fukagawa's edogawa diary 04-05 #01. |
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2004.07.17.Sat. 11: 20 a.m.
2004.07.16.Fri. 10: 20 a.m. ともかく熱が出たので、きのうは近所のクリニックへ。診察のついでに、先日の健康診査の結果を聞いた。肝臓も腎臓もコレステロール値も尿酸値も血糖値も、まったく問題がないという。大腸ガンやら肝炎やらの心配もない。心電図も正常。ま、肺はかなり汚れてるけどね。それは仕方のないことです。それ以外には善玉コレステロールとかいうものがやや少ないぐらいで、全体的には健康そのものだ。おそらく2年前に始めた減量が功を奏したのであろう。いまより15キロ多い時期に健診を受けたら、きっと問題だらけだったに違いない。同世代の集まりで不健康自慢ができないのがちょっと寂しいが、まあ、プリン体のことを気にせずビールが飲めるのは何よりだ。いや、しかし、ビールを飲んだら風邪をひいたんだった。健康なのに体が弱い私。健康に太鼓判を押されながらクスリをもらって(買わされて)帰り、きのうは一日、家で寝ていた。熱は下がったので今日は職場に復帰したものの、まだ頭がフラフラする。しかし例によって、それはいつものことのような気がしなくもない。
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1.『Gentle Giant 』GENTLE GIANT といったようなことになっている。で、数日前までこれらのアルバムを抑えて何ヶ月も1位の座にあったのが、いま聞いているジャン=リュック・ポンティ『エニグマティック・オーシャン』であった。「おすすめ」に弱い私だが、これはあまりにもジャケットがつまらないために購買意欲が湧かなかったのである。しかし、値段が下がれば話は別だ。輸入盤ストアの「980円からの廉価盤 ロック・ポップス」コーナーでこれを発見し、すぐに注文した。私は980円にものすごく弱いのである。 聴き始めるやいなや、もっと早く注文するんだった、と思った。完全に私好みの音楽だ。軽快だが軽薄ではなく、カッコいいが思慮深く、スムースだが決してBGMにはならず、ロマンティックだが通俗的ではない音楽。ジャンル的には、まあ、フュージョンと呼んで差し支えないように思われるが、そんなことはともかく、壮大な交響詩を聴いているかのような充足感を味わえる一枚である。いままで、いろいろなアルバムを「すごい」とか「すばらしい」と称賛してきたが、これは別格かも。きのうの発熱は、これを聴いたせいかもしれないと思うぐらいだ。とくにトラック5(ENIGMATIC OCEANという組曲のPART II)におけるポンティ(Vn)、アラン・ホールズワース(g)、ダリル・ステューマー(g)、ALLAN ZAVOD(key)のソロ回しなど、実に鳥肌モノである。ベースのラルフ・アームストロングとドラムのスティーヴ・スミスが叩き出すリズムもシビれちゃいますね。何者だか私は知らないが、この2人が参加している他のアルバムがあったら是非聴いてみたいものである。 それにしても、これほどの傑作のジャケットを証明写真みたいなモノで済ませてしまう神経が私には理解できない。これでは単にポンティというアーティストの人気だけで売ろうとしているように見えてしまう。だから私もなかなか触手が伸びなかったわけだが、しかしこれは決してそういうアルバムではない。タイトルに偽りのない素晴らしくコンセプチュアルな作品なのだから、ジャケットもそれにふさわしいものにしてほしかった。たとえばチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』やイエスの『海洋地形学の物語』やジェネシスの『フォックストロット』のような想像力を刺激するアートワークが施されていたら、もっと圧倒的な存在感を持つ作品になったのではないかと思う。それとも、ジャン=リュック・ポンティの微笑には、ファンにとってかけがえのない価値があるとでも言うのか。もしかして「ポン様」なのか。いや、それを言うなら「ジャン様」のほうが自然か。どっちでもいいが、そんなにありがたくないだろ、これ。ちょっとだけガットゥーゾ入ってるし。
