fukagawa's edogawa diary 04-05 #02.
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2004.08.07.Sat. 13: 00 p.m.
BGM : 向井滋春 "JAZZ STRINGS"

 十年前、自分の結婚式で演奏をしてくれる式場のピアニストと電話で打ち合わせをした際、向こうが知らなかったために断念せざるを得なかった曲がある。ダラー・ブランドという人(アフリカのピアニストであるらしい)が作った『Wedding』という曲だ。タイトルがタイトルなので言っていて恥ずかしいが、私はこの曲を向井滋春のライブアルバム『MUKAI ON THE WING LIVE RECORDING』で初めて聴いてその美しさに感動し、できることなら自分で吹きたいとさえ思ったがそうもいかないので、新郎新婦入場のときにピアノで弾いてもらいたかったのである。新郎新婦って、いま書くと死ぬほど照れ臭いですね。ともあれ、ピアニストが知らないのでは仕方ないので、やや似た感じの『G線上のアリア』を弾いてもらったのだった。あれはちょっと失敗だったと思っている。シンミリしすぎだ。

 で、その『Wedding』を向井滋春があらためて録音してくれたのが、この『JAZZ STRINGS』という2枚組の新作である。日本一(私は世界随一だと思っているが)のトロンボーン奏者と共演しているのは、弦楽四重奏+ピアノ、ベース、ドラムのリズムセクション。3年ほど前からチェロを習い始め、すでにバッハの無伴奏ソナタ(の一部)を弾けるまでになっているという向井滋春が自ら全曲アレンジしたという野心作だ。ストリングスが奏でる『Wedding』は実にすばらしい。この曲のためにアルバム製作を思い立ったのではないかという気さえする。途中で『Let It Be』のメロディが挿入されるのはいかがなモノかと思うが、まあ、惚れてしまえばアバタもエクボ。それ以外の曲でも、どことなくボストンポップス風に聞こえるものがあったり、チック・コリアの『ラ・フィエスタ』に似すぎているオリジナル曲があったりもするのだが、自分の学生時代からのアイドルが五十代半ばになってもこれほどのチャレンジをしてくれていること自体が私は嬉しい。2枚組なのに2940円というのも嬉しい。

 さて、今夜はアジアカップ決勝である。心から、われわれの代表チームに勝たせてやりたいと思う。中国人はどうだろうか。中国代表チームに勝たせてやりたいと思っているだろうか。無理やり「敵」をこしらえることでしか求心力を持てない彼らに、そんなパブリックマインドがあるようにはあまり思えない。もしかしたら、彼らは中国の勝利ではなく、日本の敗北のみを求めているのではないか。だとしたら、そんな同国人の薄汚い情熱で満たされた競技場で闘わなければいけない中国代表チームを、私は気の毒に思う。そんな空間で、スポーツマンとしての気高いプライドを持って闘えるのは、むしろアウェイの日本のほうだ。われわれの代表が、「スポーツの敵」を木っ端微塵に粉砕してくれるのを、楽しみに待とうではないか皆の衆。




2004.08.06.Fri. 21: 30 p.m.
BGM : GRAND FUNK RAILROAD "ON TIME"

 ……というか、『傘がない』は8分の6拍子か?




2004.08.06.Fri. 16: 00 p.m.
BGM : GRAND FUNK RAILROAD "ON TIME"

