edogawa's diary 03-04 #28. |
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2004.05.08.Sat. 17 : 25 p.m.
そういえば、きのうのレス・デューデックについてもネットで調べてみたのだが、彼は10代の頃にオールマン・ブラザーズ・バンドのアルバムで客演し、その後はボズ・スキャッグスのバンドにも参加していたらしい。ボズ・スキャッグス? ボズ・スキャッグスってロックの人だったの? ボズ・スキャッグスといえば『We Are All Alone』であり、私は高校時代にシングル盤を買ったほどその曲が好きだった。今ちょっと顔が赤くなっているが、さらに言えば、ジャケットに高田純次を起用したことで有名な『Hits !』というベスト盤も持っている。しかし、これがロックだと思ったことは一度もない。じゃあ何だと訊かれると困るのだが、私の脳内レコード店「江戸川名曲堂」には「外国のポップス」というきわめてアバウトなくくりの棚があって、そこに置いてある。ちなみにその棚にはアバやサイモンとガーファンクルやアース・ウインド&ファイアーなども並んでいたりするという凄まじい田舎者ぶりなのであるが、そうかぁ、ボズ・スキャッグスはロックの人だったかぁ。しかもレス・デューデックは『We Are All Alone』の入っている『シルク・ディグリーズ』というアルバムの何曲かでギターを弾いているらしい。それも聴かなければ。オールマン・ブラザーズ・バンドのほうも聴かなければ。ほんとうに、キリがない。
2004.05.07.Fri. 21 : 15 p.m. DUDEKといえばリヴァプール方面のGKであり、だからといってレス君もポーランド系なのかどうかは知らないし、音楽的な出自も何も皆目わからないのであるが、この人はきっとイイ人だ。素直で愉快な人柄が音の隙間から滲み出ている。フュージョン風味のみならず、ファンクっぽい曲(なのかな)もあればサザン系の男臭い野性味もあり、(たぶん)リゾネイターギター1本で(たぶん)黒い田舎の女たちにブルースを歌わせたかと思うとウィシングの『デサフィオ』が始まったかと思うようなサンバ系ナンバーも飛び出すといった有り様の実に多彩なアルバムなのだが、それが散漫な印象を与えずにしっかり一つの作品としてのまとまりを感じさせるのは、ひとえに彼のパーソナリティが全体を貫いているからであろう。完成度はあまり高いとはいえず、どこかしら学生サークル的な詰めの甘さや粗雑さが随所にあることは否めないものの、それも含めて好感が持てる音楽。曲も歌もギターもゴキゲンとしか言いようがない。ラジオネームを「シメオネ大好きっ子さん」から「デューデック大好きっ子さん」に変更するのもヤブサカではないぐらいだ。自分で「さん」をつけてはいけないが。たぶんコレが「レスポールならでは」っちゅうヤツなんだろうと知ったかぶりしつつ聴いているのだが、力強くて爽快なサステインの効いたギターがキモチいい。そんなに難しいことはやっていないように聞こえるあたりも、初心者マインドをくすぐるのだった。……あ、そういや師匠に次のレッスンの予約入れなきゃ。
江戸川アンテナを利用している読者もおられるようなので予告しておくのだが、なんとなく「はてな」という情報空間が疎ましくなってきたので、近日中にアンテナを撤去するつもり。どうすれば撤去できるのかまだ知らないが、必要な方は1週間ぐらいのあいだにご自分のアンテナにインポートするなり何なりしてください。 アンテナ自体は便利なツールだし、このサイトを登録してくださっているアンテナがあると嬉しいし、今後も定期的にチェックするはてなダイアリーも少なからずあると思うのだが、なぜ疎ましく感じるかというと、まず、はてなから届くメールが厭だ。きのうも「こんにちは、はてなです。GWあけたら木曜日! 月曜日だと思っていました」という書き出しのメールが来たが、あそこの通信は必ずこういう「トモダチ感覚のトボケた挨拶」から始まるのだった。誰なんだおまえは。馴れ馴れしいのである。また、「はてな」「おとなり」といった教育テレビの幼児番組を思わせるような言葉遣いも、あんまり好きになれない。 そんなこんなで、なんちゅうか、近所の公園に集まる幼児が初対面だろうと通りすがりだろうと誰彼かまわず「おともだち」扱いされるように、はてなという共同体に「おいでおいで」をされて知らぬ間に馴化させられてしまうような居心地の悪さを感じるのは私だけだろうか。じっさい、その「おとなりアンテナ」などチラホラ見てみると、たいがい「はてなダイアリー」がズラリと並んでいる。いつの間にこんなに増えたのか知らないが、まるで自分が「はてな村」の一員になったみたいじゃないか。もちろん、そこに出入りする人々がムラ意識の持ち主だなどと言いたいわけではないし、趣味嗜好の近い人間が近くに集まってくる仕組みにも一定の合理性や意義があるとは思うのだが、なんだか私には息苦しいのだった。
2004.05.06.Thu. 12 : 30 p.m.
