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| #18 | TOP | BACKNUMBER | FUKAGAWA | B.I.P. | GUEST BOOK | #20 |
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1.Tin Angel |
2005.02.05.Sat. 14: 10 p.m. BGM : JONI MITCHELL "CLOUDS(青春の光と影)"
3月執筆予定の本の口述作業が、きのうで終了。全5回、計10時間。当初の目次案どおりの流れで、著者が事前にしっかり準備してきた内容を、淀みも破綻もなく話してくれた。口述の模範のような口述。世の中には、何の準備もなしに口述現場に現れ、「さて今日は何を話せばいいですか。どうぞ質問してください」などという自発性の希薄な著者も少なくないので、とても感心させられた。 著書は雑誌のインタビュー記事とは違うのだから、「問わず語り」が本来のあり方だろうと私は思う。つまり著者が自らアクションを起こすべきであって、編集者やライターの問いに対するリアクションで作るものではない。だって自分で書いていたら誰も質問なんかしてくれないんだから。例外もある(実用書や自伝などはそうかもしれない)が、基本的には、他人の「知りたいこと」を語った本より、自分の「言いたいこと」を語った本のほうが面白いのは当然だ。とくに編集者やライターが読者を代表して投げかける質問なんてものはオリジナリティに欠ける傾向があるから、そこを起点にして話を始めると、どんどん予定調和の方向(「結局すべて役人が悪いんですよね」とか「やっぱり日本人の島国根性を何とかしないと」とか「若者が夢を持てる社会に」みたいな方向)へ進んでしまうのである。
だから私が口述作業中に著者に投げかける質問は、自分の「知りたいこと」を教えてもらうためのものではなく、相手の「言いたいこと」をより深く理解するためのものであることが多い。と思う。そこが、相手の「言いたくないこと」を聞き出すことが多いジャーナリストの取材と、根本的に違うところなんじゃないだろうか。もちろん私も、せっかくさまざまな分野の専門家に会うのだからと思って、自分の好奇心や知識欲を満たすための質問をすることもあるし、持論をぶつけて反応を見たりすることもないわけじゃない。でも、それはあくまでも「余談」であって、原稿で使うことはほとんどない。と思う。だから何だというわけではないが、まあ、そんなような仕事。
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1.Carry On |
2005.02.04.Fri. 9: 45 a.m. BGM : Crosby, Stills, Nash & Young "DEJA VU"
さらにどうでもいい話をすれば、このアルバムもジャケットがザ・バンドのセカンドに似ている。タイトルどおりの既視感だ。流行ってたのか? あと、前に「サザンロックの人は集合写真が好き」と書いたことがあるが、どうやら西海岸の人も集合写真は嫌いではないようだ。ジェファーソン・エアプレインも集合写真だったし。でもCSN&Yは4人組なのに、『デジャ・ヴ』のジャケットには6人(と1匹)写っているのが不思議だ。後から「N」を追いかけて加入した人がいるのかもしれない。どれがファバッリとミハイロビッチなんだろうか。いや、あいつらが追いかけたのは「N」じゃなくて「M」か。
ゆうべは、ブラックバーン×チェルシー(プレミア第22週)を副音声でビデオ観戦。キックオフから5分も経たぬうちに、ランパードからのロングパスを受けたロッベンが左サイドでドリブルを開始、一発の切り返しでマーカーを振り切り、角度のないところからシュートを決めて、チェルシーが先制である。サッカーって簡単だ。あっさり脇の下を抜かれたブラックバーンのGKにも問題があったような気がするが、左利きのロッベンの右足を止めに行ってしまったディフェンダーにも問題がありましたね。そっちは放っといても大丈夫だと思うぞ。
