edogawa's diary 03-04 #15.
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2003.12.22.Mon. 11 : 30 a.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN II "

 お願いだから、ラツィオ×インテル戦の話をしないでね。

 きのうは夕刻まで仕事をした後、愚妻の実家でクリスマス会。べつに賛美歌を合唱したりするわけではなく、要するにおじいちゃん&おばあちゃんがうちのセガレを含めた3人の孫にプレゼントを与える集まりなのだが、私も自主的にプレゼントをゲットしてきた。むかし愚妻が使っていた部屋で埃をかぶっていたLP群である。おいおい、こんなにロック聴いてたのかよ。知らなかったよ。早く言えよ。KISSもあるじゃんかよ。そんなこと言われたって、KISS好き?なんて訊かれたことないし。ああ、そう言われてみりゃそうだよな。……などとブツブツ言いながら、ジョン・アンダーソンのソロアルバムを含むイエス関係8枚をはじめ、KISS3枚、ローリング・ストーンズ3枚、ディープ・パープル2枚、そのほかジェフ・ベックのライブ、エリック・クラプトンのライブ、ロキシー・ミュージック、キング・クリムゾン、10cc、リンゴ・スターの何だかよくわからないがリトグラフ集なんか付いててやたら豪華な奴、オインゴ・ボインゴという見たことも聞いたこともないバンドのもの等々、とりあえず40枚ほど持ち帰ってきた。

 いちばん嬉しかったのは、レッド・ツェッペリンの「II」と「フィジカル・グラフィティ」があったことだ。これは愚妻のモノではなく、セガレの叔母に当たる愚妻の妹、いや愚妻がセガレの叔母に当たるわけではなく愚妻の妹がセガレの叔母なのであって、要するに私の義妹の所有物なのだが、もちろん強奪してきた。いま聴いているのはその「II」である。やっぱり、このダブルジャケットというやつは実に豊かなモノであるなぁ。広げてみれば、見開きの4分の3を使った無駄にデカい(そしてジャケットの表よりも派手な)イラスト。外から見えない背広の裏地に龍の刺繍を施しているようなもので、ちょっと比喩に問題があったような気もするが、贅沢なことだ。このビジュアルがあるからこそ、LPは「向かい合って」聴かれるのであろう。CDケースと違ってサイズの大きいLPのジャケットは、そのへんに置いておくと邪魔になるので手に持ったまま聴くことが多く、したがって気がつくとグラフィックをぼんやり眺めながら、あるいはライナーノーツを熟読しながら、あらゆる感覚器をそのアルバム世界に投入することになるのだった。まったくもって、惜しい文化を無くしたものである。

 クリスマス会から帰宅した後は、持ち帰ったLP群をニタニタと眺めながら、ミラン×ウディネーゼ(セリエ第14節)を横目でライブ観戦。そんなことになっているとは知らなかったのだが、ウディネーゼはカップ戦を含めて5連勝中というスパーク状態であるらしい。どいつこもいつも、一歩間違えれば「つけ上がってんじゃねえぞコラ」と叱られそうなぐらい元気ハツラツな感じだった。セルフイメージの極大化した集団は強い。ピルロのPKだって、闇雲なオーラを発散することによってしくじらせてしまうのだった。一方のミランは、トヨタカップの徒労感を拭えていない印象。カラーゼがレッド食らって、またパンカロに次節での出場機会を与えてしまうという体たらくである。1-2でウディネの完勝であった。終わるやいなやチャンネルを切り替えてみると、ユーベもレッチェを相手に勝ち点を落とした模様。上位陣にブレーキがかかっている以上、きのうのインテル戦は負けるわけにはいかない。ヘンな日本語だ。




2003.12.21.Sun. 13 : 00 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN ""

 土曜も日曜も更新しているということは、土曜も日曜も仕事をしているということである。単行本の書き出しには例によって例のごとく難渋するわ、マッキー事務所からは次々と急ぎの仕事を頼まれるわで、思いがけず年末らしくなってきたのだった。26日にはマッキー事務所の忘年会に呼ばれているのだが、その忘年会までに入稿を終わらせるために仕事を投げられているような気がしなくもない。やるべきことは山ほどあるのに、ただ茫然とする日々。