2004.05.05.Wed. 12 : 00 p.m.
きのうの火曜日は、プール好きなセガレのために東京サマーランドへ。去年もGWに行って、わりと空いていたので「穴場」だと思っていたのだが、今年は意外に混んでいた。相変わらず風邪気味なので、水遊びはもっぱら愚妻に任せてプールサイドで昼寝。ウトウトしている最中に、ものすごくクダラナイ「お茶ズボ」のネタを思いついた。これからも、ネタに困ったときはサマーランドに行くといいかもしれない。焼き肉を食って帰宅した後、一気に書き上げる。クダラナイ妄想ネタほど、熱いうちに一気に叩かないと、途中でバカバカしくなって挫けてしまうのである。それにしても、〆切は明日の昼なのに、えらいなぁ私。これで明日の午前中は、心おきなくチェルシー戦を観られるというものだ。
週末に観たサッカーの中では、バルセロナ×エスパニョール(リーガ第35節)がすばらしく愉しかった。ラツィオのことは、この際どうでもよろしい。すげえよロナウジーニョ。何がすごいって、PKでエスパニョールに先制された後も、味方の好プレイに親指立てたりなんかしつつ、ニコニコ笑いながら攻撃してるのがすごい。はじめから1点や2点で勝つつもりなんかないのであろう。1点のビハインドなんか眼中にないような感じだった。じっさい、あらゆる持ち芸をふんだんに見せびらかして4-1の大勝を演出。この試合のパフォーマンスだけでバロンドールを差し上げたいとさえ思いました。
そういう人は少なくないようだが、私もオペラやミュージカルの類が苦手である。どっちもそんなにちゃんと鑑賞したことがないので、味わい方を知らないだけかもしれないが、「セリフを歌う」ことに対する違和感がどうしても拭えない。なんというか、音楽だけが持つ様式美のようなものをダラダラと損ねてしまうフシダラな印象を受けてしまうのだった。私は音楽に対する料簡が狭すぎるのかもしれない。なので、「ロックオペラ」と称されるこの『トミー』も、いまひとつピンと来ないのである。英語がダメなもんで、ストーリーもよくわかんないし。GBで友人が教えてくれたスウィフトの『アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案』とごっちゃになりそうでマズイです。三重苦のトミーくんは食べられちゃったわけではないと思うので、勘違いしてはいけない。おいおい。こどもの日に何てこと言い出すんだ私。
2004.05.02.Sun. 10 : 45 a.m. で、そのよしりん編集長が出演なさっていることもあって、録画しておいた『朝まで生テレビ』をゆうべ見た。こういうものを録画する気になるのは、ハードディスクビデオならではだ。ものすごく久しぶりに見たような気がする『朝生』は、昔と比べると妙に和やかでユーモラスな雰囲気。近頃はああいう感じなんだろうか。むかし大島渚が担当していた「ダレたときに突如怒鳴ってカツを入れる」は宮崎サンが受け継いだように見えたが、まだ若いせいか迫力不足は否めない。というか、田原サンが歳を取ったってことなのかなぁ。「大マスコミとフリージャーナリスト」のあり方をめぐる議論になった終盤など、ほとんど赤提灯ノリになっていておかしかった。あんなに出席者が一つになって「そうだそうだ」と盛り上がっている『朝生』はかつて見たことがない。下請け業者の悲哀を滲ませつつ愚痴る田原サンを自民党の武見サンが慰めるという通常あり得ない光景には、じつに心あたたまるものがありましたね。田原サン、橋田サン、勝谷サンぐらいのビッグネームでも「フリーはツラいよ」な感じであるのを見て安心した。世間に向かって弱音を吐いているフリーランスは、連休返上で原稿を書いている弱小ゴーストライターだけではないのである。
2004.05.01.Sat. 13 : 25 p.m.
