がわからない人は、片山まさゆき『ぎゅわんぶらあ自己中心派』を読むように。

 それにしてもコラーディと花だ。1点目は花からコラーディへ。2点目はコラーディから花へ。ゴールには至らなかったが、コラーディがスルーして花がシュート、というシーンもあった。いつの間にあんなコンビネーションが醸成されていたんだろう。ゴールを決めた花がコラーディを押し倒して口づけするシーンは、放送禁止スレスレの愛欲に満ちあふれていた。まさにアベックゴール。あと、怪我の功名とはいえ、スタムとオッドの右サイドって、これからもあんがい使えるかも。オッドが前にいると、スタムが右半身をSB、左半身をCBとしてバラ売りできるのでお得だ。それから、この試合もペルッツィの功績を忘れてはいけませんね。GKがセレーニだったら、勝ち点を2つ以上落としていたと思う。彼のようなGKがEUROの本大会で観られないのは、サッカーファンにとって大きな損失だ。インテルとラツィオに計5点も取られたブッフォンをそれでもトラパットーニが使うというなら、ペルッツィをラトビアあたりにレンタルさせられないものだろうか。

 金曜の晩に、イタリア出張から戻った岩本編集長にお誘いを受け、明大前で食事。灰皿フェチの私のために、ジェノヴァのホテルで部屋の(中略)てくれたことにも驚いたが、もっと驚いたのは、PFMのCDを11枚も買ってきてくれたことである。サッカー関係者らしく「ベスト11」をチョイスしたわけではなく、よくわからないので棚にあったPFM作品を全タイトル買っちゃったらしい。無茶するよなぁ。なんて豪気な人なんだろう。いや、編集長たる者、これぐらいの胆力がないといけないということか。お土産の範疇を完全に逸脱していたので恐縮したものの、ものすごーくものすごーく嬉しかった。編集長が「これを機会に僕も聴いてみようと思って」とおっしゃるので、半分ずつ持ち帰って後で交換することにした。

 そんなわけで、この週末はPFM三昧。私が持ち帰った6枚には、ピート・シンフィールドが英語版に作り直した「幻の映像」の元になったイタリア語版の「幻想物語」と「友よ」も含まれており、大満足である。そうそう、これが聴きたかったんですよ編集長。イタリア語のロックは初めて聴いたが、意外に違和感がない。そのほか、「Jet Lag」「Come Ti Va In Riva Alla Citta」「PFM Story」「Live In Japan 2002」と、いずれ劣らぬ名作揃いだ。去年、来日していたんですね。PFMが「まだある」ということさえ知らなかった。どうやら90年代に復活して今回が27年ぶりの来日だったらしいが、そのステージを見逃したことが猛烈に悔やまれる。

 ともあれ、すばらしいバンド。チック・コリアが好きな人はPFMも好きになる可能性が高い、などと言ったら乱暴だろうか。少なくとも私の感覚の中では、かなり近い「棚」に並べられている。レッド・ツェッペリンとPFMに出会えたことが、私にとって今年最大の収穫かもしれない。




 

2003.12.05.Fri. 15 : 10 p.m.
BGM : Refugee "REFUGEE"

 くたくたの頭と体に鞭打ってサッカーズの原稿を仕上げるやいなや自転車に乗って帰途についた私は、深夜2時の久我山駅前で、同じく自転車に乗った3人の警官に取り囲まれた。何だよ職質かよ俺のどこが怪しいっていうんだ俺はこんな時間まで働いて疲れてるんだだから一刻も早く家に帰って眠りたいんだおまえらなんかに俺の睡眠時間を1分だって削らせるものかこの公僕め。などと口走る前に、自分が無灯火運転をしていることに気づいて本当にヨカッタ。しばらく前から電球が切れてつかなくなっていたのである。素直に氏名を名乗り、登録番号をチェックされ、自転車がたしかに私の持ち物であることが確認されると、「直しておいてくださいね〜」と優しく言われて釈放された。それはいいのだが、しかし、それ、3名もの人員を割くような仕事だろうか。日本における国民一人あたりの警官数は先進国のなかでもかなり少ないほう(いや、警官一人が守るべき国民の数がかなり多い、と言うべきか)だったと記憶している。つまり、お巡りさんが足りていない。その足りないお巡りさんを閑散とした深夜の久我山駅前に3人も投入するのは無駄ではないのか。私がそう言おうとしたとき、すでに3人の警官ははるか彼方へ走り去っていたのだった。