 レッド・ツェッペリンの第4作をどう呼ぶべきかは、永遠に解けない謎であるらしい。なにしろタイトルが「」なのだから人を困らせるにもほどがある。どうやら4人の「家紋」ではないようだ。いちばん左のジミー・ペイジのシンボルを「ZOSO」と読むとにわかファンであることがバレるので気をつけなければいけない。オリジナル盤のジャケットは、タイトルや曲名はおろかレコード会社名などいっさいの文字が排除されているという。無粋なバーコードの存在を鬱陶しく思っている書籍の装幀家たちが羨ましがりそうな話である。ともあれ私としては、このアルバムを戯れに「ダブル・シンフォニー」とでも呼びたい気分。4曲ずつ収められたAB両面の構成は、それぞれが4楽章の交響曲を思わせるような様式美だ。CD化の際に、トラック4と5の曲間を30秒ぐらい空けてほしいと思うのは私だけではあるまい。

 先にボックスセットを聴いていた私にとって意外だったのは、「BLACK DOG」と「ROCK AND ROLL」が同じアルバムのしかもA面冒頭に並んでいることだった。どちらもトップバッターにふさわしいガツンとした名曲で、シングルでいえば「両A面」みたいな贅沢感がありますね。W杯で初めてロナウドとラウールを知った人が、次にクラブチームの試合を観てみたら二人がツートップ組んでてビックリ、みたいな話でしょうか。こういう魅力的な1&2楽章を持つ交響曲が何かあったような気がするのだが、思い出せない。何かあるよねぇ、そういうの。んで、いかにも3楽章的な「目立たないけど不可欠」な「THE BATTLE OF EVERMORE」をはさんで、真打ち「天国」の登場だ。これはもう第9(ベートーベン)の4楽章みたいなもんだわなぁ。年末気分も盛り上がるというものである。

 この名盤のB面トップに、ボックスセットで気に入っていた「MISTY MOUNTAIN HOP」が抜擢されていたのが嬉しかった。本末が転倒した嬉しがり方だが。代表で注目していた控えのサイドアタッカーが、クラブチームに戻ったらツートップの一角を担ってバリバリやってました、みたいな感じ。書いてて意味がよくわからない。それにしても、大トリ「WHEN THE LEVEE BREAKS」におけるジョン・ボーナムのただごとならぬ演奏といったらどうだ。天地を揺るがすようなドラミング。何を食ってたんだろうこの男は。手足が2メートルぐらいある巨人がダンプカー5台ばかり並べて金棒で叩いてるような音である。トリハダ立てながら絶句するしかない。こんなふうにドラム叩いてたら、不幸な事故がなくてもあんまり長生きできなかったような気がする。

 ゆうべは、どういうわけか4位と3位の上位対決となったロンドンダービー、フルアム×チェルシー(プレミア)を副音声でライブ観戦。どうしてフルアムが4位につけてるんだろう。稲本がベンチにも入っていなかったことと関係がなければいいのだが。試合はいかにもカルチョの具現者チェルシーらしく、後半の1点を淡々と守りきって0-1。ブリッジのクロスをDFの背後から前に出たクレスポが頭で合わせたシンプルかつテクニカルなゴールだった。そんなわけだから左SBはブリッジでオッケーなのだが、右SBのジョンソンという若者がダメだな。当初はインドの王子様然とした理知的かつ端正な風貌に騙されて好感を抱いていたものの、彼、あんまり使えません。グロちゃん(グロンキアのこと)と呼吸が合わないし、クロスもちゃんと上げられない。なので、私はメルヒオット派を標榜することにしよう。世界最小派閥。ところで、いつも出ずっぱりのマケレレさん、いつになく顔色がすぐれないように見えたのだが大丈夫だろうか。マケレレの顔色が判別できるようになればチェルシーファンとしても一人前という話だが、心配だ。