前半32分頃、フェレイラがサヴェージを倒してペナルティ。それ以外にも空振りやクリアミスを連発するなど、この日のフェレイラはツイていなかった。だが、ブラックバーンとユナイテッドとアーセナルのファンが祈りを込めて見ていたであろうPKは、GKツェフ(だからなんでチェフじゃねぇんだよ)がバタンと倒れただけでセーブ。手足が長いのって得だ。その後はテレビの前で居眠りしてしまったのでほとんど見ていないが、どうやら見所は以上の2点だけだったようで、そのまま0-1。足を痛めて途中で引っ込んだロッベンのことが心配だ。
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1. Born Under A Bad Sign |
2005.02.03.Thu. 10: 45 a.m. BGM : RITA COOLIDGE "GREATEST HITS"
ゆうべは3試合を観戦。1日に3試合も観たのは久しぶりのような気がする。1試合目よりも2試合目、2試合目よりも3試合目と、だんだんプレイのスピードが増していくのがおかしかった。愚妻に言わせれば、3試合目と比べたら1試合目は「初心者がつっかえつっかえ弾いてるピアノを聴いてるみたい」な感じ。なるほど、うまいこと言う。 で、最初にライブで観たのは、日本×シリア(キリンチャレンジカップ2005)である。3-0で勝利。べつにこの試合に限ったことではないが、どうして日本の選手たちはわれわれ観戦者が「ここでクロスを上げろ!」「そこでシュートを撃て!」と念じた瞬間にクロスを上げたりシュートを撃ったりしないのであろうか。それが「つっかえつっかえ」の正体で、キメのフレーズが半拍遅れたときのようなズッコケ感が常につきまとうのである。要するに、見ていてリズムに乗れない。だからイライラする。スパッとキメろよスパッと。とくに三都主。私は彼のサッカー観とリズム感がどうしても好きになれない。なんでそんなにしょっちゅう立ち止まるんだ? なんでドリブルで抜けもしないのに足下にパスを欲しがるんだ? いつまで自分のことをブラジル人だと思ってるつもりだ? そして、TBSの実況アナはどうして解説者にどうでもいい質問ばかりするんだ?
2試合目は、「MUTV」で放送されたマンチェスターU×チェルシー(カーリングカップ準決勝第2戦)。結果はとっくの昔に知っていて、「ファーガソンの吠え面が見てー」と思っていたのだが、それをユナイテッドの応援番組で見せてくれるんだからありがたい。前半、ロッベンのスルーパスを左サイドで受けたドログバが中央に折り返すと、いつの間にかゴール前に顔を出していたランパードが左足でゲット。チェルシー先制。リプレイを見ると、ロッベンにボールを預けるやいなや猛然と駆け上がっていたようだが、最初はどこからランパードが現れたのかさっぱりわからず、とても不思議な気分だった。 後半、ギグスの器用なループシュートが決まって1-1。とくに腹が立つこともなく、「いやあ、ギグスうまいなぁ」と敵を称賛する心のゆとりが持てるのだから、結果を知ってから観るのも悪くない。それ以降、「ここでグジョンセンが決めるのか」「このCKでまたテリーの頭か」などと言いながら余裕の観戦。なかなか入らないので「ホントに勝ったのか?」と不安にならないでもなかったが、あれは82分頃だったか、右サイドからダフが蹴ったFKが(シュートではなかったにもかかわらず)敵味方の誰にも触られることなくポテチ〜ンとゴールインしたのだった。サッカーのゴールって、ほんとうに、ときどき物凄く簡単だ。agg.1-2でチェルシーが決勝進出。「準決勝では負けたことがない」という意味があるのか無いのかよくわからない記録がストップしたファーガソンが、試合後のインタビューで「2点目はまぐれだ」と不機嫌そうに話していたのが面白かった。モウリーニョはファーガソンに3連勝。