2004.07.14.Wed. 13: 35 p.m. ![]()
2004.07.13.Tue. 11: 00 a.m. そう思いつつ一応ぐぐってみたら、63件もあるから驚くじゃないか。いちばん上は、「ゴースト製作上の質問スレ」と題した掲示板である。そのページに、<すいません、ゴースト作業中にこんなん出るようになったんですけどどうしたらいいでしょう?>という書き込みがあるのだ。おお。もしかして、その「こんなん」とは「困難」のこと、つまり、仕事中にしばしば出てくる、あの逃避願望のことか。そして、この掲示板には、日頃から私を苦しめてやまないあの逃避力の抑制方法が書かれているのか。どうしてもっと早くこの掲示板の存在に気づかなかったのだろう。 さっそく行ってみた。< ゴーストを終了しようとすると正常に終了できず必ずさくらが立ち上がって「・・・は星になりました」と言われるんですが>というのが、「こんなん」の内容であるようだ。さくら? 星になる? いったい何の話をしているのだこれは。たしかに私もゴースト作業を〆切どおり「正常に終了」できないことがあるが、編集者が腹を立てることはあっても、さくらなんか立ち上がらないぞ。 それ以外にも、この掲示板には、<MD5照合に失敗するケースをいくつか挙げてみます>< install.txtの内容は、updates2.dauと違い、自動生成されません>などなど、ワケのわからないことが果てしなく書いてある。私はゴースト作業中にMD5照合なんかしたことがないし、それ以前に「MD5照合」がわからないし、なんであれテキストの内容が自動生成されることなどない。あったらいいなと思わないでもないが、テキストが自動生成されると私が失業するので困る。 面倒臭いのでそれ以上は読まなかったが、どうやらここで語られている「ゴースト作業」は私の仕事とは何の関係もないようだ。しかしGoogleでこれがトップ表示されるということは、世間ではこちらが本来の「ゴースト作業」なのであろう。なんだかわからないが、そういう作業があるのだ世の中には。誤解を避けるためにも、もう、ゴーストライターとしての仕事のことを「ゴースト作業」とか「ゴーストする」とか「ゴースト三昧」とか「やがて哀しきゴースト人生」とか言うのはやめたほうがよさそうである。でも、なんて言えばいいんだろう。と、永遠のテーマに立ち戻ったところで、本日の逃避はおしまい。
2004.07.12.Mon. 14: 35 p.m. それにしても、DVDプレーヤーのある人生はすばらしい。DVDプレーヤーをくれる友達のいる人生もすばらしい。先日は遊びに来たO崎くんが持っていたスペクトラムのラスト・コンサートを堪能できたし、さっそくレッド・ツェッペリンDVDも買った。残り物には福があるというが、本来7350円だったものが、いまアマゾンで買うと4799円だ。ナイス。2500円も儲けたので、次のレッスンのときは師匠の好きな芋焼酎でも買っていくことにしよう。なにしろトータル320分という大作なのでまだ完食しておらず、感想はまた後日。ギリシャ人の空間意識についても、眠いのでまた後日。
2004.07.09.Fri. 10: 40 a.m. さて、アルゼンチンはなぜかソリン(いちおう元ラツィオ)がとても目立っていたのが不思議といえば不思議だったが、私がこの試合でいちばん気になったのはナイキ製のボールである。剣玉の玉みたいな模様だ。たまに模様がきれいに見える方向に(つまり縞模様と平行に)回転することがあり、それが面白くてついボール・ウォッチャーになってしまった。選手も、模様が乱れるのがイヤで、蹴るときに余計な気を遣ったりしないのだろうか。ソリンはそんなことには無頓着だろうが、アジャラあたりは見た目のわりに几帳面で、ヘンな回転になると「ちっ」とか舌打ちしてそうな気がする。どうして私はいつもこうしてどうでもいいことばかり一生懸命に書くのだろうか。 さらにどうでもいい話をするならば、ハーフタイムの「前日のハイライト」で流れるBGMがわりとイイ感じ。映像のノリにはまったくマッチしていないが、気持ちのいい曲だ。誰の何という曲なんだろうか。途中、1小節おきに何度もくり返される女性ボーカルのフレーズが「アレやめて」と空耳されるのが、失点したGKの愚痴のように聞こえて可笑しい。コパ・アメリカまで見ている暇がないという人も、「前日のハイライト」のコーナーは必見(必聴)です。