 

2003.12.20.Sat. 13 : 30 p.m.
BGM : Harry Hosono and The Yellow Magic Band "PARAISO"

 きのう、逃避行動の一環として仕事場の整理整頓をしていた際、ふいに物陰から出てきたLPがこの『はらいそ』である。念のため言っておけば、Harry Hosonoとは細野晴臣のことだ。たぶん、YMO結成の前年にリリースされたのがこのアルバムだと思う。こいつ、いつからあんなところで眠っていたんだろう。というか、こんなものが物陰に隠れているというのは仕事場としてどうなんだ。

 むしょうに聴きたくなったので、さらに逃避行動を拡大し、何年も埃をかぶっていたアナログ盤プレーヤーの移動&配線を敢行。電源を入れたら作動したので感動した。おもむろにジャケットからレコードを取り出し、ターンテーブルに載せる。LPの取り扱い方を自分の手がちゃんと覚えていることにまた感動したりなんかして。針が落ちてからボリュームを上げたりする手続きがやけに懐かしかった。

 しかし名盤だよな、これ。いっしょに出てきたYMOのデビューアルバムもついでに聴いたのだが、この『はらいそ』のほうが(最後にハリー細野が「この次はモアベターよ!」と叫ぶところを除いては)色褪せていない感じ。いま「J−POP」と呼ばれている音楽の中に、これよりも新しいものがどれだけあるだろう。新しけりゃいいってもんではないけれど。

 ものすごく久しぶりにアナログレコードを聴いたわけだが、CDよりも音が「近く」で鳴っているように感じるのは気のせいだろうか。たぶん、目の前でディスクがぐるぐる回っていたり、針が盤面をひっかいたりしていることによる心理的な錯覚なんだろうと思うし、ブラインド・テストされても当てる自信はないけれど、やっぱりCDとは違う何かがここにはありますね。あると思いたい。CDプレーヤーは音楽を「再生」しているが、アナログのターンテーブルは「演奏」してくれている……などと言ったらノスタルジックに過ぎるだろうか。

 さて、こうしてLPを聴ける環境になったからには、レッド・ツェッペリンもオリジナル盤で聴きたくなるのが人情というものだ。とくに「III」の場合、CDのブックレットに載っているジャケット写真を見ても何がどうなってんのかよくわからんし。このあいだ、ちょっと吉祥寺の中古レコード屋をのぞいたときも、「I」や「IV」や「館」はあったが「III」は見当たらなかった。次に目指す街は、やはりシモキタか。

 ゆうべは、前にWOWOWで録画しておいた映画『ピンポン』をビデオ鑑賞。なんか漫画みたいな作りだなぁと思ったら、漫画が原作だったんですね。クライマックスがやや説得力に欠ける(なぜ主人公が準決勝で勝てたのかがよくわからない)ところが残念だが、わりと面白かった。気になったのは、キャラクターや状況の設定がやけに『テニスの王子様』と似ていること。いま調べてみたら、原作がスピリッツに連載されていた時期は『テニプリ』の連載開始より前であるらしい。しかし映画の『ピンポン』がどこまで原作に忠実であるかはわからないので、『テニプリ』を踏まえての映画『ピンポン』かもしれないわけだが、まあ何にせよ、いまのスポーツ漫画の背景にはそういう「構造」が隠れているということなのであろう。その構造の中核にあるのはもちろん主人公のキャラクターで、一年坊主のくせに生意気、個人主義的で協調性がない、炭酸飲料やスナック菓子が好き……と『ピンポン』の星野裕と『テニプリ』の越前リョーマの共通項を挙げてみれば、どうしたって中田やイチローの存在が思い起こされるのだった。そういえば星野裕を演じた窪塚洋介という人の顔はイチローとどこが違うのかよくわからなかったが、たぶんそれとこれとは関係ない。