 日本×中国(東アジア選手権)は、今朝出勤前にビデオで観てきた。久保の2発で2-0。とうとう脱皮したのか。代表でもオドオドせず、傲然と振る舞えるようになったのか。「そりゃ点ぐらい取るさ俺を誰だと思ってんだベイベ」的なゴール後の態度は、まるでアンリのように素敵だった。いや〜ん、頼もしい〜ん。しかし、それは欧州組がいないせいなのか。ヒデさんとか小野っちとかがいると、また「こんな私だしどうせこんな私だし私なんか私なんかだし」(矢野真紀『明日』より)とオドオドしちゃうのか。今後ジーコが、「久保を取るか黄金の中盤を取るか」というワケのわからない二者択一を迫られるようなことにならなければよいのだが。

 佐川急便とすれ違いになってしまったので、私はまだ鈴木成一大先生がどんなデザインを施してくださったのか見ていないのだが、深川の新連載「嫌いな日本語」が載っているはずの『わしズム Vol.9』(幻冬舎)は本日発売。豪華「ゴー宣」3本立て!だの、タイムリーきわまりない「グラビア イラク派兵前夜!」だの、大反響必至の読者投稿!だのと内容充実しまくりの号から始めてしまったあたりが、私のツイていないところだ。それこそ「埋もれ草」になりそうな勢いである。まあいいや。持ち前の埋め草魂でコソコソと頑張る所存ですので、よろしかったらご一読を。ぺこり。




2003.12.04.Thu. 17 : 50 p.m.
BGM : MARIA CALLAS "LA DIVINA(ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス)"

 午前中にダンヒルだのハンティング・ワールドだのの新製品情報記事4本やっつけて、午後から銀座で3回目の口述取材。くたくた。インタビューが疲れるのは、人の話を聞くからではなく、人の顔をずっと見続けるからかもしれない。2時間も「よそ見」が許されない状況って、そんなに多くないような気がする。クルマの運転だって、もう少しあちこち見るよな。インタビュー中も、たまには赤信号で止まりたい。

 さて、くたくたではあるが、今日はサッカーズの〆切なのだった。正確には明日の朝だけど。「4日中or5日朝」って言われたら、そりゃあ5日朝だよすずき君。しかしネタは決まっているから安心したまえ。




2003.12.03.Wed. 16 : 20 p.m.
BGM : BACAMARTE "DEPOIS DO FIM"

 銀座で朝10時から、年明け早々に執筆する本の口述取材。いつもそうだが、人の話を聞くのは疲れる。今日あらためて思ったのは、本の口述取材をするときは沈黙を恐れてはいけない、ということだ。口述とはいえ立て板に水で延々と喋ってくれる著者は滅多にいないわけで、したがって取材は著者対編集者・ライターの「会話」になるわけだが、どんな会話もそうであるように、途中で話が途切れてお互いに接ぎ穂が見つからず、その場に沈黙が訪れるのはたいへん気まずい。だが、べつに私たちは楽しく会話してその場を盛り上げるために集まっているわけではなく、良い本を作るために必要な材を取ることが仕事なのだから、いくら沈黙したって構わないのである。気まずいからといって、場当たり的な感想や質問を口にすると、ただ当たり障りがないだけの無駄な世間話が延々と続くことになりかねない。いくら会話が盛り上がったところで、そのテープ起こし原稿に使い物にならない陳腐な言葉がぎっしり詰まっていたのでは意味がないのだった。100行分の世間話は1行の原稿にもならないが、考え抜かれた1行のコメントは10ページ、20ページ分の原稿に膨らますことができる。そして、話す内容を熟考したり、相手の言葉を咀嚼して適切な質問をしたりするには、それなりの時間つまり沈黙が必要だ。気まずさを嫌って盛り上がりたいなら、カラオケでも歌っていたほうがマシである。「盛り上がり」は人と人との親睦を深めるには多少の役に立つかもしれないが、あまり生産的ではない。盛り上がらないと深まらないような「親睦」が人生に必要かどうかという問題もあるが、それはまた別の話。

