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1.If I Could Do It All Over Again, I'd Do It All Over You |
2005.03.06.Sun. 13: 55 p.m. BGM : CARAVAN "IF I COULD DO IT ALL OVER AGAIN, I'D DO IT ALL OVER YOU"
木曜の晩に単行本の第3章を送稿。雪の金曜日は下手に仕事場まで出かけると途中で遭難しそうな気がしたので、自宅でエログロ猟奇本の最終作業。エログロな資料をセガレの目に触れないように仕事をするのに苦労した。そういえば愚妻も、先日わしズム座談会のテープ起こしをやっているときに、エッチな言葉をセガレに見られるのではないかと気にしていたらしい。どんな座談会だそれは。手書きの原稿と違って、パソコンの画面は後ろから簡単に覗けるから厄介だ。べつに子供がエッチな言葉を覚えるのは悪いことではないが、いきなり「セックスってナニ?」とか質問されても困るもんな。話は違うが、自宅のパソコンで仕事をしていると、愚妻が知らないうちに単語登録をしていて驚くことがある。憲法本の口述テープを起こした後に、「けん」が「憲法」に変換されるようになっていたときはまあそういうものかとも思ったが、わしズム座談会の作業後には、「しん」が一発目に「辛酸」と変換されるんだから笑わせるじゃないか。まあ、そんな座談会だったということ。
ともあれ、土曜の昼にエログロ終了。シギーにまとめて原稿を送る。「3月のはじめまで」という約束は完璧に守った。あとは「最悪でも3月初旬には」と約束した単行本に集中してラストスパートをかけるのみである。……というタイミングで、次の仕事(憲法本)の資料がドサッと宅配便で届くのだから、バルサの波状攻撃を受けているチェルシー守備陣のような気分だ。「まだある!」という実況アナの絶叫が聞こえてきそう。そちらの担当者には「3月25日前後を目標にやります」とメールを出して、自ら首をキュキュッと絞めておいた。「プレッシャーを楽しみながら戦いたい」というコメントは、こういうときに使えばいいのかもしれない。
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1.Natural Thing |
2005.02.31.Thu. 11: 15 a.m. BGM : Doobie Brothers "Captain & Me"
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SIDE A |
2005.02.30.Wed. 9: 55 a.m. BGM : 五つの赤い風船 フォーク・アルバム 第1集
終盤のコメントがウケを狙いすぎていて、全体の面白味を損ねているのが惜しいところだ。こういうのは悪ノリに注意したほうがよい。もって他山の石とすべし。過ぎたるは及ばざるがごとし、である。だいたい、「肉を食べる運命の人」の鼻血が覆面の上から出ているのかどうかが、よくわからない。「50才の覆面」なのか「覆面をした50才の男」なのかもよくわからない。ともあれ、私は私の得意料理であるカルド・ガジェゴ(香草を多用する煮込み料理)向きだということがわかった。私は肉が臭い。私は肉が臭いのだ!
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久しぶりに矢野真紀のオフィシャルサイトを見たら、SMBCフレンド証券のCMで、彼女が歌う『遠い世界に』が使われていることが判明した。私がときどきカラオケで歌う曲だ。聴きてえ。矢野真紀はカバー上手でもあるので、かなり期待できる。誰がプロデュースしたのか知らないが、適材適所のナイスな企画だと言えよう。ところで、あの曲がヒットしたのは1969年のことであるらしい。英国で「レッドな飛行船」が離陸したのと同じ頃に、日本では「レッドな風船」が浮かんでいたわけか。ふーん。などと思いながら仕事場の片隅から引っ張り出してきた古いLPが、いま聴いているアルバムである。持ってるんでやんの。あれは高校生の頃だったか、このアルバムに入っている『血まみれの鳩』という歌に触発されて、あろうことか短編小説を書きかけたことを突如として思い出した。青春って恥ずかしい。
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1.Ready To Run
1.Steve McQueen |
2005.02.29.Tue. 10: 55 a.m. BGM : DIXIE CHICKS "FLY"