3試合目は、アーセナル×マンチェスターU(プレミア第22週)。この時期のこのカードが「首位攻防戦」ではないというこの喜びを、何と表現したらいいだろう。ここ数年、ずーっとコイツらに悔しい思いをさせられてきたからなぁ。うひひ。んで、「どやどや。おまいら、どんだけやれんねん」と高みの見物を決め込んでいたのだが、いざ試合が始まると、やっぱりコイツらはすげえやと怖くなった。「これがプレミアだぜベイベ」と言わんばかりの猛スピード。日本代表と同じ競技をやっているとは思えないのはもちろん、チェルシーの試合でもこんなハイテンションは観たことがない。だからチェルシーが結果を出しているという面もありそうな気はするが、この2チームよりもチェルシーが上にいるということが信じられなくなるような感じではあった。久々に見たベルカンプの「爪先トラップ」にも溜め息。年に一度アレを世界のサッカーファンに披露するだけでも、現役を続行する価値があるのではなかろうか。 試合は、ヴィエラ、ギグス、ベルカンプで前半2-1。この試合も最終的なスコアは観る前に知っていたので「はて?」と怪訝に思ったのだが、実際に後半を観ても、なんでそんなことになったのかよくわからない。アーセナル好きの師匠によればローレンが悪かったようだから、きっとローレンが悪かったのだろう。あれはロナウドの同点ゴールだったか勝ち越しゴールだったか、GKアルミニウムが飛び出しすぎて失点したシーンも印象的だったが、じゃあレーマンならどうだったかと考えると、どうにもなっていないような気がしなくもない。っていうか、アルミニウムじゃありません。そんな人はいません。何だっけ。アルメニアでもないよな。もちろんアルディメオラでもないぞ。
ともあれロナウドの2ゴールもあって、2-4でユナイテッドの勝ち。天敵アシュリー・コールとの対決を嫌ってギグスとのポジションチェンジをくり返していたロナウドの作戦勝ちか。ギグスもものすごくキレていた。なんにしろ、これでユナイテッドが2位浮上。今後も、CLストレートインの座をかけてシノギを削っててください。……などと勝ち誇っているが、今朝のチェルシー(ブラックバーン戦)は大丈夫だったんだろうか。これは夜まで結果を見ないでおこう。
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脱獄 |
2005.02.02.Wed. 10: 50 a.m. BGM : THIN LIZZY "JAILBREAK"
規則制定の「狙い」は、「社員の喫煙をゼロにすることで、企業や社会が長期的に負担する医療コストを減らす」ことだという。「周囲の人への迷惑も考えてほしい」とか「ポイ捨ては美観を損ねる」とかいった純朴な理由で昨今の禁煙ムーブメントに同調している人は、こういうところにも着目したほうがよい。やはり、結局はカネなのだ。喫煙は本人の健康を損ねるからダメなのではなく、「医療費を無駄遣いするからケシカラン」なのである。人の健康はその人を幸福にするから善なのではなく、社会的コストを軽減させるから善なのである。仮に「いくらか寿命を延ばすより喫煙するほうが幸せ」という者がいたとしても、そういう個人の自由意思による選択は「公共の福祉」の名の下に許されないのである。喫煙者というマイノリティに、幸福追求権は無いのである。 ハイライトのパッケージに書かれた「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」という注意文言も、本来は「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めた結果、社会にとって医療費負担増の危険性を高めるんだぞこの野郎」と読むべきなのだろう。そうかよ悪かったな。だけどそれって、「姥捨て」の発想と本質的にどう違うんだ?
