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GUITAR MAN
(J.J.CALE)








果敢に飛び出すGK江戸川。


2004.11.04.Thu. 10: 30 a.m.
BGM : J.J.CALE "GUITAR MAN"


 両脚が筋肉痛でえらいことになっているのは、きのうサッカーをしたからだった。久我山イレブンFCの親子レクリエーション大会で2試合+リレー(校庭のトラック1周×15人ぐらい)に出場したのである。サッカーはサラリーマン時代に社内で結成された「ギプス」というふざけた名前のチームでプレイして以来だから、15年ぶりぐらいだろうか。

 2試合といっても出場時間はトータル15〜20分程度で、どちらも序盤に全力を振り絞るやいなや「もうできませ〜ん」と自ら交替を申し出たわけだが、とにかくサッカーはチェスとは違うということがよくわかりました。「ここに走り込んでラストパスをもらえばチェックメイト」と頭ではわかっていても、脚が動かなけりゃシュートも撃てないんだよ。なんとかその位置までは走ったとしても、その時点で脚が終わってるんだよ。フトモモが脳の命令を無視するんだよ。驚いたよ。自分の目の前をボールがコロコロと通過していくのをゼエゼエ言いながら見ているしかないんだよ。悔しかったよ。悲しかったよ。自陣からゴール前まで50メートルも全力疾走したあとにクロス上げたりシュート撃ったりできるサッカー選手って凄いと思うよ。たとえそれがパンカロであったとしてもだよ。まあ、そんなことで尊敬するのは、「毎日1時間も満員電車に乗れる会社員は凄い!」とか「J・J・ケールの左手の小指が薬指と平行に伸びてるのって凄い!」と感心するのと同じぐらい失礼な話だけどね。でもフィジカルが大切。

 しかしまあ、リレーで約120メートルを完走できて「オレもまだまだやれるな」と自信を深めることができたし、サッカーはたのしかった。放ったシュートは一本。ゴール正面でDFを背負いながら振り向きざまに左足をサラスのように振り抜いたのだが、ボールは惜しくもクロスバーをかすめていった。ウソです。かすめてません。2メートルぐらい上でした。でも右足なら決まったはずだ。GKとしても好守を連発しちゃったよな。敵のFWと一対一になったときの飛び出し&クリア(左の写真)なんて、そりゃあ大した勇気だったよ。あそこ(ペナルティエリアの角)はGKがいちばん判断に迷う位置なんだよね。いやー、好判断好判断。相手が怪我を恐れて避けてくれたという説もありますが。そういえばヘディングもした。久しぶりにヘディングをしてみると、「頭でモノを動かす」がものすごく非日常的な行為だということがわかる。足は玄関で靴を引き寄せたり扇風機のスイッチを操作したりするのに使うことがあるが、頭を物理的に使うことってあんまりない。頭を物理的に使うとストレスが発散できるということを学んだ。スポーツってすばらしい。

 火曜日の晩にビデオ観戦したインテル×ラツィオ(セリエ第9節)は1-1のドロー。どんなにメンバーが揃っていてもミランにだけは勝てる気がしないが、どんなにメンバーが不揃いでもインテルにだけは負ける気がしないのがラツィオファンというものなので決して意外な結果ではないのだが、さすがに終盤に決まったタラモンティ君の同点ゴールには感激した。名前もちょっと美味しそうだし、タラモンティ君の将来に期待することにしよう。コウトとミハイロが両方のゴール前にいるのに1点ずつしか入らなかったのが、不思議といえば不思議だった。

 ゆうべは、サッカーで疲れた肉体に鞭を打って自宅で仕事をしつつ、バルセロナ×ミラン(CL第4節)CSKAモスクワ×チェルシー(CL第4節)を横目でビデオ観戦。ブラジル人アタッカーが明暗を分けた2試合だった。85分ぐらいにかっこよすぎる勝ち越しゴールを決めて「バルサの星」をつかんだロナウジーニョに対して、CSKAのLOVEという選手は同点PKをベッカムキックで大失敗。おかげでチェルシーが0-1の勝利を収め、1次リーグ勝ち抜けを決めたわけだが、失敗してもチームメイトが誰ひとりとして慰めに来てくれないラヴちゃんがとても気の毒だった。モスクワの寒気に震えながら茫然と立ちすくむ孤独なラヴちゃん。そこに愛はあるのか。  