![]() きのうから聴いているのは、ディクシー・チックスというグループだ。いわばアメリカ版のキャンディーズである。いや、「演奏能力の高いかしまし娘」と言うべきか。どっちでもないよ。どうして私は、ふつうに「女性3人のグループである」って言えないんだよ。 先日ここで紹介したシェリル・クロウの『LIVE FROM CENTRAL PARK』にゲストとして出演し、名曲『Strong Enough』を一緒に演奏していたのがディクシー・チックスだ。どうやらリトルフィートの名盤『ディキシー・チキン』にちなんだグループ名という説もあるようなので、私としては「ディキシー・チックス」と書きたい気がするが、一般的には「ディクシー・チックス」と表記されている。ディクシー・チックスは、米国でものすごーく売れているそうだ。日本でも売れているんだろうか。私は今まで見たことも聞いたこともなかったが、今は「ミリオンセラーになっても一部の人間しか知らない」が時代の特徴だから、きっと日本でも売れているんだろう。 売れているのに知らないと言えば、私はギター侍のことも去年の紅白歌合戦で初めて見た。それが最初で最後だ。だから私の前で「○○ですからぁ〜」などと言っても、あんまりウケないですからぁ〜。間違いないっ! 間違ってるか。間違ってるよな。でも、まあ、どっちだっていいじゃん、そんなの。ディクシー・チックスは、なんで売れるのかわかるような気もするし、わからないような気もする。しかしメチャメチャ上手いな。演奏しているところをDVDで見てみたい。ちなみにギター侍の演奏能力は知らないが、紅白で見たときは、少なくとも私より左手の小指がギタリストらしかったので、尊敬した。
![]() DVDといえば、一昨日、シェリル・クロウのライブを収めた『C'mon America 2003』がamazonから届いたので観た。すばらしいものだった。のっけから、真っ赤なライダージャケットに身を包んだ彼女が、挑発的な視線を客席に投げかけながら、赤いテレキャスをかき鳴らして『Steve McQueen』という軽快なロックナンバーを歌い始めた瞬間に、もう参りました!という感じ。いっそ、ギターになって弾かれたい。
彼女を含めて3人のギタリスト(そのうち2人はベーシスト兼任)が取っ替え引っ替えいろんな楽器を手にするのも、見ていて面白かった。いったい、一つのステージで何本のギターを使っているんだろう。それにしても、いずれ劣らぬ傑作がぎっしりと21曲、それが2000円ちょっとで買えるんだから、リージョンフリーの輸入DVDはありがたい。しかもラストナンバーは、なんとなんとレッド・ツェッペリンの『Rock and Roll』ときたもんだ。感激しちゃったよなぁ。このステージで唯一楽器を弾かずにマイクを手にしたシェリル・クロウが、裸足でピアノの上に乗ってギンギンにシャウトする姿は、ある意味ロバート・プラントよりも男らしかったですからぁ〜。たまらん!
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1.I Can Love You Better |
2005.02.28.Mon. 10: 30 a.m. BGM : DIXIE CHICKS "WIDE OPEN SPACES"
だいたい、冒頭で<将来を担う世代を守るためにも、(たばこの)消費を減らさなければならない>などとキレイゴトをぬかしておきながら、その舌の根も乾かぬうちに<喫煙が原因で毎年10万人が亡くなり、1兆3千億円の医療費が余計にかかる。ほかならぬ厚生労働省の推計だ。たばこを吸う人と吸わない人が同じ医療保険料を負担するのは不公平だという論議があってもおかしくない>と、「目先の金」が大事だということを白状しているのだから笑わせる。そうかよ。「推計」を根拠に断罪していいんだな? 朝日新聞は「推定無罪」という法治国家の大原則を否定するんだな? もっとも、そんなものは「被疑者」を犯人扱いすることで、とっくの昔に否定しているわけだが。 仮に、百歩譲ってこの「推計」が事実だとしても、これは人類の数少ない叡智の一つである「福祉」という考え方を根底から揺るがす大暴言であろう。そうかいそうかい。自己責任、上等じゃねえか。だったら旧国鉄の債務はJR利用者に負担させて、たばこ税は喫煙者の医療費に回せ。サッカーボールにも税金をかけて、フットボーラーの骨折や肉離れはその金で治療しろ。雪山で遭難した奴らの救助には「ピッケル税」を使え。肥満が原因だと「推定」される心筋梗塞や脳卒中はマクドナルド病院、ビールが原因だと「推定」される痛風はキリンビール病院、米国産牛肉が原因だと「推定」される新型クロイツフェルト・ヤコブ病は吉野家病院で治療すればいい。各社が価格に上乗せして消費者から徴収した金を治療費にあてれば、誰からも文句は出るまい。私自身は、勝手に危ないモンを行列してまで食って病気になる奴らの医療費を負担することを厭わないが、みんな、もう、そういうのはイヤなんだろ? 「困ったときはお互いさま」なんて美徳はクソ喰らえ、ってことなんだろ? <さて政府は何をすべきか。まずは、たばこの税率を引き上げ、その値段を上げることだと思う >って、その論理の飛躍は何だ。おまえらは金のことしか頭にないのか。何でも金で解決すりゃいいと思ってんのか。<値上げは、「やめたいけど、やめられない」という人たちにとって、禁煙のきっかけにもなるだろう>などともっともらしい理屈をこねているが、ふつう、禁煙できない人のことを「やめられない人」って言うんです。物事はもっとシンプルに考えてもらいたい。たばこの値上げは、「やめたいけど、やめられない」という人たちにとって(無論「やめるつもりなんかない」という私のような人たちにとっても)、生活苦のきっかけになるだけに決まっているではないか。