 いま聴いているバカマルテというバンドは、「ブラジルのイエス」とも言われているらしい。私の耳にはちっともイエスと似ているように聞こえないけれど、これもかっこいいなぁ。サンバやボサノヴァとは(私が聴くかぎり)まるで関係のない音楽で、むろんブラジルにだってそういう音楽があって当たり前なのであるが、なんとなくペルーのテイストが感じられるのが不思議といえば不思議。ブラジル人に、ペルーの音楽はどのように聞こえるのだろうか。

 ゆうべは19時からテレビ東京で、ゴジラ×メカゴジラ(監督:手塚昌明)を一家そろって観戦。ちょっと心配していたのだが、さすがに「対G作戦の集大成! メカゴジラ、悲願の初勝利なるか!?」という画面隅のアオリ字幕は入っていなかった。どうして映画放送でやれることがサッカー中継でやれないのか不思議でたまらない。

 たしかこの作品には倉敷保雄さんが一瞬だけご出演なさっているはずなので、新聞記者が首相を取り囲むシーンや「機龍」(メカゴジラの正式名称)完成発表の記者会見シーンなどを中心に目を皿のようにして見ていたのだが、わからなかった。テレビではカットされちゃったのかなぁ。テレビのニュース映像にちょっとだけ映った「ゴジラが破壊した町で瓦礫を片づけている、手拭いで顔が半分隠れているメガネをかけた作業員」が倉敷さんに似ていたような気もしたのだが。

 試合のほうは、ロスタイムに驚異の粘りを見せたメカゴジラがそれまでの劣勢を挽回して捨て身のアタックをかけたものの、両者とも負傷(メカゴジラは「故障」か)の程度が甚だしく、スタミナも切れたのでドロー。ゴジラの試合はサッカーよりも引き分けが多い。どうしてメカゴジラが単なる機械ではなく生体ロボット(1954年に死んだ初代ゴジラの骨から採取した細胞を使って作られているのだ)でなければいけないのか、そして何故ゴジラの形をしていなければいけないのかがよくわからなかったものの、わりと面白かったです。釈由美子かっこいい。もうじき封切られる「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ」は、茶の間ではなくスタジアムで観戦しようと思った。

 そのあとでビデオ観戦(主音声)したユベントス×インテル(セリエ第11節)は、なんとなんとフリオ・クルスの2発もあって1-3でインテルの勝ち。レッジーナに6-0、アーセナルに1-5、ユーベに1-3と、とにかく、まあ、やることが派手だ。いつどこで爆発するかわらない、地雷のようなチームである。うっかり踏んじゃったユーベはお気の毒さまでした。それにしてもマルティンスは悪魔のように速い。

 ゆうべはさらに、アヤックス×フェイエノールト(オランダ第13節)を主音声でビデオ観戦。キックオフから12分ぐらいのあいだにファン・デル・ファールトが電撃の2ゴールで2-0。1点目のシャチホコシュートは一見の価値アリでしょう。体中から発射されるメカゴジラのミサイルも凄かったが、背後のボールをカカトでサイドネットに放り込んだファン・デル・ファールトも凄い。一方、味方のシュートをみぞおちに食らった小野君はゴジラのように立ち上がることはできず担架でアウト。大事にはいたらなかったようで何よりだが、全身を弛緩させてノビているシーンを見たときには、ずいぶん心配だった。それにしても、久しぶりに見たフェイエノールトはやけに荒んだ雰囲気。どいつもこいつも、妙に人相悪くないですか。  




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