 読者の方が、ラツィオの中国語サイトを教えてくれた。どうもありがとうございました。前にも書いたと思うが、こういうのを見ると、ほんとうに私たちはカタカナを発明しておいて良かったと思いますね。固有名詞を勝手に表意文字で表記するのって、ずいぶん無礼だ。ラツィオの「ラ」が「拉致」の「拉」だというのもヤだが、曼奇尼(マンチーニ)もかなりヤな感じ。「イタリアセリエA」は「意甲」なんですね。「意甲第12」とか書いてあると、不動産の登記簿か何かみたいで妙に緊張する。

 ちなみにミランのページと見比べてみると、兄弟プレーヤーを「上下」ではなく「大小」で区別するということがわかる。大インザーギ、だ。やたらとグレートな感じで気に入った。ところでパンカロ(16番)の中国語表記はまるでパンカロと読めない。「特」なんて字はもったいないから使わないほうがいいと思う。「犯軽」ぐらいでいいんじゃないかな。




2003.12.19.Fri. 11 : 00 a.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN III"

 レッド・ツェッペリンの「3」は奇怪なアルバムだ。非西洋テイストのエキゾチックな2曲で始まったかと思えば艶歌(?)ありカントリー風味ありという多彩さゆえか、最初に聴いたときは、ひとつひとつの曲はすばらしいのに全体的にはやや散漫というか、焦点が絞りにくいというか、メリハリがないというか、そんな印象を受けた。1曲目の「IMMIGRANT SONG」がああいう曲だという予備知識がなかったら、もっと異様な手触りを感じたかもしれない。しかし何度か聴いているうちに、クセになってしまう。前2作よりもさらに「後を引く」感じ。私はビートルズのインド風サウンドがかなり苦手なのだが、この「FRIENDS」は(これが「インド風」なのかどうか自信がないけど)心地よく聴けるのが不思議だ。「ちょいと異物を取り入れてみました」という実験ノリが感じられないのである。ロバート・プラントの声がすべてを「ツェッペリンの音」に変換してしまう力を持っているからかもしれない。あるいは、「IMMIGRANT SONG」が露払い役を果たしているからか? ところで「BRON-Y-AUR」って、どう発音するんだろう。カタカナ表記にできないから「スノウドニアの小屋」という邦題がついたのかしら。それにしても「SINCE I'VE BEEN LOVING YOU」のジョン・ボーナムは凄味がある。こんなにドスの効いたドラムは今まで聴いたことがない。

 ゆうべは、ベティス×バレンシア(リーガ第16節)をビデオ観戦。序盤のオウンゴール一発で0-1。また後半の途中から居眠りしてしまったので、何がどうだったのかはよくわからない。どうもこのところ11時半ぐらいになると眠くて眠くて仕方がないのである。でも、サッカー中継の音声を子守唄にしながらの居眠りは幸福だ。音声といえば、「前の選手が頭ですらしたクロスボールはスピードが増すので後ろの選手は合わせるのが難しい」という北沢さんの解説には、なるほどと思った。ネットで情報収集しているだけのジャーナリストにはできない解説である。北沢さんにはある仕事でお会いできる予定だったのに、その前に企画がぽしゃってしまったのが残念だ。今年もっとも悔やまれること。




2003.12.18.Thu. 10 : 55 a.m.
BGM : THE NICE "ELEGY" & REFUGEE "REFUGEE"

 しばらく遠ざかっていたゴースト仕事が始まり、ちょっぴり憂鬱な今日この頃である。11月から2ヶ月かけてのんびり書く予定だった仕事だが、諸事情あって延び延びになってしまい、先週末にようやく新潮社の担当者氏とリライトの打ち合わせを済ませた。旧成人の日ぐらいを目処に上げればいいとはいえ、あいだにクリスマスやら忘年会やら正月やらが挟まっていると落ち着かない。年末年始って、いろいろありすぎるよな。クリスマスも忘年会も正月も、三年に一度ぐらいのペースでやればいいんじゃないかと思う。