バカも休み休み言えっちゅう話である。 それに、なんで<健康への悪影響は、全国民に及ぶ>んだよ。自分で言ってておかしいと思わないのかよ。仮にたばこが健康に悪影響があるとしたって、それが及ぶのは喫煙者だけだろ。仮に(仮定の話ばっかりだ)受動喫煙が非喫煙者の健康に悪影響を及ぼすとしても、それは分煙なり喫煙マナーの徹底なり何なり別の手立てを講じれば済むことで、「だから値上げしてもいい」という理屈は通らない。それとこれとは話が別である。そもそも、たばこの消費量が減れば病気が減って医療費が減るという発想が短絡的だ。たとえば禁煙によってどれだけ肥満が増えるか、誰か「推計」してみたのか? 精神的ストレスがどれだけ「余計な医療費」を発生させるかは? 喫煙より生活苦のほうが体に悪いと思わないの? 生産性ダウンによる経済的マイナスのことだって、考えてみたほうがいい。
しまいにゃ、<販売量が減ることで病気が減る。医療費が減る。しかし税収は増える。そんな一石三鳥を考えたい>ときた。おいおい、医療費削減に貢献させた上に、さらに喫煙者から税金むしり取ろうってのかよ。喫煙者は鳥か。石、投げられるのか。そういうのを「いじめ」とか「差別」っていうんじゃないの? たばこでも吸わなきゃ、やってらんないっつーの。 |
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1.Everyday Is a Winding Road |
2005.02.27.Sun. 13: 35 p.m. BGM : SHERYL CROW and Friends "LIVE FROM CENTRAL PARK"
だが一方、シェリル・クロウのライブはとてもガッツがあるのだった。この『LIVE FROM CENTRAL PARK』というアルバム、ブートレグみたいなセンスのジャケット・デザインはいただけない(ついでにショートカットのシェリル・クロウもイマイチいただけない)が、中身は贅沢。なにしろキース・リチャーズがローリング・ストーンズの『Happy』(アルバム『メインストリートのならず者』所収)を弾いたり、エリック・クラプトンがクリームの『White Room』(アルバム『クリームの素晴らしき世界』所収)を弾いたりしているのだ。なるほど、シェリル・クロウの音楽が70年代漬けだった私の琴線に触れたのも当然かもしれない。ラストは全員でボブ・ディランの『Tombstone Blues』。ディランの曲って、他人が演奏すると本当にわかりやすい。
どうやらキース・リチャーズとエリック・クラプトンの二人は彼女の「師匠筋」に当たるらしい。私もいずれ出世してセントラルパークでライブをやるときには、Kay'n師匠をゲストに呼ぶことにしよう。ところでクラプトンは、シェリルと熱愛の噂もあったという。しょうがねえ男だな本当に。このライブには「Friends」の一員として参加しているのだから噂は噂にすぎなかったと信じたいところだが、まあ、世の中いろんな「Friends」がいるからなぁ。ちょっと頭に来ている。クラプトンめ。ギターが上手けりゃ何したっていいのかよ。
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1.Airbag |
2005.02.26.Sat. 19: 40 p.m. BGM : RADIOHEAD "OK COMPUTER"
昼前に起きて、家の中でセガレとインサイドキックの練習をし、きのう届いた『月刊PLAYBOY』4月号の「3大ギタリスト特集」以外のページを妻子に隠れて「うひょー」とか何とか言いながら拾い読みし(みんなも「江戸川が構成した対談記事があるから」とか何とか奥さんに言い訳して買おう)、浜田山のTSUTAYAに7枚のCDを返却して7枚のCDを借り(プラマイゼロなのにどうしてお金を取られるんだ?)、高井戸のオリンピックで買い物をし、借りてきたCDで「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」のテーマを聴き(映画を観てセガレが聴きたがったのだ)、風呂入って晩飯食って、19時に出勤。やや回復したもののまだ目は駄な感じだが、これ以上は休んでいられない。
レディオヘッドはそうとう気に入っている。現代的なロックでありながら、どこか四畳半フォーク的な抒情が隠し味として効いているのがたまらない、などと言ったらファンに怒られるのだろうか。でも、ボーカルが伊勢正三だと思って聴くとかなり浸れる。思わなくても十分に浸れるが、伊勢正三でも意外にイケるのではないか。伊勢正三が歌って悪いという理由が見当たらない。レディオヘッド featuring 伊勢正三。そのうち出世して大物プロデューサーになった暁には、ぜひ実現させてみたいプロジェクトである。
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1.Turn turn turn (To everything there is a season) |
2005.02.25.Fri. 10: 10 a.m. BGM : THE BYRDS "TURN! TURN! TURN!"