 グランド・ファンク・レイルロードである。レンタルショップで愚妻に「これなんかどう?」と勧められて借りた。1969年に発表された彼らのファーストアルバムには、同じ年に発表されたレッド・ツェッペリンの「II」と同じタイトルの曲が収録されている。『ハートブレイカー』だ。で、これは何に似ているかというと、ツェッペリンの『ハートブレイカー』ではなく、井上陽水の『傘がない』に似ているのだった。サビなんか聴いていると、「ハ〜〜〜ブレイカ〜〜〜、キミの〜家に行かなくちゃ」と歌いたくなるぐらい似ている。っていうか歌った。面白かった。そんなことをしていて気づいたのは、『傘がない』が3拍子の曲だということだ。いや、カラオケとかではふつうに歌っていたわけだから4拍子だと思っていたわけではないし、3拍子を把握してはいたのだが、意識して「3拍子の曲」だとは思っていなかったというか、なんだかよくわからないがそういうことだ。GFRの『ハートブレイカー』は終盤に3拍子から4拍子に変わるところがあり、それで「ああ、ここまでは3拍子だったよね」と気づき、「ということは、ええっ、『傘がない』も3拍子だったのか!」と認識したというわけである。アホですな。しかし3拍子であることを意識させないからこそ『傘がない』は名曲だとも言えたりするのではないか、なんて思ってみたり。あなたは『傘がない』が3拍子だって思って歌ってましたか? おれ、すごく変なこと言ってる? ところでグランド・ファンク・レイルロードは、なんちゅうか、微笑ましい感じ。なぜか郷愁を誘うものがある。

 ゆうべは、お茶ズボの原稿を仕上げた後、飯田橋のカナルカフェへ。小学校時代からの友人(女性)が、K出版のY取締役(女性)を紹介してくれるというのである。持つべきものは友というが、私の場合、フリーになって十数年、常にこんなふうにして仕事をいただいてきたのだから、本当にありがたいことだ。それにしても驚いたのは、Y取締役が事前にこのサイトの存在を知り私の日誌を読んでいらしたことであり、自己紹介の手間が省けて話が早いと言えば話が早いが、照れ臭いと言えば照れ臭い。生身の私を知らない人がこれを読むと、私はどんな人間に見えるのだろうか。ここに書かれている私は間違いなく私だが丸ごとの私であるはずはなく、私の一部がかなり肥大化しているようにも思う。しかしまあ、そんなことはともかく、カナルカフェのパスタやピザは旨かった。どうも、ごちそうさまでした。ごちそうになってばかりの十数年。考えてみると、仕事をもらいたい側がごちそうになるのって変な話だ。でも、接待するほどの経済的余裕があるなら、仕事をほしがる必要もないような気もする。世の中の仕組みがよくわからない。




2004.08.05.Thu. 11: 10 a.m.
BGM : KANSAS "POINT OF KNOW RETURN(暗黒への曳航)"

 9日前の日誌で「ヤバイ」と書いた仕事は一昨日の夜に片づき、きのうは家族とのんびり過ごすことができたが、きょうはお茶ズボの〆切なのだった。19時に飯田橋に行く用事があるので、それまでに仕上げないといかん。なので、復活はしたものの日誌は短くならざるを得ないのであり、したがってカンサスについても第一印象だけ簡単に述べておくと、何をどう面白がればいいのか、よくわからんなコレ。いや、まあ、きれいな音楽だとは思うが、事前に文字情報から抱いていたイメージと違いすぎて戸惑っている。プログレだって言うから借りてみたんだけどなぁ。江戸川名曲堂(私の脳内レコード店)では「外国のポップス」の棚に置かれそうだ。すまんね。

 ところで、一昨日の晩は脱稿直後に三軒茶屋へ行き、月例新書の会に出席した。月例といいながら、私はしばらくタイミングが合わなかったので3ヶ月ぶりぐらいだっただろうか。課題図書の橋本治『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書)も読まず、ただ酒を飲むことだけが目的だったようなことで申し訳なかったが、全員が編集者および物書きということもあって、脱稿したライターを温かく労ってくれて嬉しかった。キモチをわかってくれる仲間は大切だ。だから私もあそこへ行くと愚痴っぽくなっていけないのだが、一昨日も「このごろ〆切を破りがちなせいか来月以降ゴーストの依頼がない」とこぼしたところ、「最大でどれぐらい遅れたことがあるのか」と問われたので、今回は3日遅れだったものの過去には19日遅れたことがあるのでそのように答えたら、みんなが口を揃えて「それ優秀じゃーん」と言ったので心の底からビックリしたのだった。ええっ、人はもっと遅れているの? そう思ってちょっとホッとしたのはとてもイケナイことだ。しかし考えてみると、だとすれば仕事の依頼がないのは「遅筆」が原因ではないということなのであり、じゃあ何が原因かというと「原稿のクオリティ」以外にないわけなので、そっちのほうがよっぽどモンダイである。ぜんぜんホッとしてる場合じゃない。そういえばNさんに「そろそろゴーストやめる時期なんじゃないの?」とも言われたが、あれはそういう意味であったか。嗚呼。左に書いた夏休み、1週間では終わらないかもしれない。