 きのう書いた「青森・泡盛・金曜日」が何かに似てるような気がしていたのだが、わかった。「横浜・たそがれ・ホテルの小部屋」だ。

 最近になって、(ナイス)−(キース・エマーソン)=(レフュジー)−(パトリック・モラーツ)だということを知った。キース・エマーソンをEL&Pに奪われたドラムのブライアン・デイヴィソンとベースのリー・ジャクソンが、モラーツを迎え入れて結成したのがレフュジーなんだってね。ネスタを奪われてスタムを迎えたミハイロビッチとフェルナンド・コウトみたいなものかと思うと、涙なしには聴けない。しかもアルバムを一枚作っただけでモラーツをイエスに引き抜かれたというのだから気の毒な人たちだ。……嗚呼。イヤな予感がする。一月のマーケット、スタムは大丈夫なのだろうか。モラーツが去った後、デイヴィソンとジャクソンのふたりがどうなったのか、私は知りたくない。

 それにしてもナイスとレフュジーは、メンバーの三分の二が同じだとは信じられないぐらい違う。「ELEGY」はキース・エマーソンの作品だし、「REFUGEE」はモラーツの作品という感じ。前者はまさにEL&Pを思わせる破壊的ロックだが、後者はどことなくRTF時代のチック・コリアを連想させるような音だ。このキーボーディスト二名を差し替えること自体に、とても無理があるような気がする。デイヴィソンとジャクソンは、いったい何がしたかったんだろうか。結果的には、プログレ史上最大の「踏み台」(もしくは「捨て石」)という栄光を手に入れたのかもしれないが。やっぱり、彼らの「その後」を知りたいような気もする。

 ゆうべは、レアル・マドリー×デポルティボ(リーガ第16節)をビデオ観戦。後半は居眠りしてしまったが、2-1でマドリーが勝ったらしい。前半終了間際に決まったマドリーの先制点がすばらしかった。何がすごいって、ジダンのトラップだ。背後からのエルゲラのロングフィードを爪先でピタリと止めて、ゴール前に走り込んだロナウドに完璧なラストパス。足にグローブはめてんじゃないかと疑うぐらいの「捕り方」だった。このあいだアーセナルの試合を観ていたら、何という名前なのかよく知らない解説の人が「あのトラップができるのはベルカンプだけ」などと言っていたが、ジダンだってできるじゃんか。というか、ジダンに「できないこと」ってあるんだろうか。




2003.12.17.Wed. 12 : 00 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN U"

 クリスマスモードのうちに行きたいという妻子の希望もあって、きのうは一家そろって仕事と家事と幼稚園をサボり、山(嫁)ちゃんも誘って4人で東京ディズニーシーへ。めたくそに寒かった。海が近いせいか、あそこは風がやたらと吹くのである。22時の閉園までびっちり遊んでくたびれた。セガレは到着するなり、山(嫁)ちゃんにティガー(トラ)の帽子を買ってもらってご満悦。やけに似合っていた。セガレはわりかし「かぶりもの」が似合うキャラクターなのである。ちょっと「キャプテンウルトラ」で小林稔侍が演じていたキケロのジョーを思い起こさせたが。


キケロのジョー

 20時過ぎから始まった「ハーバーサイド・クリスマス」(アクセスすると音が出るので注意)という水上クリスマスツリー点灯式は、さすがディズニーと思わせる演出。とにかく音楽の使い方がうまい。決して奇を衒うことなく、オーソドックスな構成で人心を惹きつける手口には、わかっていてもグッときてしまいますね。私が単純すぎるのだろうか。「ツボを心得た演出」と口で言うのは簡単だが、そのツボの範囲は実のところニアサイドのシュートコースぐらい狭いわけで、ちょっとでも外すと「鼻白み」が待っている。だから「オーソドックス」は難しいのである。オーソドックスなエンターテインメントを料金に見合う(あるいはそれ以上の)内容に仕上げるプロフェッショナルを、「ベタ」などという薄汚い言葉でバカにしてはいけない。