それにしても「ろくむし」である。いきなり何を言い出すんだおまえはという話だが、某所で懐かしい文言を見て、私たちはこの素晴らしい校庭文化のことを忘れすぎてはいないかと反省したのだった。ろくむし。小学生時代、ほとんど毎日のようにプレイしていた時期がある。ちなみに私たちは「さんむしはん」や「ごむしはん」を略して「さんむはん」「ごむはん」と言っていた。「冬ソナ」ほども短くなっていない。久しぶりにプレイしてみたいなぁ、ろくむし。でも四十を過ぎたらろくむしはキツイから、さんむしかよんむしぐらいにしといたほうがいいかもなぁ。などと言っていても知らない人にはチンプンカンプンであろうし、実際、同世代の友人に「ろくむし? なんじゃそりゃ」と言われたこともあるので全国区のゲームではないのだろうが、ルールを説明するのはとても面倒臭いので、知りたい人はこのあたりから適当に見繕って調べてみろ。 しかし、私も二〜三のページを斜め読みしたのだが、どれも私がプレイしていたろくむしとは違う。みんな、のっけから「キャッチボール」を始めるルールだったようだが、私たちはその前に「バッティング」をしていた。守備側の投手が下手投げで放ったボールを、攻撃側のプレイヤーが手で打つのである。空振りするとアウトで、「走者」になれない。打ったあとは走って「むし数」を稼いでもよいし、そこに留まっていてもよい。そうやって攻撃側全員が「打席」に立ったあと、ようやく「キャッチボール」が始まるのである。あれは東京都小金井市(あるいは小金井市立本町小学校)だけのローカル・ルールだったのだろうか。
ゆうべは、チェルシー×バーミンガム(FA杯4回戦)をビデオ観戦。スタメンにランパードもギャラスもパウロ・フェレイラもマケレレさんもいないという温存態勢でどうなることかと思ったが、ここでしか出番のないCBフートが先制ゴールを決めちゃったりするんだからチェルシーは強い。CKを頭でブチ込んだもので、敵のマーカーを体でブロックしていたテリーと二人で強奪した得点であった。そのテリーが、後半には自らヘディングでゴール。センターバックの頭だけで2-0って、かなり珍しい勝ち方なんじゃないだろうか。カップ戦では活躍しているらしいGKクディチーニの姿を久しぶりに拝めてうれしかった。動きは悪くなかったし、キックはツェフ(どうしてチェフじゃないんだろう!)より正確だと思う。そして、昔からそうだがフジテレビの青嶋というアナウンサーはうるさい。シュートの瞬間にいきなり解離性障害のごとく人格を入れ替えて大声を出さないでほしい。私たちは選手のプレイに驚きたいのであって、おまえの声にびっくりしたいのではないのである。視聴者を脅かしてどうする。
ゲイリー・ムーアのことを調べていたら目に入ったので買ったのがシン・リジィだったのだが、この『脱獄』はゲイリー・ムーア参加前のアルバムじゃないか。あらら。まあ、いいけど。最初はツインギターがカッコよくて「おおっ」と思ったけれど、3回ぐらい聴くとちょっぴり飽きてくるのはなぜだろう。わかりやすくて厨房ウケする感じ、などと言うと怒られそうだが。そういえばトム・ペティの『アメリカン・ガール』もシン・リジィの『脱獄』も1976年の作品である。ロックがお子様向けのわかりやすさを身につけ始めた時代だったのかもしれない。こんどは、70年代前半のシン・リジィを聴いてみることにしよう。……と思うぐらいだから、そうは言っても気に入ってるわけですが。厨房レベルをはるかに下回る中年ビギナーとしては、2曲目の『Angel From the Coast』を弾けるようになりたい。
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1.American Girl |
2005.02.01.Tue. 9: 35 a.m. BGM : TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS "GREATEST HITS"
それで借りてみたのが、このベスト盤である。さんざん顔と声は見聞きしていたので初めて聴くような気がしなかったのだが、実際、いきなり1曲目から聴き覚えのあるナンバーが入っていた。アメリカン・ガール。これは映画『羊たちの沈黙』のなかで、誘拐される女の子が(誘拐される前に)車を運転しながらカーラジオに合わせて一緒に歌っていた曲ではなかったか。