2004.07.27.Tue. 11: 40 a.m.
BGM : USEN440 B-19 クラシック・ロック

 いままで黙っていたが、仕事がものすごくヤバイ状況なんである。とても一生懸命に取り組んでいるのに、原稿はいっこうに進まないんである。いつものこととはいえ、いくら何でも煮詰まりすぎなんである。なので、たぶん1週間ぐらい日誌から離れるんである。じゃあね。




2004.07.24.Sat. 12: 10 p.m.
BGM : USEN440 B-19 クラシック・ロック

 不評の人名用漢字9字、追加案から削除されたんだそうだ。

 法制審議会(法相の諮問機関)人名用漢字部会は23日、先に公表した578字の人名用漢字追加案のうち、国民から100件以上の反対意見が寄せられた9字の削除を決めた。(中略)追加案から削除する漢字は、「糞」「屍」「呪」「癌」「姦」「淫」「怨」「痔」「妾」の9字。6月11日から7月9日まで、国民から募集した意見で、いずれも100件以上の反対があった。部会の議論では、「国民の常識を尊重すべきだ」(鎌田薫部会長=早大教授)として、9字の削除に異論が出なかった。(読売新聞)

 何やってんだ、こいつら。少し前の報道では、「国民から寄せられた意見」は1308通だったと書いてあった。メールだなんだでこれだけ手軽に意見を寄せられる環境であるにもかかわらず、たったの1308通だ。この諮問機関の人たちは、日本の国民が何人いると思ってるんだろう。意見を寄せたのは、ざっと見積もって日本人のうち10万人に1人だ。その中で、「削除」を求める意見は、たしか800未満(それ以外は「制限自体をやめろ」「この字も使わせろ」とかそういうご意見)だったと記憶している。そういうのは、ふつう、「少数意見」というのではないか。800票じゃプロ野球のオールスターにだって出られないでしょ、たぶん。少なくとも、尊重すべき「国民の常識」と呼べるほどの量ではなかろう。ほっとけ、そんなもん。

 というか、わりと積極的に意見を募ったように見えるのに全体で1308通しか寄せられなかったということは、この「追加案」自体が国民からほっとかれているのである。それがここで示された「国民の常識」だ。また役人がアホらしいこと始めよったけど、まあ、使える字が増えるのは悪いことじゃなかろうし、ほっといてやるから決めたければ勝手に決めたらよろし、ってことだよ。せっかく野放しにしといてやろうと思ってたのに、たかが800足らずの声で右往左往して決定をあっさり覆してるんじゃ、ほっとくわけにはいかない。いままでナニを審議しとったんじゃ、おまえら。時間と金の無駄。削除すべきはその9字ではなく、このロクでもない大学の教授が会長を務めている法制審議会人名用漢字部会である。

 まあ、想像するに、たぶん審議会でも「国民の良識に委ねる派」と「国民はバカだから制限強化すべき派」の対立みたいなもんがあって、とりあえず当初の追加案は前者の主導で発表したものの後者は納得しておらず、それが今回「国民のご意見」を盾にして「ほら見ろ、怒られちゃったじゃんか。やっぱ制限すべきじゃんか」と逆襲に転じた、ということのような気がしなくもない。だけど「削除しろ」と言われた字を全部引っ込めるわけにもいかず、「そんじゃ、クレームが100件以上のやつだけ削除するってことで、ひとつ」とか何とかいう話になったんじゃねえのか。何の根拠があんだよ、その線引きに。ちなみに、「削除の要望があった漢字ワースト30」は、今回削除された9字のほか、蔑・膿・娼・骸・尻・嘘・腫・罵・垢・溺・呆・厭・疹・禿・妬・鼠・歪・仇・讐・怯・潰といったことになっている。「呪」や「怨」が名前に使えないのに「妬」や「仇」や「讐」は使えることにするわけ?