愚妻はややバルサ寄り、私はややチェルシー寄りという家庭内ダービーではあったが、カンプノウのスタンドで赤青のファッションに身を包んだサンタクロース似のおじいさんの姿なんか見てしまうと、やはりバルサに情が移る。おじいさんが悲嘆にくれる表情はあまり見たくない。とはいえ試合が始まると、愚妻が「あ、惜しい!」と叫んだ場面で、私のほうは「うわ、あぶねっ」などと口走っているのだった。 しかし人間の肩なんて気分次第でどちらにも入るもので、ランパードのロングパスをベルカンプ並みの爪先トラップで受けたダフがベレッチの自滅点を誘ってチェルシーがイタリアン・テイスト丸出しの先制点を奪ってからは、次第にバルサへの肩入れ度が増す。CLではバルサを見ていたい、という気分になっていったのである。内閣の支持率だって、その程度のことで決まっているに違いない。 後半、ドログバがGKバルデスに体当たりを食らわして二度目の警告。チェルシーが10人になったことに、金子アナは気づいただろうか、どうだろうか。少なくとも八塚さんは気づいていた。当たり前である。試合開始当初から意味もなく一人でカリカリしていたドログバのメンタルを制御できなかったモウリーニョの責任は大きい。それ以降は、仮に体当たりを食らったGKが動けなくなっていてもべつに問題ないような展開。イニエスタとマキシ・ロペスを投入したバルサがあらゆる手を尽くしてチェルシー守備陣を崩しにかかる。 どこの誰かは知らないけれど、マキシ・ロペスはやけに使える奴だった。愚妻が「美輪明宏に似てるよね」などと言い出してからは、すっかり応援モード。いや、べつに美輪明宏が好きなわけではないが、面白いじゃん。だって美輪明宏だぜ。そんなサッカー選手、めったにいないぜ。サッカーを見ながら美輪明宏のことを思い出す人間もめったにいないと思うが、ともあれ、これからは彼を「アキヒ・ロペス」と呼ぶことにした。 そのアキヒ・ロペスが、ロナウジーニョのこしらえたチャンスで同点ゴールをゲット。上体を左右に振るフェイント一発でギャラスを振り切って狭いコースにシュートをねじ込む、見事な個人技だった。勝ち越しゴールも、アキヒ・ロペスのラストパスをエトォが決めたもの。なかなか日本語が上達しない解説の人は「シュートミスがたまたまアシストになった」というような見解を示しておったが、私はそんなことないと思う。エトォの動きに合わせてボールのスピードとコースを完璧にコントロールした意図的なパスにしか見えなかった。2-1でバルサ先勝。アキヒ・ロペス、かっちょいい。でも、美輪明宏。 チェルシーの敗因は、モウリーニョの「怯え」だったのではなかろうか。「慎重」と「臆病」は紙一重だ。先制点を奪ったとき、ベンチ前でめずらしく派手なガッツポーズを見せたのも、「闘志の表れ」というよりは「恐怖心の裏返し」のように見えた。あそこは苦虫噛みつぶさなきゃダメだ。古巣であるがゆえに、バルセロナおよびカンプノウの強さと怖さを過大評価していたということはないだろうか。
そのあたりは私の思い込みにすぎないのかもしれないが、ともあれ、同点の段階でジョンソン投入はないよなぁ。モウリーニョは時々ああいうことをやるのだが、私はあんまり好きじゃない。守備を固めるのがつまらないと言っているのではなく、当たり前すぎてつまらないのである。しかも、結果的には守りきれなかった。「攻撃」を「漱石」と同じ抑揚で発音する解説の人は「モウリーニョは2-1でも良しと考えている」という見解を示していたが、だったら1-1で守りに入る必要ないじゃん。ディフェンダー増やして2点目を失ったんだから、失敗でしょう。失敗失敗。でも失敗は成功の元なので、次はどうなるかわからない。自分がどっちを応援するのかも、わからない。どっちにしろ、面白ければそれでいい。面白い試合だった。
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