と思って調べてみたら、やはりそうだった。ふーん。私は映画のストーリーを覚えることができず、したがって観た直後でもどんな映画だったか人に説明できないという特異体質の持ち主(というか端的に言ってバカ)なのだが、妙なことを記憶しているものだ。対戦相手も試合展開も覚えていないのに、フィオレンティーナ時代のバティストゥータが、得点を決めた後にゴール脇の広告マット(平面なのに立体的に見えるアレ)を毛布代わりに使って寝そべったシーンをやけに鮮明に覚えているのと同じようなことだろうか。ちょっと違うような気もするし、なんで今そんな話を引き合いに出すのか自分でもよくわからない。ともあれ、映画を観たときから漠然と「これは誰の何という曲なんだろう」と思っていたので、スッキリした。意味もなく深まってゆく、トム・ペティへの親近感。聴き覚えがあるのは1曲目だけだったけれど。
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1.Where the Soul Never Dies |
2005.01.31.Mon. 10: 20 a.m. BGM : DELANEY & BONNIE AND FRIENDS "MOTEL SHOT"
ゆうべは、レッジーナ×ラツィオ(セリエ第21節)をライブ観戦。試合があることをうっかり忘れていて、23時15分頃にチャンネルを合わせたのだが、早くもラツィオが先制していたので、我が家の茶の間にはのっけから楽勝ムードが広がったのだった。甘い。甘すぎる。「レッジーナには負けんやろ」とアクビしながら適当な態度で見ていたら(だって試合そのものは退屈なのだ)、やがて先制ゴールを決めたセーザルが俊輔を倒して2枚目のイエロー。土曜日のカザフ戦における代表もそうだったが、日本の選手は簡単に倒れすぎだ。俊輔め。 結果、後半に追いつかれたが、まあ、10人(しかもコウト含み)では仕方がない。ペルッツィも神様セーブを連発していたので、それでも「レッジーナには負けんやろ」と眠い目をこすりながらいい加減な姿勢で見ていたのだが(だって試合は本当につまらないのだ)、ロスタイムに入って「勝ち点1いただき。これでぐっすり眠れる」と思うやいなや俊輔のCKから決勝ゴールが決まるのだからドーハな結末である。2-1。直後にタイムアップ。負けた。また負けた。俊輔め。
その前にビデオ観戦したセビリア×バルセロナ(リーガ第21節)は、前半0-0。GKの好セーブに阻まれて得点にはならなかったものの、ロナウジーニョが放った2発のヘディングシュートが印象的だった。あの人はヘディングもおそろしく上手だ。とくに2本目は、後ろ向きであるにもかかわらず、ゴール右上の隅へ正確に運んだもの。「偶然」には見えなかった。そのシュートにかぎらず、彼の方向感覚にはいつも感心させられる。いちいちゴールマウスを見なくても、あらゆるポジションから「枠」をしっかり捉えられるのだ。たぶん、ペナルティエリアのラインを見ただけでゴールマウスと自分の位置関係を瞬時に把握し、「この強さでこの角度へ撃てばあそこへ飛ぶ」と感覚的に判断できるに違いない。いっぺん、あのライン無しのフィールドでプレイさせて、どのぐらいオン・ターゲット率が下がるか実験してみたいものだ。関係あるような無いような話だが、そういえば巨人の高田も、後楽園球場の外野フェンスに書かれた広告を見て背後のセカンドベースの位置を把握できたから、クッションボールを捕って振り向くやいなや正確な方向へ送球できたと言ってたっけ。また高田の話をしてしまった。 後半、ライカールトは不出来なベレッチを引っ込めてアルベルティーニを投入。アルベルティーニって、あのアルベルティーニである。早くも「ウソのようなホントの話」になりつつあるが、「元ラツィオ」のアルベルティーニだ。そう呼ばれることに本人は内心忸怩たるものがあるかどうかは知らないし、ふつうは「元ミランのアルベルティーニ」だが、とにかく頑張れ。
で、アルベルティーニが入ったせいかベレッチがいなくなったせいかはわからないが、後半のバルサは押されまくっていた前半とは見違えるような出来。冒頭の13分間で3点をもぎ取り、終わってみれば0-4の大勝であった。3点目、足元に転がってきたボールを、瞬時に体の向きを変えて丁寧なインサイドキックできっちり枠に運んだロナウジーニョの方向感覚は、やはりさすがだった。それにしても、前半はバルサを圧倒し、本当ならベレッチのハンドでPKをもらってしかるべきだったセビリアにとっては、悪夢のような試合だったことだろう。とりわけバチスタのヘディングによる豪快な自滅点は、悪い冗談としか思えなかった。なんで自分たちのゴールに向かって、あんなに思いっきり首を振ってしまったのだろうか。正面を向いたまま弾き返せば何の問題もなかったはずなのだが。ストライカーのサガって奴? それとも、ゴールマウスがもっと右側にあると思ったのだろうか。方向感覚がいいのか悪いのか、微妙なところである。