 私自身は、人名漢字にかぎらず、文字の使い方は国家から自由であるべきだろうと思っている。そんなことまで指図されたくないですね私は。大きなお世話だ。そんなに深く考えたことがあるわけじゃないんでアレだが、いろいろ不都合はあったとしても、それは私たちがその場その場で一つ一つ解決していく以外にないような気がするのである。たとえば双子を「姦太郎」「淫次郎」と名づけてニタニタする親が現れれば大騒動になるだろうが、それはそのときになってから、どうするか考えればよい。親の口から、それが「名前にふさわしい」とする壮大な屁理屈が聞ければ、それはそれで面白いではないか。もちろん、おかしな名前をつけられた子供は気の毒だとは思うけれど、それも含めて人には避けがたい運命ってもんがあるし、改名のチャンスが与えられていることを考えれば、たとえば先天的な不治の病に冒されている人よりは恵まれているようにも思う。

 だいたい、「人名にふさわしいかどうか」なんて完全に主観的なモンダイでしょう。たとえば私は、フォークで突き刺されたりスプーンの裏側でグチャグチャに潰されて牛乳と一緒にズルズル食われたりする食い物の名前をわが子につけたいとは思わないが、どうしても娘に「苺」と名づけたいという人も多いらしい。それはそれでよかろう。よく指摘されるように、「亜」という字もかなり人名にふさわしくない形で現実に使われている。本来はふさわしくなかったのに、使われているうちに何となく「国民の常識」としてふさわしいような感じになってきたわけだ。「糞」だって、人名に使われることで糞自体のイメージが好転する可能性がないわけじゃない。っていうか、「糞太郎」なんてそんなに悪くないじゃん。あらゆる逆境をはねのける力強いストライカーになりそうである。出てこい糞太郎!

 なんてことを言いながら、実のところ、私自身が「人名にふさわしい漢字」をセガレに与えたかどうか疑問なのだった。セガレの名前に使った一字が、論語では「バカ正直」という悪い意味で使われていることをあとで知ったときは、かなり愕然としたものである。まあ、それはそれで面白いと今では思ってますが。ともあれ、漢字の意味なんて解釈次第でどうにでもなるもんだろうと思う。




2004.07.23.Fri. 12: 10 p.m.
BGM : PFM "CHOCOLATE KINGS"

 1ヶ月ほど前に購入して大いに気に入り、何度も聴いているPFMの傑作アルバム(1975年作)である。それまでは複数のメンバーが代わる代わる歌っていたPFMに、ここでベルナルド・ランゼッティという専業ボーカリストが加わり、ある意味、それ以前よりも「わかりやすい」音楽になったと言えようか。ランゼッティという「先端部分」ができた分、空間的な横の広がりを感じさせたそれまでのサウンドとは違い、戦闘機が鼻先をこちらに向けて飛んでくるような鋭さがある。ラグビー的に言えば、早稲田から明治への転換か。なんか台無しだな、この譬えじゃ。ともあれ、あらためてPFMって素敵なバンドだと思った。表題の「チョコレート・キングス」は明治大学と関係ないのはもちろん、明治製菓とも関係がなく、どうやらアメリカ合衆国のことらしい。実際、こういうジャケットのバージョンもある。対訳が信用できるかどうか知らないが、タイトルナンバーの歌詞はこんな感じ。

僕が生まれた時 連中が来て我々を解放し
戦争の傷を癒してくれた
太った大柄なママの写真と共に
チョコレートの王様が到着して
僕らにたっぷりと善意を注ぎ
プライドとスターとキャンディバーで
ぶくぶく太らせた!