アマゾンに「ミュージックのおすすめがあります!」と言われて、「コンピュータのおまえに俺の何がわかるというのだ!」「自分の聴くものは自分で探すわい!」と立腹する人も多いが、私のような依存心の強い入門者にとって、あれはナカナカ悪くないサービスである。あれがなかったら、ジェスロ・タルにもルネッサンスにもVAN DER GRAAF GENERATORにも出会えなかったに違いない。出会えばいいというものではないし、私も「本のおすすめ」には「フン!」と鼻を鳴らすのが常だったりするのだが、CDはつい買ってしまうことが多いのだった。だからって、見たことも聞いたこともないゴングという人たちの作品をいきなり2枚も買うこたぁないとは思うものの、1枚だと送料がかかるのでしょうがない。そういえば先日も、500円の駐車場代をケチって、サービス券をもらうために1000円のトレーナーを買ったら、サイズが小さくて着られなかったことがあったっけ。無駄遣いの構図。敵の思うツボとも言う。 しかしゴングの2枚は、どちらも買って損はなかったので結果オーライである。ロックって、いろいろあってホントに面白いよなぁ。ギタリストのタマゴとしてはアラン・ホールズワースやミック・テイラーの参加に目が行くわけで、だから買ってみたのだが、この人たちが面白いのは、ヴィブラフォン、シロフォン、マリンバ、グロッケンシュピールといった打鍵楽器(でいいんだろうか木琴や鉄琴の総称は)を中心にした編成になっているところだ。ドラムやパーカッションを含めて「打楽器ロック」にチャレンジした稀有なユニット、なのではないだろうか。ヴィブラフォンやシロフォンのような楽器は音量の変化をつけにくいからなのか、全体にのっぺりしてメリハリに欠ける印象はあるものの、「人間オルゴール」がリズムセクションの上で鳴っているような、上品で心地よい響きである。
ゆうべは、WOWOWで放送された宮部みゆき原作のドラマ『理由』(大林宣彦監督作品)をビデオ鑑賞。原作はずいぶん前に読んだはずなのだがストーリーも何も覚えておらず、どんな感想だったのかと思って久しぶりに自分の読書日誌を見たりしたのだが、『理由』のことは書いていなかった。どうでもいいけど、96〜98年頃(つまりサッカーを見始める前まで)の私はどうしてあんなにミステリばっかり読んでいたのだろう。当時は面白がって読んでいたが、いま振り返ると大半がクダラナイもののように思えてくる。こういうのって、たくさん読むほど「面白い」のハードルが下がって、ちょっと面白いと「これはすごい!」と感じる傾向があるからね。今はロックがそういうことになっているかもしれないので、ホント、私の「面白い」をアテにしちゃダメだ。 ドラマのほうは、話が進むにつれて小説の内容を思い出すのが面白かったのだが、しかし2時間45分は長いっすよ。番組枠の自由度が高い放送局だから時間の制約が少なかったのかもしれないが、もう少し「削る勇気」を持ってほしかった。もっとも、冗長に感じたのは時間的な問題だけではないのかもしれない。全体に、メッセージ過剰なのだ。そのメッセージ自体が、例によって「事件は社会の歪みによって生じたもので犯人もまた被害者なのだ」と言いたがっているのがまた業腹なのだが、それはまあいいとしても、それを説明するためにダラダラと文章を綴ったオープニングとエンディングの長いテロップは完全に蛇足。それを映像と役者のセリフで表現するのがキミたちの仕事じゃないのか? 書いてどうする。書かれたものを読むなら、とっくに小説があるんだからさ。
2004.04.30.Fri. 8 : 30 a.m. サザン・ロックの人は、集合写真が好き。 いい感じの背景を見つけてはいそいそと集まり、通行人をつかまえて「シャッターはここね」とカメラを押しつけてこそのサザン・ロックだ。それがアメリカ南部の伝統的なメンタリティなのかどうかは、知らない。観光地におけるオバサン軍団のメンタリティと共通性があるのかどうかも、知らない。そして、リーダー(とその妻)以外のメンバーが「背景」のように見えるバンドは、やはりサザン的ではないかもしれない。