 おととい観たアンコーナ×ラツィオ(セリエ第13節)は0-1の辛勝。CL敗退明けのラツィオは意欲も意思も意志も意図も意味も感じられない戦いぶりで、今季未勝利のアンコーナに初白星を献上してもおかしくない出来であった。勝てたのは、ひとえに運が良かったからであろう。リベラーニの決勝ゴールも、ミスキックだしね。見た目は「好判断のループシュート」だが、あれは得意の「浮き球パス」で下インザーギの頭を狙ったキックである。私はそう決めつける。それがGKの指先をかすめてゴールインするんだから、運がいいとしか言いようがない。日頃から奇を衒いがちなリベラーニ君、これに味をしめてヘタレなループシュートが悪いクセにならなきゃいいけどなぁ。なりそうだよなぁ。と、勝ったのに溜め息ばかり出るゲームだった。今季のラツィオには、「オーソドックスな勝利」がほとんどない。

 それにしてもこの試合で怖かったのはスタムだ。相手のラフプレイに怒り狂って、アンコーナの33番(だったかな)の首を正面から両手で絞めていた。抵抗する気力も失い、すっかり怯えきって「殺すのね? ホントにボクを殺すのね?」というような表情を浮かべる33番を見て、ああ、殺される寸前の人間ってああいう顔をするのか、と背筋が凍った。主審や味方の制止があと10秒遅かったら、ほんとうに絞殺していたと思う。チームの大黒柱が人殺しにならなくて、ヨカッタ。

 上のBGM欄ではローマ数字が文字化けしているかもしれないが、いま聴いているのはレッド・ツェッペリンの「2」である。ファーストアルバムに比べて長い曲が減り、格段に取っつきやすくなった印象。「LIVING LOVING MAID」のような、中高生バンド(や将来ギターを習い始めた私)が「これなら」とコピーしたくなりそうなナンバーも入っている。べつに「売り」にかかったわけではないと思うが、「1」がホームなら「2」はアウェイでのセカンドレグみたいな感じがしなくもない。2枚合わせて「デビュー作」ということかも。先に「2」を聴いてから「1」を買った人も多かったのではないだろうかと想像した。私自身、最初に「1」を聴いていたら、こんなにレッド・ツェッペリンが好きになったかどうか正直なところ自信がない。ところで、「LIVING LOVING MAID」の「Alimony, alimony payin’ your bills」という歌詞が「青森・泡盛・金曜日」と聞こえるのは私だけだろうか。




2003.12.15.Mon. 16 : 10 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN "LED ZEPPELIN"

 忘れてた。きのうはトヨタカップがあったんだった。ラツィオのCL敗退ショック、風邪で頭ぼんやり、ZEPの10枚組セット入手で気もそぞろ等の諸要因が重なってのことだと思われるが、まあ、それぐらい私にとってはどーでもいい試合だということであろう。だがしかし。よりによってパンカロが日本でプレイしている姿をこの私が見逃してはいけないのではないか。どうだったんだパンカロ。ノー・チャレンジ・サッカーの真髄を披露してくれたのか。試合結果を見たところ、どうやら彼がゴールを決めるというようなバカげた事態は起きていないようだが。ボカの得点には、どんなふうに絡んでいたんだろう。絡んでいたと決めつけている私。

 それ以外のサッカーは週末に何試合か観たのだが、とにかく風邪で意識が混濁しているので何を観たのかよく思い出せない。チェルシーがイワン・カンポのいるチームに負けたような気もするが、気のせいだといいな。

 きょうは午後1時から幼稚園の聖誕劇を鑑賞。一昨年は星、昨年はローマの兵隊を演じたセガレが最後に与えられた役は、羊飼いだった。星の輝きと天使の言葉によって(マリアとヨセフ以外では)最初にイエス誕生を知り、ベツレヘムの馬小屋まで拝みに行ったのがこの羊飼いであるらしい。

 羊たちはすやすや眠る 静かな夜でした
 羊飼いは羊を守る 静かな夜でした
 何か不思議なことが 起こりそうな夜
 野原は寒いけれど
 心はあたたかい
 遠い空に星が瞬く 静かな夜でした