 いまさら日米同盟の妨げになっているとか何とか言われている例のアレは、さしずめ「チョコレート憲法」といったところか。ジャケットに小さく描かれているイラストは、このCDに封入されているポスターに大きく描かれており、それはこんな絵である。心臓の悪い人は見ないほうがいいかもしれないが、これが「チョコレートの王様」であり、イタリア人であるところのPFMの見た70年代中頃のアメリカだ。素敵としか言いようがない。ところで、やはり煙草は(くわえていなくても)雄弁だ。きのうの『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』のジャケットと同様、この絵も左手の指にはさまれた煙草がなかったらあんまり面白くない。煙草が空気中に発散するのは、ケムリだけではないのである。




2004.07.22.Thu. 11: 35 a.m.
BGM : RY COODER "BUENA VISTA SOCIAL CLUB"

 きのうに比べるとやや過ごしやすいように感じるものの、暑くてバテバテなときにこういう音楽を聴くと、ますます仕事を放り出して海辺かなんかでグダグダしたくなるので困る。困るなら聴くなっちゅう話ですけども。『チキン・スキン・ミュージック』ではハワイのミュージシャンとも共演しているライ・クーダーが、キューバで熟練ミュージシャンを集めて作ったのが、この『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』だ。よく知らないが、そういうことらしい。音楽というのは空気を振動させることで成り立つ芸術であるわけだが、これを聴いていると、その振動が毛穴からジワジワと染み込んでくるような気がしますな。「快楽波」と「憂鬱波」が綯い交ぜになりつつ室内を漂い、空気の質感を変えてしまうのだった。ジャケットもいい。この写真ではよくわからないかもしれないが、おじさんは煙草をくわえて狭い路地を歩いている。「くわえ煙草の男のいる風景」って、なんて豊かなんだろう。おじさんのくわえ煙草がなかったら、この写真はちっとも面白くない。くわえ煙草は雄弁だ。嗚呼、「路上禁煙区域」の貧しさよ!

 ……要は人が多すぎるんですけどね。
 東京の人混みの中で煙草を吸っていいとは、私も思わない。

 話は変わるが、セーザルがすばらしかった。ベガルタ仙台×ラツィオ(アズーリ仙台キャンプ記念大会2004)の話だ。前半はラツィオが右から左に攻めていた関係上、左サイドのセーザルは常に私たちの目の前でプレイしていたので余計に目立ったのかもしれないが、うめーな、あいつ。すげーうめーよ。逆サイドからのロングパスをぴたりとトラップしてみせる技術、フェイントの切れ味、フィジカルの強さ、ドリブルのスピードなどなど、見ていてとても愉しかった。こんな練習試合でもやたらムキになって一対一の勝負を仕掛ける負けず嫌いなところにも好感が持てる。

 そんなわけで、前半のラツィオは決して悪くなかったのである。櫛の歯が欠けるようにぽろぽろとメンバーが消えていったわりに、スタメンの布陣もけっこう期待の持てる雰囲気だった。

GK セレーニ

オッド ネグロ ディノ・バッジョ ザウリ

マンフレディーニ ダボ リベラーニ セーザル

パンデフ デルガード

 どうよ。2トップの軽さは否めないが、ここにピオホやら下やらムッツィさん(会うと「さん付け」になりがち)やらが入れば、相当なものだ。UEFAカップ出場権を目標にしながらあわよくばCLも狙っちゃおうかなぁというシーズンを送るセリエ中堅クラスのチームとしては、十分すぎるほどのメンバーであろう。そういうチームなんでしょ? 違うの? ともあれ、両サイドのタレントはかなり魅力的だし、ディノ・バッジョのCBというのも悪くない。なんだか安心して見ていられる。何と比較して安心しているのかが問題だが、安心は安心。私が安心ならそれでよろしい。

 試合は前半12分、マンフレディーニのミドルシュートでラツィオが先制。だが私はその瞬間を見ていなかった。ちょうどそのとき、愚妻が足元の鞄に何やら物を入れようとしてかがんでおり、それにつられて私も視線を足元に落としていたのだ。顔を上げたらボールがゴールに入っていた。やれやれ。新幹線に乗って、ホテルに一泊までして、いったい何を見に来たと思っているのだ。ともあれ、その後もセーザルが左サイドを崩しまくってラツィオの攻勢が続く。やがて、その左サイドからのFKをデルガードが頭で合わせて0-2。だはは。なんだよ、おい、やっぱ仙台なんか敵じゃねーんだよ。そりゃそうだよなぁ。こっちはセリエAであっちはJ2だもんなぁ。いやはや。楽勝楽勝。