2004.04.29.Thu. 12 : 50 p.m. レーナード・スキナードというバンド名のほうは、高校の体育教師の名前が由来になっているそうだ。そう聞いて、私も高校時代の体育教師の名前を思い出そうとしたのだが、どうしても思い出せない。覚えているのは渾名だけだ。彼は「ガッツ」と呼ばれていた。ガッツ石松に似ていたからだ。あちこちで話しているので私の口から聞いたことがある人もいると思うが、ガッツにはこんな逸話がある。ある日、保健体育の授業中に、ガッツは黒板に「ねづみ」と書いた。どうして保健の授業でそんなことを板書しなければいけないのかよくわからないが、当然、生徒からは「先生、字が違います」というダメ出しがある。あらためて黒板を見たガッツは「ん? ああそうか。ごめんごめん」と言いながら、文字をひとつ書き直した。ガッツが板書を終えて前を向いたとき、黒板には「ぬづみ」と書かれていたという。高校の体育教師が読んでいないと信じて書くが、高校に体育教師って必要なんだろうか。
さすがに結婚生活も十年目になると表情だけで理解し合えるようになるもので、昨夜ようやくビデオ観戦したインテル×ラツィオ(セリエ第31節)は予想どおりのスコアレスドロー。「予想」じゃなくて「予感どおり」か。前半の途中、いっしょに観ていた愚妻が居眠りを始めた時点で、私はその結果を確信したのだった。いっぱいチャンスがあったので勝ちたがったが、いっぱいピンチがあったので負けなくてよかった。子供みたいな感想である。ペルッツィの獅子奮迅は感涙モノだった。チームへの貢献度という点では、世界ナンバーワンGKであるに違いない。マイアミのブラジル戦で川口がやったことを、ペルッツィは毎週やっているのである。代表に招集されたらしいが、当然すぎるほど当然だと思う。 それにしても、きのう私自身が望んだこととはいえ、終始なごやかなムードの流れる微笑ましい試合だった。何なんだ、あの和気あいあいとした戦いぶりは。ラツィオとインテルって、なんであんなに仲良しなんだろう。8人イエスの紅白戦みたいだった。イエスの紅白戦を見たことはないが、とにかく4位の座をめぐってシノギを削っているチームの直接対決のようには見えなかったよなぁ。唯一殺気が迸ったのは、「ペルッツィ×アドリアーノ」のシーンだけだった。シュートを前に弾いてボールに覆い被さるペルッツィ。こぼれ玉を狙って右足をフルスイングするアドリアーノ。怖かった。思わず、ペルッツィの首が然るべきところにちゃんとついているかどうか確認してしまった。砕け散るよな、アレがまともにヒットしたら。ペルッツィがEUROを棒に振るようなことにならなくて、本当にヨカッタ。
引き続き、ライブ中継から30分遅れで追っかけ観戦したチェコ×日本(親善試合)は、久保の左足が炸裂して0-1。うれしかったっす。いや、だから、うれしかったっす。インタビュアーは同じ質問をくり返さないように。しかし、まずいよなぁ。ヨーロッパでああいうことして目立っちゃうと、すぐ買い注文が入って西澤みたいなことになりかねないからね。久保くんには、2006年まで日本でお山の大将やっててもらわないと困る。ストライカーは、海外に出て自信をなくしたって何もいいことがない。 そんなことより、地上波民放である。日テレ式である。久しぶりに聞いた武田さんの解説には、そりゃあ私だって茶の間でブツブツ言っていた。しかし、途中で私は気づいたのである。あれは、子供向け番組なのだということに。だとすれば、「最後まで諦めないディフェンスはえらい」といったような浅いコメントばかりに終始するのも当然であろう。選手を呼び捨てにせず、いちいち「ネドベド選手」「サントス選手」と呼ぶのも、子供の前では丁寧な言葉遣いをしようという教育的配慮によるものだ。したがって、そんなものにオトナが腹を立ててはいけないのである。それでも腹が立つ人には、もっと腹が立たなくなる聞き方をお教えしよう。「子供向けに喋っている」ではなく「子供が喋っている」と思えばいいのである。
2004.04.28.Wed. 10 : 00 a.m.