![]() きのうから、SD選書 19『芸術空間の系譜』(高階秀爾/鹿島出版会)という本を読み始めた。美大出の人間と一緒に暮らしていると、こういう決して自分では買わないであろう本が家にあったりするのがおもしろい。ものすごく古い本なのでアマゾンにはないだろうと思ったが意外にあるんですね。 ルイ14世が自分の横顔を描いた肖像画を中国の皇帝に贈ったところ、受け取った中国の皇帝が「気の毒に、フランスの王様は顔が半分しかない」と語ったという、いかにも私が好きそうな逸話が冒頭で紹介されており、これでつい引き込まれた。本はツカミが大切だ。著者の高階(たかしな、と読む)によれば、中国の皇帝は<人間の顔というものは、眼がふたつあって中央に鼻があり、その下に口がついているものだということ知って(※原典では傍点)おり、横顔という表現は、その「知っていること」と対応しないから吃驚した>のであり、<その皇帝にとっては、絵とは「眼に見えたもの」を再現するものではなく、「知っていること」を表現するものだった>わけで、<「頭で知っていること」を描きながら、それを「眼に見えるもの」と同一だと思いこんでいるところに、人間の知覚作用の面白い一面があると言える>のだという。使える話だ。何にって、ゴーストで書く原稿にだ。今後、たとえばメディアリテラシーをめぐる言説の中にこの逸話が挿入されている本があったら、それは私がゴーストした可能性が高い。 というわけで、芸術作品における人間の空間意識の有り様を考察しようという試みはそれだけで面白そうなのであるが、さらに興味をひかれたのは、序章の次に取り上げられているのが「ギリシャ人の空間意識」だからなのだった。じつに旬な話題である。今ほどギリシャ人の空間意識が注目されたことが、かつてあっただろうか。はたしてギリシャ彫刻にとって「空間」とは何か。あの密着マンツーマン作戦は、ギリシャ人本来の空間意識に基づくものだったのか否か。彼らは「ゾーン」というものをどう意識しているのか。これから読むので、真相は来週あたりに明らかになる……かもしれない。
2004.07.08.Thu. 16: 20 p.m. あんまり暑いので、短パン姿で打ち合わせに出かけてみた。せめて襟ぐらいはあったほうがよかろうと思ってTシャツはやめ、タオル地のポロシャツみたいなものを着たものの、リゾート風味であることは間違いない。年間平均1.7回ぐらいしかネクタイを着用しないフリーランスの私だが、そんな格好で打ち合わせに行くのは初めてのチャレンジである。 行き先は、まず半蔵門のTOKYO-FMだ。お堀端にある立派なビルの受付で名を名乗り、担当の女性編集者が9階から降りてくるまで、ロビーのテーブルで待った。ラジオ局だから軽薄な格好の若いスタッフがうろうろしていて目立たないだろうと思っていたのだが、そのロビーでは完全無欠のネクタイおじさんたちが何人も打ち合わせをしていた。私もおじさんだが、私よりもおじさんだという意味でのおじさんだ。みんな、ワイシャツがべったりと肌に張りついている。申し訳ない、と思った。よく意味がわからないが謝りたい気分になった。 これから執筆する単行本に関する打ち合わせを済ませて、六本木一丁目の泉ガーデンタワーへ。前にも書いたとおり、フロムワンのある泉ガーデンタワーは人に恥をかかせるビルだが、今回は別に恥ずかしくなかった。むしろ面白かった。どこかの部屋で『ウォール街』のマイケル・ダグラスが部下を怒鳴り散らしていそうなオフィスビルの中を短パン姿で歩くのは、わりと愉快だ。元サカYさんにツェッペリンのビデオを返し、現サカすずぎ君からPFMのCDを受け取った後(サッカー雑誌の編集部に何をしに行ってるんだ私は)、岩本編集長&すずき君とランチ。MAKOという立派なレストランに連れて行かれた。ごめんなさい、と思った。片隅で『めぐり逢えたら』のメグ・ライアンが食事をしていそうなレストランに短パン姿で入るのは、わりと申し訳ない感じ。暑いときに涼しい格好をするのはきわめて合理的だが、世の中は合理的ならいいというものではないのかもしれない。ネクタイやジャケットが成立させる秩序というものも、世の中にはある。人間はリアリズムだけで生きてはいけないのではないか。そこにロマンはあるのか。と、そんな大袈裟なテーマが頭の中に渦巻いたのは、単に暑かったからだと思う。ごちそうさまでした。
2004.07.07.Wed. 13: 50 p.m.