 そう思えたのが前半だけだったのは言うまでもないのであって、見たことも聞いたこともないプリマベーラの(仙台の連中より給料が安そうな)若者たちが次々と登場した後半は、それはもう、どうしようもないものだった。ぜんぜん攻撃にならん。後半はシュートを撃った記憶がない。しかしいちばんダメだったのは若手ではなく、オッドである。後半は仙台が右から左へ攻めていた関係上、右サイドのオッドは常に私たちの目の前でプレイしていたので余計に目立ったのかもしれないが、ダメだな、あいつ。早くクリアすりゃいいのに気取って抜きにかかりゃボール奪われるし、奪われたら奪われたで取り戻しに行こうとしないでウンザリしてるし、守れば守ったで仙台の西谷とかいう奴にやられまくっておった。2つの失点は、いずれもオッドのサイドを突かれたもの。練習試合とはいえ、後半43分の同点ゴールはダメージ大きかったっす。まわりの観客が仙台ファンばっかりだったため、ひとりで「はよ戻らんかオッド!」などと罵れば罵るほど浮いてしまうのも辛かった。まあ、それなりに面白おかしいゲームではありましたが。ますますラツィオというチームが放っておけない気分になったことだけは間違いない。フロムワンのみなさま、いろいろお世話になってしまい、どうもありがとうございました。




2004.07.21.Wed. 20: 20 p.m.
BGM : RY COODER "CHICKEN SKIN MUSIC"

 私がアマゾンで購入したことがあるのは、本、CD、DVDだけである。「ゲーム」や「ホーム&キッチン」のコーナーには立ち寄ったこともない。しかし、ふと「もしかして」と思って立ち寄ってみたら、やはりアマゾンは私に「ゲームのおすすめ」や「ホーム&キッチンのおすすめ」を紹介してくれていた。「ゲームのおすすめ」の1位は、『Grand Theft Auto III (GTAIII)』(カプコン)だ。「闇社会の犯罪アクションゲーム」であるらしい。当然、「おすすめの理由は?」をクリックしてみた。「この商品が購入または評価されていたからです…」の下に表示されていたのは、CDの『クリムゾンキングの宮殿』だった。なるほど。いや、何の関係があるのかと問われると困るが、まあ、なんとなく、勢いで「なるほど」と頷きたくなる感じである。スキッツォイド君には、闇社会の犯罪がよく似合いそうだ。うっかり犯行現場を目撃して事件に巻き込まれちゃう要領の悪いタイプっていうか。

 一方、おすすめの第2位(2つしかすすめられていないのだが)は、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁 (DQ VIII プレミアム映像ディスク同梱)』(スクウェア・エニックス)というもので、おすすめの理由は、『頭脳警察セカンド』を買ったからだった。いや、まあ、たしかに買ったけどさ。いったい、どういう成り行きで頭脳警察とドラクエが結びつくのか全然わからない。面白いなぁアマゾン。そういえば『頭脳警察セカンド』の評価をし忘れていたので「1」を選ぶと、ドラクエは即座に「おすすめ」から姿を消したのだった。どっちにしろ、よくわからない。

 もっとわからないのは、1つだけ紹介されていた「ホーム&キッチンのおすすめ」である。ゲームはともかく、CDや本やDVDしか買っていない人間に、どんなホーム&キッチンをすすめるのかと思ったら、『Zwilling 鼻毛クリッパー クロームメッキ』だった。『ボボボーボ・ボーボボ』の単行本やDVDを購入または評価したことはないはずなのに、どうして私の鼻毛が伸びやすいことがわかったのだろう。

 そこで「おすすめの理由」を訊ねてみたら、えらいことになっていた。「この商品が購入または評価されていたからです…」の下に、7枚ものロック・アルバムが表示されていたのだ。