ギル・エヴァンスの個性と発展
(GIL EVANS)


2004.11.02.Tue. 9: 10 a.m.
BGM : GIL EVANS "INDIVIDUALISM OF GIL EVANS"


 きのうリンクを貼ってから、そういやあんまりじっくり眺めたことなかったよなぁと思ってムンクの「叫び」をしげしげと観察していたら、それもまた騙し絵に見えてくるのだから愉しくて仕方がない。いちばん上の赤い空のところが全体的に「顔」に見えるのは私だけですか。うまく説明できないが、口が端から端まで裂けていて、横にべろ〜んと広がった悪魔のように邪悪な顔である(ヴェロンの顔が邪悪だとは言っていない)。あるいは踏み潰された断末魔の蛙。きっとムンクの無意識が描かせたに違いない。『ムンクの叫びは騙し絵だった!』というタイトルで新書の一冊ぐらいは書けそうな気がする。とってもエキサイティングなトンデモ本になりそう。

 きのう『ディヴィジョン・ベル』のジャケットを眺めているうちにタイトルつながりで思い出し、「あれはどんなジャケットだっけ?」と取り出してみたのが『ギル・エヴァンスの個性と発展』だ。ものすごく久しぶりに聴いて感動しているが、ジャケットイメージを拡大はこっちも何やら意味ありげなオブジェだった。こんなモノでも「顔と胴体」に見えたりするのがわれわれの目(脳)というものである。これを岡本太郎がつくると太陽の塔になるわけですね、きっと。「個性と発展」というより、むしろ「孤独と不自由」を表現しているように感じられるが、実はギル・エヴァンスがゴルフのコンペでもらった二束三文のトロフィーかもしれないので、あんまりわかったようなことは言わないほうがよろしい。ロックとジャズのアルバムを飾る二つの彫刻作品を見比べながら、「個人」とは本当に「インディヴィジュアル」なものなのだろうか、「孤独」のほうはどうか、などということを考えているヒマはない火曜日の朝である。

 やけにアクセス数が多いのは週末にインテル×ラツィオ戦が開催されたことと関係があるような気がしているが、私はまだその試合を見ていない。結果も知らない。何かおもしろいことでもあったんだろうか、などとソワソワしているヒマはない火曜日の朝である。ちなみに、きのうの晩あたりからレイアウトが微妙に変わったように見えるのは錯覚ではありません。そんなことしてるヒマもないはずなのだが。  







THE DIVISION BELL
(PINK FLOYD)


2004.11.01.Mon. 14: 40 p.m.
BGM : PINK FLOYD "THE DIVISION BELL"


 本日の錯覚ジャケットは、ピンク・フロイドの『ディヴィジョン・ベル』である。私にとってはもっともピンク・フロイドらしく感じられるお気に入りアルバムの一つなのだが、中身のことはこの際どうでもよろしい。このジャケット写真をじっくり眺めているとアラ不思議、あの有名なルビンの壺と同様、顔と顔のあいだが花瓶に見えてくるという人は、相当ムリして錯覚してるだろおまえは。調子合わせてウソつくなっつーの。花瓶に見えないっつーの。この場合はそうじゃなくて、一人の顔にも二人の顔にも見えるってえのがミソなので錯覚しないように。いや錯覚はしていいが、正しく錯覚しなさい。正しい錯覚って、いいんだか悪いんだかよくわからんが。

 でも本当はそれ以前に、こんなカタチをした金属製の物体が人間の顔に見えること自体が錯覚だと思うけどね。だって、こんな人はいません。ムンクの「叫び」だって、あんな顔の人は本当はいないと思う。ひっくり返したら、ちょっと傷んだラッキョウみたいだし。もっとも、自動車や新幹線のフロントだって顔に見えるんだから、顔のつもりで作ったアートが顔に見えるのは当たり前ですが。人間は、あらゆるモノに顔を探すのだった。だから心霊写真もできるわけですね。という陳腐な結論で、今日はおしまい。







JAZZ
(QUEEN)


2004.10.31.Sun. 15: 20 p.m.
BGM : QUEEN "JAZZ"