きのうの宿題は「ち」だった。私ではなくセガレの話である。宿題はその日の復習にあてられているようで、冷蔵庫のドアには授業で「ち」の練習に使ったプリントが磁石で留められていた。ものすごく所帯じみた風景だ。見ると、「ち」を使った例文が書いてある。「おおきなこえで、よんでみましょう」とあるから、たぶん授業では40人で唱和したのだろう。それは、こんな例文だった。
ちくりと素敵な小学校だ、と初めて思えた。なにしろ40人が大声で「血が出たよ!」だ。くり返し、くり返し、「血が出たよ!」と叫ぶ40人の子供たち。「ちくりーと」の「ちゅうりゅうぐん」の話じゃなくてヨカッタと心から思う。
ABWHというのは、新聞記事のイロハではない。それは5W1H。これはABWH。あんまり似てないが、ともかくこれは「アンダーソン・ブラフォード・ウェイクマン・ハウ」の頭文字である。略したわりに呼びやすくなっていないのが難点だ。事情を知らずに「なんでイエスじゃないの?」と思いつつ中古店で買ったのだった。事情はあとで調べておおむね了解したが、説明するのはとても面倒臭い。要は、10人が退団してもサネッティさえ残っていればそれはインテルであるのと同じように、この4人が脱退してもクリス・スクワイアさえ残っていればそちらがイエスだということのようだ。 しかし実質的にはイエスが二つ存在していたわけであり、それがいかに鬱陶しい状況であるかというのは、インテルが二つ存在している状況を想像してみれば容易にわかる。そんなセリエAはイヤだ。たぶん、インテリスタだってイヤだろう。そこで二つのイエスが合体し、「驚異の8人イエス」となって作ったのが、この『UNION(結晶)』というアルバムである。「イエスの大盛り」だ。サッカーと違ってロックにはカップ戦がないので、たぶん、ギターは左手がスティーブ・ハウで右手がトレバー・ラビン、ドラムは両手がビル・ブラフォードで両脚がアラン・ホワイトといった驚異の分業体制が敷かれているのだと思う。二人羽織じゃないっつうの。ほんとうは、サッカーと同様のターンオーバー制が導入されているようだ。というか、ダブついた戦力を使うために無理やり15曲も収録して過密日程にしたような印象がなくもない。どの曲がリーグ戦でどの曲がカップ戦なのか、私には聴き分けられないが。 ともあれ、スクデットとCLの二冠を狙いながら2位と準優勝で終わってしまいました、という感じでしょうか。いや、4位とベスト8ぐらいかな。無論、それでもインテル的には大成功である。ラツィオ的にもそうだけど。イエス的にはどうだか知らないが、私は「イエスかくあるべし」といったこだわりなど持ち合わせていないので、『閃光』も『結晶』もわりと好きでした。微笑ましい気分で楽しめる2枚。今夜のラツィオ×インテルも、微笑ましい気分で楽しみたいものである。
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