Live 2 (CREAM)
Chicken Skin Music (Ry Cooder)
Enigmatic Ocean(Jean-Luc Ponty)
The Velvet Underground (The Velvet Underground)
Fire and Water(Free)
Feels Good to Me (Bill Bruford)
In The Court Of The Crimson King(King Crimson )

 ……またクリムゾンキングだよ。犯罪アクションゲームから鼻毛クリッパーまでカバーするとは、おそるべき影響力である。そう言われてみると、スキッツォイド君ってば、鼻毛処理が完璧だ。

 しかし、それにしても、これらの音楽と鼻毛のあいだに何の関係があるというのか。いまはライ・クーダーの『チキン・スキン・ミュージック』を聴いているが、「鳥肌」と「体毛」には何やら因縁めいたものを感じなくもないものの、べつにこれを聴いたからといって鼻毛を処理したくなるわけではない。したがって、この「おすすめ」は内容的な関連ではなく、これらのアルバムを買った人間の中に、たまたま『Zwilling 鼻毛クリッパー クロームメッキ』を買った人間がいるということなのだろう。私が知りたいのは、その人数である。上記の7枚を一人の人間が購入し、鼻毛クリッパーも買ったということなのだろうか。それとも、7人が7枚のアルバムをそれぞれ購入し、その全員が鼻毛クリッパーを買ったのか。あるいは、クリムゾンとブラフォードとポンティを買ったジャズロック系のAさん、ライ・クーダーとフリーを買ったブルース系のBさん、クリームとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを買った根の暗いCさんの3名が、それぞれ鼻毛クリッパーを買ったということなのか。ちょっと語弊のある部分もあったが、いずれにしても、わりと驚くべきことだと思うのだがどうだろう。さらに驚くべきなのは、私が鼻毛クリッパーの購入を検討し始めているということだ。アマゾンおそるべし。でも、「はさみで切った方がよほどよく切れます」ってレビューに書いてあるしなぁ。どうしよっかなぁ。

 くだらないことを書いていたら時間がなくなったので、仙台ツアー後編はまた後日ということで。どっちにしろ、くだらないことに違いはありませんが。




2004.07.20.Tue. 16: 50 p.m.
BGM : ISRAEL KAMAKAWIWO'OLE "ALONE IN IZ WORLD"

 クラウディオ・ロペスが来なかった仙台スタジアム、でもあった。発表された来日メンバーには入っていたはずなのだが、風の噂に伝え聞いたところによると、ブエノスアイレスで消息不明になっているらしい。早い話がサボっていやがるのである。電話にも出ないというからケシカラン話だ。私だって、〆切に遅れても居留守だけは使わないよう心掛けているというのに。まあ、そりゃあ、電話に出りゃいいってもんじゃないけどもさ。でも、まあいいや。ピッチでサボっているのを見せられるより、ブエノスアイレスでサボっててくれたほうがマシとも言える。それに、ピオホ君は来なかったけど、ホテルのエレベーターでムッツィに接近遭遇できたし。ドキドキしたよなぁ。ドアが開いたら、そこにムッツィおるんやもんなぁ。目が合ってしまったのだが、あまりに意表を突かれた遭遇だったためどうしてよいやらわからず、気づいたときには「ハ〜イ」と挨拶しており、向こうも「ハ〜イ」と返してくれたものの、どうも声のかけ方が間違っていたような気がしてならない。どうして私は「ウェルカム・トゥ・ジャパ〜ン」ぐらいのことが言えないんだろう。ムッツィの語学力は不明だとはいえ、私の話す英語ぐらいは彼だって理解するはずなのに。