 一昨年はじめて鑑賞して以来、この楽劇の中でもっとも美しいと私が思っていたのがこの羊飼いの歌だったので、なんだか嬉しかった。セガレの歌声はやや小さかったものの、緊張して目をパチパチすることもなく、部下の羊飼い(年中さん)の世話を焼きながら、ソツなく演じていて安心。年に一度、精神的な成長のモノサシになっていた聖誕劇だが、来年はもう見られないかと思うとちょっと淋しい。

 週末はZEP三昧。まずはファーストアルバムだけ三日間ぐらいかけてストイックに聴き込もうと思っていたのだが、やはりこの大全集を前にしてしまうと誘惑には勝てず、2を2回、4を1回だけ聴いてしまった。1は8回ぐらい聴いただろうか。

 立派なボックスに収まった10枚組は、それだけでニマニマしてしまう手応え。ただ、2枚1組になっているブックレット形式のジャケットが「紙」なのがちょっとね。出し入れしにくいから紙ジャケットの復刻シリーズを避けたのになぁ。まあ、ブックレットのデザイン自体は悪くないからいいけど。それより不満なのは、この値段ではやむを得ないのかもしれないが、歌詞カードがついていないことである。英語はさっぱりの私だが、それでも歌詞を眺めながら聴くとずいぶん印象が違うものだ。全曲の歌詞が載ってる本って、ないんだろうか。

 デビューアルバムの「LED ZEPPELIN」を聴いて意外だったのは、それが決して取っつきやすい作品ではないということだった。1曲目の「GOOD TIMES BAD TIMES」こそ挨拶代わりにはもってこいの小ピースだが、続くA面3曲はいずれも6分半前後の大曲。それも、聴き通すのにかなりのエネルギーを要求する曲ばかりである。あまりデビュー作らしくない構成といえるのではないだろうか。

 いや、これは私にも身に覚えがあるが、デビュー作だからこそ気合いが入りすぎて前半が長く重たくなるということがあるのかもしれない。いまから振り返ると顔から火が出そうな話なのだが、私は当初、処女作の序章をダラダラと40枚も書いてしまったのだった。最初に自分の世界観のようなものをきっちり提示しないと落ち着かなかったのだろうと思うが、「GOOD TIMES BAD TIMES」無しでいきなり「BABE I'M GONNA LEAVE YOU」から入ってしまったようなものかもしれない。編集部の指示で短く書き直して本当にヨカッタと思っている。

 私のことはどうでもいいのだが、このアルバムの場合は冒頭に「GOOD TIMES BAD TIMES」があるとはいえ、プロデューサーがジミー・ペイジではなくメンバー以外の人間だったら、B面3曲目の「COMMUNICATION BREAKDOWN」をA面3曲目あたりに持って行きたがるような気がしなくもない。「エグゼクティブ・プロデューサー」としてPeter Grantという名前がクレジットされており、エグゼクティブ・プロデューサーの役割もPeter Grantがどういう人なのかも私は知らないものの、この人とジミー・ペイジのあいだで曲順に関する議論があったかもしれないなどと思ったりもするのだがどうなのだろうか。

 しかし結果的には、下手をすれば「冗長」になりかねないA面も、B面の最後まで聴き終えたときにはもう一度聴きたくなり、しかも聴けば聴くほど味が出てくるのだからこれで正解だったのだろう。タボン君に借りたボックスセットを聴いた時点では、「BABE I'M GONNA LEAVE YOU」や「DAZED AND CONFUSED」などはわりと後期の作品ではないかという印象を漠然と抱いていたのだが、それがこのデビューアルバムに入っていたのも少し意外だった。最初からバンドとしての成熟度が高かったということだろうか。どうでもいいが、裏ジャケのジョン・ボーナムはシーマンに似ている。

 冷蔵庫の振動音が我慢できないレベルに達していたので、きのう修理してもらった。モーターの振動を抑えるゴムが傷んでいたとのことで、交換したらすっかり静かになって感激。1万2000円ばかり取られたのは痛いが、静寂を得るためなら仕方がない。ゴムは大事だ。いろいろなものを防いでくれる。




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