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1.She Has Funny Cars |
2005.01.30.Sun. 13: 00 p.m. BGM : JEFFERSON AIRPLANE "SURREALISTIC PILLOW"
やけに「パンク」の比重が大きい(「華麗なる70年代」の巻と同じぐらいの時間を割いている)、「プログレの巻」が無い(そっち系で出てくるのはピンク・フロイドだけでキング・クリムゾンさえ完全無視)、したがって当然PFMも登場しない(関係ないけど、そういやディープ・パープルも見なかったなぁ)等、その歴史認識には偏りがあるように思えるフシもあるが、貴重な映像はふんだんに使われているし(たとえばジェフ・ベックとジミー・ペイジが一緒に演奏しているヤードバーズとか)、大御所たちのインタビューは面白いし(たとえばラリってるとしか思えないキース・リチャーズとか)、余計なナレーション無しで見せる編集スタイルにも好感が持てるので(その代わりインタビューを切り刻んで強引につなげている部分もあるのでコメントを都合良く使われた人は頭に来てるかもしれないが)、一見の価値アリだと思いますです。
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1.Sunday Morning |
2005.01.29.Sat. 20: 20 p.m. BGM : "THE VELVET UNDERGROUND & NICO"
で、パンクの歴史をなぞった番組を見た結果、「聴かない!」と決めたわけではないものの、「聴かないかもなぁ」という方向に気分が大きく傾いたのだった。ニューヨーク・ドールズとかラモーンズとかトーキング・ヘッズとかといったNYパンクから、セックス・ピストルズやクラッシュなどのロンドン・パンクまで、いろんな映像と音を見聞きしたが、どうしてこれらのバンドの登場が「ロックの復活」という文脈で語られる(何人もの関係者が当時を振り返ってそう語っていた)のか全然わからない。聴いていると、ひたすらイライラする。四十になってからロックに目覚めた男の限界が、ここにあるのだろうか。番組に登場したアーティストのなかで唯一オッケーだったのは、以前からそれがパンクだとは思わずに聴いていたパティ・スミスだけ。いま聴いているヴェルヴェット・アンダーグラウンドも、「NYパンクのルーツ」だとは知らずにずいぶん前に入手していたのだが、何度聴いても何がオモロイのかサッパリわかりまへんがな。この人たちは、べつに音楽をやってもいいとは思うけど、音楽じゃなくても構わなかったんじゃないの?と僕は思ってしまうんだよジョニー。 ところでセックス・ピストルズのデビューは1975年である。昭和50年。やけに鮮明に覚えているのは、その前年(昭和49年)の暮れに年賀状を書いていたときのことだ。当時10歳だった私は、昭和の「十の位」が4から5に変わろうとしていることに、どういうわけかひどく動揺していた。物心ついたときはすでに昭和40年代だった(私は昭和39年生まれである)から、「昭和50年」に漠然とした違和感と不安を抱いたのだと思う。2000年も2001年も、世間が騒げば騒ぐほど心の中では「だから何?」と思っていたようなタイプの私が、暦年の数字だけで「時代が変わった」と感じたのは、あれが最初で最後だ。私のなかで、現代史の区切りは「昭和40年代」と「昭和50年以後」の二つしかないのである。ともあれ、もしかすると私はその頃から保守的(というか後ろ向き)な性格で、「新しい時代」というものを素直に受け入れられなかったのかもしれない。だからといって、それ以前のロックも聴いていなかった小学生が「パンクなんて俺の音楽じゃねえや」などと訳知り顔で言ったりするはずもないのだが。