 というわけで、日曜の夜から月曜にかけて、一家そろって仙台までラツィオを見に行ってきたのである。夜7時半に仙台着。はじめて新幹線に乗ったセガレはゴキゲンだった。タクシーで20分ほど走り、仙台ロイヤルパークホテルへ。もはや言うまでもないが、エレベーターでムッツィに会ったということは、つまりチームと同じホテルに泊まったということだ。ミーハーなのである。いっぱい来てましたね、日本人ラツィアーレのみなさん。みんなロビーで待ち構えていて、選手が通るやいなやサインやら写真やらをおねだりして群がっていたが、私はミーハーなくせに引っ込み思案なのでどうもそういうことができず、ラウンジでコーヒーを飲みながらそれを遠目に眺めていた。コウトとミハイロがいたら、他人を押しのけて、むしゃぶりついてたかもしれんけどね。そのホテルに泊まれることが決まった時点で、どういうわけか私の頭は「コウトやミハイロに会えるかも(はあと)」という思いで満たされていたので、ちょっとテンション下がり気味だった。こうなると、自分がラツィオというチームに何を期待しているのか、よくわからない。というか、私はサッカーの何を面白がっているのだろうか。

 翌日(19日)は朝食を済ませてから、ホテルの近所を散歩。たいそう現代的なかっちょいい建築物があるので何かと思ったら、宮城県立図書館だった。やたらと無駄なスペースの多い立派な施設である。こどもとしょしつ(子供図書室)でセガレに恐竜の図鑑など見せて時間を潰す。夏休みの自由課題としてオリジナルの恐竜図鑑をこしらえるつもりらしく、熱心に読み耽っていた。グラフィックデザイナーとライターの息子が図鑑を作るとなれば生半可なものでは許されないので、がんばってもらいたいものだ。

 昼頃、地下鉄で仙台駅前へ。駅ビルのS-PAL仙台1Fにあるイベント用広場に行くと、森圭一郎くんが地元FM局の女性DJと打ち合わせをしていた。いや今は「DJ」って言わないのか。「ナビゲーター」っていうの? どっちでもいいが、とにかくそこで12時半から公開生放送が行われ、それに森くんが出演するのである。遠くから手を振る私に気づいた森くんは、とてもビックリした顔をしていた。突然現れてビックリさせようと思っていたので、ビックリさせることができてよかった。オフィシャルサイトに「ライブ」と書いてあったので、何曲か聴けるものと思っていたのだが、30分番組のゲストということで大半の時間はトークに費やされ、生で歌ってくれたのは1曲だけ。でも、久しぶりに彼の力のある歌声を聴けて嬉しかった。ごく日常的な駅ビル内の風景が、彼が歌っている間だけは妙にドラマチックな空間になったように感じられた。放送終了後、ちょっと雑談。サッカーを見に来たという話をしたら、「好きだなぁ」と言われた。はい、好きです。日本縦断ツアーは9月まで続くとのことで、どうか無事に完走してもらいたいと思う。

 仙台駅構内の「牛たん通り」で牛たん定食を食ってから、再び地下鉄で泉中央という駅へ。そこに仙台スタジアムがあるんである。どうでもいいが、仙台駅で地下鉄に乗ろうと思って案内板を見ると、そこには「地下鉄→」としか書いていない。○○線とか××線とかはなくて、ただ「地下鉄」。たぶん地下鉄はその線一本しか走っていないのだろうが、なんだか素っ気ないですね。何か名前をつけようと思わなかったのだろうか。仙台には一つしかなくても、世界には数多くの地下鉄があるんだから、名前はあったほうがいいと思うのだが。地方の地下鉄って、どこもそうなのか? あと、牛たん通りで食べた牛たんは、東京の水道橋にある何とかという有名な牛たん屋に完全に負けている、と思った。不味かったわけではないけれど、まあ、駅で名物なんか食うもんじゃない。

 さて、ベガルタ仙台×ラツィオ(アズーリ仙台キャンプ記念大会2004)である。席は正面スタンドほぼ中央、実況ブースの真下あたりCブロックの10列目39-41番という絶好のポジションであった。トイレでCIRIO時代のラツィオ・ユニに着替え、座席に腰を落ち着けるやいなや、競技場のベンチ付近にいらっしゃった八塚さんを発見。スタンドの柵越しに声をかけ、奇しくも八塚さんと生年月日が同じである愚妻を紹介する。岩本編集長やすずき君には前夜のうちに会っていたので、仙台で挨拶すべき方々への挨拶はこれにて終了。挨拶が済むと安心する。あまりうまくいかなかったのは、ムッツィへの挨拶だけだった。時間がないので以下次号。


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