 ♪ なーらんだ、なーらんだ、赤白と青。

 というわけで、ゆうべは、いつの間にか開催されていたラツィオ×メッシーナ(セリエ第8節)をビデオ観戦したのち、ウェストブロムウィッチ×チェルシー(プレミア第10節)をライブ観戦。どちらも快勝で、たいへん機嫌がよろしい。とくにチェルシーは2試合連続の4得点である。ランパードの決定力も回復して、エンジン全開の予感。

 さて、『ジャズ』のジャケットは同心円でしょうか渦巻きでしょうか。かなり微妙なところで、そもそも中央の輪が「円盤」に見えること自体が錯覚なわけだが、少なくとも私にはジャズには聞こえない。もしかしたらトリック音楽なのかもしれない。







BLUE
(JONI MITCHELL)





 吉永小百合の部屋。


2004.10.30.Sat. 13: 55 p.m.
BGM : JONI MITCHELL "BLUE"


 あらゆる画像が騙し絵に見えなくもない今日この頃である。ジョニ・ミッチェル『ブルー』のジャケットも、どことなく怪しい雰囲気が漂っている。たとえば「婦人と老婆」の場合、先に婦人が見えた者にとっては耳や赤いネックレス(?)がポイントで、それが不自然だと思った瞬間にやおら老婆にバケラッタしてビックリしたりするわけだが、このジョニ・ミッチェルは向かって左側の頬のコケ具合がそれに当たるのではないか。ここが「騙し」のキモなのだ。ためしに、この頬の影を「目」だと思って眺めてもらいたい。するとアラ不思議、顔の下半分に研ナオコ、いや宇宙人が出現するのだった。騙し絵というより、むしろ心霊写真の発想ですが。こわい。

 ゆうべは19時より、麻布十番のラッキー酒場で座談会の取材。会場は二階の「吉永小百合の部屋」。左の写真はボケボケで話にならないが、そこに吉永小百合はおらず、壁には吉永小百合主演映画の古いポスターや昭和30年代のものと思しき古いラジオなどがあしらわれていた。そんなような店。

 BGMにザ・ピーナッツの歌などが流れるなか、さんざん飲み食い話して、終わったのは深夜1時。詳細はここで書くわけにいかないが、4人の天才・奇才による丁々発止の座談は、抱腹絶倒阿鼻叫喚支離滅裂酒池肉林のデンジャラスでエキサイティングでスキャンダラスでインテリジェンスに溢れたものだった。座談会の取材というより、なんちゅうか、ロックと格闘技と漫才と前衛演劇を融合させたステージを最前列で観たような気分。終わったときには、テーブルに置いてあった収録用のテレコが、酒やら食べ物の油やらでベトベトになっていた。座談会なのにどうしてそういうことになるのか、よくわからない。長くこの仕事をしているが、あんなにデタラメで刺激的な座談会は初めてだ。人生観のフレームがぐにゃりと音を立てて歪むぐらいの衝撃を受けた。どういうことかは12月発売の『わしズム』13号を見てくださいとしか言えないが、あれを原稿でどこまで再現できるか(再現していいのかどうか)あまり自信がない。ライターにとって腕の鳴る仕事ではあるけれど。







SONGS IN THE KEY OF LIFE
(STEVIE WONDER)


2004.10.29.Fri. 10: 30 a.m.
BGM : STEVIE WONDER " SONGS IN THE KEY OF LIFE"


 まだ半信半疑なのだが、静電スリッパを買って以降、それを履いているときにはビリビリパチパチが発生していない。完璧に条件を揃えて使用時と不使用時の比較をするのは不可能なので、それが静電スリッパのおかげなのかどうかは証明できないわけだが、きのうも履いていないとき(マンションのエレベーター)はビリッと来たから、それなりに世の中は乾燥しているのだろう。でも、室内では大丈夫。本当に効いているんだろうか、静電スリッパ。まさかプラシーボ効果ってことはないよなぁ。気の持ちようで静電気なんか制御できないもんなぁ。

 プラシーボ効果と関係あるような無いような話だが、きのう「婦人と老婆」の絵を見つけてリンクを貼って以降、それを紹介しているILLUSION FORUMというサイトが面白くて、ずいぶん時間を無駄にしてしまった。主に「錯視−視覚の錯覚」のコーナーを探索。なかでも私がいちばん驚いたのは、イギリスの心理学者フレイザーが1908年に考案したという「渦巻き」だ。これは知らなかった。錯視図形のなかには、目を細めたりすれば正しく見えるものも少なくないが、これはどうやって眺めても渦巻きに見える。指でなぞらないかぎり、それが同心円だと信じることができない。