しかし、それ以降、短い期間とはいえパンクがロック界で大きな存在感を示していたのだとすれば、ロックと無縁な毎日を送っていた10代前半の私にもその雰囲気ぐらいは感じ取られていたであろう。中学時代にクラスメイトが聴いていたキッスやクイーンはパンクではないけれど、良くも悪くもファッションやメイクなどの「いでたち」が注目されるという点では、パンクと共通する部分がないわけでもない。ことによると、その「ロック=パンク的なもの」というイメージが私をますますロックから遠ざける一因になっていたのではないかと、番組を見ながら思ったわけである。それに加えてもう一つ、その番組を見ていて「なるほど」と思ったのは、パンクの勃興からやや遅れて、「MTV」が始まっていたということだ。私は、ミュージシャンたちが意味のわからない妙ちきりんな小芝居を演じたり、不自然なシチュエーションで口をパクパクさせながら歌を歌ったりするMTVの映像が、昔から嫌いだった。おそらくアレも、私を(ロックのみならず)洋楽そのものから遠ざける一因になっていたに違いない。
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1.Birdland
小樽の運河。
小樽のつらら。
小樽の(これでも)歩道。 |
2005.01.28.Fri. 13: 40 p.m. BGM : WEATHER REPORT "HEAVY WEATHER"
JRの札幌経由小樽行き快速エアライナーは、途中、通過するはずの「ぜにばこ」という駅で停車。南小樽駅で切り替えポイントが凍って作動しなくなったとかで、30分ほど止まっていただろうか。地元のプロが凍結を予想できなかったほど冷え込んだ土地で、車内に閉じこめられたまま待たされるのは、あまり気分の良いものではない。プラットホームの柱に書かれた仮名表記の駅名を車窓からボンヤリと眺め、「どういう字を書くんだろう」と思いながら過ごす。ようやく列車が出発し、改札口の上に掲げられた看板を見たら、「銭函」だった。なるほど。駅名入りの切符をお守り代わりに買っておきたかった。むかし「幸福駅」の切符が流行ったことがあったが、「銭函」のほうが具体的だ。 銭函駅を過ぎると、いきなり右手に海が現れる。真っ白な海岸、灰色の空、降りしきる雪を吸い込みながら砕ける波、風を切って飛ぶカモメ。海にも冬があるのは当たり前だが、海といえば「灼熱の太陽」「水着」「ビール」のイメージがこびりついている頭には、かなりのインパクトがある。えらい季節に、えらい所へ来てしまったものだ。 予定よりかなり遅れて、午後1時頃に小樽に到着。恐れていたほどヘヴィなウェザーではなかったが、それは単に「吹雪いていない」というだけであって、やはり小樽はシバレていた。なにしろ最高気温がマイナス4度だとかぬかしているフザケた世界だ。フザケてるわけじゃないですね。だけど寒い。寒いよジョニー。 ジョニーって誰だか私にもわからないが、小樽の街を歩いていて驚くのはつららである。雪は東京でも(質も量も違うとはいえ)見ることはあるが、つららは見ない。それが、どの建物でも軒下にびっしり下がっている。しかもデカい。長いやつは3メートルぐらいありそうに見えた。歩いていると、ときどき砕けたつららの破片が散らばっていて怖い。かといって上を見ながら歩いていたら転倒するのは間違いないわけで、雪国というのは油断も隙もないのだった。 油断も隙もないのは著者のスケジュールも同じで、当初は「本業は午前中で終わるので午後は延々と口述に当てられる」はずだったのだが、職場で大トラブルが勃発して予定外の超多忙状態に。どういう職場でどんなトラブルが起きたのかを書くと著者が誰だかわかってしまうので書けないが、そういう仕事をしている人だからこそ、話を聞いて本を作る価値もある。なので、待たされるのは仕方がない。仕方がないが、何のために早起きしたのかはよくわからない。
ともあれ、そんなわけで、初日も二日目も夜8時までホテルで待機。いつ連絡が来るかわからない著者を待つのは、気分はそんなに悪くないけれど、あまりリラックスできないのでくたびれる。結局、二泊三日で6時間強しかテープを回せなかった。口述作業が夜中になってしまったので、飲み歩けなかったのも残念。しかし二日目の昼、有名な寿司屋通りにある「町の」という店で食したボタンエビは、涙が出るほど旨かった。三日目の昨日は、こちらも有名な北一硝子でお土産に万華鏡つきのオルゴール(曲目はムーンリバー)を買い、空港からタラバガニ(1.3kg)を自宅に送る手配をして、夕刻に帰京。一度も転ばずに帰ってこられてヨカッタ。
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