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で、その本に書かれたクラプトンの半生などを読んで私が抱いた先入観はどんなものであったかというと、「この人はひょっとすると大変ダメな人なのではないか」というものだった。どういう経緯かよくわからないのでアレだが、とりあえず、親友(ジョージ・ハリスン)の奥さんを横取りする(おまけにその妹とも関係を持つ)というのは、かなりダメでしょう。ダメだよ、そんなことしちゃ。しかし、周囲がそれを許してしまうのがクラプトンの凄いところである。いや、まあ、許したのかどうかはよく知らないが、おそらく、「なんかもう、しょうがないよな」「なにしろエリックだもんな」「そうそう。だってスローハンドに見えるぐらい手が早いんだぜ」といったような案配だったのであろう。尊敬に値するほどのダメさ加減。どこぞの火遊び好きなギタリストとはダメの破壊力が違う。しかし、ならば彼に「無頼派」的な逞しいイメージがあるかというとそうではない。むしろ周囲に頼って支えて貰っているような感じ。たとえばドラッグやら酒やらでズタボロになっていたときも、仲間がコンサートを開いたりなんかして一生懸命に立ち直らせようとしていたらしい。甘え体質の私には、彼が天性の甘え上手であるように感じられてならない。ダメなのに凄い人なのだ。 そういう先入観を持って音を聴くと、バンドの一員としてのクラプトンとソロアルバムにおけるクラプトンには、ずいぶん差があるように感じられるのだった。ちなみに、これまで聴いたクラプトンがらみのアルバムの中で、私がもっとも気に入ったのは、いま聴いているデレク&ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』である。「下馬評どおり」という感じで意外性もへったくれもない話だが、しかし良いものは良い。ロックを聴き始めてヨカッタと心から思うのは、こういう、プレイヤーたちの異様な集中力を感じさせる作品に出会ったときだ。もしジミー・ペイジに出会う前にこれを聴いていたら、アメリカの民主党副大統領候補(彼もサザン系といえばサザン系のようだが)と同じ名前を持つレスポール(のコピーモデル)ではなく、このアルバムの裏ジャケに映っているドミノまみれのストラトと同じデザインの楽器を買っていたかもしれないと思うぐらいである。ロック音痴だった私もさすがに名曲『いとしのレイラ』ぐらいは知っていたが、このアルバムのこの場所(14曲中の13曲目)に入っている『Layla』を聴くと、すでに手垢がついているように感じられていたこの曲が、従来の何十倍も輝きを増す。「従来の」って、本来はこれが最初なんですけどね。ともかく、きわめて情の深いエキサイティングな作品だ。また、クリームもすごく面白い。こちらは実にスリリングな音楽だと感じた。音も曲も演奏も、なんというか、聴く者の神経を心地よくザワつかせるのである。 ところがソロアルバムになると、途端にエキサイティングでもスリリングでもなくなってしまうのがクラプトンだ。別の言い方をすると、ドミノスやクリームはまったくもってBGMに適さないが、ソロのクラプトンは容易にBGMになる。とはいえ、それが悪いと言いたいわけではない。ソロアルバムにも良い曲は山ほどあるし、たとえば80年代に録音された『マネー・アンド・シガレッツ』というスムースなアルバムが私はかなり好きで、何度も聴いている。要は、その二面性が面白いという話である。エリック・クラプトンという人は、本当のところ、何がしたい人なのだろうか。本当にそんなにブルースが好きなのか。実は本人も、そのあたりがイマイチわかってないのではないか。自分探しの旅なのかそれは。まさかそんなことはないだろうと思いつつ、そんなふうに言ってみたくなる。甘え上手な彼は、バンドの一員として他のメンバーを頼ることのできる環境を得たときに、自分でも気づかなかったポテンシャルを目一杯に引き出されるのかもしれない。
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fukagawa's edogawa diary 04-05 #01. |