 ということは、だ。私がこれまで渦巻きだと思っていたモノのなかにも、実は同心円があったのではないか。蚊取り線香は同心円だとバラバラになってしまうので心配ないが、怪しいのは銀河系だ。なにしろ宇宙は無重力だから、同心円だったとしてもバラバラになることがない。いくら眺めても渦巻きに見えるが、私は信じないぞ。ちなみに『キー・オブ・ライフ』のジャケットは同心円ではないが、渦巻きでもありませんでした。いや、それも錯覚か。何も信じることができない。ヤな世の中である。







WIND & WUTHERING (GENESIS)


2004.10.28.Thu. 14: 20 p.m.
BGM : GENESIS "WIND & WUTHERING"


 本日二度目。どこかで『ゼクシィ』を立ち読みした愚妻の報告によれば、結婚式でゲストが「ケチられた」と感じるものランキングの第1位は「愛」ではなく、「ドリンク」だったそうだ。あんだよつまんねーな。料理(第2位)の一部だろそれ。まあ、意外といえば意外だけどね。そんなに大事かドリンクって。それに、飲み物が質的にも量的にも足りない披露宴なんて経験したことないぞ私は。いったい何が不満なんだゲストども。何をどれだけ飲めば気が済むっていうんだ。おまえらは鯨か。だいたい、そんなこと言ってる奴らにかぎって祝儀ケチってんじゃないのか? というか、自分の妻が『ゼクシィ』立ち読みしてるのってどうなんだそれは。



11: 10 a.m.


 助かって本当によかった。
 もちろん、助かってよかったと思わない命はないけれど。
 助からなくていい命もないけれど。
 どちらも日本人の命。どちらも日本人の息子の命。
 一生懸命、自分にそう言い聞かせている。

 ゆうべ、資料として数ヶ月前の朝日新聞に掲載されたあるコラムが必要になり、しかし手元にもアサヒ・コムにも残っていないので、23時半頃、朝日新聞勤務の友人に入手可能かどうかメールで問い合わせた。二〜三日中に対応してもらえばいい話で、相手は記者ではないのでとっくに帰宅しているだろうと思っていたら、30分後にはそのコラムをペーストした返信が届くんだから実にありがたい。みんな、遅くまで仕事してるんだなぁ。自分だけじゃないと思うとモチベーションが高まり、重ねてありがたかった。ありがたすぎて、そのコラムを原稿の中でどう扱うのか言えませんでしたが。言うのが筋だったんだろうか。言ったら送ってくれただろうか。

 一方、私のコラムにはまたシギーからダメ出し。そんな私が他人様のコラムにダメ出しをするなど天に唾するようなものだが、もう慣れたし、シギーのダメ出しを受けて書き直すと必ず原稿が良くなるので、ある意味たのしみになってきたようなところもないではない。シギー依存度の高い人生。そんなことばかり言っている。しかし、原稿は良くなっても人気が高まらないのが問題。無論それは担当編集者のせいではない。

 ジェネシスが好きかと問われたら、そのときの気分によるとしか答えようがない。「落ち込んだときに聴くと癒されます」とか「嬉しいことがあったときに一人でシミジミ聴きたい一枚」とかそういう類のTPO別オススメ系レビューは好きじゃないし、そういう聴き方もあまりしていないつもりだが、どうもジェネシスにかぎっては、そこに滲み出ている世界観のようなものを素直に受け入れられるときと受け入れられないときがある。世界観といったって私の場合は英語の歌詞を解さないのでアレだが、同じアルバムを聴いていても、前向きな幸福感を共有できるときと、その脳天気さにウンザリするときがあるのだった。若い婦人にも老婆にも見える騙し絵みたいなバンドだ。ちなみに今日は心地よく聴いている。5曲目の「All In A Mouse's Night」なんか、ダメなときは内心で「ケッ」とか吐き捨てながらCDを止めることもあるぐらいだが、今日は大丈夫。だからといって、機嫌がいいわけでもないのだが。悪いわけでもありません。

 




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